安倍なつみ

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【 2009年1月24日放送】【141回】パート1

今日のゲストは、国分民的アイドルグループ「モーニング娘。」のメンバーとして活躍した安倍なつみさん。

【安倍なつみ スピリチュアルチェック】
不思議な体験をした事は?⇒小さい時、小学校3、4年生くらいの時に住んでたお家で、
人の声を聞いたり、ボールが跳ねてるような音がしたり、
そこの部屋には人がいないんですけど、そういう音を聞いたりした体験はあります。
人生の転機は?⇒15歳の時です。オーディションを受けた時ですね。
生活の中でこだわっていることは?⇒仕事上、海外のホテルや地方のホテルに泊まることが多いんですが、何かまわりというか、背中が気になって誰かに見られているような気がするので、いつもベッドに入って寝る時は枕で自分の体を囲ったり、なにか気になるので そうして寝るようにしてます。
よく見る夢は?⇒夢はあまり見ないんですけれども、見るとしたら逃げる夢ですね、
逃げてます、いつも夢の中で。
それで妹が必ず逃げてる夢では出てくるんですが いつも命がけで必死で妹を守ってます。
ひとつだけ願いが叶うとしたら?⇒ヒット曲が欲しいです。
(国分さんが「あ~、一緒だな。」といいます。)

安倍なつみ写真集『End of Summer』(DVD付)

[美輪・江原との出会い]
国分「いや、こうやって見てもそうだけど、大人になったねえ~。」
安倍「あはは。ありがとうございます。」
国分「今いくつになったの?」
安倍「今、27歳になりました。」
国分「もう、27になったんだ。今日はまだ、なっちって呼んでもいいのかな?」
安倍「全然かまいません、大丈夫です。」
国分「27歳でも?じゃあ今日は、なっちと呼ばせてもらいますのでよろしくお願いします。」
安倍「はい。お願いします。」

国分「どうですか?このオーラの泉に出ることになって。」
安倍「もう、何か夢みたいです。今あそこから上がってくるときに
何かちょっと泣きそうになってしまって、
ず~っとこの番組がスタートした時からみていたので
自分がまさかここに立てるとは思いませんでした。
自分の中で、もう、本当に一番出たい番組だったんです。
でもそういう時が来たらきっと出れるって自分の中で思っていたので
『ついにこの時が来た』って何かこう、うるっとしましたね。」
国分「上がってる最中に、そういうことを思い出したりして。」
安倍「はい。」

国分「どうですか、美輪さんとは初めましてなんですか?」
安倍「いや、違うんですよ。2年、3年ぐらい前に舞台を拝見させてもらったんですけれども
その時に私、友達と行っていたんですね。
そうしたら、終わって帰ろうと思っていたら マネージャーさんがこっそり来て『美輪さん本人が是非ということなので』と言って。」

国分「うわあ、うれしいね。」
安倍「ええ!?まさか『お会いできるんですか』と思って。」
国分「舞台でみてたのに実際に楽屋で。」
安倍「そうなんですよ。」

美輪「いやあの私、毛皮のマリーってお芝居でね、
『日本の未来はイェイイェイ』っていうのをね、あれを使ってたのよ。」
国分「あ、そうなんですか。」
美輪「私、大好きだったの『モーニング娘』で、とってもかわいらしいじゃない?
そうしたら来てる、っていうんでね。『あ、よろしかったらどうぞ』って言ったの。」
安倍「そうなんです。もう本当にどきどきしながら。」
美輪「『愛の讃歌』でしたっけ?」
安倍「そうです。『愛の讃歌』でした。はい。」
美輪「で、ちょっとお話させていただいたの。」

国分「江原さんとはどうですか?初めまして。」
安倍「江原さんとは違うんですよ。去年のイルカさんのイベント、
(2008年9月『イルカ with Friends』)歌のイベントがあるんですけど
そこで江原さんといっしょに初めて共演させていただいて。」
国分「これまたオーラの泉をみてたら。」
安倍「そうなんです、そのお話をしたんですね。そうしたら。」
江原「出たい、出たいって言って、『じゃあ、お伝えしますね』って。」
安倍「そう。江原さんが『ぜひおいで』って。」
国分「江原さん、ブッキングしてるんですか?」
江原「そういうわけでは。
でも皆さんもありません?よくそうやって。」
国分「言われます、これは言われます、よく。」
江原「だから『じゃあ、お伝えします』ってカレーライス食べながら。」
安倍「そう。何かもう本当に。カレーライスを、メンチカツを乗っけて、いただいて
江原さん、おかわりしてて。」
国分「江原さん、おかわりしたわけですか、メンチカツを。」
美輪「おかわりは、ちなみに何杯くらいですか。」
安倍「結構されてましたよね。」
江原「いえいえ、そんなことないですよ。」(手を横に振りながら)
安倍「何回食べました?」
美輪「10杯ぐらい?」

~1981年、北海道・室蘭市で生まれ、3人姉妹の次女として育った安倍部なつみさん。 高校時代に人生の転機が訪れます。高校一年生のときテレビ番組のオーディションに応募し「モーニング娘。」を結成。
1998年「モーニングコーヒー」でデビュー。国分民的アイドルの道を突き進むことになるのですが、この5人は一度はオーディションに落ちたメンバー。
ある試練を乗り越えてデビューが決まったのです~

[デビュー前の試練]
国分「人生の転機ですけれども『オーディションを15歳の時に受けた』時が人生の転機だと。」
安倍「はい、そうですね。やはりそこからいろんな出来事があったので。
やはり自分が受けようと思って。」
国分「自分が受けようと思ったんですか?」

安倍「そうです。
ずっと歌、歌手を、歌いたいって、
そういうメッセージを 伝える人になりたいっていうのを思っていて。
中学生ぐらいの時にも『浅ヤン』っていう番組をみていて、
オーディションを受けたいって言っていたんですけれども、
親や周りの先生が、学校の先生だとか、反対されていて、
それでもやっぱり受けたかったので
『高校入ってからならいいよ』って言われたので、
入ってから 一番最初にあったオーディションに『よし、行くぞ』って。」

国分「一番最初のオーディションで、もう合格したんですか?」
安倍「いえ、違うんですよ。まず9900人の中から1人グランプリが決まって。」
国分「1人だけだったんだ、最初は。」
安倍「最終的に10人ぐらいたんですけれども、全員落とされて、
全国分各地に帰らされたんですね、田舎に。」
国分「ほう。その10人の中には入ったんだ。」
安倍「はい、入ってて『グランプリ、いけるかな』って、ちょっと正直、思ってたんですけど落ちました、見事に。
もう相当、今まで体験したことがないくらいショックで、
もう人生の終わりぐらいに感じていて、その時は。
でもそこから声がかかったのが 5人、全国各地、いろんなところから5人が集められて
『5日間で5万枚、手売りで売る。売ったらデビューしてもいいですけど それをやりますか?』と。
1人1人に聞かれて、皆『やります』『やります』 『やります』みたいな。」

美輪「で、失礼だけど、グランプリで受かった人はどなたなの?」
安倍「えっと、今でも歌手をやってるのかな?デビューしたんですけれども。」
美輪「そんなものなのよ。」
安倍「そうなんですね。」
国分「ものすごく重みがありましたよね、今。」
美輪「そんなものなの。落ちた人が残ってて、受かった人が消えていくって、
世の中ってそういうことがあるのよ。」
安倍「でもその、まだデビューが決まる前に私、いま思うとちょっと不思議なんですけど
学校を辞めたんですよ。先生のところに。」
国分「それは忙しくなるからっていうことではなく。」
安倍「いや違うんです。
何か感覚的になんですけど『私はこっち(歌手)の道だ』って思って親にも言わず。」
国分「えっ!親に言わなかったの!?」
安倍「そうなんです。もう驚かれましたね。『浅ヤン』のスタッフや、
その時の番組のスタッフの方にも『何やってんの?』って。
『デビューも決まってないのに何してくれたの?保障がないんだよ』って言われたんですけど、
私は全然、そんなことを言われても動じず、いま思うとすごいことですよね。」
国分「いやいやいや、すごいよ、それでお母さんは何て言ったの?」
安倍「『何やってんのさ、あんた?』って言われました。
国分「方言で。」
安倍「はい。『何したのさ?』って言われましたね。」
国分「うわぁ、それはもう覚悟が。」
安倍「ありました。『私はもうここだな』って。」

~「自分は絶対歌手になる!」そう信じて疑わなかった安倍なつみさん。その夢はすぐに現実になります。「モーニング娘。」は世紀末の日本に一大ブームを巻き起こします。
ヒット曲を連発してアイドルの歴史を塗り替え、国分民的アイドルへと駆け上がったのです。メンバーの入れ替えを繰り返し、トップアイドルの座を守り続ける。
チームワークを大切にしながらお互いにライバル同士。メンバーの間には常に緊張感があったのです~

[モーニンブ娘の本音]
国分「ものすごい人気でしたよね、本当に。」
安倍「ありがとうございます。」
国分「その後、『モーニング娘』は卒業があったり、また新しく入ってきたりと、 本当にいろいろ、それこそ複雑じゃないですか。」
安倍「もう、いっぱい不安もありましたし、
もう明日どうなるかわからないって思う中でした。」
国分「『なんだよ、つんく♂』でしょ?家では。」
安倍「そうですね。」
国分「『卒業システム、何だよ?』ってことで。」
安倍「そうです、本気で、もう本当に台本とか全くなく突然なんですよ。
突然『明日、何人か加入します』と本当に聞かされるんですよ。」
国分「一番最初、加入してきたりとかっていうのはすごく複雑な気分だけれども。」
安倍「嫌でしたよ。はい。」
国分「嫌だよね。」
安倍「嫌ですよ。」
国分「嫌だっていうのが顔に出てたもん。」
安倍「もう嫌でしたよ。この5人で頑張ってきたのにこのままでいいじゃない。
どうして?って。」
国分「大人っていろいろなことを考えるよね。」
美輪「最終的には何人になったの?」
安倍「えっと、私が卒業した時が一番多い人数で、15人いました。最多人数でしたね。」

国分「今でも仲のいいメンバーっていうのはいますか?」
安倍「いますね。その卒業したメンバーは仲がいいんですよ、みんな。
みんなでお酒を飲んだりとか『最近どうなの?』みたいな話をしたり
何かやっぱり卒業すると、また全然違いますね。
私はメンバーにいたときはメンバーとお食事に行ったりとかしなかったんですよ。
やっぱりどんなに年下の子でも常にライバルと思ってやってきたので。」
国分「うわぁ、すごい。」
安倍「『仲が良くなくていい』って。すみません。」
国分「素直でいいと思いますよ。」
安倍「そう思っていたので、常にライバル視をしていたので、本当の意味で 『仲良しこよしじゃなくていい』って。」
国分「なるほど。」
安倍「そうじゃなきゃ勝ち残っていけないっていうのもありましたし
卒業して、少し経ってからですね。そういう機会が作れて。」
国分「みんなでご飯を食べられるようになったりしたのも。」
安倍「そうです。」

国分「そんな中でも運命を感じる人っていうのは。」
安倍「飯田佳織とは、実はその二次審査の時に会場で、何千人もいた中で、 席が隣になっていて、二人とも履歴書を持った状態で。
で、プリクラを交換したり会話をしているんですよ、その時に。
で、受かっていった過程も一緒で、グループになって活動をし始めるんですけど。
その途中で気づいたんですが、生まれた病院が一緒だったんですね。
しかも誕生日が二日違いで、同い年なんですが。」
国分「うわあ。」
安倍「8月8日が彼女で、私が8月10日なんですが、
私も地元が室蘭なんですけど、『病院、一緒だよ』って聞いて『ええ?!』って鳥肌でした。」
国分「お母さんが室蘭なんだ。」
安倍「そうなんです、飯田の実家は札幌なんですけど、お母さんの地元が室蘭だったの そこの病院で。」
国分「こんなことあるんですね。」
江原「ねえ。ということは、同じ時期に病院にいたってことですよね。
新生児室で並んでいたり。」
安倍「そうかもしれないですね。」
国分「並んでいるんですよ。」
美輪「並んでオムツ替えてもらったのよね。」

~同じ病院の2日違いで生まれていた安倍さんと飯田さん。それは単なる偶然ではなかったのです。モーニング娘。の不思議な絆が明らかに~

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