小泉孝太郎

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【 2007年08月18日放送】【107回】パート2

今日のゲストは、小泉純一郎元首相の長男でもある俳優の小泉孝太郎さん。

パート1からの続きです♪

[今も見守り続ける祖父]
国分「何を見ているんですか?」
美輪「いや、さっきも始まる前に楽屋で『おじいさんの思いがものすごく強くて』
と話をしていたらバシッとラップ音がしたの。
ほら、もういらっしゃるでしょって。それで私が見たことを言うと
そう、ってちゃんと相づちを打つの。
しゃべっている時は音がないの。
しゃべり終わってそうでしょ?と言うとバシッ。いちいち返事をなさる。
おばあさんも後ろの方に控えていらっしゃるの。」
小泉「ええ~。」
美輪「それでね、『こりゃすごいわね』って言ってたら。
いみじくも江原さんが、そうおっしゃってたから。やっぱり、とかと思ったの。」

~ラップ音とは、物理的な原因が無いのに音が鳴る心霊現象の事。
そして、収録前に美輪が聞いたラップ音は、孝太郎さんを見守るもう1人の存在。
祖父の小泉純也さんのメッセージだという
衆議院議員として防衛庁長官など歴任したお祖父さんが
言葉の代わりにラップ音で孫への強い思いを伝えて来たというのです~

小泉「僕の親父には行かないんですか?その思いは。」
江原「それは孝太郎さんに思いが強い。」
小泉「僕に来てるんですか。」
江原「そう。」
国分「何なんですかね?」
小泉「親父の事あきらめてるんじゃないですかね?言っても聞かない人ですからね。」

[父が生きてた事に感謝]
江原「先ほどのスピリチュアル・チェックで、 お父様が現役を退かれて。で、『生きててよかった』って、おっしゃいましたでしょう?」
小泉「親父が、そうですね、今、生きてる事。」
江原「それは、どうしてなんですか?意味があったんですか?」
小泉「僕の親父が27歳のときに、父親が急死してるんですよ。
いまその歳じゃないですか。
僕は紛れもなく親の七光りでこの世界に入れたし、
なおかつ今も、当たり前のように父親とご飯食べたりとか、会話ができて、
いろんなことを本当に教えてもらいましたから。
本当に父親が生きてて、普通に話せるっていうことが。」

江原「そうですか。、余談なんですが、実はお父さまが総理になられたときにね
見えて感じたことがあって。
『この方は死ぬ気でなさってるな』っていう風に思っていて。
他人事ながら心配したときがあったんです。
この人は死の決意をもってこの職に就いていらっしゃるな、と。
それこそ、いざとなれば武士道じゃないけれども、腹を切るくらいの覚悟
そういったものを感じていて、辛いな、と思ったときがあったんです。」

小泉「僕も感じましたね。
近い将来死ぬかもしれないという覚悟はしましたね。」
江原「やっぱり。」
国分「自分の中で感じたんですか?」
小泉「話はしないですけれど、小さい頃から父親を見ていますから
意気込みとかは…それ、肌で感じるものですよね。
自分は死んでも構わない、死ぬかもしれない。」
美輪「親子の勘でわかるのよ。以心伝心でね。」
小泉「覚悟しましたね。」
江原「だからそういうね、ことを含めて『生きててよかった』と
おっしゃったのかなと思ったんですよ。」
小泉「それもありますね。」
江原「ご存命のまま退かれたので、他人事ながらほっとしたところがあって。」
小泉「それが一番の安堵感でしたね。」

美輪「佐藤栄作さんの奥様の、寛子夫人がおっしゃってたけど。
前の総理官邸あったでしょう?霞ヶ関。
あそこで生きて出られないって、いうジンクスが、何か迷信があるのね。
だから寛子夫人ももう常に官邸の中でお経あげてらしたの。
その時、やっぱり佐藤総理がね。
何か2度、危ない目に遭ったんですって。」
〔佐藤栄作(1901~1975)…第61、62、63代内閣総理大臣〕
美輪「暗殺者が入って来てて、目と目が合ったんですってね。
れが奥様、丁度お経上げてらして。
そして、佐藤総理が睨みつけて『何者だ!』って言ったらね。
そしたらね、なぜか逃げちゃったんですって。
そういう事が2度あったって、おっしゃっました。
大平さんも、ほら現役中にお倒れになったでしょう?
だから色々あるのよ…。」
江原「うん。」

(大平正芳…第68、69代内閣総理大臣。1980年、選挙中に心筋梗塞で他界)
(小渕恵三・・第84代内閣総理大臣。2000年、在任中に脳梗塞を発症して辞職)

~脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となった小渕恵三。
総理大臣の想像を絶する激務と精神的な重圧は、時に命を脅かすほど~

(小泉純一郎…第87、88、89代、内閣総理大臣、在任期間は1980日)

~その総理の職を、1980日の長きに渡って勤めた父。
総理に就任した年に並々ならぬ決意を、一つの短歌にしたためています。
『柔肌の熱き血潮を断ち切りて 仕事一筋、我は非情か』
苛烈を極めるスケジュールを、命懸けの意気込みでこなしていく
父の姿を見ながら、孝太郎さんは育ったのです~

美輪「だから、そういうものも色々、察知なさったんじゃない。」
江原「うん。」

[尊敬する人は父]
国分「尊敬するのは父親、と。」
小泉「公けの場で言うのは恥ずかしいんですけど、
後にも先にも、一番自分に影響を与えた人は父親だと思うし、
父親が全てだと思うくらい、影響されたと思いますね。」
国分「僕も恥ずかしながら、尊敬するのは親父なんですよ。」
美輪「恥ずかしながら、じゃなくていいじゃない。
ありがたいことじゃないの。」
国分「格好いいですね、やっぱり父親って。
僕の父親は、僕みたいにしゃべる方じゃないんですよ。
ただ目の前で 『俺のやってることが全てだぞ』と。」
美輪「『生き様を見ろ』とね。お幸せよ、お二方ともね。
今のこの世の中で、尊敬できる身内、尊敬できる親をそばに見られるということは、 まれなこと、珍しいことですからね。
これは幸せですよ。
もう『こういう男、こういう女にはなりたくないな』という親がいっぱいいるじゃないですか。
だからお二方とも幸せですよ。」
国分「最近聞くのは、家に帰ってきたら、
親父が一番下のランクにいるみたいな事を聞くじゃないですか。
チャンネル権もなかったり、洗濯するのも一緒に洗ってもらえないとか。
考えられないですけれどね。」

[父親の座布団]
美輪「昔は一家に『父親の座』というお座布団があったのよ。
お父さんの座布団、お母さんの座布団、子ども達は座布団なしとかね。
その座布団があって、父親が必ずそこに座ったものなのね。
子ども達がお父さんの留守にそこに座ろうとすると
『いけませんよ、そこはお父さんの座布団だから』。」
国分「言われたような気がしますね。」
小泉「言われましたね。」
美輪「そうすると、留守でも父親の権威というものが家の中にあるのよ。
お母さんも一緒になってお父さんの権威を保ってあげたのよ。
ところが今は、フリーになって、どこに誰が座ろうがいいようなダイニングキッチンになって
お父さんの座布団もお客さんの座布団もメチャクチャでしょ。
生活の仕方に秩序がなくなったのよ。」

国分「僕も、父親の給料日に給料袋を受け取ったときに母親は『ご苦労様』と言って、 一番風呂、本当にきれいにしたお風呂は子どもが入っちゃいけない、
まずお父さんに入ってもらうということとかをやられて
『あ、お父さんて本当にすごいんだな』と。
お金を稼いできて、お母さんは『ご苦労様です』と言うし
お父さんが帰って来るまでお風呂に入っちゃいけないとか言われて。」
美輪「それがね、家庭を保つ上での法律、コツであって
家庭を上手く運営するための秩序が保たれるの。」

国分「最近は、お母さんが、お父さんの悪口を言うのも増えてますね。」
江原「ああなっちゃいけない、とかね。」
美輪「今お父さんみたいになっちゃダメよ、とかね。両方で、そうでしょう?
絶対!口が腐っても言っちゃダメ。」
江原「そう。」

~父の座布団。かつて、どこの家庭にもあった父さんの場所。
それは獅子の座布団とも呼ばれ、父親への感謝と尊敬の証でした~

[父との思い出]
国分「お父さんとの思い出っていうのは何が一番の思い出ですかね?」
小泉「ものすごく親父らしいなと思ったんですけど、
総理を辞める間際、総理公邸の家具とかも全部掃除して、
最後に2人で庭に出て、ちょっと雨の降る中
『一緒に石を拾うぞ』と言い出して。
『お前もいい形の石があったら、ちょっと選んでくれ』って言って。二人で傘をさして選んで。
あとは寝室の近くに、鳥が巣を作ったんですよ。
唯一持って帰ったのはこだわっていたのは、
その石と、 小鳥が巣立っていった巣なんですよね。
持って帰ろうと思えば、他の家具や家電製品も持って帰れたんでしょうけれど、
『俺はこれだけでいい』
それがやっぱり印象に残っています。」
美輪「それは新しい方の公邸ですね。」
小泉「はい。」

国分「ただ、この番組で、石は持って帰っちゃだめだ、というような話が出てるんですね。
石というのは自然霊と…。」
江原「ほら、今、美輪さん、新しい方。」
国分「新しい方だったら大丈夫ですか。」
美輪「だから古い官邸じゃないから。」
江原「そうそう。」
国分「急にですか?別にそれまで石を集めていたというわけではないですよね。」
小泉「おじいちゃんは石がすごく好きだったみたいですけど、やっぱり遺伝なんですかね。」
美輪「私は『お父さん、やりましたよ』というおじいさんへの思いもあったんだと思うの。」
江原「甲子園で土を持って帰るみたいなね。」
小泉「すごく今、すっきりしたというか、なるほどっていう思いが。」
美輪「でなければ、普通は石なんて持っていきませんよ。」
国分「鳥の巣は何だったんでしょうか。本当に思い入れというか
巣立っていく姿を見ているからなんでしょうか。」

江原「あとは勇気づけられた。
やはり巣を作るというのは、いいエナジーでしょう?
命の息吹があるところというのは、新しいものが生まれる。
験担ぎ(げんかつぎ)的な所もあるでしょうけれど、エナジーがあるわけだから
自分も力を付けていくというね。
だから、先ほども申し上げたように、お父さまは本当に死を覚悟してお仕事をなさっていていろいろなところに勇気を貰っていた。
だって誰にも相談できる仕事じゃないでしょう。」
美輪「また相談なさる方じゃないしね。」

~政治家の家系に生まれながら、芸能界に進んだ小泉孝太郎さん
そこには大きな意味がありました
俳優・小泉孝太郎。幼い頃から人前が苦手なのに、
目立つ場所へと押し出されてしまうのはなぜか?
なぜ政治家の家系に生まれながら芸能界へと進んだのか?
今夜、オーラの泉に招かれた理由が、いよいよ明らかになります~

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