市川海老蔵

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【 2008年11月22日放送】【138回】パート2

今日のゲストは、歌舞伎役者で恋の噂が絶えない市川海老蔵さん。

パート1からの続きです♪

海老蔵そして團十郎

[祖父のようになるためには]
海老蔵「いまお話にあったように、その…祖父ですか。
ああいう風になるためには どういった努力が必要なのかな?って、
今すごく聞きたいことになっちゃったんですけども。
まず稽古とか、そういうものを一生懸命やることはもちろんなんですけど。
スピリチュアルって言うんですか?
そういうのではどういうことを意識していかないといけないんですか?」

江原「これね、非常に難しくて。
だから海老蔵さんだけのことで申し上げれば後からもいろいろとお話しますけれどね
その素材は持っていらっしゃるんですよ。
『宿命と運命』という言葉があって、これ意味が違うんですよ。
宿命というのは、自分自身がもう備わっているものというか
元々、魂の流れで得ているもの。料理で例えれば素材。
で、運命というのは料理。だから努力というのは運命のことです。
どう料理をするか。
でも素材がやっぱり違うと、こういったことを言ったら失礼なんだけれども
どんなに料理していても、やっぱりちょっとできないものはできない、 っていうところがあるんですよ。」
海老蔵「ああ。そうでしょうね。」

江原「ですから、そういった意味では、その素材を見極める作業というのは
とても大事なんですよ、一般的に申し上げれば。
で、そこで海老蔵さんに関してはその素材は持っているから。
で、持っているから、実は映像を観てもね
例えばおじいさまのね、そこで感じることができる。
これね、それがなかったら、シンパシーを何も感じないから
『ふ~ん、すごいな、立派だったな』だけで終わります。」
海老蔵「ああ。」
江原「だからそこが分かる。ああ、そこはそうなのか!という風に気づくわけであって。
これ、万人が分かるものでは残念ながらないんですよね。」

[オペラ座で不思議な体験]
国分「旅先に行くと…。」
海老蔵「行くとっていうか何か不思議だったのは…う~ん、そうですね、
初めてオペラ座に行った時なんですけども。
何歳だったろうな…20代ちょっといった時かな。
マネージャーと僕と、案内してくれる人でいろいろ中を歩いていたんです。
誰もいない時なんですけど、何か明らかに後ろに人が常に歩いているんですよね。
で、黒い人がいて。
これ、勝手に自分で考えちゃってることなのかもしれないですけれども
どこに行ってもついてくる。
誰かいるでしょ?といったら『誰もいない』といわれて
『なんだろうな?っていって。でもその人は何かそこで働いてたような人っぽいんですよ。
国分「うん、うん。」
海老蔵「で、その人が『君は絶対この舞台に立つんだよ』と言ったんですよ。」
国分「ほう。」 海老蔵「何かわからないんですけれども、立ちたいなとは思ってましたし、
あ、立つんだな~、なんて思ってて、それでそういうお話が来ちゃった。
前世とかはよくわからないんですけど、何か関係していたみたいですよ。」
国分「何となく自分で感じるわけですか?」
海老蔵「何となく僕の前世の何番目かの人が、そこで働いていてすごく貢献?
(ほうけんと聞こえました)していたみたいなんです、
そのオペラ座で。分からないですよ。
それで『君はごほうびみたいなところがある』みたいな。」
国分「何ですかね、これは。」
海老蔵「いや、わかんないけど。」
江原「でも、ご自身でそれを直感的に感じられたってことは、
やはり一番の確信だと思いますよね。
ただ、まあ夢物語と思ってね、考えていただいていいんですけど、
やはり前世っていうのはいくつもありますから。
ただ、私自身が今、お話をうかがいながらみえてくることで言うと
その支配人か何かなさってたっていう、それが前世という風ではちょっと見えない。」
海老蔵「ああ、そうなんですか。」

江原「ただ、そことの関わりがあったということは確かみたいなんですよ。
どうしてかと言うとね、あの、ボックスシートあるじゃないですか。」
海老蔵「ボックスシート、はい、はい。」
江原「ボックス席ってやつですね。
ボックス席を持っていらっしゃった方だったっていうのが 見えるんですよね。」
海老蔵「へえ~、だから結構偉かった、お金持ちだったんですか?」
江原「お金があった、もしくは位があったか。」
美輪「貴族。」
江原「貴族、だから、その支配人だった人にお世話になってた。
だからそういうゆかりはあった。
で、『今度はあなたが出る番ですよ』って その人がおっしゃったわけなんですよね。」
海老蔵「ああ、そういうことなんだ。」

江原「要するに劇場通いが大変お好きだったというか、そういう時代があるということ。」
海老蔵「そんな感じですね、イメージ的には。」
江原「今でもそれが見えてくるのが、 舞台の側から見ると左側の二つ目のブロックの上のボックス。」
海老蔵「あ~、オペラ座でですか?ほう。」
江原「ええ。そこがご自身のボックス。」
美輪「定席だったのね。」
江原「定席っていうんですか、うん。」
国分「これ、行かれることはあるんですか、またオペラ座の方には。」
海老蔵「え?出演でですか?う~ん、まあ可能性はなくはないんじゃないですかね、はい。」
国分「それは行った時にちょっと見てみると。」
海老蔵「ああ、いいですね、ドキドキしますね。」
美輪「めちゃくちゃ豪華ですからね。」
国分「ああ、そうですか。」
海老蔵「すごい。」
美輪「まあとにかく、だってあらゆる国の国王とか貴族たちが、
もう贅沢三昧の連中が来ても恐れをなすぐらいの造りでなければ
存在理由がないということで造られた劇場だから。」
海老蔵「吸い込まれる。」
美輪「贅沢ですよ。だって天井だってね。」
海老蔵「シャガール。」
美輪「普通のものすごくきれいなデコレーションをしてあったにも関わらず
シャガールをその上から張っちゃったんだから。もったいないでしょう?」
国分「はあ~。」
海老蔵「まあ、失礼ですけれど、本当は前の方が僕はよいと思うんです。
あ、そういうことなのか。」
美輪「そうそう。」
海老蔵「あ、そうだ!シャガールの絵って何年前に変わったんですか?」
美輪「もう、ずいぶん昔ですよ。」
海老蔵「ですよね?僕はね、行った時はやっぱり、
シ ャガールじゃなかったイメージが あるんですよ。
だから俺、何か変なことを言ってたんだ。
『これ、ちょうど前に来た時は、この絵じゃなかったよね?』って話してた、誰かに。」
国分「あ~、そうなんですか。」
海老蔵「でも『何十年も前からそれだ』って言うから。」

江原「自分の魂の記憶としては違うかったってこともあるでしょうね。
それがフッと何か言うと、おかしいこと言うな、っていう風になっちゃうだけで、
無意識なんですよ、自分自身は。」
海老蔵「うれしい。」
国分「ははは。」
海老蔵「ちょっと見える。」
国分「すごいですよね。」

~パリ、オペラ座での不思議な出来事。
シャガールがオペラ座の天井画を描いたのは海老蔵さんが生まれる前。しかし記憶に残っていたのは別の絵だというのです。シャガールの天井画(1964年~)
それは以前描かれていたルヌヴの天井画だったのでしょうか。~

2004年5月、26歳の時、日本での襲名披露に続き、
パリ・国立シャイヨー劇場でも行われた11代目・市川海老蔵、襲名披露公演。

300年前、初代市川團十郎が生み出し、團十郎と海老蔵のみに許される「にらみ。」を披露。
名実ともに歌舞伎の未来をになうことになったのです。
そして、2007年にはパリ・オペラ座でも公演が実現。
しかも演じられた演目の「勧進帳は団十郎と海老蔵のダブルキャスト。
父と息子が弁慶と富樫左衛門を交代で演じるという豪華な内容で、フランスの歌舞伎ファンを魅了しました~

~その一方で、父である團十郎さんは白血病と闘っていたのです~

[偉大な父 團十郎]
国分「はい。團十郎さんは再入院されて、
先日退院されたというお話を聞いたんですけれども。」
海老蔵「はい、そうですね。」
国分「体調の方は…。」
海老蔵「今は一緒に過ごしてますけれども…もう普通の生活は、ほぼできるんですけれども
まあ100%ではないという。」
国分「どうですか、海老蔵さんにとってはどんな方ですか?」

海老蔵「やっぱり、偉大ですね。う~ん、言葉ではなかなか言い表せないんですけど
さきほどの稽古のことでしたら『見る時も下を向いちゃいけない、
こうやって見ないといけない』とか、そういうことを全部叩き込んでくれたのは…
優しくですけれどね。父ですし、やっぱり、悪い子の時もありましたし、
まあいたずらが過ぎることもありましたし。
そういうのはまあ大きな目でよく見ていてくれたな、と。
僕が逆だったら、何か余計なことを言っちゃいそうですけれど、
やはりそこら辺、 人格がやはりちょっと違うのかな~と。」

美輪「まったりしてる方ですからね。」
海老蔵「そう、大らか。大らかなんですよね。」
美輪「大らかな方なのよ、本当に。お若い頃からそうでしたよね。
やっぱり、歌舞伎っていうのは、王様とかね、強い者だとか、
偉い人っていうのを結構、 主役ってやらないといけないから。
ちまちました育ち方をするとね、やっぱりそれが出るのね。
だから大らかに『ああ、良きにはからえ』みたいな育ち方をすると
それが大らかな芸風として伝わるんですよ。
やっぱり芸格、品格みたいなものがね、必要だから。」

国分「今の年齢になると、親父という関係よりも、師匠と弟子じゃないですけれども…。」
海老蔵「いやもう、弟子みたいなものです。」
国分「そういう関係の方が。」
海老蔵「でも親父ですよ。」
国分「あ、そうですか。」
海老蔵「うん。特に今は舞台から父は離れていますし、
比較的 普通の父と息子の関係があって。
例えば海外公演とかをやって一緒の舞台に立っていると
まあ、僕が生意気なんですけれど、口論になってしまったりとか。」
国分「はい、はい。」
美輪「どういう口論?」
海老蔵「あの、位置の話ですとか。
例えばオペラ座に出させていただいた時に『勧進帳』という演目がありまして、
その時に、最後に見送る形があるんですけれども
その場所を変えた方がより、六方(ろっぽう)をして、
お幕の方に引っ込む距離が増えるからその方がいいのではないか、
というようなことを僕は提案したんです。
すごく怒りましたよ。」
六方(歌舞伎で役者が花道を引き上げる時、両手両足を大きく振って踊るように進む所作)
美輪「あらま、なぜ?」

海老蔵「それはいけない、と。
それは礼儀作法として、 上下(かみしも)というものは決まっている、と。
そこでひっくり返しちゃいけないんだ、と。」
美輪「飛び六方はどうしたんですか?」
海老蔵「父は決まった後に、移動してからこっちに 引っ込みました。
僕は、またちょっと生意気なんですけど、
工事をちょっとしていただいて客席の方に飛び六方をさせていただいたんですけれど。
やはり息子なんですけど 父もありがたいことにライバルとして認めてくれていますし。」
国分「はあ。」
美輪「それはもう、役者同士ですよね。」
海老蔵「だからちょっと、そういう場合は多少、空気感は家の中では…あんまり、よいというか…。」
美輪「いや、それは父と子じゃなくて、役者同士のね、素晴らしいことですよね、うん。」

~親子といえどもひとたび舞台に立てば役者同士。
花道がないオペラ座での公演は、弁慶が去るラストシーンをめぐり親子の意見が対立、
父は伝統の向きを守って下手(舞台に向かって左)へはけ、
一方、海老蔵さんは特別に花道を作らせ、客席中央の通路にはけました~

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