小室哲哉
【 2008年05月03日放送】【2時間SP】パート3
今日のゲストは、音楽プロデューサーとして、数々の記録を打ち立てた小室哲哉さん。
パート2からの続きです♪
江原「ちょっと余談のところが。これは夢物語と思って聞いてください。
私はさっき、不思議だなあ、こういうことってあるんだなあと思ったんですけど。
先ほどご自身は『歌はあまり、歌がもっと歌えれば』とおっしゃっていましたでしょう?
これね、前の世で歌っていらっしゃったのが見える。しかも、女性だったの。
もちろん、時代的にクラシックなんですよ、ヨーロッパで。
それですごく歌うんだけれども、とにかく熱心で、勤勉、勉強家で、一生懸命やるんだけれども常に『どれだけ高い声を出せるか』っていうことを ずっと自分で訓練していって、
自在に声が使えるように、表現できるようにって やったあげくに、声を壊してしまった。
それで歌を歌えなくなってしまった…っていうことがありましてね。
先ほど小室さんが『女性に書く歌が多いんですけど』とおっしゃってましたけど、
それは依頼があったからとか求められたから、だけじゃなく
『歌わせるなら、女性に歌わせたい』 しかも、極力美しい声、張り詰めた、
西洋で言うところのソプラノで そういうきれいな高音。
『光のあるようなそういった声を出させたい』とかいうことが
自然に湧いてくることはなかったですか?」
小室「あの、全部です。
こう決めていたわけではなくて いつの間にか
そういうものを求めていた部分ってありますね。」
江原「だからある意味では、ものすごく『歌手泣かせ』だったんじゃないかと、
曲的には難しくて。」
小室「もう、その通りですね。」
国分「小室さんの作る曲って、高いキーの歌が多いですよね。」
美輪「だって転調の仕方が、もう面食らうような転調の仕方をされたら
歌い手は初めて渡されたら大変ですよね。」
小室「ちょっと意地悪だったかもしれないですね。」
[マリア・カラスのような人生]
美輪「マリア・カラスがね、本当はメゾ・ソプラノだったんだけど
大体、メゾ・ソプラノとかアルトというのは、オペラで脇役なんですよね。
そうすると悔しいから『何としても主役を』となったら、 ソプラノ、コルラトゥーラなんですよ、一番高い音。
だから、どうしてもそこで惨めな思いをするからソプラノになろうと無理をして
音域を広げようとするんですよ。
マリア・カラスはそれで、コルラトゥーラまでね、 『ラクメ』の『鐘の歌』なんていうのは、最高Eまで、ものすごく高いわけですよ。
そこまで出せるように努力したんだけど、そのつけがきて、
早くに声を失って 引退したんですよね。
だから私は今、小室さんの前世の話を聞いていて 『あ、カラスと同じような状態…』。」
江原「その通りなんですね。それは歌だけじゃなくて生い立ち的にも。」
(マリア・カラス⇒1923-1977 20世紀最高のソプラノと言われたオペラ歌手
少女時代は芸術家肌の母親に愛されず、ギリシアの大富豪・オナシスと恋愛するも別離し、
ひっそりと他界。 )
江原「カラスって実はすごく家族思いで、一生懸命生きてきたんだけど
なにか常に孤独になっちゃう、そういうものがあって。
それで歌で一生懸命、表現することでカラスは生きていて、
どこかで歌手として成功することで、親からも認めてもらおうというところもすごくあって、だからまさに、そういう前世。
今回は、むしろ自分が作り、表現する。
そしてこの時代を象徴するところもあって、そういういろんな役割を持って、
小室さんというのは生まれ、生きている。
先ほどの文化的なことでも、そうじゃないですか、食べるということ。
最近、食育ということもよく言われるけれども、まさに個食の方でしょう?
1人で食べるとか、1つだけとか、そういう部分でもそうだし いろんな意味で
小室さんの発信するべきこと、役目がたくさんおありなんだと思うんです。
[無償の愛のKCO(KEICO)さんのお父さん]
あと、もう1つに『家族から受け入れられたこと』の理由に やはり奥さまのお父様が
出てこられるんです。本当に息子にしてくれましたね。」
小室「そうなんです。逃げてばっかりいたわけなんですけど 逃げたくない、
そこに何とか入りたいっていうことで、去年、他界したんですけど、
そのとき病院いたんですけれど、最後に言葉をかけたのが僕だったんですよ。
それまでだったら、家族といってもKCO側なので、ちょっとひいていたと思うんです。
でも、なぜか一番前で『みんな、お父さんにありがとうって言え!』って
知らない間に叫んでいたんですよね。」
江原「その部分は、簡単で、美輪さんがいつもおっしゃっていることと同じなんです。
無償の愛なんですよ。
だからいろんな意味で逃げてきたのも 無償の愛じゃなかったからなんですよね。
常に何かの代償を求められていたり いろんな人間関係で。
だけれでも、無償の愛がそこにあったんですね。 だから別になんであろうが、
小室さんがどういう人間であろうがよくて 一人の息子としてというか、
男同士の付き合いということもあるし。」
小室「そういう人でしたね。」
美輪「何かお父様からプレゼントみたいなものをもらいになった?
形見になるようなものを。」
小室「まあ『無理やり食べさせられた』というのが、一番のプレゼントでしょうね とにかく『食べろ、食べろ』『そんなんじゃ、病気になるから』 『そんなんで力が出ない』とか。」
江原「でもね、『苦痛だったろう』と言ってます。」
小室「まあ、ちょっとそれはありましたけれど、ふぐ屋さんですから、
魚介類が何とか食べさせたかったみたいで、
最終的にそうめんみたいにしてくれて、ツルツルと寒天みたいに ポン酢みたいなものにつけて
『これなら食べられるだろう?』 って。
食べたら、美味しくて、それが始まりなんですけれど、そこからもう 卵焼きから何から。」
江原「『だってまともに米もしっかり食べなかった』って言うんです。」
美輪「それがプレゼントですよね。それが形見。」
小室「印象といえば、まずそれですね。」
美輪「何よりのプレゼントじゃないですか。」
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昨年11月、63歳で逝去されたお父様の葬儀での言葉
『とにかく明るく、気持ちを前向きにさせてくれる、僕にとっては本当に もう一人の大切な父親でした』
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江原「ご本人はその亡くなられ方がすごく気に入っていらっしゃってね。
自分が望んでいた『潔く散る』みたいな…。」
小室「そうだということになっていますね。」
江原「そう言っていたはずなんですよ。
本人は『望みが叶った』 ただみんなが早過ぎるって言けど。
『全部お膳立てして去るよりも ある程度のところでパッと渡した方がいいんだ』と。
『それでないと、跡を取るのでもいろんな意味で苦労があった方が逆に自分のものになるんだ』
『そういう意味では、満足。自分自身、悔やむことがあるかというと、それもない、満足』 と。」
小室「ぶつかって愛情を確かめるタイプの人だった。
だから今流で言えば『ウザい』と思う人はウザいと思ったと思う。 ぶつかっていく人だから。」
小室「最初からもう『チューして、チューして』って。」
美輪「『かわいい、かわいい』でね。」
小室「初めてだったんで…そういう人。」
江原「だから不思議なもので、前世やいろんな魂の旅の中で、そして今に至り、
前も得られなかったものが、いろんなご苦労はあったでしょうけれど、
その分ごく普通の愛情という、大きな無償の愛っていう、実はなかなか得られそうで得られない宝に結びついたんですよね。
世間一般からすると、音楽家としての活動の方が、それこそ誰にでもなれるものじゃない、 一握りの中のまた頂点で、と思うでしょうけれども、
小室さんにしてみたら 『そっちは自動的になった』。
でも、むしろ家族とか、その愛情の方を得ることの方が えらく時間がかかっておられるんです。」
美輪「それを得るために生まれてきたわけですよ。
それを得られて… 無償の愛というのは、若い方でお分かりにならないでしょうけれども
何にも見返りを要求しないということ。
相手からの『これだけ愛してるんだから、これだけ愛してちょうだい』
『これだけ思ってるんだから、どうしてわかってくれないの?』
わかってくれなくたって、何でもいいの。何にも返ってこなくたっていい。
『愛してるわよ、愛してるわよ、さあ、いらっしゃい』といって、それで向こうに逃げられて、蹴飛ばされても 『それもいいでしょう、あなたの好きなようにすれば、あなたが幸せだったら』
そうやって全部受け止めて、何にも見返りを要求しないのが無償の愛ですよ。
お父様がそういう人だったというのは。」
江原「まさに『愛の讃歌』の世界でね。」
美輪「そうなの。」
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