琴欧洲関

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【 2008年09月06日放送】【133回】パート1

今日のゲストは、ブルガリアの出身で大相撲力士の琴欧洲関さん。

【琴欧洲関 スピリチュアルチェック】
小さい頃なりたかった職業⇒ケーキ屋さんや警察官になりたかったです。
毎日欠かさずすること⇒はい、毎日ヨーグルト食べてます。
好きな女性のタイプ⇒優しい人ですね。
不思議な体験⇒去年、先代の親方が亡くなられた後 稽古場を見に来てたっていうことが何回かあったですね。
将来の目標⇒もう一つ上の横綱まで頑張ります。

[オーラの泉について]
国分「でかいなあ。よろしくお願いします。」
琴欧州「よろしくお願いします。」
国分「これは今、身長どのくらいなんですか?」
琴欧州「2メートル3です。」
国分「2メートル3センチですよ!」
美輪「素敵ねえ。」
国分「江原さんが今日はちょっとちっちゃく見えますね。」
美輪「すごくうれしいんですって。自分が小さく見えるからって。」
国分「手、比べてみていいですか?
これですよ!足じゃないですか、もう。」
美輪「大人と赤ちゃんみたいね。」
国分「本当ですね、どうぞお座りになって下さい。椅子、大丈夫かな?」
琴欧州「はい。」

国分「大丈夫ですか。なぜこの番組を選んだんですか?」
琴欧州「このテレビ、何回もみたことある。」
国分「この番組を?」
琴欧州「はい。興味を持って…出たいと思ってました。」
国分「やっぱりスピリチュアルとかに興味を持っているんですか?」
琴欧州「あんまり信じない方だから、逆に出たくて。」
国分「ブルガリアという国では、そのスピリチュアルとかいうのはありますか?」
琴欧州「はい。あります。うちのお母さん、結構信じる方だから。
国分「あ、お母さんが信じるわけですか。」
美輪「やっぱりね。さっき言っていたの。」
江原「もうずっとお母さんの姿が、美輪さんはいつもずっと見えていて。」
美輪「オンエアする度にね、琴欧洲関の後ろにね、お母さんとマリア様が見えててね。」
国分「マリア様も?」
美輪「もう、その愛情の深いことったら、ふわぁっと琴欧洲関を包んでて。
このお母さん、ものすごく信仰深い方だったのね。それが見えたのね。」
国分「美輪さんは大関が相撲を取っている時にも、そうやって見えているわけですか?」

美輪「私は昔から、無茶苦茶大ファンだったから。
あまりイケメンの方って前はいらっしゃらなかったじゃない?千代の富士以来、ずっとね。」
国分「そうですね、親方、かっこいいですね。」
美輪「ちょっと個性的な顔立ちの方ばっかりでちょっと私、興味がなかったのね。
そうしたら、突如として。」
国分「来ましたよね、ブルガリアから。」
美輪「それでフッと見た時に。まあ、何てこの人は赤ちゃんみたいに純粋で。」
国分「そう見えるわけですか?」
美輪「ちょっと優し過ぎるくらいに純粋、って思ってたので
いっぺんに好きになっちゃったの。それからず~っと、欠かさず拝見してる。」
国分「うれしいですか?」
琴欧州「うれしいですね、やっぱり。まだ会ったこともない時から大ファンになってくれ 本当にありがとうございます。」

国分「江原さんとも初めましてですか?」
江原「もちろんです、初めまして。」
琴欧州「珍しい方、着物を着てるから。」
国分「あ、なるほど。」
琴欧州「なかなか着物を着てる方がほとんどいない。」
国分「そうですよね、日本人なのに。着物を着てテレビに出ている方っていうのは少ないですよね。」
琴欧州「少ないです。自分もいつも着物じゃないですか。同じね。」
国分「若干、『昔は相撲を取ってたんじゃないか』みたいな。」
美輪「おっとっと。」
江原「ひと言余計で。」

琴欧洲関の本名は、カロヤン・ステファノフ・マハリャノフといいます。
ブルガリアの農村に生まれた時の体重は4800グラムもあり、
小学生の時は 同級生よりも頭ひとつ分は大きかったそうです。

*:.。.:*☆*.。.:*

ブルガリアの両親のコメント
お父さん「カロヤンは真面目で勉強好きで、スポーツもやっていて。」
お母さん「いい子でしたよ。友達といる時はみんなをまとめるリーダーでした。」
お父さん「いつも『ああして、こうして』と指示を出していました。
息子は10歳の時からこういうワラ(重さ15キロ)を運ぶ手伝いをしてくれました。
結構、重労働なんですよ。」

スポーツ万能で、小学5年生でレスリングを始めます。

当時のコーチをしていた方のコメント
「彼は、毎日強くなっていきました。文字通り“天才”だったんです。
これはもう、大変な逸材を見つけたと思ってものすごく興奮しました。
例えばこの鉄アレイは32キロあります。
ものすごく重たいんです。彼は15歳の時、これを両手で振り回しました。
本当に驚きましたよ。」

15歳でブルガリアの全国大会で優勝し、翌年はヨーロッパ選手権で2位になり<、br /> 高校卒業後はアスリートを養成する国立スポーツアカデミーにトップで合格します。
オリンピックを目指して本格的なトレーニングを始めるのですが、身長が2メートルあったため
当時の上限、130kgだったレスリングの体重制限に苦しむことになります。

お母さんのコメント
「試合前になると、一週間は水だけの生活になるんです。
最後には水も飲まないで吐いていました。見てられませんでしたよ。」

さらに2002年の階級規定変更で、130kgの上限が120kgとなり
恵まれた体格を持ちながら、レスリングを諦めることになります。

*:.。.:*☆*.。.:*

[レスリング]
国分「もともとはオリンピックを目指すくらい、レスリングは強かったわけですか。」
琴欧州「うん、強かった。目指してました。」
国分「レスリングの出会いっていうのは、どうやって出会ったんですか?」
琴欧州「お父さんがやってて、お父さんからは声が全くかけられなくて
自分から行くことになりました。」
国分「いろいろなスポーツがある中で、レスリングを選んだんですか?」
琴欧州「子供の時、いろいろなスポーツをやっていて、バスケットボールとか サッカーもやっていたけど、みんなグループじゃないですか、
チームがダメだと勝ち進めないじゃないですか。
レスリングだと自分の力で優勝ができることが大きいポイントでした。」
国分「なるほど、ただ体重制限のルールで130kgが1番重たい。」
琴欧州「だったのが、今は120kgです。」
国分「これは大きいですよね。」
琴欧州「何も食べれないし、最後は水も飲めない。」
国分「もどしてもやせなきゃいけない状況で。」
琴欧州「そうです、はい。それで体がまだまだ大きくなるから、 ずっとそのままできるかという…。
それで相撲から声をかけられた。
『うちに来ても、ダイエットないよ』って。」
国分「『お相撲にはダイエットはないよ』と。」
琴欧州「はい。」
国分「『お相撲があるよ。』とは言われましたけれども、
レスリングを諦めるっていうのはどうでしたか、悔しくなかったですか?」
琴欧州「いや悔しかったですね。」

国分「すぐ切り替えはできましたか?」
琴欧州「いや、すぐはできなかった。レスリングもやって、相撲の練習もやっていた。 両方やっていたけれども。」
美輪「でも相撲は日本の国技でしょう?
どうやって興味をお持ちになって、そのきっかけはなんだったんでしょう?」
琴欧州「大学に入った時で、レスリングのマットの上に相撲のシーツをひいて 練習をやっていた。
それで見て、おもしろかったです。」

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