柴田光太郎
【 2008年06月14.21日放送】【「芸能人が本当に体験した不思議な話。」】
芸能人が本当にあった不思議な体験を、江原さん、美輪さんが解き明かすコーナーです。
今回は、つるの剛士さん、加藤夏希さん、秋本奈緒美さん、勝俣州和さん、柴田光太郎さんがゲストでした。
ここでは柴田光太郎さんの不思議な体験を中心に取り上げています。
故・田宮二郎さんの息子さんで、俳優やキャスターとして活躍の柴田光太郎さんは、
結婚前に恐ろしい体験をしたそうです。
柴田「今、結婚して6年になるんですけれども、結婚する前に渋谷を歩いていまして、
あるところで昔からよく知っている方とばったり会ったんですね。
その方は霊感が強いという風に僕は聞いていた女性だったんですけれども。
それで、『今度、僕が結婚する相手です。』と紹介したときに、
『ああ、そうなの』と言った瞬間にその方の目が、ガッと見開いたんですよ。
僕が見たのは、その方の首が近寄ってきて、グルッと回って戻っていく姿だったんですよ。」
美輪「ろくろ首みたいね。」
柴田「そう、ろくろ首みたいな。それで僕、びっくりして、
いつも仲のいいはずなんだけれども、動揺して何も言えなくなっちゃって、
『また会いましょうね』って、そこを去ったんですよ。
僕、『何を見たのかな?』と思って歩いていたら、うちのかみさんが 『あの人、誰?』って言うんですよ。
『何?どうしたの?』と聞くと
『あの人の首が伸びて、自分のことをずっと見てた。』と。
僕だけじゃなくて、うちのかみさんも同じものを見てたというので、これは何なんだろうなって。」
美輪「両方、同じものを見てたのね。」
柴田「同じものですね。」
江原「そういう現象があるということは、よほどの念を持っている人ですよ。
それはあまりよろしくない念ですよね。あちらが寄ってきたのは、品定め。
『どういう風に使えるかな。』というような思いを常に持つ人なんじゃないかなと思うんですよ。」
柴田「ああ、そうですか。いつもは、普段は本当に仲良くお酒を飲んだりとか、
そういう風な方で。
じゃあ、うちのかみさんのことを品定めに入ったんですかね。」
江原「そうですよ。ただ、女性は女性に対して、ただでさえ厳しいでしょう?
芯にはすごく、女性を持っている人なわけですよ。
だから品定めと、後はまれに、人を見て付き合い方を決めていくタイプの人。」
国分「すみません、まだその方との関係というのは。」
柴田「その方は、去年、お亡くなりになってしまって。
伺いにいこうか、どうしようかと思っている時に、この世を去られてしまったので。」
江原「よかったんじゃないですか、それで。」
美輪「あなたのお父さんが足を引っ張ってたのよ。行かせないように足止めしてたの。」
~柴田さんのお父んの田宮二郎さんは『昭和のクールガイ』と呼ばれた大スター。
田宮さんは美輪さんとも親交が深く、猟銃で自らの命を絶つという衝撃の最期をとげました~
柴田「今から30年前の話なんですけれども、1978年12月28日に自殺をしまして、
僕が最後に会ったのが12月24日、クリスマスイブなんですね。
その日、僕は大学のスキー部の合宿がありまして、
父親と久しぶりに スキーショップで買い物をして、スキーの道具を買って、
並びのイタリアンレストランで食事を食べて、
我が家は、父親、母親、弟、僕の、この4人なんですけれど、
4人で集合先であった大学まで車で行ったわけですよ。
それでいよいよ、僕がバスに乗って出るという時に、僕が父親にかけた言葉は、
『行ってきます』じゃなくて『さよなら』だったんですよ。
言った瞬間、僕『え?』って思ったんです。
なぜかというと、実は父親が亡くなったのは、躁うつ病という精神的な病を抱えた末で
本当に父親は『生きるか、死ぬか』ということを、毎日、闘っていた男なので、
僕たち家族は、絶対、そういう言葉は言わないんですよ。
ところが、その時に限って僕の口を出たのは『さよなら』だったんですよ。
僕は慌てて、でも、どうしようもないわけですよ。
言葉を変えようと思っても変えようがないくらい、強い言葉なんですよ。
これは困ったな、と思って『行ってきます』という風に、もう一度言い直して、
それで家族が見送って、
その時に3人が並んでるんですけれども、僕に手を振っているんですが、
父親だけ足が見えなかったんですよ。
暗くて、夜の9時過ぎだから、『暗闇だから見えないのかな?』と思って、
僕も一生懸命、体を揺らして見ようとするんだけれども、父親の足だけ見えないんですよ。
ちょっと僕は気持ちを残したまま、東京を離れてスキー場に行ったんですね
28日に、父親が亡くなった日なんですけれども、僕はスキーを終えて、
お昼ご飯の準備で、お茶をみんなに注がなきゃいけない。
大きなやかんだったんですね、ふうふう言いながらやって、
そうしたら外れるはずのないフタがポロッと取れて、
熱いお茶がバーッと手にかかったんですよ。
周りがみんな『大丈夫か!』って声をかけてくれたんですけれども、
僕、何にも熱くないんですよ。
何にも熱くなくて、それをはらった時『何かあったな』って思ったんですよ。
翌朝、たまたま僕の主管の担任の先生がいらっしゃって『柴田、東京に帰るよ』と。
『実は、こうだ』という風に赤倉の駅で先生に言われた時に『全てそういうことか』と。
『さようなら』と言ってしまったこと、足が見えなかったこと、
そしてお茶がかかっても熱くなかったってことは、それだったんだ、という風に
僕の中でつながりはしたんですけれど、でもそれは僕の解釈ですから、
本当にそれがそういうことなのかどうかは、わからないんですよ。
あんまり僕、こういうことは話をしないんですけれども
今日はどうしても、このことを伺いたいと思って。」
江原「だからやはり、“予知”っていうもので、知らせというか、
だからきっとその時点では、もう覚悟をなさってたんだと思うんですよ。」
柴田「本人の中で覚悟ということですか。」
江原「…。」
美輪「言いなさいよ。言うのよお父さん。」
柴田「いますか?」
美輪「今。」
江原「というか、さっきからというか。」
美輪「いるの。」
柴田「僕、スタッフの方にお伝えしたんですけれど、今日、昼ぐらいから、
ものすごく肩が痛くて上がらなくて。」
美輪「右でしょ?」
柴田「そうなんです。」
美輪「男は右に来るのよ。女の霊は左に来るの。」
柴田「そういうことだったんですか。」
美輪「あなたのお父さまは、私は長い付き合いだったからねえ。
学習院の1年坊主で、京都から出てきた時に知り合って、ず~っと知り合いだったからね。」
国分「どんな方だったんですか?」
美輪「いや、もうひと言では言えないわよ。
努力、努力、努力、とにかく、びっくりするくらい、努力家。
ダンスを踊ると、羽のように軽く踊るしね。まあとにかくいろんなものを持っていた人で。
本当に、勝新太郎さんがね『あんなに上手い役者だとは思わなかった』っていう風に、
玉緒さんに言ってたっていうけど。
ただ、何でも一生懸命でひたむきなのが、結局、自分で自分の首を絞めちゃったのね。
いろんな原因が重なって、重なってひとつの結果が出たんですよ。
人間の死ってそういうものですよ。ひとつの原因で結果が出るものじゃないんですよ。」
~俳優業以外のビジネスで負債を抱えられたことなど、様々な原因が重なり、
非業の死に至ったお父さまからのメッセージとは~
江原「柴田さんに言いたいのはね、息子に対して、1つだけ詫びていることがあるんですよ。
『息子の声にも耳を傾けなかった時がある』と。
要するに、近寄れなかった時ってすごくあったんじゃないかと思うんです。」
柴田「言っていますか?」
江原「うん。やっぱり父だから、親として、甘えたいとか、いろんなことも話したい。
それで、ちょっと自分も助けになりたいような時もあったりするけれど、
自分の方から近寄せない。そういう部分もあって『かわいそうなことをした』って言って、
無念とかね、悔やみを残してしまうから『それだけはすまなかった』と
おっしゃっているんですよ。」
国分「何かそういうことっていうのは、あったんですか、子供の頃。」
柴田「いや、たくさんのことがありましたよ。
やっぱり自ら命を絶つということは、やはり余程のことがないと僕はできない。
それをサポートするのは、僕よりも母親であったり、 周りの者は本当に大変で、
あの時は本当に裏切られた、って恨みましたよね。
『本当に、ようやく、ここまできたか』って思った時に、
ズドーンっていわれたときには 本当にね。」
~家族のサポートで躁うつ病から徐々に回復し、「もう大丈夫。」と思われた矢先の突然の別れ。
柴田さんの声に耳を傾けなかったことを、父親である田宮さんは詫びておられるのです~
美輪「だから私はもう墓場に行くまで一切、チャックでね。
自分の胸だけにしまっている、いろんなわかっている原因がありますよ、彼の。
そりゃあ、ものすごい葛藤があったわけですよ、心の中でね。
亡くなった後、いろいろなことがわかって。ちゃんと聴く耳を持って理解すればね、
ものすごく頭のいい人だったから。」
江原「でもね、みんな誰しも、どんな人も、乗り越える時が来ることなんだと思うんだけど、親も、1人の人間なんですよ。
世の中って、親のことを良くも悪くも思ったりとか いろいろあるけれども、
それは『親という人格』を勝手に作り上げちゃっていて。
そこで知らなくてはいけないのは『親は、1人間である』、
“人生を先行く先達である”というだけで、“立派でなくてはいけない”とか、
親も人間としてのもろさとか、さまざまなものを持っていて、当たり前なんだ、
自分より長けたところも、未熟なところも、持っていて当然なんだ、
これを両方知っていたら、子が親に対していたずらになじることもないし、
親も親風吹かすこともないし。
いずれ、どこかの年齢のときに、親を1人間としてパッと見れる、
そういう時期、瞬間が、多分やってくるのではないかなと思うんですけれどね。」
柴田「僕も、求め過ぎたところがあったのかもしれませんね。
やっぱり『息子なんだから』とか、そういう風に思うと、
父親に対して 『この野郎』って思う気持ちもあったんだけれど、
だから逆に謝りたいという気持ち。」
江原「でも、年齢もあると思いますよ。その時のね。」
美輪「あの頃に言ってもお分かりにならなかったわね。」
国分「勝俣さんもつるのさんも、お父さんでいらっしゃるわけですよね。
今のお話というのも、やはり子供との関係とかいうものも、考えるものが。」
つるの「うちの両親はすごく仲が良くて、お父さん、お母さんが楽しく生きていて、
そういった姿を見て『僕もこんな親になれたらいいな。』
『こんなお母さんのようなお嫁さん欲しいな。』と思ったら、今の奥さんと出会って、
そういう風にしたので。
やはりマニュアルが自分の両親なんですよね。
自分が生きていても、子どもにどうのこうのと言うよりは、自分たちが楽しく生きて、
仲良くして、一番の子育てになるんじゃないかなと、僕は思ってるんですけれども。」
美輪「そうそう、大正解、大正解ですよ!バカのフリしてるだけよ。」
つるの「そうです。」
美輪「素晴らしいことをおっしゃっているのよ、あなた。
そうそう、それが何よりの子育てなの。おっしゃる通り。」
国分「どうですか、ちょっと体調の方はもう肩の方は?」
柴田「いやないんですよないんですよ、これが不思議なことに。」
~親も1人の人間。未熟でもろい部分を持っていて当たり前。
親を1人の人間として見られるようになった時、親子は本当に理解しあえる~