泉ピン子

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【 2007年04月21日放送】【2時間SP】パート3

今日のゲストは、女優の泉ピン子さん。

パート2からの続きです♪

渡る世間は鬼ばかり パート2 BOX II

[人生の転機は結婚]
国分「人生の転機の中に結婚というのが出て来ましたけれども。」
泉「たまたま、白血球が高くて病院へ。
『座頭市』っていう映画が入ってたんですけど。勝さん、あのような方ですから。
『カットしてたら、お前の役、無くなっちゃった』って言われて
ひどいでしょ、勝さん。」
国分「ええ。」
泉「『カットしていたらどうみてもお前ないんだ』っていわれて。
『ええ、そうですか』みたいな世界で。
じゃあ白血球が前から高かったし。白血病も怖いし。
で、検査して入った病院がガン研究センターってガン研っていう所で。
そこでガラガラって『担当です』って入って来たのが、
私、入って来た瞬間に、『私、この人と結婚するわ』と思って。」
国分「ええ!?」
泉「タイプじゃなかったのよ、はっきり言って。すいません。」
国分「どこで、じゃあ結婚するな、と思ったんですかね。」
泉「いや、入っきたた瞬間に『私、この人と結婚するわ』と思ったの。」
国分「タイプではないんですよね。
でも何か、それ感じるものがあった訳ですか。」
泉「いや、分んないんだけど。で、その徹子さんの『徹子の部屋』で。
『結婚、あ、全然興味ないです』とかって言ってたのに。」
国分「ええ。」
泉「何で結婚したんだか、これも分んない。」

国分「お付き合いは、ちなみに、その後は続くんですか?」
泉「1ヶ月後くらいにお礼に、担当医だったから。お礼に、お食事を。
その時、主人が、『渋谷のハチ公前で待ち合わせしたい』って言われたの
悪いけどハチ公前なんて私、立ってらんないじゃない?
悪いけど一応“泉ピン子”よ。」
(みんな笑い)
泉「それで『そこはちょっと』って言ったら。
『じゃあ、僕が知ってるのは六本木の角のアマンドなら』って、そこにはいっていくのもね。」
国分「そうですね、待ち合わせ場所が派手ですね、どちらにしろ。」
泉「で、『じゃあ人をやりますから』って言って。
マネージャー行かせて、食事行って。
で、それからやたら電話かかって来るようになって。」 国分「あ、そうなんですか。」

泉「2ヶ月か3ヶ月目ぐらい、『結婚』って言われて。
『あんたやめなさいよ』って言ったの私。
『だって家へ帰って来て電気つけるの自分よ』って。
で『夏、暑いのに冷房、入ってないよ』って。
だから、私ができたらそういう奥さんみたいな人欲しいのに。
そんなのしてあげられないんだから。『朝起きないよ』って言って。」
国分「言ったんですか。」
泉「言いました。
でも『そんなのはお互いが出来る人が、やればいい』とか
うまい事、言っちゃって、その時はね
何にもやりゃしない。『台所はお互い、立てる方が立てばいい』って。
やらないじゃない。」
(みんな笑い)

国分「でも、人生の転機になっているわけですよね。」
泉「転機ですよ。だって、そのときに主役はもう来ないと思ったもの。」
国分「そうですか。でも、その後もどんどん主役がくるわけですものね。」
美輪「いや、どんどん上り坂よね。」
泉「そうですかね。」
美輪「変な週刊誌がぼろぼろに書いたことがあったでしょう?」
泉「ほんとです、ほんとに。」
美輪「でも、あれは有名税ですよ。
何か良いことがあれば、何か悪いことがあるんです。
だけど、その後はここのところいい仕事ばかりなさってるじゃない、あなた。」
泉「最近はちょっと開き直って、今年還暦なものですから
もしそういう風に違うことを書かれたら『ぴったんこカンカン』の格好をして。
拡声器持って行っちゃおうかと思って。
最近は仕事を楽しむようになってきましたから。」
美輪「もう、けっこう、お長いわよね。」
泉「結婚は20年。持ちましたねえ
私がえらいからでしょ。違うかな?」
美輪「ふふふ。」
江原「いや、だけど。だって、お母様の引き合わせですからね、これも。」
泉「えっ!?母ですか?どっちの母です?」
江原「それは生みのお母さん。」
泉「ああ、そうですか。」

~幸せな結婚は母の引き合わせ。そして更に大きな愛が~

[母の大きな愛]
江原「実は、全部、人生をコーディネイトされてるんです。
お父さまの影響で杉村先生のことを知ったとおっしゃるけれども、それもお母さん。
杉村先生の方に向けたのも、ご主人を向けたのも、全部お母さん。
自分が果たせなかったこととか、欲しかったことを全部そうやって与えて。
だってまったく同じ気性だから。」
泉「もっといいのを寄こしてくれればよかったのに。」
美輪「また憎まれ口をきいて。」
江原「これ全然、話違うんですけどもね。」

~恩師・杉村春子さんが、どうしても伝えたい事。
それはある女優さんへの思いでした~

江原「杉村先生いらしてて。」
美輪「いらしてて。うん。」
江原「出て来られててね。で、ちょっとこれは使えないかも。
太地喜和子さんの事、もうずっと言ってる。
それでいて、その事が一番、杉村さん自身の精神的に。」
(太地喜和子 1943~1992 杉村春子の後継者と言われた名女優)
すごくよどになってたらしいんですよ。」
泉「そうなの。」
江原「それで、『これでようやく、そういうものが解けた』って。
『向こうで会って。だからもう心配しないで』って。
『もう私は泣かないから』って、こう言ってる。」

杉村春子さんが自分の後継者と期待した太地喜和子さん。
ピン子さんとも親交が深く、 また芸能界の酒豪番付に載るほど、お酒が強かった太地さん。
1992年、不慮の事故で杉村さんより早く亡くなってしまったのです~

[名女優・太地喜和子さん]
江原「そこに立ってる…杉村さんと2人で。」
(ピン子さんと国分さんの間の辺)
美輪「喜和子、覚えているでしょ。私にお説教されたことを。
酒豪番付ってね、マスコミが取り上げててね。
西の横綱、東の横綱、酒豪番付で何とかって。
あんなものは恥であっても、自慢にはならないんだよ。
杉村さんの教えもそうだし、櫛笄(こうがい)からいろんなもののお勉強をして。
どういう材料でどういう時代のものは、どういう挿し物(さしもの)を挿してたか、
全部お勉強しなさいって、私は違うテレビ局で延々と話したことがあるの。
うちのクラブやってる時も来たのよ。」
(櫛笄…江戸時代の女性用髪飾りのひとつ。金・銀・べっ甲・水晶などで作る。)
(挿し物…髪に挿して飾るもの。櫛、かんざしなど)

江原「だからですね。何でピン子さんの話なのに
喜和子さんが出て来るのか私も、ちょっと分んなかったんですよ。
美輪さんがおっしゃったことでようやくわかりましたけれども、
ご自身がそういったことをちゃんと受け入れなかったことと、
後、杉村さんがおっしゃるには、
杉村さんの中でも太地さんに対する澱(おり)があって、
ご自身が亡くなって真っ先に会わなくてはいけないのは太地さんだと。」
〔澱(おり)…水の底に沈んだ泥などの沈殿物。転じて気持ちのわだかまりの意味〕
泉「かわいがっていましたからね。」
美輪「文学座の跡を継ぐのは喜和子だって思っていらしたから。」
泉「そうですね。」
江原「で、ものごく、杉村さん自身なりにね、恨んだらしいですよ。
自分が今まで、苦労して色々来た事を
そうやって自分で後の事を滅ぼしちゃった、っていうかね
だからいろんな複雑なかわいいのとの色んな澱があって。
で、それが、そうなったっていう事を泉さんに報告している。」
泉「ああ、そうなんだ。」
美輪「あなたもすっきりだわね。聞いたらね、あなたもね。」
泉「うん。」

~不慮の死を遂げた太地さんへのわだかまりは、もう解けた。
杉村さんが、今それを伝えたかったのは泉さんへの思いからでした~

[杉村春子さんのメッセージ]
江原「これも変な事申し上げて、すいません。
太地さんが亡くなってね。で、杉村さんも亡くなって
余計に、女優として、また骨が太くなりましたでしょ?」
美輪「臍(ほぞ)が決まったでしょう?」
泉「はい。頼る人がいないから。」
美輪「それだけじゃなくて、『杉村さんやいろんな方がいなくなった跡は じゃあ私が受け継いでやろう』という風に、臍が決まったでしょう?」
泉「受け継いでなんて、大それたそんな。」

江原「あちらがそう思っているんです。
『女優さんとして頼むよ』っていうところの応援歌があるんですよ。
で、やっぱり、杉村さん自身はテレビやドラマも、そうなんだけど。
お芝居、舞台を、もっとやらせたい、と。」
泉「先生は舞台が好きでしたからね。」

江原「今日、お客さん多いんですよ
義理のお母さんもいらっしゃるし。」
泉「ええ?」
江原「だから杉村さんだけじゃなくって。
だから、悪態突き合ったお母さんもいらっしゃるし
お父さんは影隠れるようにして、じっと見てるし。」
泉「弱いんだ、やっぱり男って、気が。」
美輪「うふ。」

~偉大なる先輩に見守られているピン子さん。
この後、全てを解き明かす物語が~

【スピリチュアル・メッセージ】
国分「では江原さん、どんなメッセージが。」
江原「いや、もうメッセージずっと言い続けて来ちゃってた所も ありますけどもね。
ただ実はね、私、それが美輪さんとのご縁なのかな、とも思うんですけど。
泉さんね、実は前に生まれてた時、歌手だったんですよ
要するに、シャンソンとか、そういう、だから、フランスで。」
泉「大好きなの。」
江原「そういう風に美輪さんみたいに歌ってらっしゃったんですよ。」
泉「ええ~。」

江原「で、散々な目にもいっぱい遭ったんだけど。
要するにお店とか色んな場所、歌う場所とか、そういった事での色んな苦労を重ねながら、
自分自身で歌い続けて行った人生なんですよ。」
泉「私、現世もキャバレー時代も長かったんですけど。」
江原「だから、そういう時って。」
泉「色んな場所、行って日本全国。」
美輪「それ前世でやった事の続きなの。」
泉「続きやってたんですかあ。」
美輪「うん。」
江原「だからね、泉さん、今日もお着物お召しになってらっしゃるし、
お仕事、ドラマの役者さんの上でも
何となく和のイメージ強いじゃないですか。でも実は、むしろ洋なんですよ。」
国分「ほお。」

[実は洋風な人]
泉「私ね。『おしん』とか、そういうのやってる時に。
イメージがすごく、そういう風に思われるでしょう?
私、モダンな事が好きで。全然、和じゃないんです。ほんとは。」
江原「ですよね。お家の中もそうですよね。
申し訳ないけどヨーロピアンなお家で、お城の中とかホテルの中にいるみたいなね。」
国分「へえ。」
江原「そういう感じにみえて。だから全然イメージが。
私も今日初めてお目にかかって。どっちかと言うと和のイメージ。」
泉「アールデコとか、要するにアールヌーボーが好きだから。その時代が好きなの。」
(アールヌーボー…19世紀から29世紀初頭にヨーロッパで流行した曲線を多用した芸術様式)
江原「そういう時代ですもん。歌ってらっしゃったの。」
泉「ああ。どっちかっていうと、まあ、こういう椅子ですか。」
美輪「これアールヌーボーの様式よね。」
泉「そうなの。」
美輪「そうそう。」
泉「皆ね、家来てね、長火鉢とか置いてあるの?バカ言え!っていうの。
センス良いのよ、悪いけど。」
国分「悪いって言ってないですから。」
泉「『全然、イメージ違う』って皆に言われます。」
美輪「だって、あなたが初めてよ、ゲストでいらして
これ見てね『あ、アールヌーボー』って言ったのは。」
国分「椅子、気にした人いないですね。」
美輪「その様式をね、椅子の、ほら製作の形の様式がアールデコとかアールヌーボーだ。
それ16世紀様式とか色々あるのよ
美輪「それをピン子さんが初めておっしゃったの。」
泉「私、美輪さんの舞台をみに行って好きなのは、本物が置いてあるから好きなんですよ。」
美輪「同じ病気なのね。」
泉「インテリアデザイナーになりたいなと思うくらい好き、眼が肥えているんです。」
美輪「前世がフランス人なら。フランス人はみんなそうですから。」
泉「そのままフランスに生まれていたらどうなっていたんだろうね。」
美輪「そうはいかない。」
泉「だって旅回りみたいなシャンソン歌手で、また日本に生まれてキャバレー回り。
行っていないのは、佐渡島と奄美大島だけ。全国に行ったんです。」
美輪「それが全部、栄養になったわけじゃありませんか。」
泉「そうなんです。」

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