林家正蔵

Sponsored Links

【 2008年08月16日放送】【2時間SP 亡き人を偲ぶスペシャル】パート2

今日のゲストは、昭和の爆笑王・林家三平さんを父に持つ九代目 林家正蔵さん。

パート1からの続きです♪

~15歳で三平さんに弟子入りし『林家こぶ平』となった日から、
お父様は鬼の師匠に変わったのです~

[林家三平に弟子入り]
国分「これは、複雑だと思うんですけれども、父から師匠になるわけですよね?
そこでもう、親子関係というのはなくなっていくんですか?」
林家「全くなくなりました。すごく厳しかったです。
本当に、弟子の中でも 私が一番殴られたんじゃないかなって。
他の兄弟子さんが 『もう、師匠、あの、こぶちゃんもわかってるから、
もう打つのはそれくらいで 勘弁してやって下さい。』って」
国分「周りが止めるくらいですか?」
林家「はい。」
美輪「一番愛している人には、一番立派になって欲しいのよ。
だから、 どうでもいい人だったら厳しくしたって恨まれるばっかりだから、厳しくしませんよ。 する必要がないんだもの」
林家「でも、弟子入りして、本当に辛かった。
『こんなにひどい扱いを受けなくてもいいんじゃないか』っていうくらい厳しかったです」
江原「師匠は正蔵さんのことを、やはりとってもかわいそうに思っていたみたいでね。」
林家「かわいそう?」
江原「うん。だって実は一番、傷つきやすいタイプって、師匠なんですよ。」
林家「うちの父親が?」
江原「人から言われた言葉、陰口を流しているようで、全然、流していないですよ。」
林家「うちの父親ですか?」
江原「ええ。」
美輪「繊細な人だもの。ものすごくデリケートで気の小さな人だから。」
林家「そうですか。」
江原「当時、こぶ平さんに厳しくしてるのも、わかってなくてすることはないです。
一番自分が傷つきやすいわけだから、息子さんがどれだけ傷ついているかっていうのも もちろん重々承知の上です」
美輪「だからそれが、結局、お弟子さんがね『まあまあ』って止めに入るぐらいに 殴ったり蹴飛ばしたり、
あなたのことをものすごく、誰よりも厳しくしたというのは
そうすればお弟子さんたちが、あなたを同情してかわいがってくれると思ったわけ。」
林家「なるほど。」
美輪「かわいがって欲しいわけですよ、みんなに。そうなの。」
林家「はいそうですね。」
美輪「逆に、自分が優しくして、手加減したりかわいがったら、
お弟子があなたに対して邪険になる。だからその逆に。その計算をなさったのね。」
江原「全部、計算です。」
美輪「みんなにかわいがってもらえるように。」

林家三平ものがたり ディレクターズカット完全版

~正蔵さんが三平さんの指導を受けられたのは9ヶ月。
1979年に脳内出血で倒れた三平さんは、言語障害、右半身不随になりながらも 懸命のリハビリによって年内に高座に復帰。
ところが翌年 肝臓がんで再び入院され、
その2日後に54歳という若さで亡くなったのです~

国分「師匠にとって、弟子の関係の2年間というのは、短かったですか?」
林家「もし運命とか、神様とかいうものがあったら、ちょっと私は文句を言いたいのが 父からね、いったん言葉を奪っているんです。
脳の病気で倒れたときに、麻痺と言語障害があったんですね。
ものすごく辛い、リハビリをしたんです。
それで戻って、新宿の末広亭で前座で私もおりましたので、舞台袖でもう 涙が止まらなくなったんですね。
『ああ、良かったなあ』と思ったら、本当に短い2年ぐらいの間で、ガンで旅立ってしまうのですね。
せっかく高座に復帰したのに、あの世に行ってしまうことはないんじゃないかなあって
ちょっとこう文句が言いたい部分があるんですね。」

2005年、九代目を襲名。三平さんが全うできなかった落語家の道を歩みつつある 正蔵さんに送られるメッセージとは~

【スピリチャル メッセージ】
[三平さんの前世]

江原「これも夢物語と思って聞いて下さい。三平師匠ね、亡くなっているけれど、
そのまた前世って日本じゃない、西洋人なんですよ。コメディアンなの。」
林家「ええ?」
江原「燕尾服着てる。だからいま何を着ているかというと、着物じゃないんですよ、 袴でもないんですよ、燕尾服なの。
それでシルクハット。だから本当は、落語家になりたいんじゃない」
林家「うちの父親?」
江原「うん。どっちかというと、ミュージカルをやったりとか。コメディアンとか。」

林家「おっしゃる通りなんです。当時、日劇でバンドボーイを前座をやりながら、音楽とか、コメディとか、ものすごくその…。」
美輪「シャンソンとかジャズ。」
林家「はい、おしゃれな、どちらかと言うとクラシカルな、落語というものよりは 華やいだエンターティメントの方が、父親は。」
美輪「だから銀パリにしょっちゅういらしていたの。」
江原「うん。それこそパリのマキシムじゃないけれども、華やかな。」
林家「フランスが大好きで、あの亡くなる前に旅行した時、やっぱりフランスに行ってるんです。」
江原「前世だから。」

次ページへ⇒パート2へ続きます♪

Sponsored Links

このページの先頭へ