京本政樹

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【 2007年01月31日放送 】【85回】パート2

今日のゲストは、時代劇などで活躍の俳優の京本政樹さん

パート1からの続きです♪

META‐JiDAIGEKI by Kyomoto‐MiX

[丹波哲郎との交流]
国分「それと後、さっきメッセージにも書いてあったんですけども。
丹波さんともすごく関係がよかったって。」
京本「後年のここ10年ばかしなんですけど、 それまでもお仕事はご一緒していましたけれど、本当に偶然が多かったんですよ。
あ、必然ですね。(笑い)
単純なことですけど、新幹線に乗ったらいらっしゃるんですよ、それだけでも2、3回。」
パッと乗ったら先生がいて、お酒も飲まれない方でチョコレートを食べられるんです。
『京本。食べるか?』といわれて、 僕はちょっとトイレに立っただけだったんですけど、
まだ東京出た所で、自分の席に戻ろうと思った瞬間に捕まっちゃったもんですから、
そのまんまチョコレート食べながら、立ったまんま、ずっと京都まで。」
国分「すい。ずっと話してたんですか。」
京本「ずっと、はい。」
国分「あの、丹波さんが亡くなった時にこの番組で丹波さんのお話をしたじゃないですか。
そしたら、丹波さんの事務所の方から、おしゃれなメールを頂いたんですね。
ちょっと今、ここで読みたいと思うんですけど。」

丹波哲郎さんの事務所からいただいたメールを国分さん朗読。
『丹波哲郎、霊界からの出演。
今は驚くほど忙しいが、オーラの泉ならいつでもOKと申しております』」
(みんな笑い。)
京本「何かでも不思議な方でしたね。
お亡くなりになられた瞬間に 自宅の方に駆け付けさせて頂いたんですけど…。」
江原「来た来た、丹波さん来た!あの人の事、呼ぶから来るんですよ。」
京本「何か言ってます?」
(後ろを振り返ります。)
江原「穏やかな顔してるけど、丹波さん、
後ろで背中、こうやってやってるんですよ。」
 (国分さんの両肩に手を置いて肩を揺らしているような感じの動作)
国分「僕も丹波さんのお家にいったことが二度ほどあるので、
覚えていてくれてるんですかね。」
江原「それは、もちろん。でも何て言ってると思います?」
国分「何ですか?」
江原「『ここ、どけ』だって。」
(みんな、爆笑)
国分「丹波さん、俺は絶対どかないよ!この位置をやっと見つけたんだから。」
美輪「あの人らしいわよね。」
江原「『本当は俺がここに座るはずだったんだ』って言うの。」
美輪「これからいろんなことを、『やりたいやりたい』と思う事がいっぱいあったのよ。
霊界のこととかをポピュラーにして定着させたかったのね。
このオーラの泉が始まって出演してくださる方も、最初から否定する側ではなくて、
『そういうことが実際にある』という設定で話が進んでいるじゃないですか。
それで大勢の方たちに浸透してきている。」
江原「『俺はね、ずいぶん前からオーラみたいな番組をやっていたんだ。
お前達の方がそれを真似たんだ』と、ね。」
美輪「他局でやっていて、私も何度かゲストで出たのよ。
なかなか花が開かなかったのよ。
それを丹波さんは雪辱を感じて悔しがっていらしたのね。」

~自ら霊界のスポークスマン』と名乗り
俳優だけではなく心霊研究家としても知られる丹波哲郎さん
可愛がっていた京本さんがゲスト出演するとあって
いてもたっても居られず、霊界からスタジオに、いらっしゃったようです~

国分「はい、じゃあ、ちょっと丹波さんいますけれども。」
京本「ちょっと、黙ってて頂いて。」
国分「ちょっと、ちょっと静かにしてもらって。」
江原「ちょっと話、違うんですけれども。京本さんは、 大阪のご自宅の方には、あまりお帰りになってないんですか?」
京本「もう、自分や父親が住んでいた家は、もうないので。」

[亡き父の思い]
江原「あ、そう。実はね、鍵をこうやって出すんですよ。
この鍵を京本さんにね『渡してない』って言うんですよ。
私はその鍵は家を指してるんだと思うんですよ。」
京本「はい、はい。」

江原「だから、家やっぱり、存続させたいという思いがすごく強かったのだろうと思うんです。」
京本「ああ。でも、父は45歳で他界しまして。
芸能界に誘われて、 実は最初、音楽の世界で上京しようという時に父の運転する車の横に乗っていたら
『お母さんは反対しているけれども、俺は政樹が大成すると思う。
お前はね、時代劇がいけるんだよ』なんて事を言って。
僕は『時代劇にいくわけじゃないから。何を言ってるんだろう?』と思いながら。
その時にもうひとつ言っていたのが『芸能界っていうのは 親の死に目にも会えない世界だから、
目指していく以上は、 絶対に成功するまで 二度と家の敷居をまたぐなよ』
帰ってくるなと言われました。
僕、実は1回、それから半年後ぐらいにちょっとくじけて、戻った事があるんですよ。
そしたら、あの家に入れてもらえなくて、父親は顔も出さなくて。
お母さんは内緒で玄関脇のリビングで寝かせてくれ、『明日帰りなさい』って。
そのときに『成功するまで絶対に帰れないな。帰っちゃいけないな』と思ったんですね。
それから半年後ぐらいにテレビとかが決まって、デビュー作を同時に 2、3作撮っていたんですけれども、その最中に父親が亡くなりまして。
それで本当に死に目に会えなくて。
ただ、おっしゃってる意味がわかるのは、 家をちょうど建てたばかりだったんですね。」
江原「それと後、もう一つに『大成した』ってことを言いたいんですよ。
『だから帰って来ていい』って事なんですよ。」
京本「ああ、ありがたい事ですよね。実は僕は父が怖くて、
思いっきり会話をしたという記憶があまりないんですね。」
江原「怖いだけじゃなくて、怖くなかったとしても、
そんなに会話をする人じゃないですからね。」
京本「そうですね。無口な人でしたね。」

美輪「昔の父親はみんなそう。男は黙ってね。
いつも他言無用とか、 不言実行とか。喋らないのが美徳だったんですよ。
今のお父さん達みたいに、家族にいろいろ喋るというのは
『男のくせにベラベラしゃべりやがって』と昔はいわれたものなんですよ。」
京本「たまにちょっとしゃべるときは、『お前は時代劇が似合うよ』 とか、
ちょっと何か分らないんだけど、
僕にとって何かうれしいことをぽっと言ってくれるような人でしたね。」

江原「将棋盤か碁盤分らないけど前に座って、
のんびりしてる感じの姿なんですよ。
でいて、何かそういう風に京本さんと差し向かうのがほんとは一番の望みだったんですよね。」
京本「ああ。今思うと、うちの父親はすごくお酒が好きだったんですけど、
僕はそのときお酒を飲める歳でもなかったし、そういうことも全然なく亡くなったので。
僕は45歳をとっくに越えまして、何か不思議な思いでいますね。」
江原「だから、逆に、今はお父さんのお気持ちがわかりますものね。
『多分、こういう風にしたかったんだろうな』とか
『男同士、付き合いたかったんだろうな』とかね。」

国分「そんなに何かメッセージを、っていう事でもないですか。」
江原「ほんとは、だから『会いたかった』って事なんですよ。
今の親御さんはすぐに『会いたい』『帰って来い』というでしょう?
でもこのお父さんだって、京本さんにとっては怖かったかもしれないけれども、
息子が可愛くないわけではなくて。
『親は我慢する』という気持ちが昔はあったと思うんですね。結婚もそうでしょう?
『お嫁に出したら、もうお前の帰る家はないですよ』とあえて言う。
今はすぐ『帰って来い』といって。 夫婦喧嘩をしたら『もういい、帰らなくても』
と平気で言っちゃうでしょう?そういうことをグッとこらえる。
ほんとは助けたい、結婚して苦労してるのか、ということがあっても、
それを口に出して言わない。そこが昔の親の強さ。」

美輪「可愛い子には旅をさせろ』って。」
京本「丁稚奉公って言葉、よく使ってました。丁稚奉公させるからな、
と後もう一つ、さっきの話に戻るんですけど。」
(※丁稚奉公⇒職人や商人の家に住み込みで雑役に従事すること)
京本「『俺は、まだお前がお母さんのお腹にいるときに、飛行機に乗って東京に行ったんだ。
その時に大川橋蔵に会ったことがある』と言っていて、それが生涯の自慢でした。
父親は橋蔵先生のところに声を掛けにいって。」
美輪「そのときにご縁ができてたのね。」
京本「当然、先生は覚えていらっしゃらなかったですけれどね。」
江原「でも、お父さんの引き合わせでもあるでしょう。
だから京本さんの生前のお父さんに対する思いとは違ってね、
お父さんの方は京本さんに対する熱い思いがありましたね、今もなお。」
美輪「だから、京本さんが挫折して帰ったときに、
ものすごくお辛かったのよ。会ってねぎらいたかったんだけど、
それをグッと我慢していて。それが気の毒だったのね。」
京本「本当にそのまま、会えないままに…。」
美輪「可愛くてしょうがなかったのにね。可愛いからこそ、『旅をさせよ』でね、
自分たちが生きている間は、この子はこんな女の子みたいな顔をしているから。
ひ弱で、甘やかしたら自分たちが死んだ後は独り立ちしてやっていけない。
とにかく荒波に放り出して、うんと厳しくして、
自分たちが死んだ後でも 立派にいろんなものと戦ってやっていけるように しなければならない』という風に。
それが本当の愛情で、それをお持ちだったのよね。」
京本「はい。」

[ブリキの玩具に…]
江原「それとあとね、京本さんてあの色々とコレクションなさるじゃないですか。
ブリキのおもちゃ、お持ちになってないですか?」
京本「持ってます、はい。」
江原「で一ね、バスかトラックかの乗り物で黄色い色が入ってるやつ…。」
美輪「黄色もあると思いますね。」
江原「古い物で新品じゃないんですよ。それでいろんな所、渡って来てるんだけどね。
男の子がみえるんですよ。だから、それはそのお子さんの持ってた物じゃないかな?
江原「手に入れたのは、いつですか?」
京本「手に入れたのは、10年ぐらいだったと思うんです。」
江原「10年ぐらいたってるから、それ程じゃないと思うんだけれども。
風邪引きやすくなったり、気管支とかにきやすいんですよ。」
京本「風邪引き易いんですよ。」
江原「その子がね風邪こじらせて亡くなっているんですよ。
今でいうインフルエンザじゃないかと思うんだけれども。
外国の子なんだけど、テレパシーで会話すると 『熱が出て咳が出て苦しい』っていって。
そのおもちゃはすごく大好きだったいうのがあるみたいで。
ちょっと、そういう影響受け易くなっちゃう。
多分、悪気は全くないから、帰ったら、
『もうボクの時代じゃないよ。向うの世界でいくらでも遊べるよ』 ということを言ってあげたら、
『風邪引かなくなって来たな』という風になりますよ。」
京本「そういうのが原因なんですね。」
江原「その子の状況を理解してしまうところがあるんですよ。」

[京本政樹のオーラ]
江原「京本さんのオーラの色はそれこそブルーとかって冷静な部分、 すごくあるんだけど
案外と紫、強いんですよ。それでいてね。
少しくグリーンもあるのね。意外と、同情しやすい人。」
京本「はい。」
江原「だから優しいんだけどちょっと、入り込み過ぎちゃう所がある、気持ちがね。
そういった意味では逆に、あまり同情しないで下さい。
可哀想なんだけど、浄化してね、という毅然とした気持ちで。」
京本「同情って言葉はすごく分ります。何か、見捨てられないっていうか。
入り込み過ぎだなって、よく反省する事、多いんですよ。」

[お婆ちゃんの思い]
美輪「それとお婆さんがいらっしゃるんだけど、
この方は、どなたなんでしょうね?」
京本「お婆さんですか?
うちの多分、父親の母親かもしくは、 親戚筋なんですけど、僕を育ててくれたお婆ちゃんがいるんですよ。」
江原「そっちの方のお婆さん。」
美輪「あなたのことを可愛くて可愛くて、心配で心配でしょうがなくて、
あなたが病気になったりすると自分が病気になったような感じになってね。
目の中に入れても痛くないくらい、
どんなことがあっても守り抜いてみせるという方がいらっしゃるのね。」
京本「ほんとに赤ちゃんの頃から家にずっと一緒に住んで、
母親と共に育ててくれたと言ってもいいぐらいの。」
江原「でも、京本さんは思い出してくれないみたいなんですよね。」
京本「今、僕はいわれて初めて、久しぶりに思い出しました。」
美『こっちの思いを知らないで』ってことをおっしゃりたいんですよ。」
江原「で、ちょっといじけモードになってしまう。
『どうせ私は血がつながってないからね』なんてね。」
京本「そうなんです。ずっと、忘れがちでした。
ここで初めて思い出しました。大事なこと。」
国分「京本さんは何かした方がいいんですか?」
江原「思い出してあげることが一番ですよ。」
美輪「思い出すことと、感謝。感謝を忘れていたの。」
京本「そうですね。」

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