向井亜紀

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【 2007年04月28日放送】【94回】パート1

今日のゲストは、格闘家高田延彦氏と結婚し、 代理母出産により二児の母となった
タレントの向井亜紀さん。

~1964年11月3日 埼玉県生まれ
大学生の時、ミスDJコンテストに優勝し芸能界へ
1994年、プロレスラー高田延彦と結婚し妊娠。
しかし子宮ガンが判明
代理出産で得た新しい命
さらに今夜明かされる感動の物語・~

プロポーズ―私たちの子どもを産んでください。

~向井亜紀さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【向井亜紀 スピリチュアルチェック】
自分の性格をひと言で⇒気は弱いけれど、気持ちは強い
趣味は何ですか⇒花の写真を撮ること
パワーの源⇒子供たちです
人生最大の転機⇒子宮ガンで子宮を取る手術をしたこと
不思議な体験⇒入院中に気持ちが落ち込み、人に当たってばかりいて
疲れて部屋に一人でいた時に、ヒステリーが起きて
「この世に神様なんかいない。神様がいるんだったら証拠を見せろ。」と叫んだ瞬間に
飾ってあった百合の花がポン!と音をたてて開いて
「あ、いる。神様はここら辺にいる。」って、もう絶対そうだと思いました

国分「さあ、どうですか、今の心境は。」
向井「緊張してるんですけど。でも逆に緊張しても
全部が見えてるんだから、隠しても仕方がないんじゃないの。
一緒にお風呂に入っているような。」って
国分「いい表現ですね。」
向井「ふふ。」

国分「美輪さんとは、初めましてになるんですか。」
美輪「いえ。」
向井「もう15年ぐらい前に、美輪さんと番組でご一緒して。
その時に 美輪さんの大切なお友達が、自殺をしてしまって…いう話をなさったんですね。
それで私、美輪さんがお話してるのに鼻が出て出て
すすれないくらい泣いてしまって。
そしたらスッとポケットからティッシュを出して私に手渡してくださって…。」

美輪「ホモセクシャルの人でね、終戦後に家族会議にかけられてつるし上げになって 自殺した人がいるの。
ホモセクシャルって今でも色眼鏡で見られるけれど
終戦後まではほとんど国賊と言われたのね。
『子供を産まない女も男も国賊である』って言って、
〔国賊(こくぞく)国の利益を害する者。国家に害を与える者。〕
つまり、弾除けの兵隊をどんどん産まなくてはいけない。
殺しても殺しても、次から次へと兵隊が出てくる国家が強いんだ、という思想だったわけ。
その風潮が終戦後も残っていて、サラリーマンでもなんでも、
ホモセクシャルとわかっただけで、即、クビになる、そういう時代だったの。
だからその方がそういう気の毒な亡くなり方をする。
本当に仏さまみたいな方だった。
その話をしていたのよね。」
向井「はい。」

国分「江原さんとは、初めましてですか。」
江原「それはもう縁がいっぱいなんです。」
向井「はい。」

~向井さんと江原の出会い
それは代理出産に成功する前、子どもを産めなくなった悲しみを忘れようと
向井さんが、がむしゃらに働いていた時期でした~

[江原との出会い]
向井「ほんとに不思議なんですけれども。
私が大阪の空港を歩いていたら。そしたら私の後ろから
多分、守護霊さんだと思うんですけど。ものすごい声が聞えたんですって。
『助けて助けて~』って。」
国分「江原さんが聞えたわけですか。」
向井「そう。でも、その頃、私、江原さんの事を全然知らなくて。5年以上前ですね。」

江原「私、あんまりテレビも出てない頃ですからね。
大阪で全然別の番組で、帰るのが便が皆同じになっちゃうんで。
その時に伊丹空港で手続きしてる所を見かけて。
でも、全然その時は会話もせずに、終わったんですけども。」
向井「その後、ひょんな事から江原さんとお会いする機会があって。」

江原「それもひょんが多いんです。
大阪のホテルでとか。それこそ、もう必然でね。」
向井「朝ごはん食べてて、ぱっと顔上げたら『ええ?』みたいな感じで
そういうのが色々あって。でも、ちゃんとお会いした時に、
『実はね。僕はあなたの事を前から知ってました。
あの時空港で…。』っていうお話が出て、びっくりして。
私は、その時にスピリチュアルな事っていうのも。
自分の目で確かめた事がなかったので
『占いかな?』みたいな感じで、気軽に話を聞いてたんで。
初めて江原さんに、お会いした時に。
『私、そういうスピリチュアルなこととか、見えないこととか、信じてはいるんですけど、
その現象を自分の人生に役立てるかどうかというのは、わからないんですよね。
だから、何を聞けばいいのかもわからないし、
どういうことなのか自分の中では噛み砕けないかもしれないです』みたいな。
嫌な奴だったんですよね、せっかくお会いしてるのに。」

美輪「それが普通よ、素人さんはみなさんそうよ。」
向井「だから最初に会わせてくれた友達が、『亜紀ちゃん、何が聞きたいの?
何でもわからないことを聞いてごらん。』って言うんですけど、
『わからないことはわからないことでいいんじゃないですかね?』なんて。」
国分「友達は必死ですよね。」
江原「せっかくのチャンスなのに、みたいなね。」
向井「そうなんです。私が病気できつかったり、
病気を押してがんばってやっていた番組がちょうど終わる頃で。
仕事が終わるっていうのは落ち込むじゃないですか?
『どうしようかな。』とちょうど思っていたときで、
友達が心配して、そういう縁を作って結んでくれたんですけれど。
つっけんどんだったんです。」

[「助けて。」という声の意味]
国分「その時に何で“助けて”って話を聞いたんですか。」
向井「そのときに『ああよかった。仕事はペースを変える時期。
今までのようながむしゃらな仕事の仕方をしていると、それこそ死んでしまう。』
だから『助けて、助けて、この子が死んじゃうから、この子を止めて』と 叫ぶ声がしたんだよ、って。
私、びっくりして。」
江原「すごく忙しかったし、このままでいたら死んでしまうから、ペースダウンさせて。
いろいろと役目があるからそれを伝えてください、
ということだったんです。」
美輪「ご守護の方だったのね。」
江原「そうです。」

[忘れていた役目]
向井「『あなたには役目、やることがあるでしょう?』と言われて。
自分の希望というのがあったんですよ。
子宮をとってしまって、その中に小さな赤ちゃんがいたので。
赤ちゃんの命を、自分が病気になったせいで摘み取ったということが本当に辛かったので、
どうにか違う方法で赤ちゃんを自分の家族に引き入れる、家族を増やす、という夢があったんですけど
忙しさとか、お仕事がなくなったとか、そういうようなすぐ近く、
目の前の煩雑なことばかりに心が奪われていて。

『あなたの役割は?』と言われたときに、『あっ』と思って。
そのときにいろんな相談をしたんですよね。
それこそ賛否両論のある代理出産という方法を取る、
または養子を迎えるという方法もある。
いろんなお話をして、いろんな可能性がある、
私はそれを探す役割を、どうして忘れていたんだろう、というような気づきがあって。」

~『どうしても子どもが欲しい』。
様々な可能性を検討した結果、向井さん夫婦は、代理出産という選択をしたのですが~

向井「もう代理出産の方はあきらめよう、二度チャレンジしたんですけど、
やはり結果が出なかったので、
でもチャレンジしたことに意味があるからもうあきらめようと 思っていたときに、
江原さんとポンっと連絡がついてお会いして。」
江原「本当にそういったときに縁があるんですよね、必然だなあって。」
美輪「お役目なのね。」

向井「『亜紀さん、あきらめないで。不妊治療は本当に辛いから、続けることも辛い。
あきらめることも辛い、どちらも辛い。だけど、あきらめないで。ここにいるから。
2人の間に降りてこようとしている魂がいるから、あきらめないで』
『辛いとわかっているけど、やってみて。』と言われて、もう本当にうれしかったですね。」

~そして2003年、3回目のチャレンジで、双子の赤ちゃんを授かったのです~

向井「4年前、『頑張って諦めないで』って言われて。
3回目のチャレンジが、向うの先生にも奇跡と言われながら実を結んだんですけれども。
あのあと、本当によく高田と話し合うことがあって 
4年前に江原さんと別れるときに
『僕には見えるんだけど、高田家にはいろんな髪の毛の色、肌の色、目の色の子供たちが たくさんいて、
その人たちにお父さん、お母さんで呼ばれている絵が見える。
そういうイメージがあるから、まだまだこれから先、子供たちをたくさん育ててね』と言われて。
高田が『俺、何人育てられるかな』ってね。
本当によくふたりで話して。
『貯金のないこの状態はどうなのよ?』と言うんですけど
それがうちの夫婦の夢のイメージになってますね。」
美輪「素敵な夢じゃないですか。」

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