林家正蔵

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【 2008年08月16日放送】【2時間SP 亡き人を偲ぶスペシャル】パート1

今日のゲストは、昭和の爆笑王・林家三平さんを父に持つ九代目 林家正蔵さん。

[江原さん、美輪さんについて]
国分さんいわく、TOKIOは5人中3人が落語の作品に携っているそうです。
国分さんも映画をやらせてもらって、山口くんは『三平物語』で
三平さんを演じているとのこと。
すると正蔵さんが、「長瀬さんは『タイガー&ドラゴン』という作品で、
だから今日の落語ブームがあるのも、TOKIOのおかげだなと。
何てお礼を言っていいのか。
落語家全員みんな『ありがとう』って思ってます」

タイガー&ドラゴン「三枚起請の回」

正蔵さんは 江原さん、美輪さんに会うのは初めてなのだそうですが、
父親の林家三平さんは、美輪さんの銀座7丁目のシャンソンのライブハウス「銀巴里」に よく訪れていたとか。
とてもまじめで芸熱心な方だった、と美輪さん。

1962年に正蔵さんがお生まれになった頃には、三平さんは日本で初めてのマルチタレントとして司会、歌手、CM、映画出演と大活躍されていたそうです…。

国分「でも、どうですか、お父さんが有名人ということで、
子供の頃は大変だったこともあるんじゃないですか?」
林家「まあ芸能人の親御さんを持つ方は皆さんそうだと思うんですけど からかわれました?」
国分「お父さんのことでですか?」
林家「はい。『お前の父ちゃん、三平だろ?』と。『お前も何かおもしろいこと言えよ。』と。
言えるわけないじゃないですか。
ある日、いじめられて帰った日に母に 『父ちゃんなんか落語家辞めちゃえばいいんだ!』ということを言ったんですね。
『父ちゃんがあんなことをやってるから笑われるんだ。
父ちゃんだってみんなに笑われてるんじゃないか。』 って。
初めてお袋に、ぽっぺた、パーンって殴られて 『笑われてるんじゃないんだ。笑わしてるんだ。笑って皆さんに喜んでいただいているんじゃないか。だからお前、学校に行けるんだろう?』
で、その日は 『早く寝ちゃえ』って言われて寝て、夜中の3時くらいにね、起こされて、 父の勉強部屋の前まで。
昔のことですから、冷たい廊下です。
歩いていって『ちょっとのぞいてみろ。』と。
これぐらい父の部屋を開けたら、うちの父親がテレビではこうやって
(手を頭にあてるポーズで) 一生懸命、落語をやっている父親が、
汗止めに手ぬぐいで鉢巻をして。
原稿用紙に向って、正座して、浴衣姿で一生懸命、明日やるネタを考えているんです。
それはもうとても運動会やテレビでみるような、いつもの普段の父親とは違う顔なんです。
一生懸命、ネタを書いているんです。
『父ちゃんはああやって、みんなに喜んでもらうための小話を考えているんだ。見てみろ。』
『本当だ、父ちゃん一生懸命、仕事してる』って。
そのとき、何か一生懸命 人様に喜んでもらうために汗水流している父親の 真の姿を見ちゃった気がしたんですね。」
美輪「真面目なところを見せちゃっては商売にならないんですよ。
そういう真面目なところやね、熱心なところ、そういうものを毛ほども見せたら
それを引きずっちゃってお客が見るから、しらけちゃうでしょう?
『あ、これ作ってやってるんだ。本当は違うんだ。』
あくまでも 『私生活もこういう馬鹿ですよ、すっとんきょうですよ。』って見せとかないと、お客が安心しないの。
そういうものを全部、計算していらしたの。」
林家「そうなんですね。で、原稿用紙のネタがまた見えるんですよ。
ちょうどパンダが日本に来たときの小話で『パンダは何食べる?』『パンだ』って考えてる。
そんなに真剣に考えるほどのネタでもないんじゃないかなあ、って思うわけですよ。
次の日の『日曜演芸会』とかいう寄席中継で『パンダ何食べる?』『パンだ』
ってやると お客さんがウワッと、そんな何かね父親だったんですよ」

~高座からお客さんに話しかけるなど、三平さんの芸風は落語の常識をくつがえすものだったのです~

*:.。.:*☆*.。.:*
立川志の輔さんの言葉
「1つの物語じゃなくて、まるでその時、思いついたような感じでしゃべり切れるっていうのはこれ、相当高座以外のところで、構成といい、何といい、しっかりとしてなきゃ 絶対できないことですもんね。
『果たして落語なのか、どうなのか』とかって言われ続けながら 涙が出るほど笑わせる
『これはもう、落語とか落語でないとかは、どうでもいいじゃん!』っていうぐらいに、 僕の中での落語の概念を変えた方ですよね。」
*:.。.:*☆*.。.:*

国分「改めてお父さん、三平さんはすごい落語家ですよね。」
林家「落語のタブーですよね。
古典落語のタブーとして、まず 『立ち上がってはいけない』
それから 『下座音楽というものを舞台の脇で、見えるようにやってはいけない』
それから 『客いじりをしてはいけない』
全部のタブーを」
国分「客いじりもしちゃいけないんですか?」
林家「いけなんです。」
国分「十八番ですよね、客いじり。」
林家「はい。もう、ずるいくらいにそれを取っ払っちゃって、とにかく喜んでもらう、 楽しんでもらう、を第一義にしたので、だから大変にご批判もあったようですね」
美輪「やっぱりねたみ、そねみ、ひがみもあるんですよ。
それと、これはどこの世界でもね、最初の開拓者はね、潰そうとかかる人たちがいるんです。
それはほとんどが劣等感。だからそれを気になさらない方がいいんですよ。
もうそれは、ねたみ、そねみ、ひがみだから。」
林家「はい。」

国分「弟子入りをしようと思ったのは、いつ頃なんですか?」
林家「父親には『落語家になりなさい』と言われたことがないんです。
あの、弟は言われて育った、って言うんですけれども、私は祖母がきっかけなんです。
七代目の家内である祖母が、私が落語家になるきっかけなんです。
私が15歳のときだったんですが『お願いがあるんだけど』『なあに?』って聞いたら、
『落語家にならない?』と祖母が言うわけですよ。
『何で?』って聞いたら 『昔、15歳って元服といって、男が一生の仕事を決める時期なんだ』と。
『私はあなたのお祖父ちゃんの家内で、おじいちゃんはすごい落語家だったんだ。』と。
『お前のお父さんはものすごい落語家なんだ。もし、お前の高座姿を見ることができたら、
おばあちゃんは、もう死んでもいい。
だから私の目の黒いうちに落語家になってくれ。』
それが、祖母が77歳のとき。
そう言われると 『おばあちゃんがもし死んじゃったら、高座姿は見られないだろう。』と。
『何て不幸をするんだろう』と思ったので、落語家になったんです。
そのあと、祖母は90近くまで生きるんですよ。騙された、と思いました。
『高校もまともに行きたかったな、ばあちゃん、どうしてだよ。』ってやられましたね。」

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