街のオーラ 浅草編

Sponsored Links

2009年03月14日に放送されたオーラの泉の新コーナー「街のオーラ」です。

「街のオーラ」の第1回目は東京 浅草です。

街のオーラ『元気が出る街 浅草』

今回は辺見えみりさんと江原さんが一緒にロケに行きます。
江原さんは下町の生まれ育ちとのこと。
浅草ではないけれど、下町に生まれ育っていれば、浅草は聖地なのだそうです。


「街のオーラ」元気が出る浅草巡り。7ヶ所のオーラスポットを紹介。

オーラスポット1:浅草の氏神さま、『浅草神社』
江原さんが、正しいお作法を紹介してくれます。

まず、鳥居をくぐる前に一礼します。
鳥居をくぐると全く違うエナジーになるため、
お払いを受けるという気持ちで行きます。

正中(参道の真ん中)神様の通るところだから歩かない。 右か左のどちらかに寄って歩きます。

そして、社殿前に立ちます。
お賽銭は投げずに、頭を下げて、
両手を添えて神様に捧げる気持ちでそっと静かにお賽銭を入れます。

続いて二礼二拍手一礼します。
(2回おじぎをして、2回の拍手、そして、1回のおじぎをします。
2回おじぎをするのは最初のおじぎは自分の先祖や守護霊に対して、もう1回は 大神様に対してのおじぎ。
江原「神さまは尊い存在だから、私達の思いは直接、届かないの。
だから途中で、守護霊さんとかね、ご先祖さまに聞いていただいて、 その人が向こうに伝えてくれる。
だからくだらないことをお願いするとここで却下されて向こうまで届かない。
だから『それをよろしく伝えて下さい』で1回と
そして大神さまに『どうぞよろしくお願いいたします』っていうのが2回。
まあ、それはあくまでも私の自論だけど、…」
辺見「うん。でもすごくそれは、何か『なるほど』と思いました。

浅草神社にご挨拶された後、お2人は浅草の街へ。
江原さんは新仲見世通りの入り口のシューマイと肉まんの専門店「セキネ」に向かいます。
そして、シューマイを購入して、いただきます。
その後、『浅草 浅草たぬき通り商店会』へ。

オーラスポット2:「たぬき通り」
「オレンジ通り」と「公園通り」を結ぶたぬき通りには、
金運や商売繁盛の「大黒たぬき」や、子宝に恵まれる「地蔵たぬき」など、
願いを叶えてくれる「願掛けたぬき」が並んでいます。

ほかにも「天神たぬき」(合格祈願)、「開運たぬき」(必勝祈願)、 「不動たぬき」(家内安全)、「大師たぬき」(厄除け)、 「愛情たぬき」(縁結び)、「小町たぬき」(眉目秀麗)、「人情たぬき」(友情)などがあります。

また、夫婦円満を願う「夫婦たぬき」もあります。
2人は、「夫婦たぬき」に近づいていきます。
辺見「これちょっと、わたしまだ必要ない?」
江原「いえいえ、今後もあるから。諦めたの?今後を?」
辺見「いえ、諦めてないんですけど。でも、もっと前に触りたかったな、みたいな。
(たぬきをなでて)お願いします。仲良くね。」
江原「そう。」
辺見さんに必要なのは、愛情たぬき(縁結び)かもしれません。

さらに「たぬき通り」を進んでいくと、江原さんの友達に合います。 江原さんのお友達の増田茂さんでした。
増田さんは、「吉原大門」の近くで昭和33年に創業した「ますみ寿司」の大将なのだそうです。
開店当時はいきな立ち食いのお店で、渥美清さん、関敬六さんといった、
浅草の芸人さんにごひいきが多かったのだそうです。

お店のカウンターの下には、水道の蛇口と流しがあります。
立ち食いの時代にお客さんが手を洗うために作くったもの。
元々、屋台から始まった江戸前寿司の歴史を感じる貴重なお店です。
「公園通り」から「雷門通り」に抜けると江原さんがお奨めするお店があります。

オーラスポット3:昭和23年創業の「マウンテン」
浅草には、昔ながらの喫茶店がたくさんあるそうです。

「マウンテン」の一階は、レトロな味わいの喫茶店。
2階は鉄板焼きのテーブルがずらり。もんじゃ焼きとお好み焼きのお店。
“もんじゃ焼き”は月島と並ぶ浅草の名物なのだそうです。
江原さんおすすめのメニューは、抹茶生地のあんこ巻き500円。 お店に来たときは必ず注文し、自分で作るのだそうです。
鉄板に抹茶生地を流し入れて焼こうとする江原さんでしたが、
ちょっと失敗してしまいます。
味は美味しかったものの、江原さんは仕上がりには満足していないようす。
江原「こんなはずじゃないよね?(お店の方に)」
お店の方「きれいな人の前だから。」
辺見「お母さん、そんなところフォローして。」
江原「お母さん、きれいなオーラしてる。きれいな紫(情愛)出てる。」
辺見「紫なんだ。」
江原「信仰深いでしょう?」

お店の方は、「マウンテン」の女将、石井瑠見さん。
「マウンテン」は戦後の復興に励む浅草に昭和23年に開店。
人々の憩いの場所として60年以上営業を続けてきました。
二代目のご主人に嫁いだ瑠見さんですが、
12年前にご主人が亡くなり、2人の子供を育てながら
1日も休まず女手一つでお店を支え続けたのだそうです。

江原「これだけね、お店も歴史があるとね、こちらに来られた方で、
もうこの世にいない方もいっぱいいらっしゃるはずじゃないですか 」
石井さん「そうですね。」
江原「だからそういう、いっぱい思い出が染み込んでるところって、愛情を感じるのね。
下のお店の奥の方に、いつもご主人、いらっしゃらなかった?」
石井「あ、いますね。」
江原「でしょ?今も座ってるのね。」
石井「あ~、そんな感じします。」

辺見「へえ~、常にそういうこと、感じていらっしゃいました?
『もしかしたら、見守っててくれてるのかな?』っていうのは。」
石井「う~ん。そうですね、すごく愛されていたという感じがしますので。」
人情あふれる浅草のオーラは、下町に生きる人たちの暖かい心が生み出しているのだそうです。

オーラの街浅草には、さまざまな縁起ものがあります。
“雷おこし”も「家をおこし、名をおこす」という縁起の良いお菓子なのだそうです。
「浅草公会堂」前にある創業明治3年の老舗、天ぷらの「中清」の名物は、
通常の5倍ほどはありそうな大きなかき揚げ。
“雷神揚げ”は雷神様が持つ太鼓に似ているので、雷神揚げというのだそうです。
子育てのお守りとして人気なのが、「笊(ざる)かぶり犬」。
「竹」の下に「犬」を書けば「笑」という文字になります。
さらに頭にカサをのせて、「重ね重ね、いつもニコニコ健康に」
そんな願いが込められているのです。
お2人はさらに仲見世の近くへ。
ここに江原さんお奨めのお店があるとのこと。

オーラスポット4:昭和21年創業の染絵手ぬぐい専門店「ふじ屋」
こちらの手ぬぐいは、とにかく絵柄がきれい。
手ぬぐいはタオルのように使うだけでなく、飾って楽しむという 風習が江戸時代からあるそうです。
おしゃれと実用を兼ねた粋な手ぬぐいは、オリジナルの柄が300種以上もとりそろえています。

縁起の良い図柄も多く、大きな目の鯛の「めでたい」。
六つのひょうたんが描かれた無病との語呂合わせの「六瓢息災(無病息災)」

「赤富士」など、美しく縁起の良い手ぬぐいは、
はなし家や芸人さんにも愛用されているそうです。

江原「やっぱり日常の中で縁起物というか、
そういう物を身に付けるってすごくいいと思いません?
何かネガティブな気持ちになっても『ああ、めでたい』っていうね。
そういった中でね、やっぱり情緒っていうか、心をコントロールする。
そういう何かを持っていましたね、文化を。」
辺見「そうですね 」

浅草で忘れてはならないのが、エンターティメントの歴史です。
渥美清さんをはじめ、東八郎さん、萩本欽一さんなど、日本を代表する芸能人が 浅草から生まれました。

大正時代には西洋のオペラをいち早く取り入れ、日本語で歌った「浅草オペラ」、
オペラ歌手・田谷力三さん(1899-1988)などのスターを生み、大ブームになりました。 浅草の人気の芸者から、歌手となった・市丸さん(1906-1997)。昭和の懐メロブームの時にも大活躍。
彼女のの面影を偲ぶことができるのが浅草駅から徒歩5分、市丸さんの自宅を改装して造られた「ルーサイトギャラリー」です。
二階は不定期営業の喫茶室、隅田川を眺めながら市丸さんの思い出にひたれる貴重な場所です。

浅草には、江原さんにとって忘れられない場所がありました。
それは『浅草ビューホテル』
有名なホテルですが、江原さんからすると、ホテル以前の思い出の方が強いとのこと。
浅草ビューホテルは以前、浅草国際劇場のあった場所なのです。
松竹歌劇団(SKD)の晴れ舞台でした。
なかでも、幅27メートルの大舞台に踊り子がずらりと並ぶラインダンスは圧巻。
江原さんは子供の頃、母親に連れられて見に来ていたそうです。

オーラスポット5:「浅草国際劇場」跡地に建った「浅草ビューホテル」の裏にある「喫茶 シルクロード」
店の奥にはSKDの思い出のコーナーがあり、メンバーのサインなどが 飾られています。
ここはSKDの踊り子さんたちの憩いの場だったのだそうです。

「シルクロード」で、お店の女性とお話をしていると 「こんにちは」と4人の女性が現われました。
その方々は元SKDのスターの皆さんで
千羽ちどりさん、銀(しろがね)ひ乃でさん、高城美輝さん、明石薫さん。
しばらくの間、お話をされています。


スタジオにて
国分「浅草って、芸人さんを見ることができて、劇場も近くて、
オペラのミュージカルもあったりとかして。歩いていろんな芸術が見れたんですね。」
江原「『花やしき』なんていうね、遊園地もあるし。もう全てが『下町の聖地』なんです。」
美輪「不思議なのはね。何とも言えない空気が違うのよ。
時間がゆっくり流れてた頃のロマンティックな空気があるのよ。何とも懐かしい。」
辺見「私達はその時代は生きてないんだけど、
何かそこに連れて行ってもらってるような雰囲気になるんですよね。」

美輪「でしょ?だからね、日常で今、ビルだらけで無機質で、
ガラスと鉄とコンクリートの中で、もうこんなになっている人(頭を抱えるしぐさ)とかって、そういった方は、リフレッシュするには一番いいですよ。
ぜひ、お越しいただきたいと思う。」
国分「そうですね。」

年間二千万人の人々が訪れる浅草。大正12年の関東大震災では火災により焼け野原に
昭和20年の東京大空襲では、数多くの焼夷弾が投下され、壊滅的な被害を受けたのです。
仲見世の人たちは骨組みだけ残った建物で営業を再開、いち早く復興を遂げます。
昭和23年には三社祭も復活、その後、浅草寺も再建され、浅草は再び賑わいを取り戻したのです。
戦後間もない昭和21年創業に開店したのは「オレンジ通り」にある「喫茶 アンヂェラス」。
アンヂェラスとは、平和を祈る聖なる鐘の音という意味。

食糧難の時代に人々の憩いの場所としてにぎわったそうです。
「江戸通り」のカフェ「ギャラリー エフ」には、戦災を免れた貴重な建築があります。
江戸時代の材木問屋の蔵(1868年建造)があり、今はギャラリーとして利用されています。

もう1つ戦争を乗り越えたものがあります。
浅草名物・招き猫です。

オーラスポット6:「今戸焼工房」
(一般の方は見学できないとのことです。)
500年の歴史を誇る今戸焼き。
今戸焼きの小さな工房で、白井美智子さん(66歳)が作り続けているのは 日本の代表的な縁起物、おなじみの招き猫です。

江戸時代、浅草の今戸には瓦職人が多く、
その傍らで人形を作ったのが、招き猫の始まりと言われています。
しかし、関東大震災の後は地方に引っ越したり、廃業する職人さんも多く、
30軒ほどあった窯元はこの1軒だけになってしまったそうです。
1970年、5代目の今戸焼き職人だったご主人に嫁いだ美智子さんは、
苦しい家計を助けながら3人の子供たちを育てました。
2008年に今戸焼き最後の職人だったご主人が亡くなり、
招き猫の製作を受け継ぐことになったのです。

江原「全然、話が違うんですけど。お地蔵さんは作られます?」
白井さん「お地蔵さん?作ってないんですけど。」
江原「お地蔵さんが見えるんだけど。
お母さんの後ろにね、ず~っとお地蔵さんが見えるの。」
白井さん「ええ?うれしい。」
江原「お地蔵さんとかを信仰してたってことは、特別ないんですか?」
白井さん「そこの聖天さまってあるんですよね。そこで、写経をやっていた。」
江原「ああ、そこにお地蔵さんがあるんですか?」
白井さん「お地蔵さん、いっぱいある。」
江原「で、お地蔵さんがお母さんのことをね。一生懸命守ってくれている」
白井さん「そうですか。」
江原「写経したりとか、お参りしてて、それでお地蔵さんがいつも見守ってくれる。」
白井さん「私、お地蔵さんに前掛けを、うちの子が二十歳になるまで、3人。」
江原「『笠地蔵』だ。だから守ってくれているんだ。」

3人のお子さんが生まれる度に、
お地蔵さんに赤い前掛けを作って近所の聖天さまのお地蔵さんに供え、
成人されるまでお参りを欠かさなかった白井さんは、今もお孫さんたちのためにお参りを続けているそうです。

最後に2人が向ったのは、縁結びのご利益で話題の神社。
江原「『出会うべき人はこれから出会いますよ』っていうお話はしたと思うんですよ。
その後、少しは予兆、ありました?」
辺見「あはは。あの、うちのおじいちゃんが夢に出てきてですね。
『そっちじゃない、こっちだろう!』って怒られました。」

オーラスポット7:「今戸神社」
2月の半ばに花をつける河津桜が目印になっています。
今戸神社で期待するのは、縁結びのご利益。
もう1つこの神社の特徴は、神主さんが女性であること。評判の美人姉妹なのです。
今戸神社の宮司の家に生まれた市野智絵(32歳)さんと加奈さん(30歳)は、
小さい頃から巫女さんとして神社を手伝いながら育ち、女性では珍しい神職の資格を取ったそうです。
智恵さん「皆さま、アットホームな下町らしさを求めてくる方が多いので
こう、暖かい雰囲気を求めて話したくて来る方が多いので、
だから後は、笑い声で元気が出るように、私達、声が大きいんですけど、笑い声で明るく、
もう、そういうことしか、出来ないんです。」

江原「よく神職は、仲取り持ちって言うんだけども、
やっぱり(お参りに)いらっしゃる方たちと神さまとの間を自分がちゃんとつないで、
神さまだったらこういう言葉をおっしゃるだろうなっていう言葉を、来てくださる方たちに返していらっしゃったり、
常に自分達で、真剣に役目をこなしている思いが、オーラにすごく表れているの。
そういう、金色のね、使命感っていうのがすごくある。」

神主のご姉妹に、辺見さんのために縁結びの祝詞をあげていただくことにしました。
厳粛な雰囲気の中でとりおこなわれました。

加奈さん「では、今戸神社より良き縁がありますことを、心より祈念しております。」
辺見「ありがとうございました。」
江原「ありがとうございました 」


(※かなり省略をしている部分があります。)

Sponsored Links

このページの先頭へ