寿美花代
【 2007年10月06日放送】【2時間SP】パート3
今日のゲストは、元宝塚スターで女優、高島ファミリーの母の寿美花代さん。
パート2からの続きです♪
[弟が感じた兄の存在]
高島政宏さん
「今から8年くらい前ですかね。突然、耳元で『お兄ちゃん』という声がしたんです、
誰もいないのに。それと同時に携帯がなって、母なんですよ。
それで、『今日はあなたの亡くなったお兄さんの命日だから。思ってあげてね』と。
それはじゃあきっと『今日は俺の命日だ』というよりも、『ずっとお前のそばにいるぞ』と言ってくれたんだなと思ってね、感動しましたけれどね。」
高島政伸さんの話
「たまたま僕が家に帰ったときに、母から『実は今日、道夫くんの命日』と
初めて聞かされた日がありまして。『よかったら、仏壇に手を合わせてやって』という風に言われて、仏壇に手を合わせて帰ったんですけれども。
その日の夜に友達と電話をしていたら、手の平がキラキラしていて、パッとみたら
手の平じゅうに金粉がびっしりと付いていたんですね。
びっくりして、なんだこれは、と思って、知り合いの霊能者の方に電話をして
『手の平が金粉だらけに突然なったんですけれど。』というと
『今日はどんなことをしたの?』と。
『実は長男の道夫兄ちゃんの命日で、
道夫兄ちゃんのことを思って初めて仏壇に手を合わせて。』
『ああ、じゃあご長男の方から、ありがとう、というメッセージだと思いますよ。』
というお話を聞かされて、不思議にあたたかい気分になったのを覚えていますけれどね。」
[道夫くんからのメッセージ]
国分「これは道夫さんがやはりお2人にメッセージを伝えているんですか?」
江原「もちろん『ありがとう』という思いもあるでしょうし、それだけではなくて
先々、仕事に対するひとつの告知、メッセージでもあるんです。
要するに
『星をつかみなさい』」
国分「お2人とも命日の日に不思議な体験をされていますけれども
やはり命日というのは。」
美輪「キーワード。」
江原「命日だから、ではなくてわかりやすいんですよ。」
美輪「常に霊界は通信をしようとして、何か一番、自分だとわかるキーポイントを探すのよ。」
江原「国分さん、自分がこの世を去って『自分だ』と知らせようとしたら
どんな方法を使いますか?」
美輪「一番分かりやすい特徴。」
国分「僕の特徴ですか?」
江原「ほら、難しいでしょう?意外と。」
美輪「そうすると命日の数字であるとか、誕生日とか、その数字でもって、キーワードでね。
『気が付いて、気が付いて』っていうことをするわけ。」
江原「そうです。皆、何か探すわけ。私だったら乗ってみて重さとかね。」
美輪「ふふふ。」
国分「命日というのがキーワードになって。
お2人がこういう体験をしているというのはご存知でしたか?」
寿美「知りませんでした。初めて聞きました。
やはり思っていることは思っているんですね。
母親には何にも言いません。」
美輪「優しい人たちですもの、息子さんたちは。
あまり言うとまた思い出して泣くんじゃないか、嘆くんじゃないかと思うから
おっしゃらないだけなの。思いやりのある方たちだから。」
寿美「はい。」
~高島家の固い絆となって、今も生きる道夫くんの魂。
固い絆で結ばれた高島家に、再び試練が。
1998年、忠夫さんが、うつ病を患い、塞ぎ込むようになったのです。
輝くような、あの明るさを取り戻して欲しい。
病と闘う家族の日々が始まりました~
[夫がうつ病に]
寿美「うつというと、自殺を一番恐れました。
それで、まず、包丁とか凶器は隠してお風呂の水も抜いて。
私はそれこそ、夜は2年間はぐっすり寝なかったです。
夜中に2回くらいトイレに行くんですが、行くな、という頃には目が覚めて、
じっと寝ているふりをして、
ベッドに帰ったかなと思うまで見届けて、
それからガーッと寝て、主人が起きる前に起きて。それは本当に地獄でしたね。」
美輪「よくなさいましたね。」
寿美「これは本当に使命だと思って、辛くはなかったんです。
『この人を助ける人は、私しかいない。』と。」
美輪「生き甲斐でもありますよね。」
寿美「生き甲斐です。生き甲斐というと、楽しみじゃないですよね。」
美輪「楽しみじゃないけれども、生きるエネルギーにはなりますよね。」
寿美「そうですね。『高島忠夫を助けるのは、私しかこの世にはいない。』と、思いました。
その間、主人の母が死にました。
死んだということを伝えると、後追い自殺が多いから『絶対に言っちゃ駄目』といわれました。それを隠すのにどんなに苦労したか。
母の日ごとに、政宏や政伸は花束を贈ってくるんですね。
その日は門のところに待っていて、花屋さんが来たらそれを隠して、
外へ置いたまま家に入って、母の日ということは主人には知らせなかった。
それが3年、続いたんです。亡くなってから3年、ものすごく辛かったです、母の日。うん。
でも、私自身は、自分でよくやったなとは、今、思いますね。」
~6年に及ぶ寿美さんの献身的な看病。
病と闘う両親を息子達も支え続けました~
政宏さんのお話
「うつの人にはピアノを弾いたり、いわゆる楽器。
後、歌を歌わせたりするのがいい、って事で。
リハビリライブっていうものを開催したんですけども。
これはライブという名前の、完全に、その父を知る、僕等の家族、もしくは仲間、親友達の、さらに、その親族のみ、という。
で全員に始まる前に、『とにかく間違っても、野次を飛ばしたり、
昔の父を想像しないで欲しい』と。
『あくまでも治療なんだ』という事で全員に。
まあ、ちょっと半ばね、僕等も必死でしたから。
強引に、その1人1人に、確認を取って。
一か八かの賭けで父に、無理やりピアノを弾かせて歌わせたんですよ。
~父の回復を願い、何度も行われたリハビリライブ。
それは、どんなに辛い時も笑顔を絶やさない母への
感謝のライブでもありました~
政伸さんのお話
まあ、元気でいてくれる事が我々、息子にとっては、
もう一番の、ほんとに宝ですからね。
まあ父親もそうですけど
夫婦揃って、いつまでも、お元気で。
息子がいう事じゃないのかもしれないですけど、そんな感じですね
忠夫さんのお話
いや、よくね家内と、そのシャンパン飲む時。
いつもグラス合わせて乾杯して。
『いついつまでも、元気で長生きしましょう』
と
言って、2二人で乾杯するんですけどね。
もう、それに尽きますね
仲良く、同じように長生きして、生きていたい、という風に思いますね
国分「今はお2人でシャンパンも?」
寿美「はい、シャンパンは昨日も飲みました。
『今晩は何?』『お肉』『じゃあ、今晩は赤ワインにしようか?』とかね、本当に楽しい。」
[本当の家族]
美「『雨降って、地固まる』でね。
あのね、家族というものは、ただ血がつながっていればいい、というものではないんですよ。
だた血がつながっているだけの家族なら、血縁者に過ぎないんですよ。ただの血縁者。
家族というのは、この世の荒波、しけがあって、いい天気になって、穏やかな海があって
ありとあらゆる天候異変、それにお互いにいかだに乗って、手を携えて助け合ったりね。
今日はなぎだから岸辺に行ってご飯を食べたりして。
そういうものを共に、苦しみ、悲しみ、いろんなものを潜り抜けてきた思い出を
共有したものだけが、家族なんですよ。
だから、素晴らしい家族の条件を満たしてきたということなんですよ、ええ。」
寿美「今日は幸せだった。道夫も待っていてくれるし、主人も元気になったし。
さっき出てきたときは、セットの階段の上から転げ落ちるかと思うぐらい、
もうどうしようかしらと思って。」
国分「今は気持ちは楽になりましたか?」
寿美「楽になって本当に幸せです。今日また主人とシャンパンです。」
国分「楽しいお酒を飲んで下さい。」
寿美「はい。」
【スピリチュアル・メッセージ】
亡くなった道夫くんの魂は家族の絆となって今も生きています
そしてお母さんと一緒に高島家の皆さんを見守っています
【オーラの言葉】
家族とは単なる血縁関係ではありません
喜怒哀楽の思い出を積み重ね、共有してきた時間が家族を作るのです