間下このみ
【 2008年02月09日放送】【117回】パート2
今日のゲストは、天才子役として大活躍し、難病を乗り越えて出産、育児に臨まれている間下このみさん。
パート1からの続きです♪
[難病との闘い]
『抗リン脂質抗体症候群』の自覚症状を聞かれ、間下さんのお話。
自覚症状はないんです。妊娠2ヶ月くらいでわかりました。
私は本当にラッキーだったんですけれども、最初、妊婦検診で血液検査をしたら
『ちょっと血小板の数が少ないから気になるので
もう少し詳しい検査をさせてもらえないですか?』と、初めて行ったときに
初めて会ったお医者さまが言って下さって。
もう2回目ですから『何でもしてください』ということで、検査していただいたら、
この 『抗リン脂質抗体症候群』という病気が見つかったんです。
いま、難病に指定されているんですけど、難病に指定されているということは、
原因がまだわからなくて。
何が原因でそうなるのかということはわからないですし。
遺伝性があるかとか、そういうことも今、調べている最中で、
多分、前回の子もそれが原因で亡くなったんじゃないか、と思ったので
また子供を殺しちゃうかもしれない、私…とすごく思いました。
私がこんな体じゃなければ元気に生まれてこられる子なのに…と思いました。
でももうすでに、わかったときにはお腹の中にいたので、
その子を 殺してしまうとかということはできないので『とにかく前に進むしかない。やれることをやっていくしかない』と思ったので、とりあえず一番良いとされている治療を
主人と調べたり、先生に相談したり、ネットで調べたりして
一番いい方法を見つけるように努力しました。
治療法は、本当に確立されていないのでこれが効く、ということは一つもなかったんですけれども、とりあえず血液をサラサラにする注射を毎日打つということをしました。
計5カ月くらい毎日打ったんですけれども、やはり周りは、うちの父とか先生とかも 、
体の方もしんどいし、毎日打つのは大変なんじゃないか、と。
それにこの注射が絶対に効くという確証もないし、それは考えた方がいいんじゃないか、
といわれたんですけれども、もう…本当に後悔したくなかったですね。
あのとき注射しなかったから、死んじゃったんじゃないか、とか
そういう後悔は後からしたくなかったので、注射を選びました。
ずっと昔から怖いものは注射で、本当にテレビに注射が映るだけで、
気持ちが悪くなるし
注射を打つ度に病院で倒れているような、苦手を通り越した病的な注射嫌いだったんです。
でも、『この子の命を救えるのであれば、そんなの乗り越えてやる』って
自分でも不思議なくらい強くなっていまして。迷いはなかったですね。
やはり、母になるって強いんですかね。
美輪「でも元々、強くていらっしゃるのよね。」
間下「自分は全然、そう思わないんですけれど。」
江原「常に自分の身の保険のために最悪のことをいつも考えているから。
そういった意味で最悪の場合はここ』というのを知っておくと安心なんですよ。
それもある意味では強さ。
『最悪を知っておいて、だから頑張ろう』みたいなね。
それでいて、わりと『がんばろう』の切替が早くて素直だから、
いい意味での『単純さ』を持っているんです。だから本当にポジティブでね。」
美輪「だからね、『石橋の上を叩きまくる方』なの。」
江原「前世も、子役をなさっているときもそうだけれど
いろんな苦難、
困難があったのが見えるんですね。
だけどその都度、切替上手なんです。
親御さんや周りの大人たちの『こう考えるんだよ』『こういう風に頑張れば?』
というのを素直に受けて。
だから、長々と引きずらなかったでしょう?」
間下「ずるずる引きずるの、嫌いですね。」
江原「ね。本当だったら、亡くなってておかしくないんです。
ごめんなさい、お子さんのみならず。」
美輪「母体もね。」
間下「そうですか。」
江原「いただいた命。」
間下「自分の死のことは、全く考えたことがなかったですね。本当に。
自分が死んでも、子供の命は助けたい、と思っていたので。」
国「そのときのだんなさんの存在も、やはり大きかったんじゃないですか?」
間下「そうですね、主人じゃなければ、多分、乗り越えることができなかったと思うし。
やはり、足に血栓って溜まりやすいんですよ。
それで、主人が毎日、マッサージしてくれて。
主人も仕事があるので、結構疲れていたりはしたと思うんですけども
毎日、少ないときで30分、多いときで2時間くらい。」
美輪「なかなかできないことですよね、素晴らしい。」
間下「できないですね。
最後はちょっと、意地になってましたけれど。」
美輪「愛情が深いのね。」
~そして2007年3月16日午後2時57分
体重2,155グラムで生まれた赤ちゃんは「めのあ」ちゃんと名づけられたのです~
[授かった命]
初めて赤ちゃんを見たときは、どう思いましたか?と聞かれて間下さんのお話。
うれしかったんですけど、ほっとした気持ちの方が大きかったですかね。
やはり病気を持っている体で、人の命を今、娘といえども人の命なので
それを預かっているという重さをすごく感じられたし、
何とか無事に産みたいという思いが強かったので、やっと外に出て 自分の目で、
泣いている娘を見られたときは、ほっとしたし 『生まれてきてくれて、ありがとう』と伝えました。
この子も多分、お腹の中でがんばったと思うし、とにかく『ありがとう』。
娘にも、神様とか、周りとか、主人とか、皆さんに対して多分 『ありがとう』という気持ちだったと思うんです。
今度の出産は、9ヶ月、36週でした。
やはり私の体が、あまり思わしくなくなってきてしまったので、先生も考えて『じゃあ、
出しましょう。』ということで、帝王切開で1ヵ月早めに。
全身麻酔だったので、生まれる瞬間を見ることはできなかったんですけど。
主人と家族が私より先に見たという形です。
主人は多分、私より辛い部分があったと思うんです。
やはり、主人って何もできないじゃないですか。
何をしてあげていいかわからないし 何もできない。
歯がゆさというものが、すごく辛かったと思います。
あと、この病気を知っていただきたくて、わかったときに、皆さんにメディアを通じて
発表したんですけど、そのときにたくさんのメールをいただいたんですね。
同じ病気で闘っている人とか、普通に子育てをしている人とか そういういろいろな方の力も、やはり手助けしてくれたし、一緒に闘ってくれたんだと思います。
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