片岡鶴太郎

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【 2007年02月27日放送】【86回】パート2

今日のゲストは、お笑い、タレント、俳優、そして画家で活躍の片岡鶴太郎さん。

パート1からの続きです♪

大人の墨遊び

~32歳でボクシングを始めた鶴太郎さん。
そこには当時高校生だった鬼塚勝也との出会いがありました
鬼塚選手が世界にチャレンジした時、鶴太郎さんはセコンドを務め
チャンピオン誕生の瞬間を分かち合ったのです~

[転機の32歳]
国分「僕は、いま32歳なんですよ。
なので何か考えさせられるものがあるというか。
自分でも、何か一歩踏み出そうとする年代なのかなとも思うんですよね。」
鶴太郎「32歳ってそういう歳ですよね。」
国分「音楽をやりながら、こういうトーク番組をやっているんですけれども、
もうひとつ、何か自分をもっと鍛えたいというか…。」

美輪「私もそうだったわよ。『ヨイトマケの歌』がヒットして、 ブームになっていたんだけれども、
何かもうひとつ大台に乗りたいという何かがあったの。
そうしたら寺山修司さんが、『私のために芝居を書いたからやってくれ』っていって。
(※寺山修司⇒(1935-1983 1967年 劇団「天井桟敷。」を結成。
第一回公演・ 「青森県のせむし男。」に美輪さんが主演)

鶴太郎「天井桟敷(てんじょうさじき)(かつて日本に存在したアングラ劇団のこと)。」
美輪「『アングラというのが日本にはないから定着させてやりたい』って。
脚本をみたら気に入ったので、『これじゃないかしら』と思って、
周りの反対を押し切ってアングラをやり出したの。」 鶴太郎「それが32歳ですか?」
美輪「32。」
国分「何か、ありますね、32歳。」
江原「私も32歳のときに声楽を本格的に勉強することに。」
美輪「だからおもしろいのよ。」
国分「32、キーワードですね。」

[40代で画家に]
国分「ただ、絵も40になってからですか?始めたのは?」
鶴太郎「そうですね。」
国分「この絵というのは、どういうきっかけで?」
鶴太郎「30代はリセットしてボクシングをやって、役者の方もやって、
大変充実した30代を過ごすんですね。
鬼塚選手も世界チャンピオンになって 防衛を重ねて、まあ、やがてタイトルを明け渡した。
その頃、私も30代から始まったシリーズのドラマが終わって。
非常に充実した30代だから、よけいに引き潮のようにサーっと離れていって。
『さあ今度は、これから、40代からの後半生、私は何をやっていったらいいんだろう?』
何もなくなったんですね。明日が見えない、
何かこう薄ら悲しい 夕焼けを見ると涙が出るような…。」
美輪「寂寥感(せきりょうかん)ね。」
鶴太郎「ええ。そういう日が重なっていったんですね。
その頃、2月の寒い朝で、ロケに行かなくてはいけないので1人でパッと家を出ると 何か朱の色の気配がするんですね。
ふと見たら、椿だったんですね。
椿が咲いていて、非常に孤独感に包まれた私が、 椿と目と目が合ったときに。 『あ、俺ひとりじゃないんだ。
君もここで1人で咲いていたのか』
初めて花と語り合えると言うんでしょうか、 その椿に非常に癒されたんですね。
この感動を表現できる人になりたいと思ったんですね。
もし私に音楽的な才能があれば、この椿に癒された音色を音で奏でることができただろう 。
けれども、そういう才能がなく、どうしたらいいんだろう?
と思ったときに 白い紙に色と形で表現できる絵でもって自分の中のポエジーを 表現したいな、と強く思ったんですね。
それが絵にいくきっかけになったんですね。」
(※ポエジー⇒詩的な世界・詩情)

国分「絵はじゃあ得意だったんですか?」
鶴太郎「まったく、子供のときの授業であるくらいで、それ以来描いていないんですよね、
美術館も行ったことがないんです。
まったく絵とは無縁のところにいて、そんな男が絵を描いてみたいってなったときに
まず自分が驚いているんですよね。
『なぜこんな風に、こういう心のあり方になるのかな?』
だけど『描いてみたい』という内なる声があるものですから
これはやはり躊躇せず着手するべきだと思って。
文房具屋さんに行ってわからないものですから、 安い墨と硯と筆を買ってくるんですね、
墨なんですよね、油絵の具じゃないんですよ。
描き方もわからないものですから なんとなく自分でやりだしたんです。」
国分「普通は、絵の具を選びますよね、絵を描こうと思ったら。」
鶴太郎「墨なんですよね。楽しく墨で遊べたらいいな、って。やっぱり憧れたんですね。
詩を書いたり、絵を描いたり、その中に絵の具を入れて
そんなことが出来たら素晴らしいな、という風に思ったんですね。」

~墨の濃淡に加え、鮮やかな絵の具の色彩で表現される墨彩画の世界
それは鶴太郎さんの見出した感動の表現でした~

[たましいの声]
国分「ボクシングも絵も、どこかでもう一人の自分が言っている感覚なんですか?
『描いてみたら?』とか。」
鶴太郎「なにかそういう声というんでしょうか、それはあるんですね。
ですから、自分の中にいる主、というか魂の声みたいなものが、
やはり私を誘導してくださっていると思っているし、それを信じているところがあります。」
江原「それは、ふと感じるんですか?」
鶴太郎「わりかし気配みたいなものは、今もずっとあるんですね。
だからいつも『どうなんでしょう?』ということは、問いているんです。」
美輪「おもしろいのはね。人間てね、因縁もそうだけどね。
そういう思いが堆積してるわけよ。 地面がジュラ紀、氷河期といろいろあって
堆積しているように、因縁も溜まっているのよ。
その中で一番軽いものから上へ出てくるの。
一番重い、肝心なものは、一番最後に出てくるの。」
国分「ボクシングや絵は、徐々に出てきている。」
美輪「そういうことなの。」

江原「それと違う部分で申し上げると、サイキックな霊的な能力、
例えば私だとかが こうやって聞こえてくるんです、と言っている『聞こえる』は
空気の振動で聞こえる物理的な音とは違うんですよ。
実は『聞こえる』というのは、中から聞こえてくるんです。」
美輪「内なる声。」
江原「それが他人格の意識だっていう事とか、声とかいう形の音色で認識するのが 霊能力ということになってくるんだけれども。
だから、片岡さんの場合は、割とそれに気がつかずに聞いていたりすることもあったりして。
『見る』というのも、自分自身の中に映っているものを見ているんです。
これね、片岡さんが一番わかっていると思うけれども イメージって自分の中に映るものでしょう?
例えば椿を描こうとするときに、椿というイメージは自分の中にありますでしょう?
それを表わしていくでしょう? それなんですよ。受動体って。
要するに椿、と思っていないのに『あれ?椿が見えてくる』ということ、
それが霊視とやつなんですよ。」
鶴太郎「う~ん。」

美輪「おもしろいのはね。江原さんが私の家にいらしたときに、
二階に天草四郎の絵を飾ってあったのね。 江原さんは何もご存知ないのよ。
その廊下に飾ってある絵の前を通りかけて 『はっ!』といってふと見たら、
天草四郎がニコッと笑っていた。つまり呼ばれたっていうわけなの。
それと同じなの。椿が呼んだの。
『もしもし』と言ってね、 椿も命がありますから、精霊、ひとつの花の精なの。
それと片岡さんの気魂のこことが交信したんですね。」
鶴太郎「わあ、うれしいですね。」

江原「しかも研ぎ澄まされた状態で、感度がものすごく良くなっていて。
そういう精霊と結びつくだけの波動になっていたから。
だからそれより以前だったら、椿に呼ばれてもわからない人だったと思います。」
美輪「テレビだってチャンネルがいっぱいあって、周波数がそれぞれ違うわけでしょう?
その椿の周波数とピタッと合ったときに、そこでコンタクトできるんですよ。
例えば、五人の人がいて、そのうちの三人が同じお化けを見て
あとの二人には『何で?』って言って全然見えないというときは、
チャンネル数(周波数)が違うんですよ。
他局をそれぞれが見ているわけ。
同じものを見た人は、同じ局に周波数を合わせていたわけ。TVの受信機と同じ。」

国分さんも先輩のバックをやってる時、三人部屋に泊まっていたとき、
山口くんとリーダーは霊を見たのですが、国分さんはみなかった経験があるそうです。
美輪さんいわく、これは完璧に周波数が違うということなのだそうです。

国分「椿からのメッセージというのは何だったんでしょうか?鶴太郎さんに対する。」
江原「花の精霊、自然霊というのはものすごく純粋で雑念がないから
真理しか伝えないんですよ。それでいて鶴太郎さんは研ぎ澄ませた時期がある。
ひとつの脱却をしたということで、本当にアンテナを研ぎ澄ませたんですよ。
別の言い方をすると、例えば空港を作ったようなもので、
空港があれば、いろんなものが降りてくる。 声であったり、導きであったり、才能であったり、そういったものがどんどん降りてくる。
だから、才能があるとかないとかよく言うけれども、
テレビをご覧になっていらっしゃる方も含めて やはり全ては自分の土台であって、 人格であって、それが空港となって いくらでもいろんなものが降りてくるのだと。
才能がないというのは、自分でその空港を作らないのが悪いんです。」

美輪「整備していないってことね。
雑草が生えっぱなしで、ボコボコの土くれの所では、 飛行機は降りられないの。」
鶴太郎「なるほどね。」

[植物を愛する理由]
国分「僕、その雑草ですね。ボコボコですわ。
この番組をやるようになってから意識して植物を家に増やすようにしたんですよ。」
江原「枯らせてますね。」
国分「そうなんですよ。正直言うとまだ植物が可愛いと思えないんですよ。
植物を一生懸命育てようと思うんで最初の内は水も、あげたりするんですけども。」
江原「あのね、視点をひとつ変えたらいいと思うんです。
国分さんにね、命を分けてくれているんです。エネルギーを。疲れているから。
植物や動物は、ものすごく献身的なんですよ。
分けてくれるから、枯れていってしまうの。
愛することで、そういう形で愛して枯れているのね。
それを知ると、お水をあげるのでも『ありがとう』とか、 『もっと輝いてね』って。
自分が微笑めばその分、花も微笑んでくれるし。
動物もそうなのね。愛するだけ愛してくれる。」
国分「うわ~。」

美輪「あのね、花というのは優しいのよ。
人間というのは意地悪だったり、妬み、嫉み、僻み マイナスの方の雑念、憎念が 半分あるけれども、花は悪い方の雑念、憎念がないんですよ。
『じゃあなぐさめてあげましょう、私でよければどうぞ』
みんな献身的で、与えっぱなしなの。 だから花は美しいの。
心がそのまま出ているのが花の形なの。
命がないと思っている、物だと思ってるけど、花は生命体なのよ。
犬や猫や人間と同じように、生命体なの。」
国分「うわ、切ない。」

美輪「お花っていうのはせつないのよ。だからかわいがってあげなさいということ。
私もお花にいろいろしゃべりかけて世話をしていると、いつもどこからか花が寄ってくるの。
花は噂をして、評判するのよ。評判があちこちに行くのよ。
お金でも、物でもそうなの。
『あそこ行ったら、えらい目に遭うから行くもんじゃないよ』って。
『ねえ、あそこへ行きな。あそこに行くと、優しくてていねいでちゃんとしてくれるから』
『じゃあ、行きましょう』ってみんな寄ってくるのよ。」
国分「僕じゃあ、今、評判悪いですね。」
鶴太郎「『あそこへ行くと短命で終わるからね』という噂があったりしてね。」
国分「でも、いまのお話を聞いただけで、気持ちが変わりましたね。」  

鶴太郎「絵を描いてるとね、椿を一輪切って、花器に入れて、
3、4時間くらい描いていて 『だいたいこんな感じかな』と思って筆を置いたら、
少しして、ポトッと落ちたんですよ。
それがあたかも私の描き終わるのを待っていてくれたような、
そういう体験があるんですね。 たまらないですね。
それから、椿って首からトンと落ちるんですよ。
それは縁起が悪いと言われるけれども、私はこんなに潔い花はないと思ってる。
テーブルの下にゴミ箱があって、そこに入っていったんですよ、
こんなに手のかからない花はない、もう大好きですよ。
そのとき私も、自分からストーンと棺に入れるような
人に手をかけないでいけるような人になりたいと思っちゃったんです。。」
美輪「健気よね。」

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