黒沢年雄
【 2007年06月09日放送】【100回】パート1
今日のゲストは、俳優で、歌手でもあり、「時には娼婦のように。」のヒット曲もある黒沢年雄(黒沢年男)さん。(200年に黒沢年男から黒沢年雄へ改名されます。)
【オープニング】
国分「今日のゲストはですね。1944年生まれの方でございます。
1944年といいますと、戦時中だと思うんですけども
美輪さんは、その時、長崎に…。」
美輪「長崎で、ええと、原爆が、その翌(昭和)20年でしょ
もう、負け戦の噂がずいぶん、飛んでた頃ですよ。
日本中、とにかくもう大変な時期でね。
食べる物も、着る物も、住む所もない。
ほんとに、あの頃は思い出したくもないですよ。」
国分「負けるって分っていながらも、戦いは続いていたっていう事ですか。」
美輪「ただ意地で。
向こうは原爆作ってる時に、私達は竹槍作ってたのよ。」
勝てるわけないでしょ?それなのにね、そんな事。
女の子もね、モンペはいてセーラー服でハチマキして。
それでねなぎなたで戦って、なぎなたの練習してたの。」
国分「いや、考えられないですね。
僕等、経験した事ないんで、想像出来ない時代ですね。」
江「ねえ~」
国分「さあ、今回のゲストの方は、僕は、何度か
バラエティ番組トーク番組なんかでお会いしてるんですけども…。
まあ、天然の方ですね。」
美輪「私、大好きなの。もうかわいいでしょう、あの人。」
国分「かわいいですよね。子どものまんまっていう感じが。」
美輪「ねえ。純粋でね。」
国分「さあ、どんな話が聞けるんでしょうか。」
~1944年 2月4日 神奈川県 横浜生まれ。
幼い頃から数々の不思議な体験が。」
16歳で母を亡くし、苦労の後、映画スターに
(「めぐりあい。」1968年東宝 監督:恩地日出夫)
しかし、スターの地位は束の間でした
歌手として再びスターの座に返り咲いたものの…
(日本有線大賞 第11回上期 時には娼婦のように)
豪邸を建てたら主役降板。さらに!大腸ガンを患う。
波乱の人生の理由とは?
そして、今は亡き母の心配~
~黒沢年雄さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~
【黒沢年雄 スピリチュアルチェック】
自分の性格をひと言でいうと⇒とても楽しい人
小さい頃なりたかった職業⇒スター
苦手なもの⇒クモ
不思議な体験は?⇒何度も死にかけています。
人生の転機⇒おふくろの死、東宝映画の専属契約の解除、そして、大腸ガンです
国分「美輪さんとは、初めまして?」
黒沢「いやいや、何度かお会いしてますよ
はい。何年か前にお会いした時の言葉が忘れられない。
もう、お忘れになってると思うんですけど。
人間が成功して、いい家を作って。調子に乗って
もっといい家を作ろうとすると必ず不幸が来る、と。
実際、僕もそうだったんです。」
国分「その当時、作ろうと思ってたって事ですか。」
黒沢「いや、違うんです、一つ、そこそこの家を買ったんですよ。
もっと、いい家を建てた。その時、大腸ガンやりましたから
それから、また引っ越して、また立ち上がったんですよ。
もっとちっちゃい家。」
美輪「だからいつも言っている『正負の法則』ですよ。
何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得られる。
その話をなさっているの。」
国分「江原さんとは・・・。」
黒沢「はじめまして。嫌ですね。何を言われるか、わからない。」
[不思議体験が多い]
黒沢「結構ね、僕、不思議な体験をしているんですよ。」
美輪「そうでしょうね。」
黒沢「それ分りますか。」
美輪「うふふ。」
黒沢「中学か小学か覚えてないんだけどね。
お風呂の帰りに、帰っていったら
大きな火の玉が3回、回って消えたんですよ
それがね、信じられないんだけど幅が2メートル。
横がね、6メートルぐらいの火の玉。
誰に言っても信じないですよ。
翌日、その家の人が亡くなっていました。」
国分「ええ!?」
黒沢「それからね、おふくろが死ぬ前にね。
手の平くらいの真っ黒なクモが玄関に毎日出た。
それで、ほうきでね追うとバサッバサッて逃げるんですよ。
それで、おふくろ亡くなった途端に出なくなった。
そういう蓄積があるんですよね。
中学1年生ぐらいの時ね。車にはねられて、急ブレーキかけて飛ばされたんですよ。
ボンネットの上乗っかって。
フロントガラスを手で割って。それは覚えてないんですよ。
僕はもう気を失って、病院、何ヶ所か行ったけど何ともない。
擦り傷、かすり傷、打撲、骨折、何もないんだから!」
国分「かすり傷なく。」
黒沢「うん。だから頭打って失神したんだと思うんだけど。」
国分「ええ、それだけですんだ。」
黒沢「ちょっと頭おかしいけど。」
美輪「ははは。」
国分「そこから、天然が。」
黒沢「そうかもしれないけど。」
国分「ははは。」
黒沢「それから、第三京浜でスピンして1、2キロぐらいすっ飛んだり。」
国分「自分の運転で、ですか?」
黒沢「はい。その頃シートベルトなくて。もう横にぶつかり後ろにね。
周りもすごかったですよ。それもかすり傷一つない。」
国分「ほんとに幸運と言うか。」
黒沢「僕、もうー生まれて来た時から仮死状態で。
もう、お産婆さんが
もうダメだって言ったのに。生き返ってますから。」
国分「そうなんですか。」
黒沢「それでこういうような話を信じるんですよ。」
国分「なるほど、なるほど。」
[不思議体験の意味]
美輪「その人魂はね。」
江原「よくある事、よくある。」
美輪「私も見ましたよ。もっと大きいかもしれない。」
私、原爆の後、トンネルを出たのね、日見トンネルってところ。
そしたら直径5メートルくらいかしら。
それでシッポ入れたら10メートルくらいじゃない。
それがものすごい速さでピュッ!って飛んで行ったの。
その前にトンネルの中で
お化けが出てたの見てたんだけどね。」
そしたら。ふもとへ着いたら、小学校で原爆で亡くなった人達を全部焼いてたの、そこで。
だから、あれって人魂だったのか、と思ったのね。」
江原「やっぱり黒沢さん、おっしゃったように。
人様の亡くなるお家の屋根の上によく出ますね。」
美輪「何ででしょうね?」
黒沢「だからよく幽体離脱って言うけど、それなのかな?」
江原「うん、そこはやっぱり、はっきりしないですね。
ただ人が亡くなる時に。よくそれが臨終を知らせる事になっているのか。
昆虫っていうのは、よくね霊媒生き物っていうかね。
霊媒の生き物って言ってるんですよね。
だから、そのクモはクモがどうとかってんじゃなくて。
そのクモを使って迎えに来た人がいるっていう事。
だから全然、話違うんですけど、
テレビ見てらっしゃる方でも 覚えがあるんじゃないかと思うんですが。
お墓参りとかお墓行くと妙に自分の周りをちょうちょが飛びまわってるとか。
それは、その昆虫に魂が乗っかってて憑依して。
そして、いろんなシグナルとかメッセージを送ろうとしてたりする時あるんですよね、うん。」
黒沢「じゃあ、良くない事なんですか?」
江原「いや。それメッセージですから。
例えば、その時のクモであれば、“お迎え”という事と。
後、そろそろ覚悟を、っていう、そういうメッセージだったり。
後、お墓だとかの場合は、ありがとうという意味だったり、ね。
いろんな、その人、その人のメッセージがあります。」
美輪「昔からよく言われますよね。」
江原「はい。」
美輪「昔からよく言われますよね。昔の言い伝えで
『朝グモは良い知らせ、夜のクモは悪い知らせ』って言いますよね。」
黒沢「夜、出るんですよ。
あれは気持ちが悪いですよ。だから僕、クモは大嫌い。」
江原「まあ、あくまでもメッセージですからね。
ラップ現象も何か気味悪がられたりするじゃないですか。」
(ラップ現象…物理的な原因がないのに部屋の中で音が鳴る心霊現象)
あれも必ずしもそうではなくて。
例えば『ドカーン』と大きな音がするときは、
ちょっとこの世的には悪いメッセージが多いんです。
小さいラップ、金物を床に落とすような『チャラ~ン』という音は
ほめられていたり、励まされていたり。全部、同じじゃないんです。」
国分「大きさとか、音によって、違うメッセージがこめられているということですか?」
江原「そうです。」
黒沢「僕、先祖のこと調べた事あるんだけどね。先祖が平家なんですよ
茨城だから、茨城が親父の先祖だと思ったら。
どんどん調べて行ったら、今度は長野の高遠っていう所なのね。
で、高遠から太平洋へ抜ける道があり、途中で横へ入って行くとね。
黒沢川と黒沢山ってのがあるんですよ。だから、今度そこ行って調べようかと思って。」
国分「ほお。」
江原「その家系の流れの中に、出家している人が山ほどいますでしょう?」
黒沢「それちょっと分りませんけどね。」
江原「お寺ばかり見えるんですよ。
ずっとお調べしていくと、きっといろんなお寺に当たると思いますよ。」
黒沢「寺まわりが好きですね、僕は。」
国分「いつ頃から調べるようになったんですか?」
黒沢「自分の人生を振り返ると『大した才能もないのに
何でこんなに上手くいっているんだろうな。
誰かの力を借りているのかな』と
思ったことがありますね。」
美輪「黒沢さんの人生って波乱万丈で、“良くなったな”と思ったらストン。
調子がいいな、と思ったらストーン。それの繰り返しですよね。」
黒沢「そうなんですよ!本当にそうだね。」
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