泉ピン子

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【 2007年04月21日放送】【2時間SP】パート2

今日のゲストは、女優の泉ピン子さん。

パート1からの続きです♪

ちょっと待って、神様

[2人の母]
国分「生みのお母さんていうのは、いつ頃亡くなったんですか?」
泉「私がだから2歳か3歳くらいでしょうね。」
国分「ピン子さんの中でも全然、ない訳ですよね、
その思い出というか、そういう部分っていうのは。」
泉「全然ないです。」
国分「今、目の前にいるお母さんが、ずっとお母さんだと思っていた。」
泉「大っ嫌いだったんです。そのお母さん。
だから、この人と離れるために、早く家を出たい。
それから、近所の方から聞いて“お母さん”て呼べなくなっちゃいましたね。」
国分「それはいつ頃聞いたんですか?」
泉「小学校の高学年です。」
国分「ちょうどいろんなことを、複雑に考える時期ですよね。」
泉「当時はすごくショックでしたね。だから自立して家を出ることしか考えてなかった。」
国分「どんな形であれ、自立して出ていくと。」
泉「何しろ、その家にいるのが嫌だから。」
国分「それまではお母さんと呼んでいたんですか?」
泉「もう、ランドセルをポーンとやったら、『お母さん』ですよ。」
国分「知ってから言えなくなっていくわけですか。」
泉「言えなくなっちゃった…。」

~もう“お母さん”と呼べない。幼いピン子さんが受けた衝撃は計り知れないものでした。
更に、そこには女性ならではの葛藤が潜んでいたのです~

江原「性格とか、雰囲気とか、『お母さんによく似てたよ』という話は聞きましたか?」
泉「そっくりなんですって。母が。自分でも写真をみて、びっくりしました。」
江原「ええ、そっくりなんですよ、気性も。」
泉「気性もそうですか?いますか?」
江原「ずっとですよ。ずっと、ずっと後ろに立ってます。
けれど、 いまはご自身でご存知のことも多いと思うから、大丈夫だと思うんですが、
お母さまが先ほどから言っていらっしゃるのは
『いずれ、この人生をまっとうしてね。
帰った時に話したい事が、いっぱいある』っておっしゃるんです。
『今は言わない』って。
実はお父さまのこととかも、いろんな流れがあって。」
泉「恨んでんだと思うんですよ。」
江原「うん、そう。」
泉「ほんとですよ、とんでもない男ですよね。」
江原「でも、お父さんは、一生を、ずっと、闇を抱えて生きて来たんですって。
だから、ご自身でもどんな事をしたのかも分って。」
美輪「罪の意識。」
江原「意識が。だからずっと十字架背負って生きたんです。」
泉「それで、困ったもので私はファザコンなんです。めちゃくちゃ父が好きなんですよ。
例えば新派でもなんでも観に連れていってくれたのも
杉村先生の『女の一生』に連れて行ってくれたのも父です。
ミュージカルも連れて行ってくれたのは父、『世界を見とけ』と言ったのも父なので すごいファザコンなんですよね。」
江原「けれどもね、お父さんはピン子さんと相対することで、
いつも罪の意識を持っていたんです。」

泉「でも、男らしくなかったんですよ、
2度目の母に遠慮して 洋画が好きで映画を観に行くのでも、
母に内緒で映画館の前で会うとか、帰るときも別々に帰るとか。
でも恨みきれない、すごく素敵な父だったので。」
江原「それはお母さまも一緒なんですよ。
憎んで憎んで、憎んでまでも待ったのは 愛情が裏にあるからなんです。
『そういうことも含めて、いずれ細かく話す』って言ってらっしゃるんです。」
泉「じゃあ、待っててね。」
江原「すごい葛藤があって。相当のドラマがそこにあったと思います。
お父さん自身にしても、辛いと思いますよ。
ある意味で生き写しの娘さんを、ず~っと見なきゃいけない。」
泉「ああ。」
江原「性格、気質、姿、生き写しのようなんですよ。」
美輪「そこなのよ。つまり、後妻さんに遠慮しなきゃいけないのはそこなんですよ。
もし泉さんがお母さん、先妻さんとどこも似ていなかったらそういう遠慮はいらないんですよ。
でも後妻さんもあなたのお母さまを知っているから、
それがあまりにも 何から何まで全部同じだったら…。」
泉「憎たらしくなる。」
美輪「お父さんもひとつひとつを見るたびに、ビクビクして。
後妻さんに対しての遠慮とか、気を回したりするから、どうしてもそうなってしまうんですよ。」
江原「2人共々が、ある意味で、常に突きつけられていたような生活だったと思う。」

~真実を告げられた日から大嫌いになった母。
しかし、ピン子さんの気持ちが単なる憎しみで終わらなかった事を
江原は見抜いていました~

国分「仲が悪かったという話も聞きましたけれども。
最期まで、その仲っていうのは。」
泉「ええ。最期は、母がガンになって、それで、まあ。
生活状態も私が見てたわけじゃないですか。」
江原「全部みてあげたらしいですね。それだけ仲が悪いと言いながら
『病院からなにから、全部世話して、全部調べ抜いて、助けようとしてくれた
救おうとしてくれた』って。
『早く死んじゃえと思われても当たり前なのに「長く生きろ。」って言って、
「今ある最新のものを、全部なんでも私が取り揃えるから。」って』。」
国分「育てのお母さんが言ってるんですか。」(江原さん、うなづく)
美輪「へえ、感謝してらっしゃるのね。」
江原「本当ならば、早く逝っちゃえって言われても、おかしくないのに。
全部、1番の最高のことをして。」
泉「そうですか。」
美輪「まあ、良くなさったのね、あなた。」

泉「最期に母には、前の母と同じお墓に入れて欲しいって。
死んだらもう、みんな仲良くして欲しいから。
母は嫌だったみたいなんですけど一緒に入れてるんですよね。
初めて話すんですけれども。じゃあ、まあ喜んでいるんですかね。」
江原「ものすごく喜んでいるんです。」
泉「あんまり優しいことは言えなかったです、2度目の母には。」
江原「でも充分伝わってますよね。」
泉「とんでもない女ですよ。
人が着物やったら麻雀のカタに売っちゃうんですよほんとに、もう。」
江原「お金にシビアな人だっただけに
お金に関わることはすごくよくわかるんですよ。
『そのお金を出してくれた』『これ高いだろう』とか。そうおっしゃってるんですよ。」

泉「ああ。でも、2度目の母に申し訳ないと思ってるのは、
私のために子ども堕ろしてるんですよね
生んだら、やっぱり自分の子が可愛くなるって。
で、それを母から聞いた時『バカね』って 『生んどけばよかったのにね』って。
まあ、最後は言いましたけどね
父を見送った後には、『そしたら、私みたいな娘に頼らずに
その子に頼れたじゃない?』って話しましたけど。
今の時代は、そういう事、出来ないんじゃないですかね。
やっぱり生むと思いますよ。
それは母に申し訳なかったな、って。
もうちょっと早く良い関係になれればよかったけど。
良い関係になれたのはガンからですからね。」
美輪「根底にあったのはね、女同士だったのよ。」
泉「それは、感じたことがあります。父を挟んで、女対女になっていると。」
江原「だって生き写しだったんですから。」
美輪「あなたはお父さまが大好きだし、お父さまもあなたが可愛いし
お母さまの方も立てなくてはいけないし。」
泉「で、また父が言っちゃった事あるんですよ。
『女房の替えはあるけど、子供の替えはない』って。
それからまた、いじめが激しくなって。
そりゃあやっぱり母は傷つくと思いますよ。
でも私は『やった、勝ったぞ』みたいな。
でもそのときは気持ちがわからなかったですね。」

江原「でも育てのお母さまは『それは自分がした罪』とおっしゃっているから。
お父さんとのことに関しては、やはりご自身で罪を感じて生きてきたんですね。
美輪さんがおっしゃるように、女性、女同士だったんですよね。」
美輪「亡くなってしまって、いろんなことがわかって、氷解してね、氷が溶けていくのね。」
泉「そうですね。やっぱり、ある歳にならないと理解できないですね。わからないものですね。
若いときは、ただ憎しみで。それは自分が結婚したときと変わってきてますから。」

江原「ちょっと変な事、申し上げますが、余談でね。
ピン子さんて、あの寝床、要するに布団とか。寝具だけは すっごく几帳面でしょう?きれいじゃなきゃ嫌でしょう?」
泉「はい。」
江原「もう、まっさらにしてないと嫌でしょう?」
泉「はい。」
江原「お母さん、同じだったんですよ。
それをね『一番似てる所を伝えて下さい』って、言うんですよ
それはね、いつも、もう昨日寝てました、みたいなのは嫌なの。
きれいにしないと寝れない。寝れない。嫌なの。」
泉「ははっ。」(ハンカチで涙を拭きます。)
国分「きれいにピン子さんは、してるわけですか。」
泉「そう、何だか分んないんですけど。
その日の内に洗濯しないと気がすまない。
パジャマも毎日替える。で、汚れ物1枚でもあったら、眠れないの。」
江原「あの、特にね、肌に触れる物は嫌なの。」
泉「そうなの、嫌なの。」
江原「『全部、そうじゃなきゃ嫌なのは、そっくりなんですよ』って。
『それを伝えれば分ります、どれだけ瓜2つだったか』って。」
国分「気性もそうなのかな。」
美輪「親子なのね。」
泉「ああ。」

~1989年、ピン子さんは、2歳年下の内科医と結婚。
そこには不思議な出会いがありました~

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