小室哲哉

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【 2008年05月03日放送】【2時間SP】パート1

今日のゲストは、音楽プロデューサーとして、数々の記録を打ち立てた小室哲哉さん。

【小室哲哉 スピリチュアル・チェック】
小さい頃なりたかった職業⇒ミュージシャン、音楽家です。
好きな言葉⇒手前みそなんですけど、自分で作った曲「恋しさと せつなさと 心強さと。」
苦手なもの⇒魚介類
人生で一番辛かったこと⇒自分ひとりのときとは違って家族が出来てから色々な噂で嫌な思いをさせたこと
この世からなくなると困るもの⇒恥ずかしいんですけど、奥さんがいないとちょっときついかな

THE GREATEST HITS-小室哲哉作品集 S-

[江原さん、美輪さんについて]
小室さんは美輪さんも江原さんともはじめて会うそうです。
小室「美輪さんのお声は、倍音がすごいじゃないですか。
単音じゃないというか今、8個か10個くらい、聞こえている。
しかも、マイナーコードじゃない、メジャーコードで、だからすごく心地良いんですよね。
江原さんもそうなんですよね。江原さんは、BPM(Beats Per Minute 、ビート・パー・ミニット 
音楽で演奏のテンポを示す単位)テンポがあるじゃないですか。」
国分「音楽で分析するわけですね。」
美輪「江戸っ子のテンポなんですよ。」
小室「ブレスとか、タイミングとかも、ほぼきれいに。」
江原「すごい耳ですよね。」
小室「すごくリズミカルですよね。」

単音⇒音の高低を決定する
倍音⇒倍音とは基本となる音の周波数の倍の周波数を持つ音

同じドの音でも、ピアノ、トランペットなど、楽器によって違った音に聞こえるのは 含まれる倍音の違いが音色の違いに聞こえるからだとのこと。

[不思議な体験]
小室「イギリスに行って、寝ていて、ホテルの階段をすごいスピードで下りた感じがして、
ふと気付いたら大阪の十三(じゅうそう)の辺りの高速道路の上ににいたんです。
あぶなかったんですけど、それでまた、パッと帰ってきたりとか。」

また、KCO(KEICO)(奥さまのケイコさん)も知らない他界した人がいて、
藤色のカーディガンを着ていた人が表れたりするそうです。
写真とかで確認したらKCO(KEICO)さんの祖先らしいとのこと。
時々いる感じがするのだとか。

江原「『あ、誰かいる』という時に、追求すれば、小室さんは私と一緒、ということなんです。
それでもっと『あなたは何が言いたいんですか?』と、追求をもっとしていいけば
『こういう名前の人で、こうだったみたい』とか、いろんな理由とかわかりますよ。」
国分「それを小室さんはしなかっただけであって、それを心の中で言ったら、 伝えてくれるわけですか?」
江原「そうそう。」
国分「すごいですね。ちなみに会話はしたことがあるんですか?」
小室「それはないですね。」
美輪「なさればいいのよ。江原さんもそうだけれど、小室さんも、何かお2人とも、
子供のまんまみたいな方だから、そういう方が、そうなりやすいの。邪心がないから。」

[独学で音楽]
小室さんは母親のすすめで3歳からヴァイオリンをはじめたそうですが、 父親が反対して、すぐ辞めたそうです。
反対した理由は小室さんの時代でも『音楽はダメだ』ということだったようです。
聴くのはギリギリ許されていたそうです。
一緒に住んでた時代もあったけれど父親とは、10年近く話もしなかったそうです。
鍵盤との出会いというのは、大阪の万博(1970年 小室さんは当時11歳)で、
冨田勲さんのシンセサイザーミュージックをきき、シンセサイザーの音が、 何だかわからなかったんですけれど、衝撃を受けたそうです。

それで中学3年生のときに家のものを売ったりして、
シンセサイザーを勝手に買ったのだそうです。
お父さんは、音楽は反対なので、音がもれないようにヘッドフォンをして 弾いていたそうです。
なので、音楽をちゃんとやりだしたのは、プロになってからとのこと。
コード譜は読めても、今でも楽譜は読めない、おたまじゃくしでは弾けないそうです。
美輪さんによるとそういう人の方が売れるのだとか。
音楽学校出身で、譜面がもう、理論的に音楽理論で作る人は売れない、と。

新日本紀行/冨田勲の音楽

~音楽のプロになるために、早稲田大学を中退、1984年にTTM NETWORKでデビュー
注目されたのは1986年、渡辺美里さんに「My Revolution。」の曲を提供したとき
翌年にはTM NETWORKも「Get Wild。」で人気を博し、
その後は 数々のアーティストに楽曲を提供する大ヒットメーカーに。
CDの売り上げは合計1億7000万枚、ヒットチャート1位から5位まで独占、
4年連続レコード大賞受賞などの記録を打ち立て、1996、97年には長者番付全国4位に。
1995年には、後にパートナーとなるKCO(KEICO)さんと出会い、globeを結成
仕事は頂点を極めるほど充実していたものの、
プライベートな生活はないに等しい状態でした~

[音楽で大活躍]
国分「こうやってみましても、本当にすごい人生ですよね。」
小室「何一つ、実感がないですね。」
国分「それだけお金が入りましたから、結構、使ったりとかもしたんじゃないですか?」
小室「使ったとは思いますけれど、その時は独身で守るものもなくて、
『どうでもいいや、別に…どうにもなっちまえ』という、結構、投げやりな感じでしたね。」
国分「素朴な質問なんですけれど、従兄弟とかのお年玉って、 いくらぐらい、渡していたんですか?」
小室「そういうのはきっと、誰かがやっていたと思いますね。」
国分「あ、ご自分でやられているのではなくて、スタッフさんが。」
小室「いったい自分のお金がどのぐらいの額が、どのぐらいの人にまで流れていっていたのかも、わからないですね。」
美輪「まるでお殿様ね『良きにはからえ』でね、おしまい。 でも、精神的にいかがでした?」
小室「何回も何回も、1、2年で昔のVTRをみたりしているんですけれども
やっぱり、本当に笑っていないんですよね。」
美輪「いまお話していて、何度か笑っていらっしゃるでしょう?
『あら、小室さんも笑うんだわ』と思ったの。」
江原「実はね、さきほども映像が出ていましたけれども、まるでオーラが違うんですよ、今と。
赤(情熱 頑固さ)なんだけれども、どす黒い赤があってね。
多分、思考する時間がなかったんじゃないかと…。何か自分のことを考えるとかというよりも 当時はもう、常に音楽を作ることしか考えがなくって、
それでいて 『時間、時間』せっつかれて、全部それで動いていて。
今の方がまるで違うというのは、まったく穏やかな綺麗な紫(情愛)があって、 全然、別人なんですよ。
だから今は、人生を見つめるとか、要するに内観というんだけれども、
そういう時間をよく持てているけれども、
あの当時は、まともに寝てもいなかったんじゃないですか?」
小室「いつ寝て、いつ起きてるか、何を食べたんだかも。」
江原「現実と、うつつと、何かもう、わからないようなね。」
国分「数々の賞を、その当時は総なめしたと思うんですけれども、その評価はうれしかったですか?」
小室「いや、うれしくないとは言わないですけれども、ありがたいとは思いますけれども
そこに向けて頑張ったということではなかったりとか、流れですからね。
とにかく、訳わかんなかったです、ずっと。」
国分「4日に1曲という計算なわけですよね、1年で90曲書いていたら。」
小室「曲を作るための時間、1日で、それ以外の時間というのは、ほとんどなくて。
ただ、音楽、曲に対する愛情だけは、消したくなくて音楽にだけは、妥協したくなかったですね。」
江原「作るというよりも、そこが一番、対話している時間でしたね、自分自身と。」
小室「そうですね。僕、もし歌がうまかったらシンガーソングライターで歌っていたと思うんですけど。
詞は女の人に書いている、女性の歌が多いんですけれど、ほとんど自分のことですよね。」
江原「人ってよく独り言っていうじゃないですか。
特に自分自身の中で何か考えている人って、よく知らないまに独り言をいう。
だから、独り言の、もっと究極の形で音楽と通じていてね。
あるときは友達だったり、あるときは自分だって、自分に言い聞かせていたり そういうような形が、逆にすごくエナジーがこもっていて、表に出たということなんでしょうね。」

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