街のオーラ 東京 湯島・本郷編

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2009年04月11日に放送されたオーラの泉のコーナー「街のオーラ」です。

「街のオーラ」の第2回目は湯島・本郷です。

今回は国分さんと江原さんが“学問と芸術の街、湯島・本郷”を訪ねました。
街のオーラ『知的オーラが輝く街 湯島・本郷』。

最初のオーラスポットは湯島天神。
湯島天神は、伝統のある学問の神様。

江原「ここは湯島の氏神さまでもありますから、まずちゃんとお参りをしないといけません。
ご挨拶からです。」

前回教えていただいたように、正中を踏まないように参道を歩く2人。
正殿前に進み、二礼二拍手一礼します。

梅の名所としても名高い湯島天神は、
江原さんの國學院大學時代の同級生が神職を務めているのだそうです。
そこへ神職を務めている同級生が現れます。

江原「変わってない。老けたけどね。」
奥村「おひさしぶりです。」
国分「江原さんのお友達ですか?」
江原「私のね、國學院の時のね、同級生なんですよ。」
国分「え~、同級生」
奥村「同級生です。これ。」

湯島天神の神主・奥村孝太郎さんが写真を出しました。
大学でピースサインをする白装束姿の江原さんの写真と
肩を並べる白装束の2人が写っている集合写真です。

神主の資格を取るために國學院大學で学んだ江原さん。
そこで奥村さんと出会ったのだそうで、
お2人が会うのは20年ぶりの再会とのことです。

国分「テレビとかで江原さんを初めてみた時とかって、驚きましたか?」
奥村「驚きました。」
国分「驚きましたか!」
江原「でも、当時から、こういうの、知ってたでしょう?」
奥村「知ってました。」

国分「あ、知ってたんですか?なるほど。」
江原「うん。彼、とてもよくそういうのを理解してくれる人だから。」
学生時代に様々な心霊体験をした江原さん。
奥村さんは、良き理解者だったそうです。

3人は絵馬が掲げられた場所へ。
すごい絵馬の数に驚きます。
奥村さんによると、1年間に合格祈願の絵馬が6万枚から10万枚も掲げられるのだそうです。
奥村「ここ、場所がいいんです。」
国分「場所?」
奥村「東京大学のすぐ前です。」
国分「あ~、なるほど。」
奥村「合格祈願の方が多くて。」

江原「奥村君、場所がいいとかって関係ないと思うよ。
それはやめてね。」
国分「注意されました、奥村さんが。場所じゃないわけですね。」
江原「場所じゃない。こちらの御神徳ね。
御神徳があるからね、いっぱい全国から集まられるんだよね。」
奥村「そうですね。」

高台にある湯島天神は、昔はとても眺めの良い場所だったそうです。
男坂と女坂があり、
参拝する方々が着物だった頃、足を大きく広げられない女性のために、
なだらかな『女坂』が作られたのだそうです。
今ではビルにさえぎられているのですが、江戸時代には不忍池(しのばずのいけ)が見えていたそうです。
江戸時代には歌川広重の「名所江戸百景」に湯島天神から眺めた上野の景色が描かれているほどで、当時は眺めの良い江戸の名所でした。
なだらかな女坂を下って、2人はお隣の本郷へ向かいます。

明治時代に東京大学ができてから、本郷は文教地区として栄えてきました。、
貧しい学生たちを支えたのは、賄い付きの安い下宿や庶民的な飲食店でした。

オーラスポットは、東大正門のすぐ前にある「万定フルーツパーラー」。
国分「このお店自体は、どのくらい前から。」
女将の外川さん「大正三年創業でございます。」
国分「大正三年!このレジ見て下さいよ。これも大正の 」
外川さん「これはね、昭和9年。先代が買ったんですけど
当時、これ1000円だったらしいんですよ。」
国分「1000円?」
江原「今で言うと、いくらでしょう?」
外川「何かね、家を一軒買えた値段らしいです。」
国分「ええ!?」
外川「だからすごく、新しい物好きだったんですよ。ね」
その時代から70年以上も使われているレジスターは、今も現役なのだそうです。

学生さんたちの憩いの場所だったこちらのお店の中には、
ノーベル賞の物理学者・小柴昌俊さんやバカの壁でおなじみの解剖学者・養老孟司さんがいたそうです。

学問の街、本郷で東大生に愛され続けた創業90年の「万定フルーツパーラー」。
元々はフルーツジュースのお店だったのですが、
お腹を空かせた学生さんたちのためにカレーライスやハヤシライスをメニューに加えたのが亡くなったご主人の甲二さんでした。
ご主人の話などをしばらく3人でしています。

江原「変なことを言いいますけど、お墓、遠いんですか?」
外川「お墓はね、鎌倉なんです。」
江原「ああ、それでね。
でね『僕はね、お墓は遠くてもね、僕の心はずっとここにいる』って言うんですよ。
でいて、この土地が大好きで、東京っ子。
東京を愛してね、東京だけに生き続けた人でね。」
外川「そういう人でした、本当に。」

江原「でいて、映画、すごくお好きじゃなかったですか?」
外川「あ、好きです。」
江原「あのね、本当は自分の夢はね、映画を作りたかったの。」
外川「へ~」
江原「今でも『今度自分が生まれることがあったら、絶対に今度は映画を作る。
その時にまた手伝ってね』って、お母さん。」

外川「え~。じゃあ、女優さんになっちゃおうかな」
国分「女優として手伝う、と。」
外川「そうそう 」
江原「そう来るとは思わなかった。」

カウンター席の2人の前にカレーライスとハヤシライスが並びます。
江原さんに運ばれたカレーライスはご主人が作り上げたオリジナル。
スパイスのきいた自慢の味。
江原「いただきます。あ、美味しい!」
もう1つは東大生の大好物・ハヤシライス。
国分「めちゃめちゃ美味しいですよ。
これは本当に子供の頃、親に喫茶店に連れて行ってもらって、食べた味です。」
江原「もういいや!ダイエット。」
国分「いいですよ、今日ぐらいは。」

食べざかりの学生さんたちを満足させる懐かしい味。
時間がゆっくり流れているお店でした。

本郷通りと白山通りを結ぶのが菊坂、戦災を免れたこともあって明治の面影が残ります。

「耳なれたる 豆腐売りの声聞こゆるに 
思えば菊坂の家にて買い慣れたるそれなりけり。」(樋口一葉の日記より)

樋口一葉をはじめ、石川啄木、夏目漱石、森鴎外など
多くの文人がこのあたりに暮らしていたのだそうです。

そんな菊坂の近くに「金魚坂」というちょっと変わったお店があります。
2人がお店の裏に回ってみると水槽がずらり。水槽には50種類以上の金魚が泳いでいます。
創業350年の江戸時代から続く老舗の金魚問屋なのだそうです。
2人は金魚すくいに挑戦します。
国分さんは2匹、江原さんは3匹すくって破れます。
夏の風物詩、金魚売り。
江戸時代にはタライを担いだ行商人が売り歩いていました。
昭和30年代には、東京でもリヤカーを引いた金魚売りをよく見かけたのだそうです。

そんな金魚の歴史と共に歩んできたのがこちらの「金魚坂」さん。 その喫茶店内へ。
江原さんと国分さんが座ったテーブルの上には小さな金魚鉢。

のんびりと金魚を愛でる時間。現代人にそんな癒しの時間を取り戻してほしいとおかみさんはいいます。

二人が最後にやって来たのは、美輪さんご指定の待ち合わせ場所。
美輪さんが人力車に乗ってさっそうと現れました。

美輪さんがお奨めするオーラスポットは、竹久夢二美術館。
大正ロマンを代表する画家で詩人でもあった竹久夢二(1884-1934)。
「夢二式美人」と呼ばれる物憂げな表情の美人画で一世を風靡し
美しい千代紙や絵葉書、封筒などをデザインしたグラフィックデザイナーとしても大変な才能を持っていた人です。

美輪「この人の絵はね、女の人の指の手の動きの参考になるの。
(『新少女(大正4年11月号)』の表紙『燈下読書』が映し出されます。)
このね、薬指と中指がくっついているんですよ。
そうすると手がきれいに花びらみたいに、百合の花みたいに見えるの。」
国分「へえ。」

美輪「(『夏の日』という絵を指して)見て、この足の大きさ。
大きいんだけど、可憐に見せるために草履の方をもっと大きく描いたの。」
国分「へえ、そうなんですか。」
美輪「だから足の大きい女優さんは大きい草履や何かを履くと、草履の方が大きいから 足がきゃしゃに見えるの。」
江原「なるほど 」

少女雑誌の表紙を飾った夢二の作品。
バレリーナのような豊かな指の表情。
夢二の作品は女らしい仕草のお手本やお洒落のヒントが隠れているのです。

美輪「(ショーケースの中を指して)これ見て。
デザインが素晴らしいでしょ、これ楽譜なの」
国分「楽譜ですか」
美輪「そう。こういうものが、随所にあちこち生活の中に組み込まれてたら
いつもかわいらしい気持ちになるじゃない?ロマンティックで。」

国分「大人になっても忘れないですよね、こういう楽譜があったということっていうのは。」
美輪「あなたが女装すると、ぴったしよ、中に入ってても。」
国分「あら、そお?やってみようかしら。」

また自分で挿絵も描いた詩集では恋するせつなさをロマンティックに歌い上げ、少女たちの心をときめかせました。
なかでも大ヒットしたのが「宵待草」です。



美輪「これがほら、有名な、
♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ…タラランタンって。『宵待草』ね」

「ロマン溢れる夢二の作品が身近にあった時代、
そこには貧しくても心豊かに生きるヒントがある」と美輪さんはいいます。

美輪「私が一番ね、見ていただきたいのは
すごいでしょ、図案が。
こういうのを日常の中に取り入れて欲しいんですよ。
これ絵封筒、封筒ですよ(梅、百合、小鳥、金魚などがデザインされています)」

国分「え?これ封筒なんですか!」
美輪「封筒で、これ、巻紙。」
国分「うわ、おしゃれ。」
美輪「おしゃれでしょう?」
国分「これ、今こういうの、あった方がいいですよ、本当に。」
美輪「でしょ?」
携帯どころか電話も普及していなかった頃、夢二のデザインが恋のメッセージを伝えたのです。

大正3年、竹久夢二は「港屋絵草子店」を開店、
キャラクターグッズの元祖とも言える可愛い商品を売り出しました。

そんな夢二は私生活でも恋多き人でした。
明治40年、夢二は岸たまきと結婚しましたが、2年後に離婚。 その後2人は別居と同居を繰り返して3人の子供をもうけます。

離婚の原因となったのが、笠井彦乃。2人は駆け落ちをするように京都で同棲を始めますが、彦乃は結核を患い23歳でこの世を去ります。

彦乃を失った夢二の前に現れたのが秋田美人のお葉でした。「黒船屋」のモデルとなったお葉。しかしお葉もまた、夢二の元を去るのです。

常に理想の女性を追い求めた夢二。華やかな恋愛遍歴とは裏腹にその人生は苦悩と悲哀に満ちていました。

3人は館内の椅子に座り、夢二の孫にあたる竹久みなみさんにいろいろお話を伺います。
昭和9年、49歳の若さで夢二は結核でなくなりました。最期の言葉は「ありがとう」だったといいます。

美輪「ねえ、夢二さん今、ここいら辺をうろうろしてない?」
江原「夢二さんね、私も『うろうろしてるかな?』と思って、さっきから見てるんですけど
意外とそうでもなくて。」
美輪「どこにもいないのよね。」

江原「でね、ちょっと聞こえてくるのがね、とにかくやっぱり女性が好きだったみたいですね。」
竹久「あ、そうですか。」
江原「要するに『女性そのものが好き』
だから、だから愛をもって描けたのかもしれないですね、女性を…。」
竹久「素晴らしい人が歩くと、後ろをついて描いて、ついて行った 」
国分「そんな話もあるんですか?」
竹久「ありますよ。」
国分「へえ。」
江原「変な意味じゃなくて、本当に女性が好きなんですよ。
女性の身のこなしとかもそうだし。」
竹久「着てる物とか。」
江原「そう。」

生涯女性を愛し、女性の美しさを表現し続けた竹下夢二。晩年の昭和8年に描いた「水竹居」はその集大成ともいえる傑作です。
日常生活を彩る叙情的な作品は、美輪明宏がおすすめする心のお薬なのです。

(※かなり省略をしている部分があります。)

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