古賀稔彦

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【 2007年05月26日放送】【98回】パート2

今日のゲストは、柔道家でバルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦さん。

パート1からの続きです♪

「背負い投げ。」「1本背負い投げ。」の極意(DVD付) (スポーツ新基本―柔道)

[少なくなったお母さん]
江原「そういうお母さんとか、奥さんが最近いなくなりましたよね。
なんでも『私も平等だから』
平等というのを履き違えていますよね、
役割というものがあって。
お母さんの役割とお父さんの役割があって、
それはやはり平等とはまた違うじゃないですか。」
美輪「『お母さん』という言葉の響きが似合う人が少なくなってきたの。
一人の女なんだから、やはり女として生きるべき、みたいな。
そういうものがあるじゃないですか。」

江原「独身の頃のようにね。」
美輪「そう、独身の頃のように。子供があるのも外に出るときは隠していて。
自分が子持ちみたいに思われるのは嫌だから、先にスタスタ歩いていて
『関係ないわ、私はよその人よ』という人がいたらどなりつけてやるの。
『子供が死んだらどうするんだ!』って言って、
びっくりして鬼でも見たような顔をしてるのよ。まあ、鬼だけど、 可哀想でしょう、子供がね。
やはり『お母さん』とか『お母さま』という言葉が 似合う自分というものを、誇らしいと思うべきでしょう?ね。」
国分「そうですね。」

~ソウルでの屈辱をバネに柔道家として大きく成長した古賀さん。
しかし4年後のバルセロナで突然アクシデントが。
後輩の吉田秀彦さんとの練習中
左膝じん帯損傷という大怪我をしたのです~

[試練のバルセロナ]
古賀「私の後輩の吉田秀彦。あれが一番、落ち込んでたんですよ。」
国分「はい。」
古賀「『先輩にケガをさせてしまった』と。僕の中学、高校の後輩ですから。
親元を離れて寮生活で兄弟みたいに過ごしていましたから。
私はケガをした翌日ぐらいには
『俺は優勝するから、大丈夫だよ』ということを彼に伝えました。」
国分「不安というのはなかったんですか?」
古賀「いや、かえってケガをした後の方が、自分を信じられる自分がそこにいました。
ケガをしていてでも、『俺はこのオリンピックの舞台で金メダルを獲るためにこれだけのことをやってきたこんな気持ちでやってきた。
みんなもこんなに応援してくれている』ということをよりいっそう強く自分の中で確信することができたのが、ケガをしてからなんですね。」
国分「そうなんですか。」
古賀「それまでは自信満々でオリンピックに臨んでいましたから。
でもケガをしなかったら、その金メダルが獲れたかどうかはわかりませんし、
獲れたとしても『獲れて当たり前だったな』という自分がいたかもしれないんですね。」
国分「自分がケガをしたことで、もう一度考える時間ができて
『金を獲るんだ』という意欲がもっとわいたという・・・。格好いいですね。」

美輪「マイナスをマイナスとして、そのまま自分をマイナスの現象に持っていくのではなくて
『災い転じて吉(福)と成す』で、災いを吉にしてしまうポジティブさ。
それが素晴らしいですよね。」
国分「ほとんどの人がマイナスに考えてしまいますよね、そういうときというのは・・・。」
美輪「逆転にとれないもの。」
江原「それを自然に得ていらっしゃるんですよね。」
国分「砂を食べていた少年がここまで来たんですね。」
古賀「あはは。」

〔1992年 バルセロナ五輪 VSハイトシュ(ハンガリー)〕
~怪我で苦しみながらも勝ち進み迎えたバルセロナオリンピック決勝
試合終了まで何秒と数えるアナウンサー。試合終了、判定で赤い旗が3本。
古賀さんの勝利が決まり、歓声。礼をする古賀さん。
お父さんメダルを掛け、隣にお母さん。
涙する吉田選手。表彰台の一番上の古賀さん。
柔道は自分一人で戦っているのではない。支え続けてくれた両親。
脅威のプラス思考で勝ち取った栄光の金メダルでした~

~一流スポーツ選手が競技中に味わう不思議な体験。
元横綱若乃花の花田勝さんは、現役時代
対戦相手の気の動きが読めたと言います。
さらに対戦中に光が見えた。その方向に手を伸ばして まわしを取ったり光の方向に動けば自然に勝てた、と言います

またシンクロの小谷実可子さんは
絶好調の時、全身にエネルギーが満ちあふれ
演技中の辛さや苦しさを全く感じなくなり、このまま、ずっと泳いでいたい
幸せでたまらないという至福の瞬間を味わったと言います。
そして古賀さんにも…不思議な瞬間がありました~

古賀「僕は、負けた経験の中であるんですけども
アトランタオリンピックで決勝まで上がったんですね。
決勝戦の相手はフランスの選手でして。
1年前の世界大会で私が投げて勝ってたんですよ。
で、試合場に上がった時に、もう見た時に分るんですよ。
あ、この選手は俺を怖がってる、と。」

国分「ほお。」
古賀「それで、楽に自分のペースでポイントも取りながら 試合を運んで行ったんですね。
その時、あ、俺もう金メダルまた取っちゃったな、って思ったんですよ
そう思った瞬間でした。
ッと、この金メダルがここに 出て来て、
このメダルが自分の目の前から、パッと消えたんですよ。」
美輪「あらまあ。」

[金メダルが消えた!?]
古賀「その瞬間から立場が逆になってしまって。
相手はもう後がないということで攻めてきましたし、
僕は残り時間何分、ポイントも取ってる、何とか上手く終われば金メダルだと
臆病になりながら時間稼ぎをしながら闘っている自分が・・・。」
美輪「守りに入っちゃったのね。」
古賀「はい。心の油断、自分に対する甘さですよね。
勝負に対して、甘さ、油断が絶対、ダメだと知っている自分でさえも
ちょっと有利な立場になったときに自分に対するそういうものが出てきたことによって
金メダルがサッとなくなったというのがありましたね。」

美輪「おもしろいわね。そこで初心を忘れたわけですね。」
古賀「はい、そうですね。」
美輪「だから何の商売でも仕事でもどの道でも、結局、初心を忘れちゃいけないんですよね。
いつも初心に戻って、いつも切磋琢磨して、攻撃、攻撃、攻撃というものを いつも持っていないと、自分で自分の足をすくってしまうんですね。」
国分「それは、やはり後悔するんですか?」
古賀「自分に対する甘さから勝負に負けたということが 自分にとってものすごく悔しいという思いがありましたから。
そこで、その悔しさを取り返すためには、もう一回オリンピックを目指そうということで
次のシドニー五輪。この4年間の中で自分の甘さを もう一回鍛え上げていこうということで、取り組みましたね。」
国分「うわあ。」

[最後の4年間]
古賀「年をとったときの4年というのは、もちろんきつい場面があるんですけれども
逆に最後の4年というのは充実していました。
そして、現役最後の試合で負けたときも、すごくうれしかったんですよ。
みんなの中で、自分の好きな柔道を、自分の夢に向かってがんばれたというのが
すごくうれしく感じたんですよ。現役の中でも1回しかこういう気持ちはないです。
『勝って終わった方がいいよ』という人もいたんですけれど。
今では『勝った人間の気持ち』もわかりますけれど、
『勝った人間が負けたときの気持ち』もわかるようになったので。
それは今に生かされているなという風に思っていますから。」
国分「教える側になってからは、負けることも大事だったな、いい経験だなと・・・。」
美輪「人生って、何にも無駄がないんですよね…うん。」
古賀「いえいえ。」
国分「砂食ってみるもんですね。」(みんな笑い)

~2000年、現役を引退。
そして2003年、後進の育成の為 古賀塾を設立。
指導者として第二の人生を歩み始めた古賀さん。
いよいよ今夜、オーラの泉に招かれた理由が明らかになります~

[柔道着で死にたい]
古賀「私が現役、終わった時に柔道と俺が、
今後、どうやって付き合って行こうかなと考えた時に。
柔道着を着て死にたいと。それも畳の上で死にたいと。
だったら自分の家にあれば、葬式も柔道場はちょうどいいサイズですから
自分の最終的な死に場所として、自分の家にまずは柔道場を作ろうと。」
国分「はい。」
古賀「せっかく柔道場があるんだったら、最近のニュースでも人間関係のバランスが すごく崩れているなとということも感じていたので
小さい頃から人間関係とか。」
国分「はい。」

[子どもに礼儀を]
古賀「人間の上下関係ですね。上の人に対する接し方とか、下に対する優しさとか
そういったものを小さい頃から教えておけば、
それがその人間にとっては当たり前の感覚として身についていくんじゃないかなと。
そうすれば今起きているような事件も自然になくなっていくんじゃないかなということで。
今自分ができることは、自分が一番好きな柔道を通しながら
子供たちとやっていきたいなと。
あとはやはり、強くなっていく方法としては
『負けず嫌いな性格』と同じぐらいに『素直な気持ち』がなければ成長しないと 私の中では思っていたので、
柔道を通して素直な気持ちを みんなにも持ってもらいたいなと思いながらやっていますけれどもね。」
国分「そういうことは、今学校でも教えられていないことだったりするのかもしれないですね。」
江原「運動会でもね、全員1位も2位もない、とかやるような時代ですもんね。」
国分「そうですよね。
今は何か手をつないで短距離走ゴールする所もあるって言ってましたからね。」

美輪「だから、そのエセ民主主義みたいなものがあるのよ。
上っ面だけのね、平等主義みたいなね。
だからね本当に簡単な事なの。
古来、日本にあった人としてのたしなみ、礼儀作法、秩序、思いやり。
そういうことを小さい頃から教えれば簡単なこと。
そういう教育が日本には欠けているし、親御さんも子供を甘やかし放題。
だからまずは親を教育しなくてはいけないの。
テレビを見ると、政財官界の偉い人たちの、誰かが謝っているでしょう?」
国分「子供たちはみんなみていますよね。」

美輪「だから説得力がないのよ。まずは大人たちが襟を正すということね。」
江原「罪の擦り付け合いですものね、誰か悪者探しをして。
だから子供のいじめもなくならないんですよ。大人がやって見せているんですから。」
国分「大人が、どうにかならない限りは子どもは。」
美輪「子どもは放っといていいの、そうするとね。
大人が、だらしがないいから。
だから、ほんとに古賀さんや真面目な方が一生懸命やっていらっしゃるというのは 本当に有意義ですよね。」

~柔道で世界の頂点をい極め、家族や仲間との絆を学び
今は、指導者として第二の人生を歩み始めた古賀さん。
そこには新たな試練が待ち受けていました~

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