琴欧洲関

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【 2008年09月06日放送】【133回】パート1

今日のゲストは、ブルガリアの出身で大相撲力士の琴欧洲関さん。

パート1からの続きです♪

[相撲の世界へ]
国立スポーツアカデミーのレスリング場では、相撲の練習も行われていたため
最初は面白半分で参加しました。
後にレスリングから相撲に転向すると欧州の相撲選手権で次々と優勝。
日本の大相撲関係者にも強さが伝わり
2002年に佐渡ヶ嶽部屋に入門します。

国分「最初は遊びでやっていて『減量とかをしなくていいよ』ということがきっかけで 『やろう』と思うようになったんですか?」
琴欧州「いや、もともとうちの部屋の床山さん(まげをゆう人)がいて、その方がドイツで。相撲の大会で出た時、優勝して声をかけられた。
『日本でプロの世界に入らないか?』と。」
国分「で、そのスカウトをされた時に、もう即決ですか?
『よし、行くぞ、日本に』。」
琴欧州「失礼な言い方かもしれないけれども“変な人”と思った
まさか自分が日本でプロの世界に入るなんて。」
国分「考えてもいないし。」
琴欧州「考えてもいないし、その次の大会に行った時は、 同じ人が同じことを、また話しかけた。
『あ、本当じゃないかな?』って初めて思いました。」
国分「じゃあ2回声をかけられているわけですか、。」
琴欧州「それから電話でしゃべるようになって、日本に来ることになった。」
国分「日本の競技、国技だっていうことはわかっているわけですよね、相撲というのは。
だけど日本という国がどんな国だということは全くわからないってことですか?」
琴欧州「まあドキュメンタリーとか、そのくらいしかみたことがない。
今まで日本に来たこともないから。」
国分「どんなドキュメンタリーなんですか。その当時日本のイメージっていうのは。」
琴欧州「みんな忙しい。電車に乗って、仕事を一緒にやって。
新宿とか銀座とか、電気とか光がいっぱい。」
国分「あ、やっぱり日本って忙しいイメージなんですか?
みんな慌しく仕事をしているイメージで。」
琴欧州「はい。時間がなくて、電車の中で寝るというのが信じられなかった。」
国分「それが信じられないですか。『もう家で寝ればいいのに』と
それで、そういう話が来た時に、ご両親にも相談はするわけですよね?」
琴欧州「はい。」
国分「どんな相談で、お父さんたちは許してくれましたか?」
琴欧州「『自分で決めなさい』と言われた。もう19歳だったから、もう大人だから。
まあ、お父さん、お母さんも自分の意見を言っていたけれど、最後は自分で決めました。
多分、お父さん、お母さんもよくわからなかったんだと思う。」
国分「どういう世界かっていうことですか。」
琴欧州「どういう世界か、はい。」

*:.。.:*☆*.。.:*

日本に行くことになったときのお母さんの気持ちは 日本で暮すなんて心配でしかたなかったそうです。
言葉がわからないところに 一人で行くなんて。
当時は、日本がどこにあるのかさえ知らなかったのだそうです。

琴欧州の少年時代のことを知る地元の方は、
すぐ近所に住んでいた坊やで、とってもいい子で、体が大きかったそうです。
今ではすっかりブルガリアのヒーローになっているとのこと。

少年時代にはスポーツの他にも才能があったそうです。
お母さんがいうには、カロヤンは料理が大好きで、コックになると思っていたそうです。
格闘技をやるなんて思っていなかったとのこと。
おとうさんも、レスリングじゃなくて料理の道に行けばいいのにと何回か言ったそうです。

そんな琴欧州は、14歳の時にはお母さんへ手作りのプレゼントをします。
お母さんは、仕事から帰ってきたら、手作りのケーキがあってとてもびっくりしたそうです。
ケーキを見た時はうれしいやら、びっくりするやらで大変だったそうで、
ずっと忘れることができないプレゼントだ、といっています。

ケーキの作り方を教えたお隣の方によると、ある日、突然やってきて『しまうまケーキの作り方を教えて下さい。』と言ってきたそうです。
「お母さんが毎日、夜遅くまで働いているから、ケーキを作って喜ばせたいんだ。」と 言っていたそうです。

お隣の方が作られた『しまうまケーキ』は、ココアとプレーンが交互に重なったスポンジに たっぷりのココアクリームがのったものです。

*:.。.:*☆*.。.:*

国分「カロヤン優しいね!本当に。14歳っていったら、どうですか、
やっぱりちょっと反抗期で、お母さんと話さなくなる歳だと思うんですよ。
僕は間違いなく、そういう歳だったんですけど。」
美輪「いや、それは日本はそうなのよ。日本は全部、みんながトゲトゲしいじゃない?」
国分「そうですね。」
美輪「だけど、あの風景を見てご覧なさい。町の人、村の人たちそして畑、緑、 空気がすごく美しくて、おいしそうな空気で、いい匂いがしそうでね。
優しくならざるを得ないでしょう?
もう日本の、灰色のトゲトゲしい、ほこりだらけの、排気ガスだらけの全然違うんですもの。」
国分「全然違いますよね。」
美輪「やっぱりあそこで育つと、みんな優しくなるんでしょうね。」
国分「そういう景色の差というのは、やっぱりあるわけですか。」
美輪「うん、やっぱり景色とか環境とかね、人間に与える精神的なものとか。
やっぱり違ってくると思いますよ。」
国分「あれ馬車とかって本当ですか?」
琴欧州「まだいますよ。山の方にいます。」
国分「覚えていますか?14歳の頃、お母さんに作ったケーキというのは。」
琴欧州「はい、覚えています。」
美輪「あれおいしそうじゃない。身がパリっとして薄くてね、中が柔らかそうで。」
国分「そうですね。今日は作ってきてくれたんですか。」
琴欧州「今日は作ってきてない。今日は稽古してました。」
国分「でもやっぱりお母さんは、日本に来るのを心配していましたね。」
琴欧州「心配していたみたいですね。」
国分「やっぱり日本がどこだかわからないという。」
美輪「だって愛してる人がね、わけの分からない、どこの国、地図のどこにあるのか 分からないようなところでしょう?
そこへたった一人よ。そりゃあ心配ですよ。」
国分「親からしたら、まだ19歳なわけですものね。」
美輪「いや、親っていうのはね、子供がいくつになっても、小さい頃のね、生んで育てた頃の、よちよち歩いてる頃のあれが、ず~っと一生引きずるのよ。
そういうものなんです、親から見れば。子供はいくつになっても、子供ですって。」

[日本での生活]
国分「日本の相撲に入門した時に、そんなに実家には電話はかけられないわけですか?」
琴欧州「まったくかけれなかったですね、多分一年くらいですね。
まず、どうやって電話をかけるのか、分からなかったです。
どうやって電話をかけるのか、聞くのもわからなくて、言葉がしゃべれなかったから。」
国分「なるほど。電話のかけ方の、その日本語を知らなかった。
『どうやってかければいいんですか?』というのを。」
琴欧州「電話ボックスは置いているけれども、どうやってその電話ボックスから電話をするかまでが。」
国分「なるほどまず相撲界に入門して、驚いたことっていうのは何でした?」
琴欧州「まず日本に来た時は、言葉がしゃべれなかった。」
美輪「あのお布団はどうでした?」
琴欧州「布団はまあ、うちの部屋はベッドです。」
美輪「あ、ベッド?そんなに大きいベッド?」
琴欧州「はい、多分2メートル50くらいあるんじゃないかという。」
国分「それは特注なんですかね。」
琴欧州「全員です。ダーっとこう並んでます。」

国分「ご飯はどうですか、日本食。」
琴欧州「ご飯はダメでしたですね。」
国分「あ、そうですか。何が一番苦手でした?」
琴欧州「最初は米が味がない、そのまんま食べるのが、びっくりしました。」
国分「味しないですか?」
琴欧州「おかずと一緒に食べるというのを知らなかったですよ。
『ご飯を食べろ』と言われて、どんぶりを渡して、ご飯だけ食べて。」
国分「なるほど。おかずと一緒に食べるシステムを知らない。」
琴欧州「ブルガリアでは、1個1個食べ切ってから次が出てくる。
『ご飯を食べろ』と言われたら、ご飯を食べてから次が出てくる。
『食べろ』って、味がないというのに、最初驚いた。」
国分「なるほど。それは新鮮ですね。
最終的に、ちゃんことかは慣れてくるわけですか?」
琴欧州「ちゃんこはもう、最初からおいしかったですよ
はい。何か不思議なスープだけど、おいしかった。」
国分「不思議なスープ、それはそうですよね。大関はちゃんこ番もやってるわけですか?」
琴欧州「はい、やってます。」
国分「ヨーグルトをちょっと隠し味で入れたりとか。」
琴欧州「それはしなかったです。ヨーグルトは別で食べてます。」
国分「毎日欠かさず、本当に食べているんですか?ヨーグルト。」
琴欧州「部屋に冷蔵庫があるんですよ。若い衆はみんな食べ放題ですよ。」
国分「ヨーグルトを?」
琴欧州「はい。」
国分「へえ、トーク番組だから、ちょっとひょうきんなところも出そうかなと思って 言ってると思ったんですけど本当に食べてるんですか。」
琴欧州「本当に食べてます。」
美輪「どれぐらいの量を1回に召し上がるの?」
琴欧州「1パック500gの。」
江原「500すごい。」

美輪「私も毎日ずっとヨーグルトは、もう長い間欠かさないの。
毎日食べるんだけど、私のは本当に小鳥のエサくらいよ。」
琴欧州「体が違います。」
国分「入って、入門してすぐの頃っていうのは、ヨーグルトっていうのは、食べれなかったですか?」
琴欧州「いや食べてましたですよ。すぐ近くにコンビニある、買いに行ってた。」
国分「コンビニに買いに行って『これだけはどうしても食べたい』と。」
琴欧州「最初はヨーグルトって、どうやって聞いていいか分からないし。」
国分「ヨーグルトって言わないんですか?何ていうんですか、ヨーグルトっていう名前は。」
琴欧州「キセロ・ムリャコ。」
国分「『キセロ・ムリャコください』って言っても『は?』ですよね、コンビニの人たちはね。そうか。」
琴欧州「で、兄弟子が持ってたパックの上に『ブルガリア ブルガリア』って書いてある。
何が書いてあるか分からない、くれたんですよ。ふたを開けて食べたらb@ あ、ヨーグルト。そのパックを覚えて。」
国分「なるほど大変ですね、1つ1つ日本語はどうやって覚えたんですか?」
琴欧州「子供と一緒ですね。みんなの話を聞いて覚えるんですね。」
国分「それはひたすら、人の話をちゃんと聞いて覚えていったんですか?」
琴欧州「そうです。」

国分「誰かに教えてもらったとかではないんですか?」
美輪「自然に?」
琴欧州「自然に覚えました。」
国分「すごい!いやぁがんばるね。本当に。」
琴欧州「がんばるしかないですよ。相撲の世界を生きてくるから、日本語必要。」
国分「日本に来て相撲をやってますけれども『もう辞めて、故郷に帰りたい』って
思ったことはないんですか?」
琴欧州「いや、何度もありました。やっぱり最初の内は辛くて、言葉もしゃべれない、
友達もいなくて。」
美輪「よく逃げませんでしたね。」
琴欧州「そうですね、やっぱりがんばらないといけないが気持ちが大きかったですね。」
国分「なぜそんなに『がんばらないといけない』という気持ちがあったんですか?」
琴欧州「小さい時から、お父さん、お母さんが一生懸命働いていたから、
朝から晩までは、ほとんど家にいなかった。
で、交通事故にあって、お父さんが仕事できなくなって。」
国分「お父さん、交通事故にあったんですか?」
琴欧州「はい。で、左手が使えなくなって、まあここは『自分しかないじゃないか』って。」
国分「その交通事故にあった時というのは、ブルガリアに。」
琴欧州「はい、19の時でそれで日本に行くことになった。」
国分「それで決断したということもあるんですか。」
琴欧州「あります、はい。」
美輪「一家のね、働き手として『お父さんやお母さんを楽にさせてあげよう』
という風にお思いになったのね。親孝行ねえ。」
国分「そうですね今も仕送りとかはしてるわけですか?」
琴欧州「はい、してます。」

*:.。.:*☆*.。.:*
お父さんのコメント
お父さんが車に乗っている映像が流れ、「最近、息子が車をプレゼントしてくれたんですよ。」。
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