松田聖子
【 2008年10月04日放送】【2時間SP】パート1
今日のゲストは、デビューして以来、現在も大活躍の歌手 松田聖子さん。
【松田聖子 スピリチュアルチェック】
小さい頃はどんな子供?⇒どちらかと言うと、いつも外で遊んでいるような 元気な子供だったと思います
苦手なもの⇒自分の意思とか力で、外に出ることができないような空間に 入ってしまうことです
人生の転機⇒デビューさせていただいた時だと思います
松田さんにとって歌とは?⇒生きていくための力とか、エネルギーだと思います
不思議な体験⇒亡くなった父が定期的に私の夢に出てきて、父と会話をするんですが、 目が覚めた時にものすごくリアルな感じで本当に話してたかのような気がします
1つだけ願いが叶うとしたら?⇒亡くなった父にもう一度会ってみたいです。 話してみたいです
国分さんに、この番組についてはご存知でしたか?と聞かれ、
「ええ、もちろん。よく拝見させていただいています。」と答えた松田聖子さん。
とても緊張していて、昨日から眠れないような感じだったそうです。
すると美輪さんが、聖子さんがスピリチュアルチェックを答えているのを見て
『どこかでこの雰囲気、見たことがある』とおもったら(美空)ひばりさんの匂いというか似ている雰囲気を感じたそうです。
江原「初めてお目にかかって『不思議な方だな』と思ったのは
先ほど廊下でもお目にかかったんですけれども、その時に 瞬間的に移動なさるんですよ。
あとあとお話しますけれども、だからご自身の中でも パッと一瞬にして
いろいろモードが変わる方なんだろうなあ、と。
そのことはまた後で分析しますけれども。」
国分「ちょっと先走り過ぎですよね。(みんな笑い。)
もう終わっちゃうんじゃないかっていうくらいの。」
美輪「いきなり?」
~今年25周年を迎えた松田聖子さん。
自分の信じた道を走り続け、次々に夢を叶えていくその姿は、いまや女性の時代のシンボルともいわれています~
収録前の松田さんの言葉。
聖子さんが今夜聞きたいこととは。
「亡くなった父が、今どんな風にしてるかな?とか、何を考えてるのかな?とか
そのことを伺えできればと思います。」
~1962年、3月10日、福岡県生まれ。
真面目な公務員だったお父さんと、理解のあるお母さんの温かい愛情にはぐくまれ、近所でも評判のかわいらしい少女でした。
高校1年生の時、両親に内緒で雑誌のミスコンテストに応募。家族の間で大問題となったそうです~
[両親に内緒でオーデション]
国分「ご両親は、どんなご両親だったんですか?」
聖子「父は本当に厳しかったですけど、
でもいま思うと すごくこういろいろ思ってやってくれたんだなって。
亡くなってからすごく気がついて。」
国分「あ、厳しく教育してくれたというのは、自分のためだったんだなと。」
聖子「そうですね。」
国分「お母さんは、どんなお母さんでしたか?」
聖子「はい、母も、何でも話せる母で、今でもそうですけど、
いろいろ相談にのってもらったりとか。
まあ父との間に入って、逆に説得してくれたりしたこともありますし。」
国分「子供の頃からこういう芸能界とかに興味はあったんですか?」
聖子「私は福岡県の久留米市で生まれて育ったんですけれど、
やはりすごく、東京からは遠いですし、
歌手になるとかっていうことは、あまり現実的な感じではなかったですね。」
国分「でも、そこからプロを目指そうという風に思ったきっかけみたいなものはなんですか。」
聖子「高校1年生の時に、その時の仲が良い友達と、遊び半分じゃないですけれど
『ミス・セブンティーンコンテスト』っていうコンテストに 応募したんですよ。
書類とか歌のテープとか送ったんですけど
もう、送ったこともすっかり忘れていて。
で、忘れた頃に 『九州地区の大会がありますので、そこにいらしてください。』って
言われたんです。
それで、どうしようかな?と思って。」
国分「ご両親には言ってないんですか?」
聖子「ええ。そのオーディションに行くことすら、言えなくて。
そのオーディション会場が福岡という市内であったので、私が住んでいる所から、
ちょっと遠いんですよ。
だから1人では行けないし、どうしようかな?ってすごく悩んで。
『好きな歌手の人がいらっしゃるので、ちょっとみに行きたいから連れてってください。』って母に頼んだんですよ。
そうしたら『ああ、いいわよ』と言って母が連れて行ってくれて
福岡市民会館という所であったんですけど
『私は買い物に行ってるから、あなたみてらっしゃい。』って言って送ってくれて
私は中に入って。
それから何時間かして母が迎えに来て、外にいた方に、
『うちの娘が、この中でショーをやってると言うのでみてるんですけど
いつ終わるんですか?』と聞いたんです。
そしたら『え?今日はオーディションですよ。』」
国分「すぐバレましたね。あっと言う間に。」
聖子「ええ、そうですね。
それで『うちの娘が入っているので入れてください。』ってお願いしたらしいんですよ。
そうしたら入れてくださって、そうしたら私が ステージの上で歌っていたんですよ。」
国分「『どういうこと?』ですよね、お母さん。パニックですよね。」
聖子「もう、その段階ですごく怒られましたね。
でも、『まあ、いいわ。どうせ受かりっこないんだから。
だったら最後までいたらいいんじゃないか。』って思ったっていうんです。」
美輪「ところがどっこいね。」
聖子「ええ。そうしたら優勝者で、私の名前が呼ばれて、母はもう『どうしようか』って。
もう、父に何て言ったらいいんだろう、と。
国分「そうですよね。『じゃあ、いいわ』って言ったわけですものね、お母さんも。」
聖子「はい、そうです。もう一緒ですものね。」
[お父さんは芸能界に大反対]
国分「それで、優勝されて、最終的にお父さんが帰って来た時にはどういうような話が。」
聖子「その日は、オーディションが遅くなっちゃって、
家に着いたのが夜11時とかになったんですよ。
それで、その日は言えなかったんです2人とも。」
国分「お母さんも言えなかったんですか?」
聖子「はい、もう言えないんです。で、すごい花束とかいただいていて
ものすごい荷物だったんですけど、それも玄関の横の部屋にちょっと隠して。」
国分「お父さんに見せずに?すごいですね。翌日ですか、言ったのは。」
聖子「翌日も、ずっと昼間2人で『どうしよう、どうしよう』って。
でも、もう言わなきゃいけないので、父が帰ってきて、言ったんです。
そうしたら『何考えてるんだ!』と言われて『ダメだ』と言われました。」
美輪「で、結局、納得なさるまでどれくらいかかりました?」
聖子「2年ですね。」
美輪「2年?」
聖子「はい、2年かかりました。」
国分「どうやって口説いたんですか?」
聖子「その『ミス・セブンティーンコンテスト』に関しては『辞退しなさい』と。
九州大会の優勝者が、東京で今度は全国の決戦大会みたいな、いろんな地区の方が集められて。
『それはもう、諦めなさい。ダメだ』と言われて、私は辞退ということになったんです。
それからはまた、普通の生活をしていたんですね。
そうしたら、また何ヶ月かして、何週間かもしれないんですけど、
当時のソニーのディレクターの方からお電話がかかってきて。
『辞退されたというのは、わかっているんですけれども、
別の形でデビューなさいませんか?』ってスカウトしてくださったんです。」
国分「それは聖子さんに電話がかかったんですか?」
聖子「たまたま私が出たんです。」
国分「それも何か運命ですね。」
美輪「おもしろいわね。初めからドラマティックでしたね。」
聖子「はい、そうですね。」
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