泉ピン子

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【 2007年04月21日放送】【2時間SP】パート1

今日のゲストは、女優の泉ピン子さん。

~1947年9月11日 東京・銀座生まれ。
18歳で歌謡漫談家としてデビュー
テレビ番組『ウィークエンダー』で一躍、人気者に
数々の苦労を乗り越え、日本を代表する
庶民派女優への道を歩む泉ピン子さん~

おしん 完全版 少女編

~泉ピン子さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【泉ピン子 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言で⇒まっすぐ、嘘嫌い、曲がった事嫌い。
陰口言うなら、その人の前で言え
小さい頃なりたかった職業⇒美容師
将来の夢⇒生涯現役
人生の転機⇒ウィークエンダー、それと結婚したことです
座右の銘⇒「春の来ない冬はない、冬の来ない春はない。」 
杉村春子先生の「女の一生。」の中から
「誰が選んだ道じゃない。間違いだと思ったら間違いじゃないようにしなくちゃ。」

泉「緊張しますね、みている方が楽ですね。」
美輪「何て美しい着物なの。
かがり火よ、あれ。夜桜にかがり火、綺麗な。」
泉「わかんないんですよ、この男は。」(国分さんのこと)
国分「今日はオーラの泉ということを意識して、和服で来られたわけですか?」
泉「当たり前じゃないですか、どなたとお会いすると思ってんですか?」
美輪「ははは。」
泉「大変な方ですよ、あなた。ほんとに舞台見て尊敬しなさい少し。
あなたね、タメ口をよくきいているけれど、誰だと思っているの、ほんとに。
尊敬してたらあんな口はきけませんよ。」
美輪「ははは。」
国分「そうですよね。もう、ほんとに、いきなり僕のダメ出し。
驚いてるんですけれども。」
泉「そんな事ないです。」
美輪「まさに女優の形よ。あの大っきなダイヤ。」
泉「ごめんなさいダイヤモンド、ほんとに。やっと買えるようになって、
やっと月賦が終わったんですよ。
美輪さんは覚えていらっしゃらないかな。
十何年前、私がバッシングされたり いろいろ毎週毎週、週刊誌に書かれてすごく落ち込んでるときに バラエティでお会いしたんです。
隣に座ったこの宝石いっぱいの美輪さんに
『美輪さん、3キャラットですよ!』って自慢したの。
あとで美輪さんから『ダイヤというのはすごいでしょう?
何億年も生きているのよ。すごいパワーよ』と言われて
『よし、月賦で頑張って買おう』と。こんなに大きいの買っちゃった、ごめんなさい。」
国分「でも、美輪さんから言われた言葉とパワーを信じて大きくしていったわけですよね。」
泉「それと、何億年も前の何て言うんですか?ダイヤって素敵じゃないですか。」
美輪「地球にうずもれていて、息をしていたというのがね。」
泉「で、地球にうずもれていたダイヤと海の中で眠っていた真珠ということで 今日はセットで。」
国分「かなり勝負してきてますね、今日は。」

泉「当たり前じゃない、いつも白衣だもん、あなた。
こうやってきれいにして、宝石なんかつけてラーメン運んでいたら変な人でしょ。」
国分「なるほど。」
泉「後は、あんた。バスガイドの格好してウロウロしてるだけ。」
美輪「あの番組、大好きなの。」
泉「ありがとうございます。あとはどこで宝石するのよ?これしかないでしょう?
国分「このオーラの泉が大好き、と。聞いてますけれども。」
泉「いや美輪さんが好きなのよ、番組じゃなくて。
美輪さんの追っかけなの。」
国分「そうなんですか。いつぐらいから追っかけは?」

[実は美輪の追っかけ]
泉「昔ね、私がウィークエンダーから女優になった時。
そして、まあ恋愛をしてる時ですね。今の夫じゃないですよ、もちろん。
私、晩婚ですから。
それで何か傷ついたりなんかした時に。 『愛の賛歌』をサンシャインでやってらしたんですよ
どうしても愛の賛歌、ピアフを見たくて 行った時にものすごい感動したんです。
それで何か、その愛がちっぽけに思えて。
『別にいいや、終わっても』ってそういうような感じですかね。」

美輪「ははは。」
国分「それで終わっちゃったんですか?」
泉「終わっちゃいました、ええ。無駄だ、こんな奴に惚れてんのは。
だから、そういう影響力は受けやすいタイプですね
私たちは、人と縁する仕事をしているじゃないですか。
向こうが嫌いなら、こっちも見事に嫌いだということがあるからね。
『陰でゴチャゴチャ言うなら、見事な敵になってみろ』という性格でしたから。
そういうのも、最近変わったの。
別にこの人と一緒に死ぬわけじゃないや、一緒に暮らすわけじゃないから
いいやもう、通り過ぎるんだから、と思って、平気で共演できたりとかしてますね。
いろんな現場にいったらいろいろあるじゃないですか。」
美輪「いろんな方がいらっしゃいますものね。」
国分「そういう風に変わっていったというのも、やはり美輪さんとの出会いから…。」
泉「エネルギー。」

[芸に貪欲な人]
美輪「それだけじゃなくて、やはりピン子さんは貪欲でいらっしゃるから。
昨日より今日、今日より明日という風に、何でも得になることを自分の中に食べよう 食べようとしていらっしゃる。
江原さんと違う意味で、食欲旺盛なの。」
国分「あははは。」
泉「なんだかもったいない気がするんですよ。
本当に可愛がっていただいた杉村春子先生なんかは、もう。」
(1906-1997 日本の演劇界を代表する女優。文学座に1937年の創立から参加)
『ほんとにうるさいわね、あなたは』と言われるくらい、教えていただくのに
カセットを休館日なのに持って『セリフのお稽古をお願いします』と言いに行くくらい。
『スポンジみたいだ』ってよく言われましたね。
でも、いま、今日お芝居をやっていられるのは、杉村先生のおかげだと思っています。」

~日本の演劇界を支え、数多くの役者を育てた大女優・杉村春子さん。
ピン子さんも徹底的にしごかれました。この後その貴重なエピソードが明かされます~

[恩師 杉村春子]
美輪「だけどあの方は、私は仲良しでしたけれども、好き嫌いの激しい方なのよ。」
泉「泉「えっ!?ほんとですか?
よく私なんかは周りから『八方美人で、ピン子さん、ゴマすって 杉村先生のところに行ってる』と言ったら先生が
『馬鹿言っちゃいけませんよ、私だって好き嫌いあるんです。選ぶ権利ありますよ』と
おっしゃってくださった。」
美輪「そう、おっしゃってたでしょ。あの方はね、
好きな方には徹底してよくなさいますよ、本当に。」
泉「そうですね。それで、美しいことに関しては、ものすごく教えてくださいました。
『あなたと私の似てるところはね、顔がまずいってことなのよ。
だから、どう美しく見せるかを覚えときなさいね』って教えてくださいました。」
美輪「着付けや、なにかもね、全部。」

泉「もう、病気になりそうなくらい。音楽の音、音病になりました。リズム、セリフで。
『奥さまぁ、テイでございまぁす』と言ったら『汚い』と言われるんです。
いまならできるんです。
『奥さま、テイでございます』って言えるんですけれど、当時は
『奥さまぁ、テイでございまぁす』って、
『汚いわね、あなた!汚い!』といわれてもう、その奥さま病になっちゃったの。
普段、普通の人、素人と電話で話しているときも
『いまのあなたの言い方、ちょっと音が違う』
『今のは汚い。「なんとかでぇ。」「で。」に「ぇ。」は入っていないでしょ』
だから『はぁい』と言うと、『「は。」と「い。」の間に「ぁ。」は入りません』とか。
いまお芝居をやって、本当にできるのは先生のおかげですね。」

~幼い頃、美容師になりたかったピン子さん。
そこには母親との複雑な関係、生い立ちのドラマがありました~

[美容師になりたかった]
国分「まず小さい頃、なりたかったのは美容師さんなんですか?」
泉「美容師なんです。」
国分「女優さんじゃなかったんですか。」
泉「自分の顔を見て、己をわかっているわよ。当時は綺麗な人しかなれなかったの。
多少耐えられる顔が出られるようになったのは、あたしと西田(敏行)くんのおかげよ 。」
国分「西田敏行さんの。」
泉「そうそう。」
国分「それに対してコメントの返しようが僕はないんですけど。」
美輪「はっはっは。」
泉「私は小さい頃からお人形さんの頭を結うのが大好きで、
小さいころから美容師 髪結いさんになりたくて。そうしたら、父が『どうしても駄目だ』って反対するんですよ。」
国分「何でですか?」
泉「いや、いた母は再婚で
うちの親父は、とんでもない奴で。ま、亡くなったんですけど、両方とも。
その『お母さん』と呼んでた、母と呼んでた人が愛人だったんです、昔、父の。」
国分「はい。」
泉「それで母は、髪結いさんで頭結ってたんですって。」
国分「生みの母が。」
泉「美容師で、反対されたの。美容師はダメだって、髪結いさん。 そういうのがあったんですね。
だけどまた近所のおしゃべりオヨネさんみたいな、おしゃべり婆が来て
『美容師になりたいの?まあ、さゆりちゃんの本当のお母さん、美容師だからね。
髪結いさんだから』って言われて。
『えっ?今いるじゃない、お母さん』。
『違うの、実は』って。小さい頃、教えてもらって。」

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