古賀稔彦

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【 2007年05月26日放送】【98回】パート1

今日のゲストは、柔道家でバルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦さん。

【オープニング】
国分「突然ですが、美輪さん。アトランタオリンピックというと僕は
公認広報アドバイザーとして陸上100m決勝をレポートしたんですが、
どのようなオリンピックの思い出がありますか?」

[オリンピックの思い出]
美輪「古賀さんなんか、ケガをなさっているのに、メダル獲ったってのは あれも感動的だったじゃないですか。」
(1992年バルセロナ五輪、柔道古賀稔彦はケガしながらも金メダルを獲得)
江原「でも、そうやってケガをさせたりとかいうのは嫌でしょうね。
柔道の山下選手の時に遠藤選手ともありましたもんね。」
美輪「でも、あの涙がね。すてきよね。」
国分「そうなんですよね。スポーツ選手達の涙っていうのも たまらないですね。
こっちが見てる側っていうのもね。」
美輪「うん。」

国分「さあ、本日のゲストなんでございますけれども。 オリンピックで世界の頂点に立った、金メダリストが登場します。
その本日のゲストの方からメッセージを頂いております。
『実は以前、ある方から3人の守護霊がいる。でも “俺達を見るな暴くな”と 気になることを言われました。
一体どんな意味なのでしょうか?教えてください』 いう事ですけども。」
江原「基本的にね、あまり知られたくないと思ってる方、多いですね。」
国分「そうですか。」
江原「うん。いるという事を分っていれば、それで良しという方もいます。」

~1967年11月21日 佐賀県出身。
病弱な少年の人生を変えたのは柔道との出会いだった
華麗な背負い投げで『平成の三四郎』と呼ばれた
柔道家・古賀稔彦(としひこ)。」
現在は古賀塾を作り子ども達を始め、後輩の指導に励む
古賀さんに忍び寄る危険とは~

古賀稔彦の一本で勝つ柔道[DVD付き]

【古賀稔彦 スピリチュアル・チェック】
小さい頃なりたかった職業⇒職業ではないんですが小学一年で柔道を始めて最初の試合で負け
「絶対に負けたくない。強くなる。」そういった人間になりたいと思っていました。
自分の性格をひと言で⇒ものすごく臆病で小心者なんですが、
意外に芯が強くて自分の思ったことをガンと貫き通すところがあると思います。
苦手なもの⇒小さい頃から幽霊とか妖怪といったものが苦手なんですが、
その反面ものすごく大好きで、図鑑や心霊写真の本も持っていました
人生で挫折を感じたこと⇒初めて出たオリンピックのソウル大会で 優勝候補でありながら三回戦敗退したこと。
負けたショックもありましたが、それ以上に期待に応えられなかったときの周りの評価、声がものすごく辛く感じました。

国分「さあ、またなぜ今日は柔道着で来られたんでしょうか?」
古賀「いや、いつもこの番組、拝見させてもらった時に
画面を通してピシッ!としてるものを感じて、ある意味、 勝負じゃないんですけど、 勝負の世界に来たような。」
美輪「ははは。」
古賀「自分で行きたいと。となれば、やっぱり柔道家としては勝負服を着て、
という事で今日は、あえて、はい。」
国分「スピリチュアルチェックでは、これまでの中で一番しゃべっていただきました。」
古賀「ほんと?子供たちに柔道を教えているので
『これを伝えるためには、これを言わなくてはいけないんじゃないか』という癖がついていて。」
(2003年、柔道による人間育成を目指す道場「古賀塾。」を開く)
美輪「わかりやすくね。」
古賀「はい。ですから『どこかで切らなくてはいけない・・・』と思いながら
しゃべっている自分がいたんですよね。」
国分「でも、かなり緊張はされているみたいですね。」
古賀「今日は本当に、現役のオリンピック決勝の舞台に上がる感覚で あの舞台に上がっていきました。
この緊張感は何度あってもいいですね。」
美輪「なつかしかったのね。」
国分「そして、今日の対戦相手は美輪さんです。」
美輪「江原さんでしょう?」

国分「古賀さんにとって美輪さんはどんな存在ですか?」
美輪「妖怪がお好きだとおっしゃっていたから。」
国分「図鑑に載っていました?美輪という。」
古賀「いや~、欧州の妖怪でゴーゴンという 髪の毛が全部、
蛇の女性がいらっしゃるんですけれども
それに一瞬見えてしまったという気はします。」
〔ゴーゴン(別名:ゴルゴン) ギリシャ神話に登場する髪の毛が蛇の魔物〕
美輪「ありがとうございます。親戚なんですよ。」

国分「江原さんとも、初めましてですよね。」
美輪「どういう妖怪ですか?図鑑で見た感じは?」
古賀「妖怪よりも、見た感じでは、柔道選手にどうしても見えてしまうんですよ。
体型と顔つき、よくいらっしゃるんです。
失礼なんですけれど、田舎の方に行くとこういう柔道選手がいらっしゃるんですよ。
三回戦くらいまでに当たる選手の中に、よく似た、重量級の選手・・・すみません!」
国分「こんなにひょうきんな人だとは思わなかったですね。」

[強くなるために]
国分「強くなるために、何か自分なりにやってた事というのはあるんですか?」
古賀「近くに150段ぐらいの神社の階段があったんです。
そこを父親の提案で、やっぱり下半身強くしよう、っていう事で、
毎朝5往復から、7往復ぐらい、その神社の階段を毎日、上っていた
で、小学校途中、中学校になってからは、ちょっと違う方向に走っちゃって…。」
国分「違う方向と言いますと、何ですか?」
古賀「給食の時間、バナナが出て、皆、むいて食ってるんですよ。
なぜか僕は、その時にああ、皆が食えないバナナの皮を 食ったら、皆よりも『根性がつくんじゃないか』とか 『勇気がつくんじゃないか』とかいう事を思って
バナナを丸ごと、ガブガブ食ってみたり、
運動会の練習の時に砂場にすわるのだけど、
この砂も皆食べられないだろう…みたいな。
だったら、この小さい砂、『食ってやろう』ということで食ったんですね。
決しておいしくはないですよ、もちろん。」
国分「だいたい分ります。」
古賀「小さい子は真似しないで欲しいんですけども。」
国分「そうでうすね、すごい。」
美輪「ははは!」

古賀「子供って不思議ですから、何でも強くなるということに関して結びつけてしまったり
みんなと違うことをやることによって強くなるんじゃないか・・・と思ったんでしょうね。多分。」
国分「すごい子供でしたね。周りは『古賀、砂食ってるぞ!』みたいな。」
古賀「でも、これは自分の中での戦いでした。誰かと比べるんじゃなくて。」
国分「おもしろいですね。強くなりたいというのが伝わって来ましたけども。」
美輪「発想がおもしろいわね。」

[屈辱のソウル五輪]
国分「人生で挫折を感じたのが、ソウルオリンピックの3回戦負け。」
古賀「はい、そうです。この時はほんとに、優勝候補でしたから。
それで、負けたら負けたでそれなりに新聞でもいろんな評価で書かれますし。」
(1988年 ソウル五輪では金メダルを期待されていたが3回戦で敗退)

古賀「いろんな人達が評論家として
『何だ、おまえ。あれ、こうすればいい、ああすればいいのに』と いう事を言われましたから。
その中で 『自分が一番かわいそうな人間なんだ。勝ちたいと思って、負けて、みんなに非難されて』と思っていたんですけれども、
日本に帰ってふとテレビをみたときに
ソウル五輪の総集編をやっていまして、
私の負けた場面でたまたま応援団も映ったんです。
負けたあとに両親が会場の皆さんに
一生懸命頭を下げているというような場面を目にしたときに
俺が一番かわいそうなんだ、と思っていた自分が、ものすごく恥ずかしく思えたんですよ。
その両親の姿を見られなかったら、多分いつまでも自分が一番可哀想な人間だと・・・。」
美輪「引きずっていたでしょうね。だから、見せられたんでしょうね、ご両親の姿を。
『あれを見なさいよ』ということでね。それで、ひとつ悟りを得られたわけですよね。」
古賀「そうですね。
あの姿を見たからこそ、それ以降の勝負に対しても不安というものがなくなりましたね。
それまでは負けたらどういう評価を受けてしまうんだろう、ということが
期待されている人間にとっては、ある反面、すごく怖いことなんですよ。
でも、勝っても負けても、両親をはじめ、サポートしてくれる仲間というのがいつもいてくれるんだ、ということをそこで教えてもらったので。
ソウル五輪以降の勝負に関しては、不安なく勝負に挑めるように変わりましたね。」

~〔1988年ソウル五輪3回戦 VSテナーゼ(旧ソ連)〕

勝って当然と言われながらソウルで味わった屈辱。
まさかの3回戦敗退。しかし、この敗戦が 古賀さんを、さらに大きく成長させたのです~

古賀「そこから意識を変えてもうこんなに両親が謝る姿をさせてはいけないし
今度は喜んでもらいたい!という気持ちに切り替わって。
『オリンピックの負けは次のオリンピックの金メダルで恩返ししよう』 という気持ちになれたので。
ソウル五輪は大きな挫折ではありましたけれども
自分にとっては闘っているのは自分ひとりじゃないんだということを 教えてもらえた敗北でもありましたね。」
美輪「優しい方なのね。そういう優しい思いやりの気持ちがご両親に対してなければ
頭を下げていらしても、何も感じなかったと思うんですよね。」
国分「『親のために金メダルを』という考えに変わるわけですよね。」

江原「いまの古賀さんがあるのは、ある意味で親御さんのおかげですよね、
そういう姿を見せてくださって。古賀さんはやはり立派だけれども、
今回つくづく思うのは、やはり親子間なんですよね。
親子間がしっかりしているところのお子さんはちゃんと育つと思うんですよ。
片親になったとか、そういうことは関係ないと思うんですよね。
片親であろうが、きちんと子供に向けた愛を。」

[支え続けてくれた母]
江原「さっきからずっと見せてもらえる姿というのは、古賀さんのお母さんなんですね。
本当に古賀さんのために、お子さんのために、一生懸命生きてこられて、 古賀さんがあるんだなあ、という。
もちろん、皆さんそうだけど、
さきほどの試合のときに頭を下げたということだけではなくて
やり繰りやり繰りしながら、環境とかを全て提供できるようにやってこられた。
その影のサポートというのは大きいなあと思うんですね。」
古賀「本当にそんな感じですね。九州ですから、男性を立てながらも
父親と子供の間を上手く取り持ってくれて。
僕が柔道をサボったときでも、母親がうまく中間に入ってくれて。
父親は無口な人だったので、その思いを母親は僕に告げて、僕らの思いも告げて
そういったやり取りもしてくれていましたので。」
江原「本当に内助の功ですよね。」
美輪「全てにバランスの取れた方なのね、ほどのよい方で。」

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