アグネス・チャン

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【 2007年11月24日放送】【2時間SP】パート1

今日のゲストは、香港出身の70年代のアイドル歌手で、日本ユニセフ協会大使など幅広く活躍されているアグネス・チャンさん。

みんな地球に生きるひと (Part3) (岩波ジュニア新書 (554))

~香港が生んだ70年代のスーパーアイドル
アグネス・チャン。愛と試練の人生
トップスターの地位を捨て、カナダへ留学。
難民キャンプで知った悲しい現実
世界の子ども達を救う活動へと導かれ
そして、今年病の試練を乗り越えた彼女を 支え続ける最愛の父の教えとは

アグネス「私は30年前、お父さんを亡くしました。
あれから、いつも自分何か結論出す時には
お父さんが応援してくれそうな方へ選んで来たんですね。
うん、だけど、本当にそれでよかったのかな、と
確かめる方法が無かったですね。是非
お父さんに『それでよかったんですか?』って聞いてみたいです

今は亡き父のメッセージ、今夜届けられます~

~アグネス・チャンさん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【アグネス・チャン スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言で⇒真面目だと思います。
不思議な体験⇒高校か中学のとき、テストの前に化学(ばけがく)の勉強をするとき 必ず金縛りになりました。
尊敬する人⇒マザー・テレサ
人生の転機⇒85年にエチオピアに行ったときだと思います。
幸運を感じたことは?⇒乳がんを早期に自分で発見したこと。

スピリチュアルな世界に興味はありますか?と国分さんに聞かれ、
アグネスさんは「自分より大きい存在、神様とかはいると思います。
私、クリスチャンだし、だからやっぱり信じますね。
歩くべき道があるとか、そういうのを信じます。」とコメント。

~1955年(8月20日)、中国に返還される前の香港で 6人兄弟の3女として生まれた
アグネスさん。姉弟の中では目立たない存在でした
12歳の時、難民の子ども達を助けるボランティア活動を始め
チャリティコンサートで歌った事がきっかけで歌手になりました
反対する父親を説得し1972年来日
草原の輝きで、数々の新人賞を受賞。 日本でもトップアイドルの座を獲得したのです~

[ボランティアで歌手に]
国分「デビューのきっかけというのは、ボランティアなんですか?」
アグネス「そのときは香港はあまり豊かじゃないところだったんですけど
だから難民の子とか、目の見えない子とか、親のいない子とかと接して。
食べ物がないんですよ。特に難民の子はほとんど生ゴミの毎日だったから。
それでやはり食べ物を集めてあげたくて、学校で昼ごはんのときに グループを組んで歌って。
それが噂になって、14歳で声をかけられて 『歌を歌ってみませんか?』って言われたんです。」

[日本のアイドルに]
国分「日本に来たのはその何年後ですか?」
アグネス「17歳、3年後ですね。」
国分「すぐに自分で日本に行こうって思えましたか?」
アグネス「実は、思いました。ちょうど70年に大坂の万博がありましたよね。
香港でもすごい報道されて、すごく憧れていた。だから行きたかったんですね。
親を一生懸命、説得して、許してくれたのは17歳のときで。」
国分「日本で一番辛いなと思ったことは、どんなことですか?」
アグネス「やはり香港で歌っていた自分と、日本で歌う自分と、ギャップがあるわけですね。
香港ではギターを弾いて歌っていた子ですから、絶対笑わない子だったし
世の中に苦しみがいっぱいあるから、何を笑うかって。
ジョーン・バエズ(1941~ アメリカのフォーク歌手)に憧れていたから、
ああいう人になりたいとか思ったの。」
美輪「だってジョーン・バエズはね、反戦歌、戦争反対だとか、差別撤廃だとか
それを歌にして歌っている人、メッセージソングだから。」
アグネス「そうそう。それで、真剣に歌っていると怒られる。
アイドルは笑わなきゃいけないんだ、笑った方が可愛い
お前は笑わないと可愛くないよとか言われて
だから『笑え、笑え!』ってずっと言われて。」
国分「『ひなげしの花』がデモテープで上がってきたときは
これ、私が本当に歌うの?って感じだったんですか?」
アグネス「びっくりしました。とてもメロディが変わっていますよね。
『丘の上』っていきなり跳ね上がりますから。
もう、本当に最初はびっくりして『丘の上~』って
自分風にギターでアレンジしてやったんですね。『そんなの駄目だ』と言われて。」

~アイドルとして人気絶頂だったアグネスさん。
休めない眠れない、当然、学校にも行けないという日々を送っていました。
こんな生活をしていたら娘がダメになってしまう…。
娘の危機を感じた父に説得されてアグネスさんは芸能界から引退する事を決意しました。
カナダのトロント大学へ留学する道を選んだのです~

[父の勧めで芸能界を引退]
国分「お父さんはなぜそんなに強く留学を勧めたんですか?」
アグネス「私の仕事を日本に見に来て、やはり忙しすぎると言っていましたね。
眠れないし、満足に食べられない。ちゃんと学校にもいけない。
周りが何でもやってくれていたから、もう『自分の価値がわからない。駄目な人間になる』と。
『お金や名声というのは流れもので、奪われるものだ』と。
火事や泥棒や戦争にあったりすると、全部0になるんですけど
『一度頭の中に入った知識は、奪うことができないよ』と
その言葉は、本当に私、納得しました。
わかった。じゃあ、卒業するまでは、ちゃんと勉強しますって、カナダに行ったんです。」

[父の思い出]
国分「どんなお父さんだったんですか?」
アグネス「お父さんは私から見れば、本当に良いお父さんだった。
香港にいるときは、微妙な立場じゃないですか。
中国が内戦で割れて、たくさんの難民が香港に流れ込んで。」
美輪「ものすごかったですものね、あの頃の難民といったら。」
アグネス「すごかったです。
父はもともと香港生まれで、イギリスの植民地だから英語も喋れた。
だから仕事を探せるし、職には就けるわけなんです。
だから香港に流れてきた親戚の面倒もみんな見て、 仕送りもして、
いつも私たち家族は後回しにされて
母親はすごく怒ってたんです。
うちも6人もいるのに、そんなに人の面倒を見てる場合じゃないよ。
うちの子、靴も買えないんだから。
学費も払えないから、毎週、毎週、忘れた、忘れたって。
そういう思いをさせて、人の面倒をみるのかって。
お父さんはいつもうつむいて黙って聞いているの。
でも、月末になるとまたみんなにお金を配っちゃうの。
小さいときは『こんなにお腹がへってるのに』とか思うんだけど、
大人になってみたらそのお父さんが愛おしくてああ、すごいなあと思う。」
美輪「優しい方だったのね。」
アグネス「すごく目立つ姉が二人いて、すごく可愛い子と頭のいい子がいて
その下が私だったのね。
だから母親はいつも親戚に私のことを指して、
ごめんね。この子を妊娠したときは、家計が一番苦しくて、あまり食べ物がなかったから
お姉ちゃんみたいに産めなかった、と謝るんですよ。」
国分「すごいですね、それは。」
美輪「はっはっは。」

アグネス「謝られるたびになんだか自分の性格がどんどん暗くなっていく感じがしたんですよ。
だけど、父は違うの。『この子が一番可愛いんだ』と、 いつもかばってくれたんですよ。
だから皆が『父はえこひいき』って言う。
私はすごくパパっ子だったんですね。」

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