街のオーラ 神楽坂編
スポンサード リンク
2009年05月30日に放送されたオーラの泉のコーナー「街のオーラ」です。
「街のオーラ」の第三回目は東京 神楽坂です。
今回は国分さんと江原さんが文化人が愛した粋な街 神楽坂を訪ねました。
お二人はJR飯田橋駅から神楽坂駅に続く神楽坂通りを歩いています。
国分「江原さん、神楽坂ってどんなイメージですか?」
江原「やっぱりちょっと粋な街で、粋なお姐さん方がいたり、
美味しい食べ物とか、こだわりの隠れ家的なお店があるとかそういうイメージの方が強いですね」
国分「僕も大人の街っていうイメージなんですけれども
いずれはデビューしたいなと思ってた街なんですよ」
江原「じゃあ、その土地の氏神さまからお参り」
国分「そうですね」
最初のオーラスポットは、大久保通り沿い、新宿で一番古い鳥居のある「築土八幡神社」。
まずは恒例。神楽坂の氏神様にごあいさつ。
正しいお参りの作法
二礼二拍手一礼
最初に向かったのは神楽坂ならではの粋なお店。
国分「やっぱり江原さんの着ている着物。
いつか僕も着たいなと思っているので
今日はちょっと勉強させてもらいたいなと」
江原「すごい。着物趣味にいきますか」
国分「はい」
次のオーラスポットは創業40年の「きもの英(はなぶさ)」
中に入ると女将・武田佳保里さんが出迎えてくれます。
こちらの着物にはすごい特徴があるのだそうです。
「きもの英」は洗濯機で洗える着物の専門店。
高品質のポリエステルを自社の染工場で仕上げているそうです。
「おあつらえ仕立てあがり」で92,400円〜とのことです。
初めての国分さんにお勧めするのは紬(つむぎ)。
渋い色合いの丈夫な生地はお洒落な普段着にぴったりだとのこと。
光沢のある羽二重(はぶたえ)は、紋付などのかしこまった時に
粋な江戸小紋(えどこもん)は、芸事をする方にお奨めなのだそうです。
江原「あの…キングサイズもありますか?」
武「大丈夫です、ございます」
江原「反物ってね、キングサイズってあるんですよ」
国分「キングサイズ?」
江原「うん。普通の反物の幅よりも広いの。私はそれですよ」
国分「何の自慢ですか、それ」
江原「別名は『お相撲さん仕立て』っていう…」
太一さんが紺色の紬の着物を羽織ります。
国分「やっぱりいいなー久しぶりにこうやって着物を着るのも。神楽坂とか着物で歩くって粋ですね。」
続いて帯を見せていただいたりしています。
花街の伝統が残る神楽坂にはやはり着物が似合います。今でも和装の名店がたくさんあるのです。
次のオーラスポットは老舗の履物屋「神楽坂 助六」さんです。
商品は全てオリジナルで足に合わせて鼻緒をすげてくれるのだそうです。
お店のご主人は石井要吉さん。
石井さんの祖父・初代ご主人の要さんが日本橋の名店から暖簾分けして開いたというお店で、明治の43年(西暦1910年)から営んでいるそうです。
石井「江戸は『江戸の履きだおれ』って言われるんですよ。
『大阪の食いだおれ』、『京都の着だおれ』、そして『江戸の履きだおれ』って言われてて江戸っ子の粋っていうのは足元から」
国分「そんな言葉があるんですか」
さっそく国分さんも履物選びを始めます。
石井「履物の台の部分の素材が木でこしらえてあるものが下駄(13650円より)なんです。
それに対して草履(31500円より)は、皆さんがよく知っているのはこういった雪駄(商品を指して)
あとおしゃれな方がよく履いていらっしゃるこういった(商品を指して)
革製品で、鼻緒を自分で選んで変えて…」
3人のやり取りが続きます。
国分さんは小桜模様の鼻緒と黒の土台をえらび、ご主人が足に合わせてすげていきます。
下駄が完成し、ジーンズ姿に裸足で履きます。
江原「あ、何か似合う…」
石井「格好いいですよね。ジーンズでも全然、おかしくないですね」
国分「本当ですか。ありがとうございます。
じゃあここから僕、これに履き替えてちょっと神楽坂歩きます。」
2人は本多横丁を散策しますが、お腹がすいたということで食事に行きます。
次のオーラスポットは、創業60年の老舗「うなぎの店 たつみや」さん。
醤油とみりんのシンプルな自慢のたれは60年前から醤油とみりんを継ぎ足して使い続ける伝統の味と備長炭で丁寧に焼き上げたうな重(2500円)は文化人のファンも多いそうです。
ご主人の高橋善夫さんがお二人の前にうな重を運んでこられ、2人はさっそくいただきます。
写真家の荒木経惟さんや、
2人は「柔らかい」「おいしい」と絶賛します。
ご主人によると
1980年に来日したジョン・レノン夫妻もお店に訪れたのだそうです。
そして、『ここで食べてから鰻が好きになったんだ』という話をあとで聞いたそうです。
美味しいうな重をいただいて、大満足のはずの二人でしたが、向かった先は『五十番』
江原「これだけお腹が一杯になっても、やっぱり美味しいものは『別腹』っていって食べられる!」
国分「別腹ってこれ、主食じゃないですか、肉まんって」
江原さんはよく来るのだそうです。
次のオーラスポットは、神楽坂名物・中華まんの「五十番 本店」さん。
行列のできる人気店だそうです。
お二人はふかしたてをいただきます。
国分さんがかぶりついたのは特大の肉まん。
国分「うまい!うまい!わあー、味がしっかりしてて」
一方江原さんは大好物のアンマンを半分に割ってカメラに向けてみせます。
江原さんがとてもおいしそうにいただいています。
神楽坂の名物をもう1件紹介します。
型に流し込んで焼いているのは神楽坂の不二屋でしか売っていない「ペコちゃん焼き(105円)」。
あずき、チョコ、チーズ、カスタード、抹茶、カフェ・オレなど味は6種類(季節によって変わる)、めったに出ない「ポコちゃん」に当たったらラッキーなのだそうです。
神楽坂のグルメを堪能した2人は美輪さんへのお土産を買いに行きます。
次のオーラスポットは、昭和21年創業の「和菓子 五十鈴」さん。
先代が築いた味をひとつひとつ手作りで守っているお店です。
ここの一番の看板商品は甘納豆だとのことです。
甘露甘納豆(一箱945円)の試食品が置いてあり、2人はそれをいただくことに。
小豆は北海道産の大納言を使用。看板商品のお味は
江原「言うまでもないですよね。美味しい」
こちらのお店は大女優・山田五十鈴さんもごひいきにしていらしたのだそうです。
お店の名前が同じというご縁で、先代のご主人・相田茂さんが
後援会の会長を務めたこともあるそうです。
お二人は甘露甘納豆、華車、雪路の3種類を買っていかれました。
役者さんに愛された神楽坂の名店をもう1つ。「毘沙門せんべい 福屋」さん。
こちらのお店によく訪れたのは17代目の中村中村勘三郎さん(現在の勘三郎さんのお父上。)は焦げた味がお好きで
「もっと焼け、もっと焦がせ」と注文をつけて出来上がったのが
「勘三郎せんべい(700円 8枚入り)」とのことです。
次のオーラスポットは「毘沙門天 善國寺」。
境内にはお二人を待つ男性がいらっしゃいました。
「新宿タウンガイド認定証」の名刺をつけていらっしゃる水野正雄さん。
神楽坂のガイドで、お二人を案内してくださるようです。
水野さんは90歳で、20年間、案内をしているそうです。
水野さんの案内で古きよき神楽坂を訪ねます。
3人は細い道を歩いていますが、この道は『芸者新道』という道なのだそうです。
かつて神楽坂には料亭が150軒もあり、
「芸者新道」は料亭から料亭へ移動する芸者さんがよく使っていた近道なのだそうです。
神楽坂もずいぶん変わったようです。さらに歩いていきます。
次のオーラスポットはお忍びで芸者遊びに来た人がスッと姿を隠せるので、「かくれんぼ横丁」。
石畳の細い路地です。趣のある和食のお店などがあり、それを眺めながら散策。
神楽坂の裏道には粋な芸者衆のオーラが漂っていました。
神楽坂は文学の街でもあり、毎時、大正の文豪たちがここで暮らし(尾崎紅葉や与謝野鉄幹・晶子夫妻の住居跡など)、数々の名作を生みだしてきました。
歴代文豪の御用達のお店が相馬屋源四郎商店」。
創業348年、徳川御三家に和紙を納め
明治時代には日本で初めて原稿用紙を売り出しました。北原白秋、坪内逍遥などに愛用され、野坂昭如さんも使われているそうです。
文学のオーラを訪ねて兵庫横町へ。
ここに多くの作家や脚本家が愛用する本書き旅館があるとのこと。
次のオーラスポットは旅館 和可菜
和可菜は、昭和29年(1954年)から営業。
部屋は5つだけの小さな旅館ですが、神楽坂のにぎわいを忘れる静かな佇まい。
「男はつらいよ」の山田洋次さんをはじめ、深作欣二さん、野坂昭如さん、内館牧子さん、
市川森一さん、伊集院静さんなど多くの文化人に利用されてきました。
1階は「桐の間」という1部屋だけで、女将の和田敏子さんが案内してくれます。
女将によると一番古いお客様が野坂昭如さん。むかしはFAXがなかったので、編集者の方が原稿を取りに来られて大変だったそうです。
「和可菜で書くと不思議と書ける」というのが野坂昭如さんで
隣で待機している編集者の目を盗んで逃げ出す名人だったのだそうです。
昔ながらの風情が漂う階段を上がって二階へ。
山田洋次のお気に入りは葵の間。「男はつらいよ寅次郎恋愛塾(1985年)」のマドンナを若菜と名付けるほどお気に入りだったそうです。
江原「どの作家の先生も、下よりもこの二階の『このお部屋がいい』って
おっしゃいません?」
和「そうです。山田先生はね、ここは西日がカンカン当たるんです。
それでもクーラーがお嫌いですから、クーラーもかけない、扇風機は原稿が飛ぶから駄目でうちわです。
うちわでここでお書きになったりね…」
国分「それは何か」
江原「あのね、不思議なんだけれども、やっぱり神楽坂の力ですかね。
この部屋に居ると、景色もそんなによいわけでもない」
和「なんにも見えない、はい」
江原「で、西日も当たって暑いんだけれども、
街の情景が見えてくるところですね、ここ」
和「そうですか」
江原「この世の営みがね、見えるところ。感性が広がってくるエナジーを
持っているんですね。
だからちょっと『人と人がこういう風な出来事があった』とか
そういったことまで、色々なことが見えてくる力があるところなんじゃないかなと…」
国分「聞こえてくるが、筆を走らせるみたいな感じですか?」
江原「そうそう。想像力の、何ていうのかな。井戸みたいな、泉みたいな」
女将さんによると早坂暁(代表作・「夢千代日記」)さんという先生は一年もいらしたそうです。
女将さんは結婚してすぐご主人とお子さんを病気で亡くし、それ以来小さな
旅館「和可菜」を守ることが生きがいだったそうです。
江原「そもそもここの旅館始めたきっかけというのは?」
和「私の姉がね、この家を買ったわけですよね。それで誰もする人がいなくて
私がちょうどその頃、何もしていなかったので、
ほんのちょっとのつもりが
55年もここへ来ちゃったの」
女将さんのお姉さんは女優の小暮実千代さんなのだそうです。妖艶な悪女の役で一世風靡した小暮さんは、旅館を買って妹に経営を任せたのです。
江原「最初からね、あの小暮さんの姿が見えるんですよね
ここにはいらっしゃらないはずなのに、ここに見えるんですよね」
和「ああ、そうですか。仲が良かったですからね」
江原「それで女将さんに謝っていらっしゃることがあるんですよ。
この宿のこともあるかもしれないけれども
『結構、無理難題をね、お願いしちゃった』ってことと、
後は『お金の問題とかもそうだし、苦労かけちゃった』というのがあって、
『申し訳ない、申し訳ない』という気持ちが、ものすごく今現れているんですよ。
こうやって元気ではつらつとやっていらっしゃるのは、やっぱりそのお姉さんの
そういう意味での感謝の気持ちがそこに現れているんじゃないですかね」
和「そうだと思いますね」
で亡くなるまで、
女優だけでなく戦災孤児や留学生のボランティア活動にも熱心だったお姉さん(1990年 逝去 72歳。)
子供たちを助けた代わりに妹には苦労をかけた。女手ひとつで和可菜を守ってくれたことを今でも感謝しているのです。
和「私のうちにね、500年ぐらい前からの阿弥陀様があるんです。
先生に見ていただきたいなと思うがうらいの古いもので」
江原「ぜひ、見せていただけますか?」
和「はい、どうぞ。ちょっと見てくださいませ」
和可菜に代々伝わる阿弥陀様。
一階のお部屋までみにいきます。
和「阿弥陀様です」
江原「うわあ、立派な」
国分「うわあ、本当だ。立派ですね」
女将さんが毎日手を合わせているという阿弥陀如来像さま。
江原「…お父さまって早く亡くなっているんですか?」
和「はい、父親は早いです」
江原「ねえ…あのね…この仏様を見てると…ここからね『父…父…』って
声が聞こえてくるんですよ。
でね、お父さんが早くに亡くなってるみたいなことを言っていて、でいて
仏様とお父さんの思いが一緒になって『守ってやる、守る、守る』っていう
『自分が長く生きられなかったから、その分、守る』って思いがあって
だから辛い時ね、この仏様、阿弥陀様にお願いごとをすると、なぜか解決するでしょう?」
和「そうなんです、はい。何でも朝に晩にお願いするんです」
日本が戦争に突入した頃、女将さんの父は病気で亡くなり、その後ご実家も空襲で焼かれてしまいました。
娘を守ってやれなかった父の思いが阿弥陀様を通して伝わってくる、と江原さんはいいます。
江原「で、こっちは氏神様だから『筑土八幡』の(同じ部屋の神棚を見て)」
和「そうです、はい。これも古い。戦争前から」
国分「守られてる感じしますね」
江原「うん」
和「そうですか」
毎日、お客様の幸せを祈り、今は亡き家族の愛情に支えられて、
女将さんは
間もなく米寿を迎えますす。
江原「ぜひ、頑張ってください」
和「はい、ありがとうございます」
国分「ありがとうございました」
和「ありがとうございました」
〜神楽坂はこの街を愛する人々のオーラで輝いていました〜
(※かなり省略をしている部分があります。)