勝俣州和
【 2007年05月12日放送】【96回】パート1
今日のゲストは、元アイドルグループ『CHA-CHA(チャチャ)』のメンバーでお笑いタレント、
俳優の勝俣州和さん。
[オープニング]
国分「さあ今日のゲストは1965年生まれの方なんですけれども。
美輪さん、その頃は何をやってましたか?」
美輪「その頃は、お嫁に行く前だから、丸山明宏。
それで私が、ずっと落ち目になってる時に
シンガーソングライターの元祖をやり出してた時なんですよ。」
国分「ほうほう。」
美輪「テレビ朝日の木島則夫モーニングショーというのがあって、
『ヨイトマケの唄』をそこで歌ってくれっていわれて歌ったら、
これがめちゃくちゃに大ヒットしてそれでね、全国から2万通ってハガキが来たのよ。
だから1965年て思い出深いの。」
国分「なるほど。江原さんは?」
江原「私はほんとに、赤ちゃんですね。1964年の12月に生まれてますから。」
国分「ええ?!って事は本日のゲストと1歳しか変わんないんですか!?」
江原「ま、そういう事になります。若いんですよ。」
国分「どっちがどっちって言うのも何か変な話になりますけども。
今日のゲストの方からメッセージを、頂いております。」
『人はひとりでは生きていけないと強く思っております。
そして私の人生は、人との出会いによって変ってきたと感じております。
今日は、これからの私の人生の進むべき道を教えていただければ
と思っております。どうぞよろしくお願い致します』
という事で、ございます。
ちょっと、この文章を読むだけだとすごい真面目な人が来るのかな、って。」
美輪「いや、真面目なのよ。」
江原「うん。」
~1965年3月12日宮城に生まれ静岡・御殿場で育つ
パフォーマンス集団『一世風靡』で男を磨き
萩本欽一さんに優しい笑いを教わる
今、1児の父となった勝俣さんに
愛する祖父から、お叱りが。
人生の切替えの時に、やるべき事、やってはならない事
守るべき大切なメッセージとは~
~勝俣州和さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~
【勝俣州和 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言でいうと⇒ほめられるとどこまでも伸びるお調子者です。
苦手なもの⇒閉所恐怖症です。ウェットスーツなどの締まるものでも
心臓がドキドキして叫びたくなります。
毎日欠かさずすること⇒その日にあった「ありがとう。」をお星様に伝えます
最近気になること⇒人の心の温度がすごく下がっていることを感じますね、
感謝の気持ちとか。あとは人を傷つけることを平気でするということがすごく嫌です。
人生の最大の転機⇒劇団一世風靡に出会えたことと、萩本欽一さんに出会えたことです。
国分「さあ、どうですか、実際、この椅子に座ってみて。」
勝俣「皆、緊張するって言うんですけど。
僕は、皆に会える事がすごく楽しみだったので、
何日も前からちょっとワクワクして、何か遠足前の子どもみたいでしたね。」
国分「だから、こんな格好なんですか?」(短パンを見て。)
勝俣「違います。楽屋で待ってる時って、
緊張するんで僕、ジャケットを着ないんですよ、直前まで。
で、Tシャツと短パンでいたら、プロデューサーの人ですかね。
『そろそろです』って来た時に、『ええっ?!』
『それで出るの?』って顔されたんで、シャツ着て。」
国分「なるほど。
美輪さんとは初めましてになるんですか?」
勝俣「いや、デビューして間もなく
美輪さんにお会いした時に『愛してるわよ』って言われまして。
だから僕もびっくりしたんですよ。
で、その後も会う度に『愛してるわよ』という言葉を頂いて。
ある時、美輪さんに金色の名刺を僕、頂いたんですよ。」
美輪「ええ。」
勝俣「『これ、何か困った事あったら、いつでも連絡して来て下さい』って。
だから、今もそうなんですけど。ちゃんといつも、お守りとして持ってますね。」
国分「名刺は名刺なんですけどもね。」
美輪「魔除けよ、魔除け。」
勝俣「ははは。」
美輪「こういうね純粋な人、好きなの
うん。だから、私ね、子どもがとにかくめちゃくちゃに好きなのね。
保育園に勤めたいほど好きなのよ
純度の高いものってステキじゃない。
で私、勝俣さん見た時に
ああ、この人は、まあ真っ直ぐで。複雑だけど『純粋だな』と思ったんでね。」
勝俣「うれしいですね。」
国分「江原さんとは初めましてですか?」
勝俣「いえ。以前番組でお会いしました。」
国分「何か言われました?その時は。」
勝俣「その時は、帰り際にね。勝俣さん、ちょっと、『この辺、気をつけて』
って言われたんですよ。」
国分「後頭部とか首とかですか、はい。」
勝俣「で、『何言ってんのかな?』って思ったんですよ。
“ズキン!”とか痛ければ『ああ、気をつけよう』と思うけど。それも3年前ぐらいですかね?
で、何となくは覚えてたんですけど。
去年、僕、初めて人間ドックってものを受けたんですよ
そしたら、その脳検査で、生まれつき脳の血管にコブが何個もあって。
それが疲れて来ると、変形して破裂したら突然死だ、って言われたんですよ。」
国分「ほお。」
勝俣「だから、僕はずっとそれを抱えてたんですよ、
まさしく、『ああ、江原さんの言ってた事だ』と思って。
『何言ってんだよ』とか何て失礼な事、思ったんだろうって。」
国分「どう見えていたんですか?」
江原「肉体の方オーラの色がね、悪いところというのはくすむんですよ。
もう、おわかりの通り、元気なね、真っ赤(情熱)なオーラの方なんですよ。
でも、それでいて意外とグジョグジョグジョグジョっていうタイプの方なんで。
意外に複雑で、ドロドロの粘土みたいなところを、元気さで跳ね返して、
みたいな、うん。」
国分「単純な人だと思っていたんですけれど、そうじゃないんですね。」
勝俣「ふふ。」
国分「どうですか、このスピリチュアルな、この世界っていうのは。」
勝俣「僕は大好きですね。だから、お二人の本はもうほとんど持って見てます。」
国分「お、そうですか。
今日、自分の事を色々言われるという部分で
ワクワクしていると。」
勝俣「だから周りの人間のが、ドキドキしてますね
うちの嫁とかが、『何か私の事、言われるかしら?』っていう。」
江原「掃除しちゃったりなんかして。ははは。」
勝俣「今日の朝飯、何かすごく気合入れて作ってました。」
国分「見られると思って。」
勝俣「そうそう。家に来るんだよね?江原さんが、と思って、
夜、掃除してましたよ。
昨日、ちょっと帰って来るの遅かったんで。」
[一世風靡との出会い]
国分「まず、一世風靡に出会うわけですか。」
勝俣「そうですね。一世風靡に入ろうと思って。
あの、僕タレントになろうと思って入ったんじゃなくて。」
(劇男一世風靡…1980年代に活躍した路上パフォーマンス集団)
勝俣「ストリートパフォーマンスを一世風靡やってるのを見て…。
で、僕は自分の弱点を分かってたんですよ
“根性がない”っていう。
それで、あれだけこの男の厳しい中に入って行けば。
そこで揉まれて逃げ出さなければ
ちゃんと強い芯のある男に成れるんじゃないかな、と
そしたら僕、田舎に帰って
親父の商売を継ぐか何か、商売やろうか、とかって考えてたんで。」
国分「ええ。」
勝俣「何か、この競争相手ができても勝てる自分ができるんじゃないかと思って入って。」
国分「入って、別にタレントになろうと思ってなかったんですか。」
勝俣「ないですね。テレビは大好きでしたけど。
何か、このテレビの中ってのはいうのはすごく大変だなって。やっぱ田舎者だったんで。」
美輪「田舎って、どちらなの?」
勝俣「御殿場です、静岡の
で、うちのおばあちゃんが、間違った情報くれるおばあちゃんで。
テレビの中の人は怖い職業の人だ、と。
そういう人達ばっかりだから、人をだまして生きる世界だから入らない方がいい、って。」
国分「でも、間違った言い方ではないのかもしれないですね。」
勝俣「極端だったんですよ、うちのおばあちゃんは。」
美輪「うさん臭い連中が多いから。」
勝俣「東京に社会見学に行くときも
『東京の人は全部スリだから気をつけろ』って決め付けるおばあちゃんで。」
美輪「あながち、当たらずといえども遠からずよ。昔は物書き、つまり文学者ね
物書きと芸人と株屋は正面玄関から入れるな、と言われていたの。
みんなうさん臭い連中だということでね。だから市民権を得てきたのは終戦後からですよ。」
国分「一世風靡は、簡単に入れるんですか?」
勝俣「いえ。『今、自分がやりたいことで論文みたいなものを書け、
原稿用紙何枚でもいいから』と言われて。送って、会ってもらって。
で、最初に会ったときは『生意気だ』と言われたんですよ。
『お前は生意気だから、もう少し社会勉強をしてから一世風靡に来い』って言って。
その一年後に一世風靡がバンドを組むことになって
オーディションを受けに来るか?と連絡があって
そのテーマとされてた曲を。HOUND DOGのff(フォルティシモ)かなにかを歌って。
上手さとかは関係なしに、今みたいにめちゃくちゃ歌っていたら
『おもしろい奴だ』ということで、劇男一世風靡に入れてもらったんです。
次ページへ⇒パート2へ続きます♪