梅沢富美男

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【 2007年09月15日放送】【111回】パート2

今日のゲストは、女形で話題となり「下町の玉三郎。」と呼ばれた俳優の梅沢富美男さん。

パート1からの続きです♪

居酒屋 富美男

[天才子役、現る!]
梅沢「僕は1歳7ヶ月でデビューしたんですよ。
僕が生まれた時に『伊那の勘太郎』という、当時流行っていたんですよ。
それを踊ったんです。」
美輪「~影か柳か勘太郎さんか~っていう歌があるの。」

梅沢「昔はお芝居を3本やっていましてね。
お芝居が中心だったんですけど、お袋はもともと娘歌舞伎の座長さんでしたから、
踊りをよくやっていたんです。
だから、『これからの役者は踊ったり歌ったりしなくてはいかんよ』って
舞踊ショーというのを作ったんです。
僕は役者さんをみていたんだと思うんですね。
お芝居が終わったときに、お袋が下でお化粧を直していたら
いきなりお客さんがわぁ~っと騒いだものだから
ケガでもしたんじゃないかと舞台に上がったら、
たまたまかかっていた『伊那の勘太郎』を僕が花道で踊っていたんですね。
1歳7ヶ月ですからおしめして。
それ、お客さんが、もうやんや、やんや。」

お袋がこれはおもしろいということで、
僕にカツラと衣装を着けて出したら『天才子役現れる』って新聞に出て。
親父が『この子はいい役者になるよ』と言って。
僕はお芝居が好きでいつも花道とかで見ていたんです。
すぐ上の兄は寝ていたんです
『寝てる子供は駄目だ。起きてお芝居をじっと見ているような子供が上手くなるんだよ』
僕はすぐ子役としてデビューして、ずっとスターでいたんですね。」

~天才子役と騒がれ、デビューした時からスターだった梅沢さん。
しかし旅回りの役者生活では学校に行く事は出来ません。
小学校に通う年齢になると、家族の元を離れ、
福島の祖母に預れる事になります~

[福島の小学校へ]
梅沢「学校に行かなくてはならないから、
福島のおばあちゃんのところに預けられて。
僕のお付きに大人の女性の方が5、6人いて
読み書きを教えてくれたものですから。
昭和25年生まれ、小学校1年のときは32年、ひらがなすら書けないような 鼻を垂らした子供がいっぱいいる横で、
僕は池田富美男って漢字で書けましたから。
東京から行ったもんですから半ズボンで、1人浮いていましたけれどね。
国分「ああ。」
梅沢「何、こんな汚い所いるのかな、と思って
で、おばあちゃんの所へ帰って『何で鼻たらしてんの?』って言ったら
おばあちゃんも、ちょっと言い難かったんじゃないですかね。
『悪い脳ミソが鼻から出てんだよ』」
国分「ははは。」
梅沢「そうしたら急にうちが貧乏になってしまって、裕福だったのが
テレビとか映画が大ヒットして実演をみなくなってしまった。」
美輪「終戦後まではよかったんだけど、テレビが出てきて、
地方を回っている劇団の人は本当に苦労したのね、お客が入らなくて。」
梅沢「僕は座長の子供で、親父はもともと軍人でしたから
『義務教育は必ず受けさせなければ駄目だ』といって、福島に預けられたんです。

で僕、小学校3年生の時にアルバイトも新聞配達もしたりして、
最後はなにも出来なくなって。
それで、あるお兄ちゃんがその町内の子ども集めて
金偏ブームといって鉄がよく売れたんですよ。」
(金偏ブーム…鉄や銅などの金属が高騰し、子どもの鉄くず拾いが流行した)
工場に行けば鉄がいっぱいあるから、取りに行こうという話になって。
僕は小さいから持ちきれない、1個だけ持って出ればいいのに
2つ袋に入れて逃げようとしたら、捕まっちゃったんです。
『すぐ警察に突き出してやる』となったときに、お芝居みたいですよ。
後ろから『やめなさい!』と工場の奥さんが出てきて。
『勘弁してあげなさい。ぼくね、そういう悪いこと』と僕の顔を見た途端に 『トンちゃん?』と言ったんですね。
『はい』と言ったら、わぁっと泣いて。
お袋のお弟子さんだったんです。」
美輪「まあ。」
梅沢「それでお袋に電話をして。
『迎えに来てやってくれ。あんな名子役だったトンちゃんがあんなに汚くなって とっても見られないから』
もう鼻も垂らしていましたから。」
江原「ははは。」
国分「そっち側に行ってるわけですね。」
梅沢「それでうちの兄貴が迎えに来てくれた。
劇団というのは、やはり腕のいい方が上に行きますから、
僕はとても上手だったし、兄貴はまだペーペーで。
だから梅沢武生をアゴの先で使っていて、
その兄貴が、僕を見て、男泣きに泣けたんでしょうね。
あんまり情けなく思って。
で僕、抱きしめながら泣いて。
その兄貴が僕を見て抱きしめながら、
男泣きに泣いてすぐに親父のところに連れて行って
『俺が面倒を見るから、この子を福島から出してくれ。俺の手元に』と。」
美輪「立派だわね。」
梅沢「もうそのひと言で僕は群馬県行ったんです。
だから、俺は『この人には一生頭が上がらないな』とその時に誓ったんです。」

~俺が面倒を見るから、と家族に訴え、弟を連れ戻した兄・武生さん。
そして役者に戻った梅沢さんが女形として一世を風靡したのも、兄のおかげでした~

[下町の玉三郎 誕生秘話]
国分「梅沢さんの女形になったきっかけっていうのは?」
梅沢「それも、梅沢武生です。女形やってみろって。」
国分「え~。どんなきっかけで。」
梅沢「変な話ですけど、役者ってそろそろ色気のある歳になるというのがあるんですね。
僕は15で役者を目指しましたから、10年経って、いろいろな役はやりましたけれど
女形はやっていないので『やってみろ』と。嫌だったですよ。」
国分「女性になる、という事が。」
梅沢「だって、腰巻、襦袢を着けて、しなしな踊るのは嫌だなと思っていましたけれども
お袋も親父も、座長の言うことは、『はい』と言って聞きなさい。
人前では、座長が白と言ったら白、黒っぽいなと思っても白よ、と。
じゃあ、まあやってみようかな、と思って。
それで、どうやったらいいんだろう?ってすごい悩んだんですよ。」
国分「はい。」
梅沢「そうしたら兄貴が『いろんなものを見ても、自分の中で消化はできないだろう。
お前は女好きなんだから、女を見て勉強すればいいじゃないか』と。」
国分「はあ。」
梅沢「これは簡単だなと思って。」
美輪「ははは。」
国分「納得がいったわけですか。」
梅沢「納得しない事、やりたくないタイプですから。
あ、そっかと。俺、女好きだった。近くにいっぱいいるですからね。」
国分「はは、はい。」
梅沢「じゃあ観察しよう、と思って。それで女性を見るようになって。」
国分「ちゃんと観察で生まれたんですか。」
梅沢「『役者は見て真似ろ』っていう1つの教えがありますから。
良い事は真似てみなって。で、悪い事も1回やってみんだよ。
自分の中で、『あ、これはダメだな』と思ったら捨てるんだよ、っていう事。」

美輪「あの新派の花柳章太郎さんも、そうでしたね。」
梅沢「ええ。」
美輪「あの人もとても女の方、お好きな方だったんだけど。」
〔花柳章太郎(1849~1965)…新派の名女形〕
梅沢「そうですってね。」
美輪「あの方、ホモセクシュアルでもなんでもないのよ。
だけどね、向こう岸から観察するから見えるのよ。
渦巻きには渦巻き自身の形は見えないの。
渦巻きの形も、向こう岸、松の岸、桜の岸から見えるから
どういう風に流れているか、渦巻きの形に見えるのね。
それと同じように、花柳さんも、花柳界の女とか、素人の奥さまとか
山の手の奥さま、下町の奥さまをじーっと見てね
言葉の喋り方と襟の抜き方ね。で立ち上がり方、
それで御守殿(ごしゅでん)ってのはね
こうやって右から立つと。ここが、こう開くのよ。」
〔御守殿(女中)…位の高い御殿女中のこと〕
右から立つと着物の裾が開いて行儀が悪いから。左から立つと中が見えない。」
国分「はあ~。」
梅沢「そういうことをじ~っと見ていた。
長谷川一夫さんもそうおっしゃっていた。」
梅沢「僕は見すぎて警察に捕まりましたから。」
(みんな笑い)

国分「見過ぎて、警察に捕まったんですか?」
梅沢「女性がお風呂上がる時って、花柳界なんかもそうなんですけど。
温泉、お風呂に行きますよね。出てくる時って浴衣着て出て来ますから。
その時に下着なんか着けてないんですよ。
昔の着物着て下着なんか着ける人、いませんでしたから
夏でしたから、いくらキレイに拭いても汗が出るから、
汗染みで浴衣がお尻にピタッて、吸い付くんですよね。
それがこう揺れるんです。いや、色っぽいな、と思ってね。
それ見たくて、2日間くらいお風呂場に張ってたら、
後ろから『おい、お前、ちょっと来い』って言われて。」
国分「それは、どうなんですか?勉強じゃないですよね、ほぼもう。」
梅沢「いや、勉強ですよ!」
国分「ほんとですか?」
梅沢「勉強ですよ。警察で『これ、勉強なんです!』って言っても 信用しなかったんですけど、
調書書かされて。『もう、この辺はウロウロするな』って言われて。」

~兄の勧めで女形となった梅沢さん。
その美しさから、“下町の玉三郎”と呼ばれ
舞台以外にも活躍の場を広げて行きます~

~さらに歌手としてもヒットを飛ばし
大衆演劇が生んだ最大のスターの地位を築くのです。
大衆演劇の世界で女形の頂点を極めた梅沢富美男さん。
大劇場で数々の動員記録を打ち立てるほど
成功を収める事が出来たのはなぜなのか?
さらに今も梅沢さんを案じる母の思いとは~

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