松田聖子

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【 2008年10月04日放送】【2時間SP】パート2

今日のゲストは、デビューして以来、現在も大活躍の歌手 松田聖子さん。

パート1からの続きです♪

~一度はあきらめた芸能界への道。でも、運命は聖子さんを歌手へと導いたのです。~

[お父さんを説得してデビュー]
江原「お父様はいろいろ娘を思う気持ちで反対をたくさんなさっていたんでしょうけれども、
でもお父さん自身が実のところ、音楽とか芸術的なこと、お好きでしたでしょう。」
聖子「え?そうなんですか。」
江原「表面は堅いお仕事もそうだし堅く、堅く生きていくっていう感じでしたけれど、
実のところ、 ジャンルは違うにしても、音楽はお好きだったっていうの。」
国分「それは全然。」
聖子「そういう風には、わからなかったですけれども、でも、すごく楽しい人だったんです。
厳しいんですけど、こう楽しむことも知っているような何か…あ、そうですね。」

美輪「それで、2年目にどうやって成仏(説得)なさったんです。」
聖子「あの、途中で土日になると、レコード会社の方とかが、家に来てくださって。」
国分「東京から。」
聖子「はい。両親と何度も何度も話をしてくださったりとか、事務所の方も来てくださって…というのが続いたんですね。
そうやって続くうちに 父も何か思うところがあったのか…、2年かかりましたね。」
美輪「ふ~ん。」
国分「じゃあ、行ってこい、みたいな話になるんですか。」
聖子「最終的にはそうですね、でも3年という区切りを言い渡されて。
『3年間、一生懸命やってダメだったら、すっかり諦めて、ちゃんと学校に戻って 自分の道を歩きなさい。
それが約束できるなら。』と。」
国分「その言葉を聞いた時、どうでしたか。」
聖子「すごくうれしかったのと、何があっても頑張らなきゃって思いました。」

~1980年、18歳でデビューした松田聖子さんは、家族の心配をよそに80年代を代表するアイドルに成長します。
当時のアイドルの生活は3ヶ月に1曲のペースで新曲をレコーディング、テレビ、ラジオに出演し、夜中に雑誌の取材、聖子さんの場合はさらに映画CMの撮影があり、 睡眠時間は1日2、3時間とう過酷な毎日だったそうです。
3年でダメだったら帰って来いそういってくれたお父さんは1981年、仕事の関係でお母さんとともに上京、再び家族で一緒に暮らせることになったそうです~

国分「すごいですよね、24曲連続1位と。その当時は自分がどんどん人気が出てきてるなって思いましたか。」
(「風は秋色 1980年。」から24曲連続でオリコン1位を獲得)
聖子「いや、そういうことを考える余裕もなかったような感じ。」
国分「それはそれだけ、忙しかったっていうことですか。」
聖子「もう、本当にそうですね。
時間も、1日のスケジュールを とにかくこなしていくっていうことでしたね。」

[結婚して母親に]
国分「驚いたんですけど、結婚が23歳。早いですよね。出産が24ということで どうでしょうか、仕事も相当忙しかったと思いますし。 両立って大変だったんじゃないですか。」
聖子「いやもう私は、本当に両親が助けてくれたからできたんだと思います。
もうその頃は、両親共に東京に来ていましたから。
本当に両親には、助けてもらいました。」

美輪「でもお孫さんできたら、お喜びだったでしょう。」
聖子「そうですね。」
国分「また、この芸能界にお嬢さんの沙也加さんもデビューされたわけじゃないですか。」
聖子「はい、それに関しては本当に、今度は逆に私が大反対をしました。」
国分「不思議ですよね。」
美輪「だから『子を持って知る親の恩』」
聖子「本当におっしゃる通りです。
知らない世界に私も入って、今もやらせていただいていて、本当に良いことというか、幸せなこともたくさんありましたけれど、
やはり辛いこともいっぱいあったし、そういう辛い思いを娘にさせたくなかったんですよ。
だから どうぞ、違うことに興味を持ってくれますように、って、
小さいときからずっとお願いしてたんです。」

国分「小さい頃から。」
聖子「はい。やはりすごく、興味はあるように見えてたので、
私はなるべくそこから 遠ざけるように絵を描いてみたら?とか。(みんな笑い)
他のところに興味を向けようとしたんですけれども、どうしても戻っちゃうんですね。
いつか言われるんじゃないかな~って思っていたんですけど、やっぱり来たんですよね。」
国分「来ましたか。」
聖子「はい。」
国分「その時には『ダメだ』っていうことを言ったんですか。」
聖子「ええ。『やめた方がいいと思うよ』って。」
国分「でも。」
聖子「彼女もやっぱり、何度も何度も『やらせて欲しい』と。」

国分「で、いつですか。」
聖子「さんざん反対した結果、その時の私が所属していた事務所の社長さんに、
『自分の17歳の時のことを思い出してごらんなさい。』って言われて、
『親の気持ちで子供のやりたいことを摘んでいいんだろうか?』って。
『もし、そうされていたら、聖子はどういう気持ちだった?』と。」
国分「重たいですね。その言葉も。」
聖子「『自分の16、17歳の時のことを思い出しなさい。』って言われたんですよ。
『そうか』と思って、うちの母に一言ズバリと、『やっと分かったわね。私の気持ちが』」
(みんな笑い。)
国分「お母さんに言われたんですか。」
聖子「はい。」
美輪「だって、筋金入りだもの。
お父さんもお母さんも、お父さんのお母さんも ずっとでしょう、この世界。
筋金入りですよ。これはもう、しょうがない。」

国分「これはどうなんですか、実際、娘さんがテレビだったり
演技だったり歌を歌っている姿っていうのは、見られるんですか。」
聖子「ものすごく心配なんですけど、でもやっぱり彼女には 彼女のやり方があると思うので、私は一切何も言わないです。」
国分「あ、そうですか。」
聖子「はい、もうこれはグッと我慢して、何も言わずにやってます。」

たった一度の雪~SAPPORO・1972年~

~2002年、聖子さんの反対を押し切って沙也加さんがデビュー。
自分のコンサートに彼女を呼び、一緒に歌うはずだったのですが、
こみあげる思いは、涙で声にならなかったようです。~

[40代を迎えて]
国分「20代と30代、そして現在となって、仕事的に精神的に変わってきましたか、 いろいろ。」
聖子「そうですね、20代は本当に立ち止まって周りの景色を見る余裕さえないような感じですね。
季節が変わっても、わからないみたいなそんな感じの20代で。
30代もそんな感じで、いま40代が、すごく自分の時間を持ちながら、
ペースもちゃんと考えながら やらせていただけてるっていう感じですかね。」

国分「『辞めよう』とか、そういうことを考えたことはないんですか。」
聖子「もちろん何か『ああ、もう疲れちゃったな』とか、そういうのはありますけど
本当に辞めようかなっていう風に思ったことは。」
美輪「1度もおありにならないでしょう。」
聖子「ないような気がします。」
美輪「ね?好きなんですもの。ね?
もう『好きだ』っていうことも考えないぐらい、好きなのね。
それが生きることだと思っているから。生きることって、毎日生活しながら考えます?」
国分「考えないですね。」
美輪「それと同じだと思うんですよ。」
江原「一体だから。」
聖子「あ、そうなんですか。」
美輪「だから『ああ、生きてる』っていうのが、その時に充実感がおありでしょう?
舞台に出て歌っている時っていうのは。」
聖子「逆にその時が一番元気かもしれないですね。」

美輪「でしょ?そういうもの。だからひばりちゃんと同じものを感じたのは 『それだ』と思ったの。
さっきから私はね、ず~っと『何だろう?』と思って分析してたの。
ひばりちゃんがそうだったの。あの人が、やっぱりいろんなトラブルがあったんですよ。
だけど、とにかくステージに出てたり、歌ったり芝居したり映画を撮ったりしてると、
もうそれで全部帳消しになるの。
自分のいろんな存在とか、命とか、それが全部 確かな手でね、
みんなが肯定してくれているから、自分を。」

聖子「何か本当にステージに立たせていただいていると、
何か力がいっぱい湧いてきて すごく元気になってくるんです、不思議と。」
江原「聖子さんにとって、特別なことではなかったと思うんですよ。要するに自然の道。」
国分「芸能界というか、歌手というか。」
江原「そう。だからそれこそ、ずっと音楽活動をなさってきて、
特別に『こうやるぞ』とかっていうことではなく、自分としては その時その時にやるべきことを、
好きなことを、ただこなしてきただけっていう感覚だと思うんです。
非常にナチュラルだと思う。」

[女性の夢を実現した人]
国分「そうですね。あの女性ファンからの支持される理由の中で、
『女性のあらゆる夢を実現した人』と。ここら辺はどうですか。」
聖子「何かこうただその時に、やらなきゃいけない 『やらなくっちゃ』って思ったことを、夢中でやってきたっていう感じなんですよ、自分自身は。だから何でしょうね。」
美輪「私が、ずい分いろいろと昔ね、聞いたりしたところではね
女のファンの方って圧倒的に多いじゃありませんか。
しかも長いでしょう、そのファンの方たちは。
どうしてか、いろいろ聞いたりしてますとね、
誰だって、自分のいきたいように やりたいことをやって、
好きな人と恋愛して、結婚できて、子供が生まれて、
仕事も両立させて、いつまでも若くてきれいでい続けていて、
そういうのって、理想よね。それが、漫画の主人公みたいに憧れるわけですよ。
でも、それは現実的には、自分達は不可能だし、そういう人も周りにいないし、
でも松田さんを見ると、いるのよね、ということなの。
ああ、なるほど、それでファンなの。女は女にファンになるというのは、 そういうことなんだ。
だから、根が深いんですよ、それは。
ただ聖子ちゃんがかわいらしいから、きれいだから、歌が上手だから、
そういうものじゃないのね。」

国分「同姓から人気があるというのは、僕にとっては相当すごいことであり、
うらやましいなと思うんですけれども。」
美輪「あのね、日本ではね、女、子供を敵にまわしたら、商売にならないのよ。
つまり女性ファンが、この日本の文化は、圧倒的に支持層が多いんですよ。
男は、キャバクラにいったり、いろんなことをやる中で、
文化には、社会人になったらみんなそれどころじゃなくなっちゃって、
もう音楽会も行かない、映画もみない。
テレビだってスポーツ番組とニュース番組と後は夜中のエッチ番組しかみないっていう。」
国分「すみません、代表してすみません。」(みんな笑い。)
美輪「だからね、下手に男を相手にしてたら商売にならないのよ、この日本は。
男には文化がないから。だからね、女性に支持されているというのは、息が長い証拠ですよ。」
国分「そうですね。」
美輪「そう。」

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