倉本聰

Sponsored Links

【 2009年8月15日放送】【2時間SP 】パート1

今日のゲストは、「北の国分から。」など数多くの脚本を手掛けた日本を代表する脚本家 倉本聰さん。

定本 北の国から

パート1からの続きです♪

~芸術家は作品を生み出すとき「何かが降りてくる。」「何かが乗り移っている。」と 感じることがあります~

棟方志功さんのドキュメントのインタビューより
「谷崎(潤一郎)先生が僕の仕事ぶりを
『いいね、もう森羅万象をえぐるように棟方の版画は生み出している。』ということを 歌にしていますけれども、私の版画はどっちかっていうと 自分からそれを作るというのではなく、板の中に入っているものものを 出してもらうっていうような生き方ですか、
作るというよりも生ましてもらうっていうんでしょうかね。
板の持っている生命っていうんですか、木の持っている生命っていうものと合体して、
自分の思いっていうものを充分に発揮するんですかね。」

[気が付いたら北海道に]
国分「先生、先ほどもいいましたけれども、富良野に行ったのも『よくわからない』 みたいなことを。」
倉本「そうですね、本当に『気がついたらいた』っていう感じですね。
北海道に行って、札幌に2、3年いて、どこかで永住しようという気を起こして北海道中、見てまわったんですよ。」

美輪「なぜ、北海道なんですか?」
倉本「これがよくわからないですね。NHKと喧嘩したわけですよ、
NHKでつるし上げを食って、NHKの西口を出たところまでは覚えているんですよ。
それで気がついたら…千歳空港にいたっていう感じですね。」
国分「え?」
倉本「だから飛んでますね、間が。」

国分「それは一日くらいですか?それとも、その日ですか?」
倉本「いやいや、その日、何時間ですよ。」
国分「えっ?その日に行っちゃってるんですか、もう…。」
倉本「うん、その日に行ってます。」
国分「ええ?なぜ、北海道だったんですかね。」

美輪「その…だからトラブったのも、北海道へやる原因だったんだと思うのね。」
倉本「僕もそういう風に思ってます。だから今は、NHKに感謝してます。
『あそこでトラブりがなかったら、後の自分は何だったんだろう?』って。
『あのまま東京にいて、やっていたらどうなっていたんだろう?』ってことを考えると、 ゾッとしますよね、逆に。」

江原「でも先生、その答えはその前の『ニングル』の作品の中で答えが出てますよね。」
倉本「そうかもしれませんねえ。」
江原「『ニングル』っていう作品がありまして(倉本聰 作・演出の舞台 森の妖精『ニングル』が森林を伐採する人間に警告を発する)
森を守るというのと、自然の中には、やっぱり魂が宿っているんですね。
それは専門的に自然霊ってよく言うんですけれど、そういう魂、
だからやっぱり倉本先生を必要としている神さまがいてね。」

美輪「そこがおもしろそう。」
国分「必要としている神さまがいるんですか?」
江原「うん、後ほど申し上げますが。」
国分「なるほど。」

~なぜ北海道に招かれたのか。それに答えるように2005年に「富良野自然塾。」を設立。 閉鎖されたゴルフ場に苗を植えて森に戻す活動を始めたのです~

[大自然に囲まれて 脚本家 倉本聰の使命]
国分「東京に住んでるときと、北海道に住むようになってからで、 自然の大切さっていう気持ちって変わってるんですか?」
倉本「ものすごく変わりました。」
国分「じゃあ、東京にいるときは、そんなことは考えていなかったんですか?」
倉本「うん。自然は好きでしたけどね、何か漠然と文学的にっていうか、 趣味的に好きでしたよね。
というのは、やっぱり住んで、 今、森の中に住んでますけれども、全然違って見えますね。」
国分「全然違うというのは…。」

倉本「僕、カナダの原住民に非常に親しい人がいるんですけれども、
彼らの所で暮らしていると、とっても不思議な気持ちになるんですね。
あのほとんど無人島で太古の森なんですよ。
最初の日はね、僕、怖くて眠れなかったんですよ、実は。」
国分「怖いっていうのは。」
倉本「何かね、圧倒されちゃって。で、一緒に行った人はカナダの女性で、
すごく霊感の強い人だったので『聰、夕べ眠れたか?』って言うから、
『いや僕、怖くて眠れなかった』って言ったら
『そうだろう。私のテントの周りはこのぐらいの(手で高さを示して)
原住民の子がず~っと一晩中歩いてた。』って言うんですよ。全く無人島よ。
そういう意味で、霊的に怖かったんですよ。
ところがね、翌日からね、 もうスッと憑き物が落ちたようにね、何かものすごく深く眠れるようになっちゃった。」
国分「怖さもなくなって?」
倉本「怖さがなくなって。多分ね、あの、受け入れ、一晩テストされたんだと思う。
で、2晩目にね、受け入れられたんだっていう気がするの。」

国分「これはどうですか?」
江原「いやもう、その通りですよね。何かもう先生、ものすごくスピリチュアルだからね
もう先に出てしまっているので。あの、先に一つ申し上げると、 原住民の話が出たときに、それは元々、先生もいらっしゃったから、過去に。
ネイティブアメリカン。」
美輪「…でいらした前世がおありなの。」
江原「そういう時もあったんですよ。」
倉本「あったでしょうねえ。僕、あんなにね、何かね、故郷っていう感じがした。」
国分「懐かしさみたいなものも感じるんですか?」
倉本「うん、何とも。」
江原「だからいろんな頼みを受けるんですよ。」
美輪「そして最初の質問のときに、倉本先生がね『怖いものはお化け』っておっしゃったでしょう?
それは畏れ(おそれ)ですよ。神に対する畏敬の念、畏れ、尊敬の念。
だから畏れを知らなくなったのが、野放図で図々しい人間になるんですよ。」

[戦後 日本で失われたもの]
倉本「いや、その通りだと思う。僕、戦前と戦後の日本人の一番の違いってね、戦前は 『自分に恥じないか』とか、それからその…『何かに見られていて、神さまに見られてる』
…誰でもいいんですけれども、それは『良心に見られている、良心が見ている』でも いいんだけれども、それに恥じないかっていうことが行動の基準だったのね。

ところが、そういう倫理観みたいなものが戦後、修身教育と関係があるのかもしれないけれど、なくなっちゃったでしょう?
その代わり、法律っていうもので規制されるようになって、法律の目を潜ればいいっていうので。
だから自動車のスピードだって『ネズミ捕りやってるよ』って警報装置みたいなのがあって、それで法律を逃れるわけでしょう?
だけどその、良心というか、そういう神さまの目っていうのは、 『ネズミ捕り防止器』っていうのはないわけですからね。
そういうところがね、僕、すごく変わっちゃったなっていう気がしますね、
今の子供なんかを見てて。」

国分「単純にどうなんでしょう、そういう言葉が減っていった分、子供たちも 『どういう意味?』って聞かなくなったのもありますよね?」
倉本「もう親の世代が既に変わっちゃってますから。
だからいま僕、自然塾でもこの前、4、5、60代の女性の前でお話したの。
『子供のために死ねる人は、ちょっと手を挙げてみてください』と言ったの。
60数人いたんですよ。手を挙げたのは6人でした。」

美輪「ええ!?1割?」
倉本「びっくりしましたよ
倉本「『子供のためなら死ねる』っていう人があまりにも少なかったっていうことの理由は、 要するに愛の蓄え量がね、最近、少ないんじゃないか。
つまり栄養が、愛を蓄える方へいかないで何か別の遊びとか、いろんな目新しいことにどんどん行っちゃって、
愛を蓄える方にいってないような気が僕はしますね。」

美輪「おっしゃる通りですよね。私は原爆の後でね、長崎ですけれど死体が転がっていてね大抵、親子のはね、上におぶさって
腹の下に子供を抱え込んで、自分は焼け焦げて死んでも子供だけは助けようとして みんなこうなっているんですよ。
で、あれが結局、無償の愛でね。」
倉本「そうですねえ。」
美輪「だから私は、全国分ずっと、歌にしろエッセイにしろ芝居にしろ、
それだけをテーマにやって歩いているんですけれどね。」
江原「自分の命を分けて子供は育ってて、分けた自分の分身だから 命を引き換えに出来るんですよね。
今はセパレートで、自分の命は全く横着してて、育っているから死ぬ気になれないんではないかと。
ヨイトマケのお母さんも命を分けていますもんね。」

美輪「そうよ。だから私、全国分ね、辻説法してまわっている時にね
『何ゴタゴタ寝言いってやがんだ、洗濯が大変だ、家事が大変だ…寝ぼけんじゃないよ。』って私、言ってるんですよね。
昔はね、10人産んだら勲章をやるといってね、 弾除けの兵隊を産ませるために一家で8人、9人、10人育てて
しかもね、ご飯を炊くのだって薪から焚いてね、釜戸のそばを離れないで
それで全部、手でやって。その間に洗濯も手洗いで寒空の冬の凍るような手でね、家族の分、全部手洗いで、もちろん洗濯板でやって。
さあ掃除となったらね、今度はみんな拭き掃除でね、はたきでやって、掃いて、みんな手仕事で。それで子供の教育もして勉強もみて
どうやって時間をやり繰りして、千手観音じゃあるまいし、
ところがね、あの頃の記憶をたどるとね、事もなげに当たり前のように皆さん、 やっていらっしゃったのね。」

倉本「そうですよね。」
江原「だから先生がおっしゃる『便利』っていう言葉が諸悪の根元のように思うんですよ。」
美輪「それなの。便利になると本当に先生がおっしゃるように、怠け者になる。
怠け者が怠けてるくせにね、それも大変だ、って言うの。
『それ以上に大変だ』って、そういうことを言うんですよ。」

倉本「何ていうんですかね、便利とか豊かになっちゃうと
僕、豊かっていう言葉を辞書で引いたんですね。
そうしたら『リッチ』っていう言葉が『豊か』っていうだけの意味なのかと思って引いたら、
『リッチ(富裕)にして幸せなこと』って辞書にはちゃんとのってるんですよ。
で、『幸せ』が日本の場合、欠落しちゃって、『リッチ』だけが 何か優先しちゃってるっていう気がするんですね。

例えば家の中に電化製品が増えたり、部屋がバラバラになっちゃったりすると、 家族が分かれますよね?
そうすると、僕らの時代、僕は5人兄弟なんだけど、 弟とか妹とか兄貴とかの寝息っていうのを知ってるわけですよね。
だから寝言も知ってますよね。だから親父やお袋の寝言とか、親父の匂いなんてのは、 もう50年前に死んでるんだけど、今だもって僕、覚えてますよ。」

[父のにおい]
江原「それは覚えてるだけですか。」
倉本「え?」
江原「時々、ふとお父さんの匂い、しませんか?」
倉本「しますね。」
江原「お父さん、ずっとそばにいますからね。」
倉本「あ、そうですか。」
美輪「そう。」
国分「匂いで知らせてるってことですか?」
江原「いや、だからね、お父さんと常に一緒にいるんですよ。」
倉本「ああ。うちの親父は僕が高校2年で死んだのかな。すごく強い親父だったんですよ。
背はちっちゃかったんだけど、柔道をやってて、表で年中殴り合いの喧嘩をしてる、 そういう趣味の親父だったんです。」
国分「趣味。」
倉本「趣味の親父なんですよ。だけど僕を自然の中に連れて行ってくれたのは親父だし、 それから文学に目覚めさせてくれたのも親父なんですね。
5歳くらいから僕、宮澤賢治、毎週、1本ずつ読まされてましたから。わからなくていい、って言うんですよ。
リズムを覚えろ、って。宮沢賢治の文章には韻がある。
韻だけ身に付けろ、って言われて。毎日、朗読させられましたね。」
美輪「じゃあもう、硬軟両方の方だったのね。」
倉本「ええ、そうですね。」

江原「まさにお父さまの思いの、その先をいっているのが、今の先生じゃないですか。」
倉本「いや、先じゃなくて連続性なんですよね、きっとね。」
江原「ね?」
倉本「でもね、僕、今、さっき言われたことを考えているんだけど
匂いってしてるんですよ。」
江原「でしょ。いるからなんですよ。」
倉本「ええ。そう言われると。」

~自然とのふれあいを教え、文学を教えてくれた父。そのお父さんから大切なメッセージがありました。~

[父からのメッセージ]
江原「すみません、失礼なことを申し上げて。その、いろんなケンカがあった…北海道に行った…
そのケンカも、お父さんらしいケンカだったと思うんです。」
倉本「ああ、そうですね。そう思います。」
江原「だからまさにお父さんが乗り移ったようなケンカだったと思う。
で、覚えてないのは、お父さん自身がかなり乗っ取って動いていっていっているから覚えてない。」

国分「記憶がないところはお父さんが乗っ取ってるわけですか、先生を?」
江原「お父さんになってる、本当にそうです。」
倉本「航空運賃、払ったのになあ。」(みんな笑い)
国分「そうですよねえ。」

江原「ただ先生、1個だけメッセージがあるから、これだけは許してください。」
倉本「はい。」
江原「お父さまからです。だから先生、終わりを考えないで下さい。」
倉本「終わりを。」
江原「終わりを。ね?先生の中でね、やっぱりどうしても
まあ、お体のこともあったりとか、色々とあったからかもしれませんがね。」
倉本「いや1本、作品を書くとね、 『これが最後だ』って思うんですよ、書いてるその時は。
まあまた書き終わったら、別に断筆宣言をしたわけでもないし…
また書きたくなったら書くんじゃないですかね。」
江原「まあ終わりを考えず、まだ奏でていってください。」
倉本「はい。」
江原「そちらの方が、お父さまからのメッセージ。『まだ使われるようです』。」
倉本「まだ使われますか。」

~昨年のドラマ「風のガーデン」を発表した後、衝撃のニュースが伝えられました。
「テレビドラマの脚本を書くのはこれが最後。」倉本さんがそう語ったと報じられたのです。

中嶋朋子さんのお話
「まだまだいろんなものを教わってないので、まだまだ教えてもらわないと。
もったいぶらないで下さいっていうのはありますかね。」

中井貴一さんのお話
「僕は倉本先生に『どんどん脚本を書いてください』ってお願いしてるんですよ。
『書くのを止めないで下さい、筆を止めるのを』って
お客さんがパチっとチャンネルをつけたら、みれるドラマに倉本聰のドラマがあるって
ゆっくりとした時間が流れていくものの中に、皆が投影できるようなものを 書き続けてもらいたいなっていう気持ちがすごく強いですね。」

~大切なことが次々に失われていく世の中だから倉本さんの使命はまだまだ終わらないのです~

倉本「今とっても、小学生時代の同窓生と、 飲み屋で久しぶりに会ったみたいな感じです。」
国分「ああ、そんな感覚ですか。」
倉本「ええ。酒が欲しいですね。」
国分「今日はいいお酒が飲めそうですか。」
倉本「はい、これから飲みます。」

【スピリチュアル・メッセージ】
便利の功罪…恥を知る…愛の蓄え…
世の中に大切なことを伝える使命があります
終わりを考えないで下さい

【オーラの言葉】
戦前の日本の母親は炊事も洗濯も掃除も  ぜんぶ手仕事
何人も子供を産み育て
それが当たり前

Sponsored Links

このページの先頭へ