オグシオ(小椋久美子・潮田玲子)

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【 2008年10月04日放送】【2時間SP】パート1

今日のゲストはバドミントンのペアで活躍されているオグシオの2人(小椋久美子さん、潮田玲子さん)。

【スピリチュアルチェック】
 (小椋さん)小さい頃なりたかった職業⇒保母さんです
 (潮田さん)バドミントン選手になっていなかったら何をしていると思うか?⇒美容師です。
 (小椋さん)潮田さんに直して欲しいところ⇒遅刻ですね
 (潮田さん)小椋さんに直して欲しいところ⇒頑固なところというか 自分をすごく追い込んでしまうところです
 (小椋さん)不思議な体験⇒おじいちゃんを近くに感じることがあります
 (潮田さん)人生の転機⇒わたしは今じゃないかと思っています

[オーラの泉について]
国分「この番組で、2人同時に出るということは 今までなかったんですよ。
一人ずつだったので、今日は江原さんもペンを持って。」
江原「2人なのでね、混乱するから。」

国分「北京オリンピックが終わってすぐ、お2人とも 『この番組に出たい』という話をしたというのを聞いたんですけれども、本当ですか?」
小椋「はい。もう本当に大ファンで、すごくお会いしたくて。」

国分「潮田さんもそういう感じなんですか?」
潮田「はい、そうですね。」

国分「まあ、ちょっとチェックの中でも『今が転機じゃないか』という ちょっと気になるようなコメントもありましたし、
そこら辺も深くなると思いますけれども、 ただ、今日のペアは強豪ですよ、勝つ自信ありますか、このお2人に。」
潮田「いや、ないですね。」
国分「ですよね。」

~1983年に三重県で小椋久美子さんが、
同じく1983年福岡県に潮田玲子さんが生まれました。
2人を結びつけたのは幼いころから始めたバドミントンでした。
小学6年生の特2里は初めて全国大会で対戦、
そこで、めったにないアクシデントが起きます。試合中に体育館が停電したのです。

そのとき小椋さんは
「雪の降る寒い日だったので、中断している間、私は体が冷えないように
必死にフットワークをしていました。それなのに玲ちゃんは軽くストレッチをするだけ。
いざ再開したらスコーンと負けました。」

一方潮田さんは
「本当に申し訳ないけれど、オグッチとの試合は覚えていないんですよ。
停電の印象が強すぎて後で知ってビックリです。『え~あれオグッチだったの?』。」
潮田さんは小椋さんの事をおぼえていなかったのです。
それでも運命は2人を結び付けます。

オグシオ公式写真集 ROAD TO BEIJING

~ 2人は別々の中学でシングルスの選手として活躍。将来を期待された2人は、高校に進むとアジアジュニア選手権の強化合宿に呼ばれ、ダブルスのペアを組むことになるのです~

[運命の出会い]
国分「高校一年生の頃に初めてペアを組んだということですけれど。」
小椋「シングルスプレーヤーとして有望選手が集まる合宿で
そこでダブルスも練習するんですけれども、たまたま組んだっていう。」
潮田「しかも一番下だったので、何か最後に余って、ポンって組んだみたいな 感じだったんですけど。」
国分「不思議ですね。実際組んだ時は、何か覚えていますか?」
小椋「まあ友達で仲は良かったんですけど、すごく感触的にむちゃくちゃ合うな、って。
コートに入った時に2人の相性っていうんですかね、ダブルスの相性がすごくよくて
そこからダブルスというものに興味が。」
国分「出てきて。」
小椋「はい。」
潮田「私も本当は元々シングルスプレーヤーだったので、 ダブルスには 本当にあまり興味がなくて
初めてオグッチと組んだ時に こんなにダブルスっておもしろいんだ、って思ったんですよ。」

国分「どうだったんですか、試合では。」
潮田「試合では、その時先輩達は海外の遠征に行く前だったんですよ。
それのスパーリングじゃないんですけど、そういう感じで呼ばれていたんですよ。
で、その代表の先輩達に急に勝っちゃったりとかして。」
国分「勝っちゃったんですか?それは空気読まなかったですね。
気持ちよく海外とかに行かせたかったと思うんですよね、コーチ達も。
どこかで、ちょっと頑張ろうね、みたいなものもあったりとかして。
残った同士とお2人は言っていましたけれども、運命的な出会いではありますよね?」
江原「やはり宿命的に縁があってね、夫婦と一緒だと思いますよ。夫婦もそうでしょう?
スポーツでこれだけ活躍すると特別視されるけれども、そうじゃなくて
世の中で 夫婦だとかもみんな同じ。
やはりその人と出会うというのは深い縁があるからであって。」
美輪「昔から言うものね。『残りものには福がある』って。」

国分「でも、そういうことですよね。バドミントンって本当、ハードですものね。
瞬時にどっちかが『こう動く』とか、そういう感覚とかセンスとかも 何か一緒じゃないとやり辛いものですよね、多分。」
潮田「そうですね。やはりコンビネーションがすごく大事なので、
やはり合わないとすごく難しいですね。」
国分「ですよね。」

江原「でもやっぱりね、オーラの大きさっていうのは影響しますよね。
ダブルスというのは相手が今どこにいるか、って いちいち考えたりするような暇もありませんでしょう?
でも気配として常に感じてると思うんですよ、『どこに』って、後ろに目があるように。
やはりオーラで感じるというかね<。br /> よく気配というのはみんなそうじゃないですか。だからその、オーラで感じる。
でもそうすると、以心伝心でね、心も伝わるんですよね。
相手が調子の悪い時は、それを感じるし、でも引っ張られちゃう時もあるんですよ。
調子が悪い時に自分までそうなってしまう。また良い時は相乗効果でよくなったりね。」

小椋「本当に、本当にそうです。もう感じますね。
自分が調子が悪かったりしたらすごく感じ取ってくれたりもしますし、
自分がすごくダメな時にすごく良かったら自然と戻って来れたりするんですよ。」
国分「後は後ろに目があるというようなお話が出ましたけれども、 やはりそういう感じはありますか?」
潮田「そうですね。やはりコートで、どこら辺で打っているかっていうのは、 感じながらはやっていますね。」
国分「感じながら動いているわけですよね。」
潮田「はい。」

国分「高校を卒業してSANYO(2002年にお2人は揃って三洋電機に入社)に 入られるわけですよね。
『2人で一緒に入ろう』って言ったんですか?」
小椋「私はもう大阪でやっていたので、先に三洋電機に入るっていうことを決めて。
ずっと一緒にやりたい、と思っていたので、私が決めてしまったから、
もう 『来て欲しい』ってずっと言っていて。」

国分「それを聞いた時、どうでしたか?」
潮田「『一緒に頑張ろう』って言ってくれて、 背中を押してくれたじゃないですけど、
『2人だったら頑張れるかな』って思って決めましたね。」
小椋「本当に来て欲しいと思ってました。」

国分「必死になっていたわけですね。」
小椋「必死でしたね。文通はするし手紙は送るし、メールはするし、電話はするしで。」
美輪「大恋愛みたいね。」
国分「本当ですよね恋愛ですよね。」

~2004年のアテネ五輪を目指していたオグシオでしたがアクシデントが待ち受けていました。
2003年に小椋さんが左足小指を骨折したのです。
他の選手とペアを組んではどうかという提案もあったそうですが、
潮田さんは小椋さん以外のペアは考えられなかったそうです。

2008年の北京五輪に目標を切り替た2人は、実績を積み重ねていきます。
全日本選手権で四連覇を達成、人気実力ともに日本のトップペアとなり、
2007年の世界選手権で銅メダル、世界ランク6位に。北京でメダルを期待されるペアに成長したのです。~

[オリンピックを目指して]
国分「小椋さんの方はアテネオリンピックの前の時ですかね、ケガをしてしまったというのは。
これはやはり大きいですか?」
小椋「やはりあのケガがあったから自分一人じゃない、っていうのがあって
すごく申し訳ないな、っていう気持ちはずっと持っていて
アテネオリンピックに出られなくなった時に『2人で4年間、必死で頑張ろうね』って。
日本一にもなってなかったんですよ。
だからまずは日本一になってから、上を目指そう、って。
海外で、世界で闘える選手になろう、っていうことを2人で話し合って
だから今に繋がっているんじゃないかなって思うんですよね。」

国分「それは潮田さんも同じですか?」
潮田「同じですね。やはりアテネオリンピックに出場できなくて、すごく悔しかったんですよ。
それで私も北京は絶対に出たい、と思って、そこからすごく気持ちも変わりましたし 目標になりましたね。」
国分「それはもう、絶対に隣にいるのは小椋さんであって欲しい。」
潮田「そうですね。
元々、全然オリンピックを目指すような感じではなかったので、 やはりオグッチが『オリンピックを目指そう』って言ってくれたんですよね。
それでだからオリンピックを目指す イコール オグッチというのが、自分の中で出来てたので
何か1人で出ても意味がないし、そういう風に思わせてくれたのはオグッチだったので。」

国分「何かお話を聞いていると、小椋さんの方がずっと潮田さんの方を 引っ張っている関係であるなっていうのを感じますね。」
江原「…。」
国分「あら?これは違うような違うんですか。」
美輪「違うと思いますよ。」
国分「あ、そうですか。ここは後でゆっくり。」
小椋「すごく聞きたい。」
江原「ある種、そういう一面もありますけれどね。」
美輪「思うには逆。」
国分「逆ですか?この話を聞いて、逆ですか!それはすごいよね。」

~ついにオリンピックの舞台にたったオグシオ。
1回戦でデンマークのペアを破り準々決勝へ進出。
世界ランキング3位の強豪中国のペアと戦い、苦しい戦いを強いられ、ベスト8で終わります。
しかし2人はまだ25歳。4年後のロンドン大会も夢ではありません。

しかし、帰国後の記者会見での潮田さんのコメント
「今後のことは今は全く考えられないような状態で、引退するかもわかりませんし
現役を続けるかも本当に自分の中では整理がついていない状態なので。」
今後も選手生活を続けるかどうか揺れているオグシオ。~

[北京オリンピックを終えて]
国分「改めて北京オリンピック、振り返ってみてどんな大会でしたか?」
小椋「まあ正直、メダルを獲りたいと思って臨んだので
すごく悔しかったは悔しかったんですけど、でも終わってみて
、いろんな人から 『ありがとう』とか『感動したよ』とか言っていただいて、結果はついてこなかったけれど、でも何か私達、4年間がんばってこられたことは間違ってなかったな、っていうのを思えて
その時、初めて『自分はもう満足した』って言えましたね。」

国分「潮田さん、先ほども、今が転機じゃないか、というようなお話がありました。
これはあれですか、今もちょっと『次のオリンピックはどうしようかな』っていう悩みがあるわけですか?」
潮田「そうですね。やはり4年間、すごく必死に闘ってきて出られた舞台で
『もう本当にすごく良かったな』と思うんですよね。
『ロンドンでも本当に立てるものなら立ちたい』と思うんですけれども、
やはりもう4年って本当に辛くて、苦しかった部分があって
その4年を思うとやはりなかなか 『よし、じゃあすぐに目指そう』という風には やはり思えなかったりとか、
後は本当に何か『やり切った』っていうか、気持ちが疲れてしまった部分があって
『自分はどうしたいのかな?』というのがなかなか分からなくって。」
国分「それは北京に向けての四年間があったから
『もう1度あれをすると思うと』みたいな気持ちもあるわけですか?」
潮田「はい。」

国分「これを聞いて、小椋さんはどうですか?
『もう1回一緒にやりたい』という気持ちはあるわけですよね?」
小椋「まあでも自分自身もすごく迷ってるというか 『もう一回挑戦したいな』という気持ちはすごくあるんですけど…。
はい、あります。」
国分「どこか気持ちが揺れてる部分もあるわけですよね。」
小椋「まあちょっといろいろ。」

美輪「いろいろあるわよ。
年齢的なものもあるし、結婚という問題もあるでしょうし、生活の現実的な問題もあるし、
いろんなものが4年間といったらね、すごい長いですもの。
その間、今までみたいに若くて、何も考えないでそればかり。
そういうわけにはいかないじゃない?
特に小椋さんの方は何て言うのかしら、ものすごく変わっていらっしゃるからね。」
小椋「変わってる?」
美輪「とっちらかっていらっしゃるのよね。
『こうだ!』と思っていたのがパッとひっくり返っちゃったり、
全く違う考えになってみたり、否定してみたりとか。」
小椋「はいそうですね。」
美輪「ね?こちらの方が平均して慎重で、常識的。そのくせ無駄遣いは好きなの。」
国分「無駄遣いしますか?」
潮田「しますね。」

江原「でも、潮田さん、天邪鬼なんですよね。
自分で『どうしてここまで頑張れたんだろう?』ってすごく不思議に思うんじゃないかと思うんですよ。
何しろ負けず嫌いな天邪鬼でしょう?
負けず嫌いと、その天邪鬼的な一面っていうものが、 ずっとその間逆に言うとバネになってきたんですよね。
だから、ケチつけられればつけられるほど頑張りますでしょう?」
潮田「はい、そうですね『悔しい』と思っちゃうんですよね。」
江原「そういう意味で、いい意味でハッパをかける人たちがいままでたくさんいたことが 追い風になって、
知らず知らずのうちにどんどん前に行っちゃったという感覚の方が強いんじゃないかと思うんですよ。」

潮田「本当に、元々オリンピックを目指していなかったですし、
母親とかも 『いつ辞めるって言い出すんだろう?』っていうくらいにしか 思っていなかったみたいなので
『あなたがここまで頑張ってきたのはすごい』 みたいな感じでは、よく言われる。」
江原「だからある意味では、2人ともとっちらかっていますよね。」
(笑い。)
美輪「整理しなきゃ。」

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