片岡鶴太郎
【 2007年02月27日放送】【86回】パート1
今日のゲストは、お笑い、タレント、俳優、そして画家で活躍の片岡鶴太郎さん。
【オープニング】
国分さんが二人に質問しました。
「人生の中で、いきなり何かの才能が芽生える人っていると思うんですけども、スピリチュアル的な力があるんですか?」
江原「グループソウルという魂の故郷があって、
そこには前世でのいろいろな才能を 持っている人たち(現世に生まれている人をサポート)がたくさんいて、
その中のどなたが一番関わってくるかということにもよるんです。
一般的にはガイドスピリット(指導霊 趣味や職業を導く霊魂)といますが、
入れ替わることがあるんですよ。
そうすると、突然に職業を変えたりしてまた成功なさったりね。
それは悪いことではなくて、その時々で自分の役目が変わっていったりする場合があるんです。」
美輪「わかりやすく言うと、『担任の先生が替わる』っていうこと。
音楽専門の先生、図工科専門の先生、いろいろいるじゃない?
その人(ガイドスピリット)がその教室の担任になるということ。」
江原「わかりやすい。」
国分「そうですね。」
国分「今日のゲストの方は芸人さんから役者さんへ。
さらに40歳を越えてから、いきなり絵にも挑戦するようになった不思議な方です。
~1954年 12月21日 東京生まれ
お笑い芸人から俳優へ
30代でボクシングに目覚め、40代で画家に
年と共に様々な才能を開花させて来た片岡鶴太郎さん
52歳の誕生日を迎えた、この日、オーラの泉に導かれた理由とは?~
~片岡鶴太郎さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~
【片岡鶴太郎 スピリチュアル・チェック】
小さい頃なりたかった職業 ⇒ボクサーと喜劇役者
画家として今、描いてみたいもの ⇒奈良のあたりの大和路の日本の原風景
リラックスするときに必要なもの ⇒最近モーツァルトやバッハなどの
クラシックをきくようになった
強く印象に残っている夢 ⇒渥美清さんの寅さんが『鶴ちゃん、飲みに行こう』と
誘いに来るのだけど、
それが嫌で居留守を使っているのに一つ一つ部屋を開けられている夢
人生の最も大きな転機⇒ボクシングをやっていた32歳のとき
美輪さんとは20年ほど前にある番組でご一緒になって以来とのこと。
銀座を車で走っていたら『あ、美輪さんだ』ということがあったりとか。
江原さんとは初めてお会いになるそうですが オーラの泉は毎週のようにご覧になって、
スピリチュアルなことにも興味があるそうです。
不思議な体験などはないようで、見た事もないし、 そういった意味では鈍感なんだけど、
何か、見える物だけではない見えない世界と いうものも、あるなという意識はあるそうです。
番組の収録日は、鶴太郎さんの誕生日で52歳になったとのこと。
美輪「おめでとうございます。まだお若いのね。あたくしの歳まではまだ何十年もおありになるじゃない。」
江原「そうですね、まだまだハナタレですものね。52じゃね。」
スピリチュアル・チェックを振り返ります。
[32歳でボクシングを始める]
人生の転機がボクシングを始めた時とおっしゃった鶴太郎さん。
ボクシングを始められたのは32歳。プロライセンスをとる年齢制限が33歳なので、
1年掛けてライセンスを取ろうと思っていたそうです。
『オレたち ひょうきん族』でお茶の間に名前を知っていただいたのが 25、6歳くらいで、それからレギュラーは8本くらいあって、
ずっと忙しい日々が続いていったんですけれども、
どこかで満足し切れないところがあったそうです。
鶴太郎「バラエティというのは、陰と陽でいうと陽の部分の表現ですよね、
なかなか陰の部分というのは表現できない。
私の中にも陰と陽があって、その陰の部分、人間の喜怒哀楽とか不条理とか、
そういうものを表現していきたい。その私の表現というのは全部、
誰かに扮してギャグ、お笑いを表現したり、『おばちゃま』に扮したりとか。」
国分「マッチさんも、そうでしたね。」
鶴太郎「ピョンコちゃんに、扮したりとかね。全部、扮していたんですね。
ですから、 私は誰かに扮していないと、
自分の素の状態で出ると、
何か表現がし辛いというか。」
美輪「マジになっちゃうのね。」
鶴太郎「まじになるんですかね。
ですから表現すると変われるんですけれども、 私の資質としては演ずる、
つまり、役者的な方向を強く表現していきたいと思ったときに、 その当時、
体重が65kgぐらいあったんですね。
バラエティの番組はわりと午後からの収録が多いので夜中まで飲んでいられるわけです。
夜中まで飲んで遊んで、それをまたネタにしてトークをして。
1日に四食も五食分も食べて飲んでいたものですから、
一回、 肉体も精神もリセットしたい、削ぎ落としたい、というのがあって。
それとボクシングが33歳までというのが合致したんですね。
ライセンスに向けて、体もシェイプしていこうと。
どこかで、魂というか、
私の中にいる腹の主みたいなものが 『ボクシングだな、ボクシングなら』
という声みたいなものがあったんですね。」
国分「僕、わかります。僕も20代前半は、忙しい半面、どうしても夜、
みんなとお酒を飲んで楽しんで、現場に行く五分前に起きて歯も磨かずに、
そのまま出て現場で歯磨いて、これでいいんだと思いつつ、
どこかでこんな自分が嫌いだったりするのもあってりして。」
鶴太郎「正にその通り、ほんとに5分前ですもんね。 楽屋で何でもできましたからね。
本当にパジャマのまま現場に行ったことがありますよ。」
国分「だから忙しい中で、やはりもう一人の自分がいたということなんですか?」
鶴太郎「そうなんです。
もう一人の自分が『これでいいのか?これでいいのか?』と言う声は、
もうずっとあったんです。
その声にずっと耳をふさいで、『今は忙しいし、みんなと一緒に遊ぶことも芸だし、
これも大事なんだ』って
でも、その声はだませないんですよね、だんだんと出てきて。
やっとその内なる声に耳をそばだてて 『このままでいいのか。
このままで本当に納得していく人生であるのか?』という声があったんで
『いいえ、違います。私はこれでは満足できないし、納得しません。
どうしたらいいでしょうか?』と。
そしたら、ボクシングで1回清めるということが出てきたんですね。
[鬼塚選手との出会い]
それでジムに入るんですけど、鬼塚選手との出会いがあったんですね。
(※鬼塚選手⇒元WBA 世界ジュニアバンダム級世界チャンピオン)
鶴太郎「鬼塚さんが、まだ高校生の頃、昼間僕がボクシングの練習をしていたら、
下駄箱のところに眼光の鋭い青年がいるんですね。
まあ見学者だろうと思って。ボクシングは簡単なものじゃないぞ、と思いながら。
そうしましたらトレーナーが来て 『鶴さん、鬼塚っていいましてね、
彼は高校チャンピオンで、うちのジムに入るので、これから一緒に練習しましょう』
って言うんで、へーと思いましてね。
彼は『僕は世界チャンピオンしか目指していない』
ということを、 はっきり言ったんですよね。
ですから、本当にボクシングをやってよかったなと思うのは、
こんなに素晴らしい出会いというプレゼントをいただいて、
ボクシングをやることは間違いじゃないんだな、という確信みたいなものを感じましたね。」
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