街のオーラ 東京 銀座編 その2
2009年07月18日に放送されたオーラの泉のコーナー「街のオーラ」です。
「街のオーラ」の第5回目は銀座です。
その1からの続きです♪
一方美輪さんと国分さんが次に立ち寄ったのは銀座のお箸屋さん。
オーラスポットは、お箸の専門店「箸 銀座夏野」
店主の高橋隆太さんにお話を聞きます。
美輪「どういう心がけで、お箸だけのお店を作ろうとお思いになったの?」
高橋さん「日本人の誰もが使う本当に大事な道具なので。
なのに専門店がないのは不思議だなあと思いまして、自分たちで始めるきっかけになりました。」
国分「箸って『お父さんの箸』とか『お母さんの箸』とか『自分の箸』とか…」
美輪「偉い!そこなの。だから日本だけが『お父さんのお箸』っていってね、
それは誰も使っちゃいけないって立派なお箸でね、それが父親の権威をね、
みんなに知らしめて、それを保つためにそういうものがあって。
次に『お母さんのお箸』、優雅なお箸。それから子供たちのお箸とかね<、br />
そういうのでデザインも色も焼き物も何から全部違うんですよ。
こういうのは世界の歴史でないんですよ。
だから、いかに日本が食文化で洗練された素晴らしい文化を持っているか、
その1つの象徴がお箸であるわけでしょ」
全国分各地の職人さんが丹精をこめて作り上げるお箸。
塗りの丈夫な「津軽塗(25200円)」、
貝殻や卵の殻をあしらった「若狭塗(10500円)」、
オーソドックスな黒檀は定番の人気商品「黒檀(8400円)」、
食材に合わせてさまざまな色を選べる「紫檀(4200円~)」、
蛇のウロコのような模様を持つ「スネイクウッドの箸(18900円)」など、
まさに日本の豊かな食文化が生んだ工芸品です。
国分「美輪さんは普段、どんな箸を使われてるんですか?」
美輪「私はもうそれこそ『津軽塗』からもういろんなお箸が山のようにありますよ。
それで食事のたびにね、自分で選りわけて食事に合った箸を使うんですよ
」
国分「食事に合わせて箸を変えるんですか!」
美輪「そりゃそうですよ。その方が楽しいじゃない。」
国分「はあ、なるほど。もうボロボロです、僕の箸。ちょうど替えどきだと思ってたんですよ。」
そんな国分さんのために、おもしろい箸を紹介してもらいました。
くり抜き箸(10500円)」という携帯箸です。職人の技が光る携帯箸。和服にも似合います。
次は、ベルトループの付いたチタン製携帯箸(25200円)。携帯電話ほどのサイズのケースにチタンの箸が入っています。
まさに一生ものです。
国分さんが迷いに迷って選んだのはシンプルな「斑入り本黒檀(15750円)」。日本のお父さんの箸です。
さて、お腹がいっぱいになったはずの江原さんとエド・はるみさんはどこへ…。
エド「江原さん、とっても美味しかったんですけど、私実はもう一軒、
行きたいところがあるんですけど。もう無理でいらっしゃいますよね
」
江原「いや、もう消化した。もう全然大丈夫。」
エド「本当ですか?」
どうやらまだ何か召し上がるようです。
オーラスポットは、ギンザ・グラッセの「ベリーカフェ」
目にも鮮やかなアートのようなケーキ。旬のフルーツをふんだんに使ったタルトが人気です。
ガラスケースに美輪しいケーキが並べられています。
エド「きれい~。」
江原「きれい、本物なんですよね?」
店員さん「はい、それが宮崎県産の完熟マンゴー『太陽の卵』を使いました。
薔薇の形をかたどったタルトでございます(ローズタルト1890円)。」
江原「何か見えるもん、東国原さんが。」
江原「いや美味しそう!」
店員さん「これは山梨県産の春日井という桃のタルトで、とてもジューシーで
甘みもさっぱりしているタルトでございます(桃のタルト1カット950円)。」
エド「桃もいいですね。」
悩みに悩んでエドさんが選んだのは「完熟マンゴーのタルト」。
バラの花びらのようなデザインは、崩すのがもったいないほど。
シックな内装の店内に座り、エドさんに運ばれてきたのは宮崎県産の最高級完熟マンゴー、クリームチーズ、サクサクのタルトがマッチしているようです。
エド「いただきます。みずみずしいです!何でしょう、味の三重奏って感じですよ。」
江原さんが選んだのは、「いちじくのタルト(1680円)」。福岡県の名産「とよみつひめ」のさっぱりした甘さがグ~。
江原「おっしゃる意味が分かります。」
エド「わかりますか!」
江原「もうまさにケーキのスリー・ディグリーズな感じ。」
エドさんがどうしても食べたかった贅沢なスイーツ。期待を上回る味に大満足。幸せいっぱいの2人でした。
再び3人が合流します。国分さんもスーツに着替えてやってきたのは東宝ダンスホール。
オーラスポットは東宝ダンスホール(東宝ツインタワービル)
生バンドの演奏を聴くと、美輪さんは青春の血が騒ぎ出すようです。
美輪明宏が青春時代を過ごした銀座には熱気あふれるダンスホールがいくつも
あったのだそうです。
昭和44年5月にオープンしたここ「東宝ダンスホール」もその1つ。
約100坪のダンスフロア(入場料 1人2700円 ペア5000円より)。
生バンドの演奏で社交ダンスを楽しむ贅沢な空間です。
美輪さんの話では
「日本で最初にマンボを流行らせたのは、私だったの。」とのこと。
マンボの音楽は流行っていても、マンボのステップを誰も知らなかった。
美輪さんは進駐軍のキャンプ回りでジャズを歌っていて、進駐軍のファンの人たちと踊ってたのでマンボのステップを知っていた。それで、美輪さんと友達と2人でマンボを踊っていたそうです。
そうしたところ、銀座のヤクザの方たちが『俺にも教えてくれよ』といって来て、
1・2・3・4って教えてて、それが日本中に広がっていったのだとか。
国分「はあ~、マンボ文化は美輪さんが創ったと。」
美輪「そう。」
国分「せっかくだから、そのマンボを教えてもらって僕、踊ってみようかなと思うんですけれど。」
美輪「ああそう?じゃあ、専門家の方。」
ダンススクール講師のまこと先生が国分さんに教えます。まずはステップの練習から。
初めてにしては、なかなかの見込みが早いようです。
国分「おお、のってきた!これ、音楽欲しいんじゃないですか!」
ま「ですよね。」
いよいよバンド演奏にのって踊ってみます。
けっこうさまになって踊っているようですが、美輪さんから見ると何か物足りないようで
マンボのお手本を見せるために美輪さんが踊りはじめます。
華麗にステップをふみ、ラストポーズを決めるとまわりから拍手喝采。
国分「ちょっといいですか、美輪さん
一番おいしいところ、持っていき過ぎですよ(みんな笑い)」
ダンスホールの女王は今も健在でした。
銀座には歌手美輪明宏を育ててくれた大切な場所があります。
国分「続いてはどこに?」
美輪「ここが七丁目でね、この角が私が40年間いたシャンソンのライブハウスで、文化の発信地ですよね。その有名な『銀巴里』の入り口がここなんですよ。」
そこには小さな石碑(『元 銀巴里跡』)だけが残っていました。」
国分「跡地として残るってすごいことですよね。」
美輪「すごいことでしょ?三島由紀夫、川端康成、江原戸川乱歩…とにかくあらゆる文化人が全部、ここへ来てたんですもの。あまり寄りたくないの、涙が出るから。」
国分「じゃあ、久しぶりですか、ここへくるのは。」
美輪「もう、もう泣きそう。」
美輪明宏か歌手を目指して上京したころ(昭和27年)、銀座七丁目にシャンソン喫茶 k『銀巴里』がオープン。
美輪明宏さんが初めてプロの歌手として歌った舞台が銀巴里のステージ。三島由紀夫をはじめ数多くの文化人と交流を深めた場所なのです。
平成2年の銀巴里最後の日、全国分から閉店を惜しむファンが集まり、長蛇の列ができました。美輪さんが最後のステージを飾ったのは19年前のことでした。
さらに歩いていき、『岡米』というかつら専門店だった場所に着きます。
「歌舞伎の役者や新橋の芸者さん、ある総理大臣が利用していた」と美輪さんが説明をしていると、「かつら岡米」の店主・岡田豊昭さんが出てこられて美輪さんと会います。
銀巴里には休憩したりする楽屋がなかったため、美輪さんはこのお店の1階に来て、楽屋代わりに使わせてもらっていたそうです。
国分「お会いになるのは、それ以来くらいですか?」
岡田「そうです。」
美輪「100年ぶりぐらい、生きてらしたんですね。お互いに生きてたの。」
美輪さんと岡田さんは互いの手を取って
美輪「ごきげんよう。」
岡田「ありがとうございました。」
懐かしい出会いの後は、美輪さんのロマンスの隠れ家の紹介です。
オーラスポットは、「銀座レストラン キャンドル」
美輪さんが仲の良い友人と、時にはお忍びで通った思い出のお店です。
当時の有名人や芸能人も利用していて、このお店に来るのがステータスだったそうです。
迎えてくださったのは3代目のオーナーの岩本忠さん。
美輪さんが通っていたころは初代のオーナー(3代目のオーナーの祖母)。
初代オーナーの岩本雛子さんがやってこられました。
「しばらくですね」とお互いあいさつをされました。
昭和25年にご主人と2人で始めたキャンドルは、当時はみゆき通りにあり、
元々雛子さんは女優だったので芸能人のお客さんも多かったのだそうです。
美輪さんは昭和20年ごろから来ていて、とても美青年だった、と雛子さん。
美輪さんはいろいろな方と来ていて、画家の東郷青児さんとも来られたことがあるそうです。
東郷青児さんと初めて知り合ったのは、
銀座の4丁目に向かって歩いていたら「偉い先生が君をモデルに絵を描きたいって言うんだけど」と声を掛けられて、紹介されたのが東郷青児さんだったそうです。
「神武以来の美少年」と言われた美輪明宏さん。
その美しさは
日本を代表する洋画家・東郷青児(1897-1978)さんの目にもとまりました。
そのときすでに、木下孝則さんという方のモデルになっていたため
東郷さんの申し出を断ったそうです。
いろいろな有名人と交流を深める美輪さんは、なかにはお忍びでお店を訪れることもありました。
田宮二郎(本名 柴田吾郎)さんが、まだ学習院の学生だったころ、銀巴里の帰りにキャンドルで、チキンバスケット食べたりなどしていたそうです。
キャンドルの壁にはたくさんのサインが飾られています。サインの数は約200枚。
吉永小百合さんや三船敏郎さん、川端康成さんのサインもあります。
また、朝丘雪路さん、水谷良重さん、東郷たまみさんの3人娘は『7光会』(親の七光り:水谷良重さんは女優・水谷八重子さん、朝丘雪路さんは日本画家・伊東深水さん、
東郷たまみさんは洋画家・東郷青児さん)というのを作っていたそうで、「7光会」とある下に3人連名で書かれたサインもあります。
この「7光会」の名づけ親は、作曲家・服部良一さんだそうです。
ほかにも三島由紀夫さんのサインもあります。三島由紀夫さんといっしょにこられたこともあるそうです。
キャンドルのメニューにも思い出がいっぱいです。なかでも美輪さんが忘れることができないのがチキンバスケット。フライドチキンがまだ日本になかった頃、初代のご主人が進駐軍のキャンプでそのおいしさを知り、お店で出すことに決めたお店の看板メニューです。そのチキンバスケットをいただくことになりました。
3人につ1つずつ丸いバスケットが運ばれてきました。バスケットの中には
「フライドチキン、フレンチポテト、チキンコロッケなどが盛りつけられています。」
国分「めちゃめちゃおいしいです。衣が細かくて…プリンプリンしてます。」
美輪「おいしいですよ
」
江原「すっごい、ジューシーですね。」
初代のご主人がメニューに加え、3代目のご主人が素材と味付けにこだわってさらにおいしく改良をしたチキンバスケット。料理人の魂が受け継がれています。
江原「ひとつだけ余談でいっていいですか。」と江原さん。
雛子「はい。」
江原「男のお子さんって亡くなっていらっしゃいません?
お家で、3代目さんの後ろにずっといてね。3代目さんをサポートしてるんですよ。
一生懸命、応援してるの。この世に出られなかったご兄弟がいらっしゃるでしょう?
だから本当だったらば、3代目さんと兄弟だった。だからお兄さんだったかも…」
雛子「そうでしょうね。」
江原「本当はこのお店、継ぎたい、って思ってなかったでしょ?」
岩田「はい。」
江原「それが、どういうわけか『何か俺、やらなきゃいけないような気がしてきた』
みたいなね。」
雛子「そうなんですよ」
江原「『やりたいこと、別にあるんだけど』って反発しながら<、br />
自分で、『やだ!』って言ってみたり、『やっぱり、俺やる』って言ってみたり。」
雛子「本当なんです、ええ
」
江原「こんなに一生懸命やるとは思わなかったって感じでしょ?」
雛子「ええ、本当にそうなんです。」
国分「違うことをやろうと思ってたんですか?」
雛子「そうです。」
岩田「元々私、全く違う仕事をずっとしてたんですよね。
私の両親が2代目なんですが、2代目がやってて上手くいかなくなって、
それが2003年から『じゃあ俺が何とか立て直そう』って思って戻ってきたんです。」
江原「なぜかっていうとその子供さんがサポートしてるんだけど、
それは『本当だったら自分が跡継ぎだから』ていうのがあって。
で、(初代の)ご主人もその気持ちが強くて『このお店がなくなっていく、駄目になっちゃう』ということをすごく悲しんで。その子自体も孫ですよね、お祖父ちゃんにしてみたら。
それが、強引にやっているのではなくて、本当に向いているのは、この道なんだよ。
だから今までいろんなことをやってきたけど、いつも壁にぶち当たって駄目だろう?
本当はこの道をやることが、あなたにとっても天命で幸せなことなんだ、と。
で、今こうやって始めてて、何てやりがいがあるんだろうと思いますでしょ?」
岩田「そうですね。」
美輪「チキンバスケットを、このサイズにしたりとか。
前はこの大きさじゃなかったですものね、
そういうものや何かを全部工夫なさってね、変わりましたよね。
これも3代目の創意工夫でいらっしゃるの?」
岩田「そうですね、色々食べ歩いたりして。」
美輪「さあ皆さん、拍手(みんな拍手します)。」
江原「まして、イタリアにいた前世をお持ちだから
センスはすごくあるはずなんです。」
岩田「そうですか。去年、ちょうど10日ほど行って来ました。」
江原「ただ、スポーツカーだけ駄目ですからね。スポーツカーは乗っちゃ駄目ですよ!
岩田「そうですか。わかりました
」
江原「好きでしょ?」
岩田「車、好きですね。」
国分「また寄らせていただきますので。」
雛子「ありがとうございます。」
美輪「とっても楽しかったです、どうもありがとうございます。」
銀座は美輪さんの青春の故郷なのです。
(※かなり省略をしている部分があります。)