加藤和也

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【 2007年11月24日放送】【2時間SP】パート2

今日のゲストは、昭和の歌姫、故・美空ひばりさんの息子さんである加藤和也さん。

パート1からの続きです♪

ひばりのすべて

~ひばりさんが本当の母ではない事を薄々気付いていた和也さん。
それでも母と呼べるのは、ひばりさんだけでした。
中学生になると、ママからお袋と呼び方が変ったものの相変わらず忙しい毎日を送る母
和也さんの寂しさは消える事がなく、さらに家族の別れが迫っていました
1981年、祖母の喜美枝さんが他界。 ひばりさんを日本一の歌手に育て上げ“一卵性親子”と言われるほど、仲が良かった二人。
2年後、ひばりさんの弟であり、和也さんの実の父であったかとう哲也さんが他界
そして、もう一人の弟、香山武彦さんまでもが他界。
ひばりさんを支えて来た家族が次々に亡くなってしまったのです。
戦後の日本が生んだ最大のスター美空ひばりさん。
そんな母を誇りに思いながらも寂しさも感じ続けた和也さん。
二人に、別れの日が迫っていました

1987年、コンサート直後に足の痛みを訴えて倒れたひばりさん。
両側大腿骨骨頭壊死と肝硬変、再起絶望とまで言われた重症でした。
しかし1年の休養を経て甦りました。
待ち望むファンの前で再び見事な歌声を響かせたのです。
母の復活に奇跡を感じたという和也さん。
しかし母の体が完全に回復してはいない事も分っていました。
1989年、再び入院。二度とステージに立つ事はなかったのです。
戦後最大のスターを失い、日本中が悲しみにくれた一方で、
愛する母を失い、たった一人この世に残された和也さん。
あまりにも悲しい人生の転機でした~

国分「お母さんの最期のときは一緒にいられたんですか?」
加藤「そうですね。あのときは病院にずっと詰めていたんですけど
『今日はもう大丈夫ですよ』と。
夜中の2時か3時か、もう朝に近かったと思うんですけど、
じゃあ、一度着替えに家に戻るわ、ということで
家の人を何人か残して帰ろうと思って車に乗ったんです。
雨が降ってきていまして、1回は車に乗ったんですけど、走り出すときに
なぜか『ちょっと待った』って言ってるんですよね。
戻りたくなってしまって『もう少し待ってて』と言って
ナースステーションのところで一息ついていたんですけど。
そうしたら向こうの方でビービーと心電図計が危ないという音が聞こえてきて。
あっと思ったら、それと同時くらいにお袋の主治医が何人も走っていって。
最後は電気ショックを、3回くらいですかね、
ダーン!ダーン!って身体が本当に痛々しく上がるんですよ。
もう、とうとう最後は自分で 『もう、やめてください』って言っているんですよ。
本当は、後の1回で生き返るかもしれないのに、
でも、もう見ていられなかったっていうのが本当のところだったんです。」

国分「最後、何か会話をしたとか、そういう別れではなかったんですね。」
加藤「そうですね、死に目は、そういうのなかったんです。
ただ、お袋がビニールのテントみたいなところに入るときに、
『最後、何か話しておいてください』とお医者さんに言われて、
何をしゃべっていいかわからないので
『大丈夫だよ』とかって多分、ひと言くらいしか言えなかったと思うんですけど。
だから本人も、こうこっちを向いて、息も、こういう感じだったんですけど。
『ありがとう』って言って、最後、何でしょう、
もう弱くなっちゃったお袋を見ているのも嫌だったし、
僕は普通にしていようと思って、だからずっと憎まれ口をきいていましたから、
死ぬまで。

だから最後、ひと言しゃべれたといっても、それぐらいなんですよね。
もうダメじゃないかっていう事は医者から毎日のように電話かかって来て。
そういう風なお話は別室でしていたんですけど、覚悟はできていたんですけど、
『この人が逝くわけがない』とどこかで思っていましたし、
だから多分、最後まで憎まれ口をきき続けたんじゃないかなと。
もう少し優しくしてあげればいいのに、
と周りも思っていたと思うんですよね。

ただ、あの状態になったお袋に優しくすると、
本当にいなくなってしまうような気がしていたので。
もうちょっと何かいろいろしゃべっておきたかったな、と
今思うとそう思いますけれど。」
国分「お別れが来たときというのは、加藤さん自身はどんな気持ちになりましたか?」
加藤「意外と、一瞬、ワッと悲しくなったんですよ。
『ご臨終です』のひと言がやっぱり耳に響くんですよね。
お医者さんが時計を見て、一瞬、わけがわからなくなるくらい 悲しくなったんですけど、
なぜかそこで『これじゃダメだ』と思っているんですよね。
自分でもよくわかないんですけど、いつもよりきっちりしていたと思います。」

美輪「だって、1人なんだもの、残されたのが。
あとは皆さん、いなくなってしまった。
だから自分がしっかりして、お葬式の手配から いろんなことから何から、
全部やらなくてはいけないというのがおありになったからね。
『泣いている暇はない』という風な気持ちがどこかにおありになったんだと思いますよ。」
江原「持って生まれた感性、感度が高いのと、やはりたったひとり残した身内ですから だから呼び戻されているんですよ。
自分の中で『ちょっと待った』という、そういうものなんですよ。
それは多くの人が、経験した方があるんじゃないですかね。

例えば霊なんかを見たことがなくても、『虫の知らせ』というんですか。
亡くなるときにご自身がわかるんですよ。
やはり1一人残した息子であるわけだから、来て!という思いが、
来て、とは聞こえないで『ちょっと待った』と自分で思うわけなんですよね。
変換されるわけですよ。ダイレクトに聞こえればいいんだけれども。
私なんかの場合は、持って生まれたものがあるので、
母が臨終のときは隣の部屋で休ませてもらってたんですけど、
母の声で名前を呼ばれました。
それで起きて、自分でもなんだか気がつかないうちに病室に入っていったときに
息が止まったんですよね。
だから、『ああ、呼んだんだな』というようなことで
まったく同じだと思います。」
美輪「そのときの想念よね。江原さんのお母様も、ひばりちゃんもね。
『この子を残して。どうやって生きていけるだろうか』
死んでも死に切れないですよね。」

~52年の生涯を、歌一筋に駆け抜けた母。
母を誇りに思いながらも、最期まで憎まれ口を叩いていたという和也さん。
息子を一人遺して亡くなった母が今、伝えたい思いとは~

[息子への思い]
江原「ご自身もかわいくない返事しかできなかったとおっしゃるけれども、
それが男の子としての成長なんだ、という風に思っていたらしいですよ。
仕事のこととかでもしょっちゅうぶつかり合って
何でそこまでやるんだ、とか、いろんなことを。
最後はほとんどケンカしたりとか、顔を合わせればそればかり。
だけどこうおっしゃるんです。
『ごめんね。ママは歌手なの』
今になればすごく良くわかると思うんだけれども、
そのときに 『母』というだけの存在にはなれなかった、ということとか
いろんなことが複雑にあったと思うんですよ。

だけど若いご時分は、ほとんど自分自身の命とか無謀だったと思うんですよ。
どこかで自分の運命と戦っているというか、
本当に自分は強運なのか、そうじゃないのか、
自分は生きる意味があるのか、ないのか、と。
何か試しているような。
死んじゃうなら、死んじゃうだけなんだ。
その自問自答の答えとして、そうやって救われて生き残る、
大変な出来事があっても助かっている。
その度に『自分って何なんだ・・・』という自問自答の日々があったことを理解しつつ
温かく見守ってたのがお母さん、ママですね。

実際には叔母にあたるわけじゃないですか。
だけれども、これはご本人がおっしゃるから言うんですが、
前世では本当の親子さんだったらしいですね。」
加藤「あ、そうですか。」
江原「だから普通の親子以上に愛情を持つというか、肉親以上の愛情だったと思いますよ。
顔を合わせれば口やかましく言うけれども、言葉をかけるよりも
わかって理解して受け止めて、共に痛みを。
仕事でお互いに離れていることが多くても、感じ取り合っていた。
そうやって絆を深めていたという親子関係、という感じのことをおっしゃっていますね。」

美輪「それとね、ひばりちゃんの気持ちがよく分かるのは
さっき江原さんのおっしゃった『私は歌い手だから』
この歌い手の、自分の全精力を燃やし続けるその神経とか
『歌が命』ということは、これは一般の人たちには口で説明のしようがないのね。
歌が好きで、好きで。」
加藤「はい。」

[歌い手の情熱]
今、涙が出てきたんだけど、ひばりちゃんが 『佐渡情話』なんかを歌っているときのね、
あれだけ涙を流していて1分の狂いもなくスーッと。
発声から呼吸から、音程から情念から
そういうものがミックスして、1分の狂いもなくできるという方は、いませんよ。
本当に、あのうまさというのは人間業じゃない、やはり神技に近い。
本当に惜しい人を亡くしたと思うけれども。

私は、あなたのお母様と最後に会ったのが、山城新伍さんのパーティ、 赤坂のプリンスホテルであったの。
そのときにフッと見たら、失礼だけれど、くらげのように透き通っていたの。
これはどうしたこと?影が薄いというのは、こういうことを言うのかな?と思ったの。
腕を入れたらス~ッと通り抜ける、くらげのような、それを感じちゃったのよ。
それはまさか言えないから、あの時は不思議だった。
それがお会いした最後だったんですよ。」
加藤「その後、ほとんどそういう場には出られなくなってしまいましたから。」
江原「もうその時が、旅立つ準備だったんですね。」

~どんなに体調が悪くとも、一度ステージに立てば
神技とも言える表現力を発揮して歌い続けたひばりさん。
彼女は今、何を思うのか。いよいよ、その答えが伝えられます~

江原「だけどね、今現在そうやって、もちろんね。加藤さん自身の事を思って。
そこに気持ちが、ずっとあるってのは、そのままなんだけれども。
今日いらっしゃってるのね。 今もなお、歌ってらっしゃってるんですよ。」
加藤「あちらで。あ、歌ってるんですか、まだ。」

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