片岡鶴太郎

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【 2007年02月27日放送】【86回】パート3

今日のゲストは、お笑い、タレント、俳優、そして画家で活躍の片岡鶴太郎さん。

パート2からの続きです♪

鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)

【スピリチュアルメッセージ】]
[鬼塚選手を応援した意味]
鶴太郎さんがボクシングで鬼塚選手のセコンドに付いたのは、すごく大きな意味があって 「守護霊の学びをした。」ということだそうそうです。
(※セコンド⇒選手の介抱や作戦指示に当たる介添え人のこと)
自分自身の投影である鬼塚選手、彼を応援する中で、
実は自分と一体になっている 自分自身がそこにある、
そしてそれを見守る、それは守護霊の姿だとのこと。

守護霊を世間の人はわりと誤解していて、何か気のいい霊とか、
おせっかいな霊だと 思っていることが多くて、『守護霊がついている、 ついていない』という 発想が出てきてしまう。
けれども、守護霊というのは、自分自身であるとのこと。
同じ魂のふるさと、グループソウルから来ていて、自分のことだから見守る、
自分のことだから、宝くじを当てるとか いい目を見せるのではなくて、
それよりも試練として転ばせることも愛として
『自分だったらそうする。それをまた学んでいこう』
その守護霊っていう事を常に感じるというところで、
自分は愛されている、自分は生かされている、
自分は必要とされているということを、
実は教えられていたという部分があるとのこと。

[前世も役者・詩人]
鶴太郎さんの前世は、ドイツ周辺にいた役者であり、画家。
江原「音楽家に会って、でも逆に音楽の人たちも絵の方をそう思っていたりして、
そういうことを語り合っている はずなんですよ。
ごめんなさい、今生の芸人さんのお仕事は、やっぱり違和感があって、
今回はそういう世界も学んで、哲学していこうとしていたと思うんですよ。」

守護してくださる方はお坊さん。
墨を使われるのはこの方の影響で、 前世の画家のときに油絵の具を使っていたことと 混ざり合うのが今生の表現。
江原「前世でしたこと、守護霊さんの墨の技法、それらが混ざって出てきたという部分 があって。」
江原「鶴太郎さんって、おもしろいなと思ったのは、先ほどのスピリチュアル・チェックの中で、
最近、モーツァルトとかあの音楽聴くっておっしゃってましたでしょう?
実は、ドイツとかねヨーロッパにいらっしゃった時期があるんですよ、前世で。
それで同じような事なさってたんですよ。
役者さんでもあり画家でもあるんですよ。」
鶴太郎「へえ~。」

江原「いつも音楽家、画家、詩人といった芸術家たちと語り合っていて。
で、さっきおもしろい言葉があって、その音楽の話をしてる時に
『僕には音楽の才能がないから』っていう同じセリフを前世でも言っているんですよ。
だから不思議だなって思ったんですけどね。
で、今生の芸人さんというお仕事は、やっぱりものすごい違和感があったと思うんですよね。
でも、今回はそういう世界も学んで、哲学していこうと思ったんですよ。
でも、墨で絵描いたっていってましたでしょう。どうして墨で?っていうかっていうと、 混ざり合ってるっていう事なんですよ。

守護霊さんとしてお坊さんがいらっしゃるの、ドイツで西洋的な油絵を描いていて。
この人が、絵や書、書くんですね。混ざった表現なんですね。
だから、その丁度マッチした、前世でもした事。
後ろにいる守護霊さんの技法が混ざって現れて出て来たという部分があるの。

[誕生日に呼ばれた理由]
で、実は今日いらっしゃった理由は、鶴太郎さんの意思だけじゃなくて
その後ろにいらっしゃる方達のメッセージもあってなんですよ。
今日お誕生日、迎えられてこのメッセージが、お誕生日プレゼントかと思うんですけど。
でもむしろ、それよりもこれから先なんですよ、そのプレゼントは。」

江原「鶴太郎さんの中で32歳とか40歳を過ぎて転身なさっているけれども、
最近、喜びはあるけれども道標を感じなくなってきているんですよ。
どこかで自分の歩んだ軌跡を残すべきなのかとか。
どうしてもアート、芸術の世界というのは、自分の中の世界でもあるから、
手ごたえが意外にないんです。
そういう思いに対して、評価や自分の軌跡を見つめる機会が与えられると。
けれどもそれはひとつのきっかけであって、
そこから先は自分自身の新たな方向を目指していきなさい、
ちゃんとした目盛りが用意されているよ、ということなんです。
だから、どこかで『自分はここまでやってきたけれど、本当に良かったのかな? 自分はこれでいいのだろうか?』という思いが若干、おありになったのかもしれませんね。
それに対して、守護霊さんが言葉としての贈り物をしに来ているんですよ。」

美輪「絵の世界は、音楽や芝居と違って目盛りがないんですよ。
というのは舞台は出ると感動、拍手、観客が総立ちにる、それが目盛りになるわけ。
でも絵の世界、個展や何かは、『ブラボー!』という歓声もなければ、
『素晴らしい!』とみんなが感動して束になって、目盛りにできないんですよ。
お客さんは1人1人の心の中でス~ッと通り過ぎて帰っていくだけでしょう?」
鶴太郎「いやあ、でもおっしゃっていることは、本当にその通りです。
描いていると楽しいけれども、『何をどう、もうひとつ何かあるんだけれども、
それをどう表現していいのか、そして私は何を求めているのか。
どうしたいんだろう、なぜ描いているんだろう』という自問自答がものすごくありましたね。」
江原「それがでも、鶴太郎さんの場合は、大変やっぱり霊的な背景に恵まれて。
『それで、いいんだよ。そのままでいいんだよ』っていう証をこれから与えられるらしいんです。
だから、そしたらまた新しい気持ちで、どんどん進んでいける。」
鶴太郎「はい。」

江原「ただ、肉体的なオーラの上で一つだけ注意して頂きたいのはね。
足と腰なんですよ。そこだけが、ちょっとオーラの色が悪いの。
だから、腰とか痛めたりしないように注意がいります。

[子どもっぽくなる]
話は違うんですけど。時々、自分でものすごく子どもっぽくなっちゃう時あります?
鶴太郎「ああ、それもう子どもっぽい所ありますよ。単純ですしね、私。」
江原「多分、身内でご兄弟だと思うんだけど小さいときに亡くなっている人がいて、
その子が時々、来て影響するんですよ。
そうすると、例えば、スイカをものすごく食べたくなってお腹を壊すほどにスイカ食べちゃったり、急に遊園地とかに行きたくなるとか。
何か、そういう影響がでやすい所があるんですよ。」
鶴太郎「そういえば、ついこの間、遊園地に行きました。急に行きたくなって。」
美輪「その坊ちゃんが、とっ付いてたのね。」
江原「今度、そういう気持ちになったときは『ああ、そうか、わかった』って
言ってあげたらいいんです。自分の中に対してね。」
美輪「もうひとつ、少女みたいな感覚にもなりません?
あなた自身が霊媒体質だから、 いろんなものとコンタクトできるのよ。
飛行場の例えも出たけれど、 あなたは真っ白な画用紙なんですよ。
何色にでも染まるの。にぎやかよね。」
江原「それに気が付かないとね、霊媒度が増すとね、何か知らないけど、
むしょうに駄々っ子のようになったりするときがあるんです。」

[片岡鶴太郎の未来]
美輪「どこか学校か何かで教えていらっしゃる?」
鶴太郎「絵の、墨彩画のクラブみたいなものはありますね。 そういうものとは違うものですか?」
江原「学校とかでですよね。これからなんですよね。」
美輪「あ、これからの映像なのね。」
江原「それで、学校で教えたり、後は賞頂いたり、そういうことが今後あるようだけど、
『それはあくまでも目盛りなんだよ』と。
ここからもっと極めていってくださいというメッセージです。」
鶴太郎「ありがたいですね、未来があるということですからね。 大変励みになりました。」

美輪「けっこう長生きもなさるわね。前世はそうだったの。」
江原「だから、足腰に注意していただきたいんです。
やはりボクシングをなさると、かなり負担がきていると思うんですよね。」
鶴太郎「実を言いますとね、足と腰というのは、もう自覚症状があるんです。
『その通りです』と言うと嘘っぽくなるから言わなかったんですけれども…。」
美輪「言えばいいじゃない、に、素直じゃないわね。」

【エンディング】
国分「今日は、どうでした?」
鶴太郎「やっぱり『どういう風に…整理つけて行こうか』という思いがあったもんですから、
それを『これで、いいんだよ』という道先の案内を照らして頂いたようなお言葉頂きまして
私にとっては大変良い52歳の誕生日となりました。」

【スピリチュアル・メッセージ】
空港のない所に飛行機は降りて来ません。
人格という土台を整備すれば様々な才能が降りて来ます

【オーラの言葉】
花は優しい。見る人を慰めて何も見返りを求めない。 献身的だから花は美しい

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