松田聖子
【 2008年10月04日放送】【2時間SP】パート4
今日のゲストは、デビューして以来、現在も大活躍の歌手 松田聖子さん。
パート3からの続きです♪
~聖子さんを支えたのは家族の絆でした。~
[お父さんからのメッセージ]
江原「お父さんはこうおっしゃるの。
聖子さんの、その娘の苦労を見てきて、自分が変わってきた。
要するに、自分がサポートしなくちゃいけないっていうところでね、変わったと、ご本人も。
ただ、ひとつだけありがたかったのはね、やはり聖子さんのおかげでね、
みんなが結束できたって。
だから不思議なもので、嵐が吹かないと、なかなかみんな結束しないものだと。
ただの平和だと、みんな好き勝手なことを考える。
でも、やっぱりいろいろ、家族が山越え、谷越えていこうという時には
みんなが一丸となるっていうことですよね。
だから変な言い方だけれど、別に重荷にならないで下さいね。
やはりご家族というか、娘さんのためにお父さんは半分、自分の人生をプレゼントしたんですね。
だから聖子さんは、聖子さんだけの活躍じゃないんですね。」
聖子「うん、そうですね。」
江原「それこそお母さんが、オーディションに引っ張って行かれちゃった時以来、家族でお神輿背負ってるみたいなところがあるんだと思うんですよ。
余談なんだけれども、お父さんが『冷える、冷える』っていうことだけは、
『そんなに冷えるんだったら、体をちゃんとしないといけない。』と。
だから寒がりですか。」
聖子「そうなんです。すごい寒がりなんです。」
江原「だからそうするとずっと、寒い寒い、冷える冷える、になっちゃうから、
ちゃんと自分でしないと、って。
意外と、冷え性、寒がりでありながら 自分で何とかあまりしないの。」
国分「どうですか。」
聖子「そうかもしれない。」
江原「誰かが付けてくれれば何か。」
聖子「そうなんです。うちの父が生きてる時に、そろそろ秋になってきて 寒くなりますよね、
何となく自分が寒くなってきたなと思うと 父が全部暖かい物に替えてくれたりとか、
会話はないのに全部父がやってくれたんです。
だから父がそうやって暖かい毛布に替えてくれたり、暖かいシーツに替えてくれたりすると
『ああ、もう冬が来たんだ』とか『ああ、暖かくなった』とか
それを全部父がやってくれてたんですよ。」
美輪「今でもだから、心配してらっしゃるのね。」
江原「でももう、ご自身でやらなきゃいけないから。」
聖子「そうなんです。それで父がいま亡くなってから、私そういうのに無頓着なので
何かあまりそういうことも細かく気にしないから。」
美輪「『今度はご自分でやりなさい』ということをおっしゃっているのね。」
江原「そうなんですよね。」
聖子「いつもその季節になると『ああ、父が生きてたら、こうやってやってくれてたのにな』って必ず思い出すんですね。」
江原「けれど、まあマメな方で、今では『あの世支部』みたいにして働いていますよ。」
聖子「そうですか、じゃあ元気で。」
江原「そうです。だからそれは全く心配いりません。
やっぱり聖子さん、昔から『孝行したい時に親はなし』とか、いろいろ言いますでしょう?
お父さんのことを もっと聞ければよかったですね、生きてた時にね。
どうしても、娘として自分のことを話したりとかはするけれども、
『お父さんってこうだったの?』とか『どうだったの?』っていうことをね。」
[孝行したいときに親はなし]
美輪「小さい頃ってみんなそうだけれども、自分のことで精一杯で
両親の昔はどうだった?とか。」
江原「テレビをご覧になっている方もみんなそうでしょうね。」
国分「俺も今、そう思いました、自分で。」
美輪「何にも知らない人が多いわよ。」
国分「本当ですね。」
江原「不思議と、亡くなったりすると知りたくなるんですよね。」
国分「聖子さんもやっぱりそうでしたか。」
聖子「そうなんですよ。だから、両親とか親って、
いつまでも 私より長く生きててくれるような気がしてたんですよ。
いつも常にそばにいてくれる存在というか、だから父が亡くなった時に、
すごく何か おかしいなあって思ったんです、
何かこの状態が。だからずっと出張に行ってるみたいに思っていて。
でも本当に亡くなってしまったんだなっていうのを考えると、
ああしとけばよかった、こうしとけばよかった、
もっと父と時間を過ごして、いっぱいお話もしておけばよかった、とか
それはすごく悔やまれるんですけど、その時は気づかなかったんですね。」
美輪「でも、お父様もお幸せよ。そういう風に、亡くなった後にね、偲んでくれて
いつまでも、思い続けてくださる家族がいるっていうことは
もうあちらへいらしても、とてもお幸せだと思いますよ。」
聖子「そうですか。」
[お父さんの最期]
江原「でもお父様、よかったですね、
こんなに今や穏やかな顔になられて、最期はちょっと苦しかったんですよ。」
聖子「ええ。」
江原「お水がたっぷり飲みたかったの。『苦しかった』って言っていて。
呼吸が苦しいのと、水をすごくたっぷり飲みたかったんだけど全然、気道が…
もう最期は、意識がない、ってみんな言ってるんだけど、
本人としては 『もう早く逝かして欲しい』と思ってたって。
『こんなに苦しいんだったら、早く逝かして欲しい』という気持ちの方が
強かったんですって。
だから『最期の望みって何だったんですか?』と言ったら
お水をゴクゴクと飲むこと、っていうことを言っていて。
だから水も飲めなかったんですね
『いやもう、気道が。呼吸困難だった』っていうことで。
だけども『水をちゃんと供えてくれたりしてくれたから、自分は大丈夫だ』って。」
聖子「ああ、そうですか。」
江原「『飲み物を常に供えてくれたから、もう大丈夫』
『だからその気持ちは晴れました』『苦しみからも解放されました』って。」
国分「実際、どうだったんですか。」
聖子「本当に最期は、肺にがんが転移してたので、やっぱり呼吸ができなくて
本当に苦しかったと思います。」
江原「でしょうね。だって『もう早く逝かしてくれ』っていうくらい苦しいってことは
相当苦しいですよね。」
聖子「ええ、だと思います。本当に苦しかったんだと思います。」
江原「『楽になりたい』っていう。
でも、それにしてもずいぶんと早いと思いますよ。
これだけ穏やかな状況になられたのは。」
聖子「そうですか。よかったです。」
江原「だから、思い残すことなく生きれたんでしょうね。生き抜けたんでしょうね。」
美輪「これからはお父様に関しては、なんにも心配したり、不安だったり
後悔したりとか、そういうマイナーなことでお父様を思う必要は
さらさらないということですよね。
今日を限りに。
元気でいらした頃と同じようにして、
いま幸せで、安心して生活していらっしゃるわけだから。」
聖子「ああ、そうですか、よかったです。」
国分「どうですか、最初の緊張から、こうほぐれてきて…
実際、お話を聞いていかがでしたか。」
聖子「いや本当に何だか、素晴らしい時間をいただけて、もう今日は本当にうれしいです。」
収録を終えた松田聖子さんのコメント
「ちゃんと父の意思を今日は確認することができたので、 本当に素晴らしい時間をいただいたなという…とっても何かありがたい感じがしました。」