間寛平
【 2008年1月17日放送】【140回】パート1
今日のゲストは、お笑い芸人で、マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する間寛平さん。(2011年1月21日に2年1か月のアースマラソン4万1000kmに及ぶ長い旅を終えゴール)
【間寛平 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言でいうと⇒弱い
苦手なものはありますか?⇒人間以外の生き物
好きな言葉は?⇒若いとか、青春とか好きですね
不思議な体験をしたことは?⇒夢で見たマラソンですか
アースマラソン出発前の今の心境は?⇒不安なんですけど、一歩を踏み出したら がむしゃらに、とことんやりたいですね
国分「さあ、寛平さん何かすごいことをやろうとしてますよね。
と言うかこの番組がオンエアされる頃には、もう出ているという状況なんです。寛平さんは。
(番組は昨年12月のアースマラソン出発の直前に収録されました。)」
寛平「はい、そうですね。太平洋、小笠原より。」
国分「行ってる感じですか?」
寛平「まあそうでしょうね。」
国分「まだスタートする前に、このオーラの泉ですけれども。
本気で相談したいことがあると。」
寛平「誰がモンキーやねん。」(みんな笑い)
美輪「出た。」
寛平「ありがとうございます。」
国分「でも、スタート前に、本当にちゃんとね、聞きたいことは
聞いてから行った方がいいですものね。」
寛平「そうですよ。何かちょっと、この番組が怖くて何を言われるかっていうのも心配やんか。」
国分「はい、はい。ということはこの番組をご覧になられたことはありますか?」
寛平「あります、あります。カメラがずっとこの辺、
回りながら撮る時あるやん?
ああいう時、なんか怖いよなあ。」
国分「その場所に、今いるわけですよ、寛平さんは。」
寛平「そうですよね。」
国分「本気の顔を。」
寛平「誰がモンキーやねん。」(みんな笑い)
国分「まあ、アースマラソンもそうですけれども、それこそ江原さんに見えていること、
この挑戦に何の意味があるのかっていうことも、やっぱり気になりますよね。」
寛平「そうですね、はい。」
国分「今日は地球儀を用意したんですけれども。これ、寛平さんが通るルートですね。」
寛平「そうです。」
国分「えっと、大阪でしたっけ、一番最初はそうですね。」
寛平「まあ、とりあえず…大阪のNGK(なんばグランド花月)
あそこをスタートするんですけれども。」
国分「12月17日スタート。」
寛平「はい、舞台から。」
国分「舞台からですか。」
寛平「はい。」
~2008年12月17日に大阪のなんばグランド花月の舞台からスタートを切った地球1週アースマラソンへの挑戦。自分の足と風の力だけで1週をするという壮大な旅。
12月30日にランニングで千葉県鴨川市に到着、現在はヨットで太平洋を横断中で、アメリカ西海岸ロサンゼルスに向かっています。(2009年2月到着予定)
その後は、再びランニングでアメリカ大陸を横断、約4500キロを走って
ニューヨークへ。(2009年6月到着予定)
そして、大西洋をヨットで渡り、ポルトガルのリスボンへ。(2009年7月到着予定)
さらにヨーロッパからアジアへ約14000キロ、ユーラシア大陸をランニングで横断し(400~550日寛平想定)、中国分の青島へ。(2011年2月到着予定)
青島からヨットで鹿児島へ。
最後は約900キロを走って大阪にもどり、ようやく到着。(2011年3月到着予定)
うまくに進んでも2年半はかかるという壮大なチャレンジなのです~
[地球1週を決意した理由]
国分「何でこんなことをやろうと思ったんですか?」
寛平「そうですね。今まで、いろいろなきついことをやってきて、
どんどん歳をとってきたら、もうスピードもないし、もう限界やな、と思ってたんですよ。
でも、何か最後にやることないかなあ~とかいうのが
ず~っと頭にあったんですけど。」
国分「いつ頃からですか?」
寛平「そうですね。もう5年くらい前から。」
国分「はあ~、5年前から?」
寛平「はい。それで、この3年ぐらい前ね、何か、バーン!と降りてきてね。
この頭のてっぺんの…ペコペコに。」
国分「このペコペコするところに、何かが落ちてきたんですか?」
寛平「そう。」
国分「ドーン!と」
寛平「バーン!と落ちてきて。『地球一周や!』と。」
国分「もう、それが落ちてきたわけですか、ドーン!と。」
寛平「はい。」
国分「はあ。」
寛平「『そうや、地球一周や!これやろう!』と思って。」
~寛平さんの頭に突然ひらめいた世界一周のアイデア。
「陸の上は走れるとしても、海をどうやって渡るのか。」という根本的な問題に気づいたのです~
[強力な助っ人]
寛平「『地球一周するのには、どうしたらいいかな。そうや、比企や!』
と思って、20年前に僕のマネージャーをやってくれていた比企に電話を入れたわけです。
(比企啓之さん 現在は『よしもとデベロップメンツ社長』)
比企は、僕がスパルタスロンという長い距離を走る時には、完走するためにはどうすればいいか、というのを考えてくれて…。」
国分「あ、そうなんですか。スケジュールを組んでくれたりしたんですか。」
寛平「組んでくれて、乃木坂から富士山のてっぺんまで走らされたりとか、
乃木坂から大阪まで走ったりとか、その練習をさせるんです。きついんですけど。」
国分「スタートは全て、乃木坂なんですか?」
寛平「何か知らないけど、乃木坂なのよ。そういうのをやってくれるんですよ、
いつも、組んで。」
国分「はあ~」
寛平「吉本興業は、大体3年、マネージャーがついたら離れるんですけど、
もう離れて17年ぐらいになるんですけど、僕は比企に電話を入れたんですよ。
『そうや、比企や!』と思って。
それで
『地球一周をやりたいんだけど、ちょっと話を聞いてくれへんか?』といったら
『あ、いいですよ』って言って」
国分「あ、冷静なんですか?『そんなことやるんですか!』っていう驚きとかはなく」
寛平「『はい、はい分かりました。いいですよ~。』っていう感じだったんですよ」
国分「もう、分かっていたような感じですね、それは。」
寛平「はい。」
国分「いうだろうな、っている感じですよね。」
寛平「それで『僕が考える』と言ってくれたんですよ、比企が。
で、日本というのは北緯35度だと。(地球儀を示して)
北緯35度をこう回ったら、一番皆に分かりやすいやろうと、こう考えてくれたんですよ。」
美輪「なるほどね。」
国分「ちゃんと、そういう意味があるんですね。」
寛平「北緯35度を周るということは、海があると。
『海は、悪いんやけど、手漕ぎで行ってくれへんか?』と。」(みんな笑い)
国分「手漕ぎで。」
寛平「『手漕ぎでずっと行くんか?』」
美輪「それはねえ」
寛平「『手漕ぎで行ったら多分(腕をさして)こっちが足みたいになって。
(足をさして)こっちは使わへんから細っそうなるぞ。』って。
『そんなここへ着いた時に(地球儀のアメリカの辺をさして)こんな状態(フラフラ)やぞ。これは無理やぞ。』
それやったら、今はエコの時代だから、自然の風と自分の足で周ろう、ってなって」
国分「でも、これ最悪、死んじゃうかもしれないわけじゃないですか。」
寛平「…何てこと言うの。」(笑い)
美輪「縁起の悪いこと。」
国分「ヨットの経験は本当に無いんですよね?」
寛平「はい、ないです。」
国分「比企さんは経験はあるんですか、ヨットの経験は。」
寛平「大学時代にヨット部やったもんで。」
国分「で、どこか横断したりとか、そういう経験というのは。」
寛平「小笠原まで行ったことがあるけれど、ものすごく泣いたらしいです
『怖い、怖い』言うて『神様、助けれくれ~』言うて。」
国分「これ、だって、1ヶ月ぐらいで『引き返そう』ってなったって、1ヶ月かかるわけですよね?」
寛平「それやったら、行った方がええやん1ヶ月行って引き返すんやったら…」
国分「これ、過酷ですよね?本当に。2人だけですよね?」
寛平「2人だけです。」
美輪「比企さんと2人だけ?」
寛平「はい。60日ず~っと2人っきりでヨットの中にいてるわけだから。」
国分「ご飯も一緒に食べるわけですよね。」
寛平「僕、何にもせえへん人寛平やから、もう比企に言われたんですよ。
自分が食べたカレーライスの皿は自分で洗うようにしてくれ、と。
途中でやっぱり、腹も立ってきたりするやん?喧嘩になるかもわからへん、と。」
美輪「で、また愛し合うようになるかもしれないしね。」
寛平「抱き合ってですか?」
美輪「はい。ははは。」
国分「そうですよ。60日も一緒にいたら、それは抱き合う時間も出てくるかもしれないですよ。」
寛平「絶対、比企よう抱かんわ。」
美輪「大丈夫よ、向こうもそう言ってるから。」
寛平「ということは、僕が抱く方ですか、それとも僕が抱かれる方ですか?」
美輪「そんなのは私は知るわけはない、勝手にすれば。」
寛平「見て分かりません?見てもらいたいんですが、そこも。」
美輪「勝手にすれば。」
国分「でも、親みたいですね、比企さん。」
寛平「そうなんですよ、はい。」
国分「『ちゃんとカレーのお皿は自分で洗って下さいよ』とか、
スケジュールも全部組んでくれたりとかっていう、比企さんが本当にいなければ。」
寛平「そうなんです、はい。」
元、寛平さんのマネージャーで、今もよきパートナーである比企啓之さん。
地球1週というとんでもないアイデアに驚くこともなく、陸はランニングで海は自然の風を利用したヨットで回るというエコを利用した現実的なプランを提案。
比企啓之さんのコメント。
「僕としては、言いだしっぺは寛平さんで、企画したのが僕なので、
もう、何が何でも届けないと駄目なので、頑張ります。」
マラソン経験は豊富でもヨットの経験が全くない寛平さんを、大学時代ヨット部だった比企さんがつきっきりで指導。さらに、2年半にもおよぶ壮大な旅に、自分も付き合うと決めたのです。