石田純一

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【 2009年5月30日放送】【2時間SP回】パート2

今日のゲストは、俳優でタレントの石田純一さん。

パート1からの続きです♪

落ちこぼれのススメ

[恋愛名言集]
国分「そんな石田さんが残した名言、伝説をちょっとここで 紹介したいと思うんですけれども。」
石田「すみません、本当に。」
国分「まずはですね『キスは技術ではない。タイミングである』
これちょっと詳しく教えてもらいたいんですけれども。これはどういった。」

石田「何でも『間』ですよ、やっぱり。」
国分「『間』?」
石田「はい。まあ、間が抜けたら『間抜け』だし、違えば『間違い』だし。」
国分「その『間』というのが大事だと。」
石田「何でも『間』ですよね。」
国分「はあ~。」

美輪「あいだの『間(マ)』でもあるけれど、『魔物』の『マ』でもあるのよね。
『魔がさす』と言うでしょう?悪魔の魔。悪いものって魅力があるじゃない。」
石田「魔力ともいいますよね。」
美輪「ね?その『魔』にも通じるのよね。」
国分「大人の会話ですね、今日は。」
美輪「食べ物もそうでしょう?体に悪いものは、みんな美味しいじゃありませんか。ね?」

国分「まだあります。伝説の口説き文句なんですけれども
『とびっきりのパスタ、食べに行こうよ』
本当にこれで大丈夫なんですか?これで口説けますか?。」
石田「だけど、イタリアン嫌いな女の子、いないですから。(みんな笑い。)
すみません。あきれないでくださいね。」
国分「他にもまだあるんですけど。」

石田「もうちょっと何か良いこと言ってないですか、俺。」
国分「『僕に足りないのは靴下じゃない、君だ!』
確実に靴下、足りないですからね。」
石田「足りないですね。」

美輪「だからね、前世がイタリーっておっしゃっていたでしょう?ね、江原さんがね。
イタリーとかね、フランスはね、日常会話が全部、それなんですよ。」
石田「そうですよね。」
国分「なるほど。石田さんの会話というのが普通になってるわけですよね。」
美輪「だから、ヨーロッパじゃ当たり前なのよ。」
江原「イタリア人なんか、もうすぐに Che Bella(「ケ・ベッラ。」美しいという意味)、Che Bella )って言いますからね。」
美輪「そうそう、フランスだってそうだし、英国だってそうだしね。」
石田「だから美味しいとか、美しいという言い方を、やっぱり何通りも知ってるというか あるいは浮かぶとか、
そういうことは、やっぱり普段の素養とかが出てくるじゃないですか。
まあ俺にその素養があるかどうかは分からないですけど、降りてくる時があります。
例えば、本当にこう、朝が白んで来た時に『君は夜明けのように美しいね』とかね。
そういうのが、やっぱりその時の情景からヒントを得て『夜明けのように美しい』。」
国分「なるほど。それは相手の方はどんな感じなリアクションをとるんですか?」
石田「『キュンときた』って言ってましたけどね。」
江原「日本の女性はだから、ある意味、石田さんの登場でね、
皆がキュンとしたんだと思うんですよ。そういう言葉にほら、最近慣れてなかったから。 国分「はい、はい。」
江原「男の人は『メシ』『風呂』とか『ありがとう』も言わない。ね?
だからそれでもう、キュンときたと思うんですよ。」
国分「そうか。」

恋愛に限らず自分の気持ちを照れずに素直に表現してきた石田さんですが、
1996年、ある発言によって大きな波紋を呼ぶことになります。

当時の取材に答えているVTRが流れます。
「例えば『忍ぶ恋』とか、例えば『思ってるだけの恋』とか、
そういう話があったっていいじゃないですか。
やっぱり今までの文化を作ったり、 良い音楽や良い文学っていうのは、そういうことからも出来ているわけだし。」

取材中のこんなやり取りが「不倫は文化。」という衝撃的な見出しとなって紙面を飾り、
そして俳優として大きな試練を味わうことになったのです。

[「不倫は文化。」の真相]
国分「『不倫は文化だ』っていう言葉を残したというか、 名言が出たじゃないですか。」
石田「でも、あれは実は見出しで、本当は記者の方が一番、それを発明されたんですね。」
国分「石田さんの言葉じゃないんですか?」
石田「ひと言で言い切っていないんですよ。
いわゆるその『不倫のような、そういうものから生まれる文化もあるでしょ?』っていうのが正式に自分の言った。」
国分「それをこう短く。」
石田「要するに『あなたはとんでもないことしてるでしょ?』って女性の記者に言われて
『まあ、それはそうかもしれない』と。
その時言った言葉はね
『結婚生活をちゃんとやっている人は素晴らしいと思いますよ。尊敬しますよ。
でも、そうじゃないことだって、世の中あるじゃないですか。
苦しいというか、何かとっても傷つけちゃうようなこととかそういうことがいっぱい。
でも、そういう不倫のようなものから生まれる文化だってあるでしょ?』と。」

美輪「だから、フランス文学とかね、ロシア文学、日本の文学の中でも
不倫の文学だらけじゃない?」
国分「う~ん、そうですね。」
美輪「そう『ボヴァリー夫人(医者の妻が平凡な生活から抜け出そうと不倫に走る物語 フローベール作 )』だとか、いろんなものや何か、もうみんな不倫ですよね。」
石田「『アンナ・カレーニナ( 政府要職につく夫を持つアンナが 家庭を捨てて恋に身を投じる物語 トルストイ作)』もそうだし。」
美輪「そうそう歌舞伎なんかでもね。」
石田「『それを全否定されるのは、それはあなたの考えで、僕はそう思います』と
そうしたら次の日、ドン!と『不倫は文化』って、
いわゆるタイトルを付けるのが上手かったんですね。」
国分「あ~、なるほど。
でも僕らは、石田さんが『不倫は文化だ』って言ったんだと ずっと勘違いしてました、今まで。」
石田「でもまあ、そういうことを、もちろん言ってはいるんですけど
だから自分の言葉から出たのは『不倫から生まれる文化だってあるでしょ?』って
言ったんですけど。」

国分「なるほど。あの見出しが出てからは、どんな生活になったんですか?」
石田「CMやその他も全部、付随したものはほとんど降ろされて、
街を歩くとやっぱり、特に結婚をされている、あるいはお子さんをお連れの若い奥さんたちの視線がきつかったですね。」
美輪「っていうのはね、全部、自分のね、生活の中までね、近づけちゃうんですよ。
『自分の亭主が他の女に取られたら』っていう風に思うんですよ。」

石田「でも本当に一番傷つけたのは、自分の奥さんと娘なわけじゃないですか
特に娘に関しては、たまたまそのお受験だったんですよ。」
国分「その時が?」
石田「はい。で、面接に行ったら、いきなり『石田さん、「不倫は文化。」って どういう意味ですか?』って学校から言われまして
『これはあかん』と思いましてね。
キリスト教の学校は、そういうのが一番ダメじゃないですか。
それを言われた瞬間にもう奥さんは崩れ落ちていましたね。
だからそれがまあ離婚の原因になったような気もします。」
美輪「だから私が最初おっしゃったように『あなたは結婚してはいけません』と言ったのはそういうことを含めてなのね。」
石田「そうですね。」

国分「なるほどね。じゃあ、やっぱりその学校というのは合格は。」
石田「しなかったです。でもね、言ったんです、その時も。
それでこそ『よかったね』と言える人生にしましょうよ、と。
この間会ったんですけど(先日10年ぶりに長女・すみれさんと再会)
『だから良かったでしょ?』と。
まあ俺を正当化するわけじゃなくて 『ちゃんとこうなったじゃない』っていう。」
国分「あ、そういう話も、もうお子さんとは出来てるわけですか。」
石田「ええ。もう英語もペラペラだし、
で、娘はそういう まあ浮気とかあんまり好きじゃないんですよ、もちろん。
真面目なボーフレンドとかもいるし『じゃあ良かったね』と。」
国分「じゃあ、いい話は出来てるわけですね。」
石田「そうですね。だっていい学校に行くのが目的じゃないもん、人生の。
だから、それに関しては『俺が悪かった』と言いました、初めて。」

不倫騒動をきっかけに1999年3月には二度目の離婚、家族と別れ、仕事も失い、収入ゼロの生活が始まります。

[収入ゼロの生活]
国分「どうだったんですか、金銭的には苦しかったんですか、その当時。
やっぱり仕事が減っていったりとか。」
石田「もちろん何ヶ月か、やっぱり謹慎しましたから。
もちろん仕事も入ってこないですけど、結局、収入が入ってこないですよ。」
美輪「じゃあ、やり繰りが大変でいらしたんでしょ?」
石田「いやあ、それはそれは大変でした。家賃も払えず、引越しのお金もないので。」
国分「それはもう、離婚されてるんですか?」
石田「ええ、ちょうどね、その時の話なんですけどね。
しょうがないから大家さんのところへ行って
『すみません、絶対に払うから、もうちょっといさせて下さい』と。
あの一番仲の良い友達には借りに行ったことがあるんですけど、でもそれはやっぱり断られて、目が覚めて。」

国分「それは結構、きついことを言われましたか?」
石田「でもその時に(ゴルフの)会員権を持って行って、これは担保。
でもそれはちょっと、ああ、恥ずかしいことをしたな、と思って、 財産とかをずいぶん、処分しました。
ゴルフ場の会員権とかもそうですよね。
だから自分が持っていて、売れば誰にも迷惑がかからないもの。
それで何とか家賃を払えて
まあ40を越えて、金銭的な苦労をするのは今も大変な時代じゃないですか。
もう本当に辛いんですよ。ね?
20代だったらOKなの、バイタリティもあるし、
40代はね、きつかった。でもすごくいい経験だったですね。」
美輪「いいお勉強ですよね。人に借りに行く前にね『人事を尽くして天命を待つ』で、 自分の物を全部、清算して売り払って、
それでなおかつ足りなければ、というのを 順序を間違えていらしたのね。
『自分の物を売らないで、イージーにお金を借りに行けばいい』っていう風に そこをまだ。」
石田「はい、そうなんです。それはちょっと甘かったですね。」
美輪「お勉強が足りなかったんですよね。」

[ゴルフが命?]
石田「だけどね、ゴルフの会員権、売ったじゃないですか。
で、売ったんだけど、今またそれよりは上がったんですよ。
そうしたら、またそこに入りたいんだけど、
そうしたら『差額は出してあげる』っていま言うんですよ。
それはもちろん『いいです、いいです』なんだけど、
『俺があの時、お金を貸していれば会員権を売らなくて済んだのに』って 言ってくれるんだけど。」
美輪「ゴルフってそんなに大事なものですか?」
石田「すみません。」
美輪「人生で。」
国分「確かにそうですね。」
美輪「あんなものはなくたって生きていけますよ。そうでしょ?
たかが玉を飛ばして喜んでいるだけじゃないですか。」
石田「美輪さんお言葉ですけど、初めて逆らいますけど、結構、深いんですよ。」
美輪「皆、そう言う。我田引水でね、皆そういう言い訳をなさるの。」
石田「ゴルフからどれだけ人生を学んだかっていうのもありますし。」

美輪「本当、私みたいに切羽詰ってずっと生きてきた人生から比べるとね
『なくたって生きていけるじゃないの。何でそれが大事でね
命と引き換えみたいな大騒ぎをするの?』っていうの。」
国分「石田さん、どうにかして下さいよ、この空気を。逆らったからですよ、この空気は。」
石田「いやいや、すみません。」

愛とロマンを求め自分に正直に生きてきた石田さんですが。幼いころご両親のしつけはきびしかったといいます。
アポロ11号の月面着陸を伝え、ニュースキャスターの草分けだった父・石田武さんは
姉・石田桃子(作曲家・音楽家)さんのお話
「弟にも私にも愛情深く、もう『本当に思ってる』という気持ちがたくさんありました。
でもしつけはものすごく厳しくて、うちはスパルタだったんです。
スパルタ方式っていうかゴムホースっていうのをバーン!とひっぱたくと赤いミミズ腫れができるくらい、本当にムチみたいなんですけど、
罰っていうとそれだったんです、何十発も。
もしそこで泣いたり口答えしたら また何十発か追加という、そういう家庭で育ちました。」

厳しくも愛情深かったお父さんは石田さんがドラマで人気絶頂のころ、 1989年、脳卒中で倒れ、帰らぬ人に。(享年63歳)
2007年には母・静枝さんも肝細胞ガンでこの世を去りました。(享年79歳)

桃子さんのお話
「残念ながら、弟はちょうどロケ中でしたから、テレビの収録のために東京不在で
弟も私も仕事でいることができませんでした。
まあ次の日に駆けつけて本当に父の様子をみて、もうものすごく親思いでしたから嘆いていましたね。
父が亡くなった時も、母が亡くなった時も、弟の落ち込みというか、悲しさというか
見ていてこちらも辛かったです。」

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