宮藤官九郎

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【 2008年02月02日放送】【116回】パート1

今日のゲストは、脚本家として活躍の宮藤官九郎さん。

~脚本家・宮藤官九郎(くどうかんくろう)
注目の脚本家が今、思うのは…
20年後の未来を知りたい。そこに魂の原点が~

~宮藤官九郎さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【宮藤官九郎 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言で⇒短気です、せっかち。
毎日欠かさずすること⇒家族、特に奥さんに「ありがとうございます。」 と 心の中で言います。
好きな言葉⇒低姿勢 人生の転機⇒大学を中退した時
充実感を感じる時⇒ドラマとかのシナリオを書いて「これで、OKだな。」
と思って 1、2、3、4とシーンナンバーをふっていく時に「終わった!」と思います

[江原さんと美輪さんについて]
宮藤官九郎さんは美輪さんとははじめて会うのですが、
昔、ジャンジャン(渋谷ジャンジャン 1969-2000  公演通りにあった小劇場)で
歌っていたのをみていたそうです。
年下の男の子と付き合っている歌
(題名:人生は過ぎ行く 作曲:J.Hoimes  訳詩:美輪明宏 編曲:池多孝春)
がすごく好きだったとのこと。
雑誌のインタビューでは「会いたい女性は美輪明宏。」と答えた こともあるそうです。
話はしてみたいけど、怖いことは言われたくない、みたいな気持ちだったそうです。

~今をときめくスター達と次々に話題作を発表して来た宮藤さん。

木更津キャッツアイ 日本シリーズ

「木更津キャッツアイ 日本シリーズ。」主演V6岡田准一
「ピンポン。」主演 窪塚洋介。中村獅童
「ガンジス河でバタフライ。」主演 長澤まさみ
「クワイエットルームにようこそ。」主演 内田有紀

実は俳優やミュージシャンとしても活動中
マルチな才能を発揮する、その原点は~

~1970年7月19日宮城県生まれ。
実家は文具店を営み、父親は教師。
真面目な家族の中でひたすらテレビが好きだったという宮藤さん。
大学に入ると、魅力的な仲間達に惹かれ『大人計画』に参加。
演劇に目覚めた宮藤さんは大学を中退。
エンタティメントの世界で様々な才能を発揮する事になるのです~

[人生の転機 大学を中退]
国分「それで人生の転機が、大学を中退した時ということなんですか。」
宮藤「そうですね。大学から『復学届』と『休学届』と『退学届』を三枚もらってきて ずっと見てたんですよ。
その時に、今のうちの奥さんが『辞めちゃいなよ』って言ったんですよ。」
国分「奥さんはどんな方なんですか?」
宮藤「もともと知り合ったのは『大人計画』の芝居に、僕が最初は演出助手という立場で 関わった時に、
劇中で踊るダンスとかの振り付けをしてくれた方なんですよ。
僕の映画とかドラマも最近、よくやってもらってます。」
国分「大学を辞めるきっかけになったのは奥さんが…。」
宮藤「何かこう、踏ん切りがつかない時に言ってくれたので『そうか…』と思って退学をしたんですね。
後々聞いたら、うちの奥さんは同じ大学を ちゃんと卒業してたんですけどね。

[厳しい父]
それで、親に報告するのに電話じゃ軽いかなと思って
『もう、僕は仕送りをいただかなくても結構です』みたいな手紙を書いて。
テンションが上がっていたんでしょうね。
『大学、辞める俺、ちょっと格好いいぞ』みたいなのもあって 『仕送りはいりません!』って書いたんですよ。
その時、親も何も言わなかったんですね。
父親は教師で、家では結構厳しかったんですよ。僕には。
でも、厳しいというのも『節分の日に豆まきをなぜしない?』とか…
部屋でマージャンをやっていたら、遠くの方から “バラバラッ!”って音が聞こえてくるんですね。
父親が豆をまいているんです、まきながら近づいてくるわけです。
それで、マージャンをしてた卓の上にバラバラッ! 『なんで豆まきしない!』
俺も何でそれを怒られたのかな?みたいな。

大晦日にはみんなで集まって、一年の10大ニュースを読むという行事があるんですね。
『お母さん、脚立から落ちる』とかそのくらいなんですけど、
それが意外とトップニュースだったりしたんですけど、
それに参加しないとなると、ものすごく怒られる。
『何で参加しない、10大ニュースだぞ!』」
美輪「それは『しきたりとか、秩序というものは守らなければいけない』ということを 教えていらしたのね。
宮藤さんも『それは当然だ』と納得なさったから、
反抗もなさらないし、素直に受け入れたんじゃないですか?」

[放送作家志望。」
国分「最初は劇団でお芝居をやってたんですか、役者としてそれとも脚本家だったんですか?」
宮藤「もともはテレビの構成作家になりたくて。
ラジオとかが好きだったので そういう仕事をしたくて出てきたんですけど、
大学に入ってコースを選ぶ時に『脚本』というコースがあったので、短いものですけど、 書いて、提出したんですね。
その中で選抜された人だけが受けられるゼミがあって、 その試験に落ちたんですよ。
『何で落ちたんですか?』と先生に聞いたら
『君は、僕がいくら言っても僕の言うことを聞かないから』と言われて…
『そんな…別に言うこと聞くのにな~』って思ったけど、それで、辞めたんです。」

国分「言うことを本当に聞いていなかったんですか?」
宮藤「読んだ人をびっくりさせることしか考えてなかったんだと思うんですよね。
いま思うと相当つたないものを書いていたと思うんですけど。
脚本家になりたいとかということよりは、書いたものを人が読んでくれておもしろいと 言われることが、すごくうれしかった。
だからラジオにハガキとかを書いていたんですね。
夜中のラジオをきいて、読まれたら夜中の3時ぐらいに 『母ちゃん、読まれたよ!』といって。
そんなことをやっていたら、知り合いの放送作家の方が紹介してくれて、
バラエティの作家として仕事を始めるようになって、何だかんだしているうちに ドラマも書くことになり…みたいな感じなんですよね。」

美輪「でもいきなり脚本を書けるもんじゃないじゃありませんか?
それはどうなさって、ずっとつちかっていらしたの?」
宮藤「でも、東京に来てからですね。映画とかみたことなかったです。
本は『世界文学全集』みたいなものが部屋にあったんです。
『読め』と言われたんですけど、めったに読まなかったですね。
テレビばかりみてました、テレビはすごく好きでしたよね。」

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