假屋崎省吾
【 2007年02月14日放送】【87回】パート1
今日のゲストは、華道家でタレントの假屋崎省吾さん。
【オープニング】
国分「さあ、今日はバレンタインデーなんですけれども。
ぴったりなこの華やかなゲストの方が、このオーラの泉に遊びに来てくれます。」
美輪「はいはい。」
国分「この番組では、よく見ます、この方。
ただ、1人で出るっていうのは初めてなんですよね
お正月のスペシャルの時に江原さんが前世についてちょっとだけ話したじゃないですか。」
美輪「ちょっとだけよ、でね。」
国分「ほんのちょっとだけ話しただけでそれが気になってしょうがないという事で。
『ぜひ、出させてください』という事で決まったお話でございます。」
江原「じゃ今日もちょっとにしておきましょうか。」
国分「あはは、新しいパターンですね。」
国分「本日のゲストの方は衣装にも注目です。」
~1958年、12月17日 東京生まれ。
園芸を愛する両親の元で育った少年は
美輪明宏が、『美を紡ぎ出す手を持つ人』と
称える華道家に。假屋崎省吾~
~假屋崎省吾さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~
【假屋崎省吾 スピリチュアルチェック】
小さい頃なりたかった職業⇒記憶が無いんですけれども、小学校のときの作文には
「画家になりたい。」と書いてありました。
大きくなってからはピアニスト。
今の生活からなくなったら困るもの⇒まず大事な大事な17歳年下の彼。
それからやっぱり花や音楽など美しいもの。
座右の銘⇒いろんな方に申し上げるんですけれども「かきくけこ。」があるんです。
か→感謝をすること。感動をいっぱいすること。
き→たまに緊張感を持つこと。
く→くつろぐということ。
け→決断をすること。
こ→好奇心をいっぱい持つこと。
不思議な体験⇒ほとんど丈夫なんですけれども、熱が39度あるときに仕事で花を生けたら、終わったときには下がっていた、ということが過去に何度もあります。
最近気になること⇒同居している17歳年下の彼が「見えないものが見える。」
それから、ふっと何か何人もの人が入って来るという、
そういう感覚に陥るようなんですけれども、害はないのだけれどもちょっと心配。
[美輪との出会い]
国分「美輪さんとは多分、何度もお会いしてると思うんですけど。
一番最初にお会いしたのが僕が聞いた話だと、
假屋崎さんが落ち込んでる時に美輪さんと出会ったっていう話、聞いた事あるんですけど。
もう一度、詳しく教えてもらっていいですか?」
假屋崎「はい。もういろんな所でね、お話してる事なんですけれども。
ほんとに私は、なかなか親孝行が出来なくて。
父は10年ぐらい前に他界致しまして59で。それから母と一緒に暮らしてまして
自分自身もいろいろなことで迷ったり
収入の道もなかなかつながらないし、お金ばかり使うし
将来のことが不安な気持ちもあって、母に辛く当たったりしていたんですね。
でも、やっとなんとか仕事も少しうまくいってきて、
新しく家を建てて二人で暮らそうと決心して、一生懸命頑張ったんです。
そうしたら引っ越す前の日にパーキンソンという病気で
69歳で母があの世に去ったんですね。
やっと親孝行して一緒に暮らせるという目標があったのが、それが全て崩れ去って。
もうこれから自分はどうしたらいいかなと。
もう今までの経験の中でも
一番辛い時期だったんですね。
そんなときに渋谷がとても近かったものですから、何となく歩いていたんですよ。
下を向いて、打ちひしがれて。そうしましたら、人がいっぱい並んでいるところがあって。
見ると『美輪明宏の世界』という看板が出ていて大勢の方が並んでいらして。
なんでだろう?今まで美輪さんの存在はいろいろ、
『黒蜥蜴』のチラシを見たりとかはしていたんですけれども
音楽会だとか、お芝居があったのに自分では入って行こうとしない時期だったんですね。」
美輪「近寄っちゃいけない時期だったのね。」
假屋崎「それが母が死んで、打ちひしがれたときに美輪さんをどうしてもみたいと思って
コンサートに駆けつけたんです。
その次の日も、で、また次は来月になるわけです。そのその翌月も、ず~っと。
もう何年も続きましたね。」
国分「ファンの一人としてずっと。どのあたりから假屋崎さんの存在というのが
美輪さんの中で…。」
美輪「初めからではなくて、やはり2、3回目。3回もみえれば覚えてしまうじゃない?
だけどその中でも特別、今と違って髪が短かくて刈上げの普通のヘアスタイル。
今までも私は多くの芸術家、天才たちを見てきたでしょう?
だから天才を嗅ぎ分ける嗅覚みたいなものがあるのね。
假屋崎さんを見たときに『これは化けるな』と思ったのね。
サインを何度も何度もして、そのうちに知らず知らずに親しくなっていってね…。」
国分「では、最初に美輪さんにお会いしたときは、お花の世界では
まだ名前がないころだったんですか?」
假屋崎「そこそこはね。個展をしたり、本が出たりという時期ではありましたけれども。」
国「『化けるな』というお話は聞いたことがありましたか?」
假屋崎「お会いしてからもう何年もたってからですよ。しばらくたって、
新しく『花筺(はながたみ)』という本、10年くらいかけて撮影した分を一冊にまとめたのでこれを出したいものですから、『ぜひ、ひと言メッセージをいただきたい』と
お願いにうかがったんですよ。
国分「ほう!」
[美をつむぎ出す手]
假屋崎「そうしましたら『美をつむぎ出す手を持つ人』というメッセージを頂戴させて
いただいたんですけれども。
これは私にとっては、本当に一生の宝物。
この言葉にやはり恥じないように、頑張っていかなくちゃいけないな、
くじけたり、困ったことが起こると、もう一度美輪さんの言葉をね、噛みしめて。」
美輪「あの、手はしょっちゅう見るものでしょう?
自信をなくしたり落ち込んだりいろんなことがあるときに、手は見るじゃないですか。
そうしたときにふと見ると手の先からふわ~っと霧状になって美が出ていくわけ。
ちょうど蚕が体の中から糸をつむぎ出すみたいにね。そして美しい絹ができるわけじゃない?
それと同じような假屋崎さんの手がね、そんな感じがしたのね。
不思議な事にね。こう見てる内に、お花なんだけどね。
音楽を聞いてるような気になって来たのよ。」
国分「お花が音楽。」
美輪「いや、だから江戸小唄、端唄、長唄、古代の今様みたいなものが似合うお花であったり、モダンミュージックだったり、クラシックだったり。
いろんな音楽が花で表現されているような気がしたの。
だからそれをトータルに『美をつむぎ出す手』という風に表現したわけ。」
国分「ほう。」
美輪「あとから聞いたら、ピアノの名人だったのね。ショパンなんて弾けるでしょう?」
假屋崎「全然、人にきかせられるようなものじゃないんです。もう数曲です…。」
美輪「数曲でもショパンなら。普通はバイエルで、基本で途中挫折するものなのよ。」
国「そうですよね…。」
假屋崎「音楽は本当に大好きで、花を生けるときも必ず音楽がかかっているんですよ。」
国分「じゃあ、その美輪さんの言う世界は、間違ってはいない世界。」
假屋崎「そうですね。でもシャンソンという分野はあまりきく機会がなかったんです。
美輪さんのコンサートに伺うようになって、本当にシャンソンって素晴らしいんだなと。
それからエディット・ピアフもそうですけれども、CDを購入したり
(エディット・ピアフ 1915~1963…「シャンソンの女王。」として
知られるフランスの歌手。代表曲に「愛の賛歌。」「バラ色の人生。」がある)
パリってどんなところかな?と思って、行くようになって
虜になっちゃったんです。」
国分「パリへの興味は、美輪さんの歌をきくようになったりしてから。」
假屋崎「そうですね。」
国分「ほお~。」
假屋崎「いろんな世界がどんどん広がってくるんですよ。
だからすごく解放されて、自由に生かされてるなって。」
~今年、目黒雅叙園で開かれる『華道家・假屋崎省吾の世界』
昭和の竜宮城とも呼ばれ、豪華な装飾を施された
文化財の空間を埋め尽くす華麗なる花の世界
生け花の常識を超え、空間プロデューサーとしても高く評価された作品です~
[花を生けると熱が下がった]
国分「不思議な出来事ですけども。
花を生けてる時に39度あった熱が下がった。これは何度もあったんですか?」
假屋崎「何度もありますね、今までにね<。br />
普通、そんなね体力を使うと、かえって悪化するじゃないですか。」
国分「はいはい。」
假屋崎「それが逆になるんですよ。」
美輪「それが江原さんが常々おっしゃっていることなのよ。
花が全部助けてくれる、身代わりになるの。」
江原「とにかくね、フェアリーの人なんですよ。」
假屋崎「フェアリー。」
江原「妖精。」
假屋崎「はあ。」
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