松居一代

Sponsored Links

【 2008年04月05日放送】【2時間SP】パート2

今日のゲストは、船越栄一郎さんの妻でありお掃除名人で人気の松居一代さん。

パート1からの続きです♪

松居一代の超(スーパー)おそうじ術

[欠陥マンション]
タレント活動ができなくなっても大好きな掃除の仕事ならできる。
不幸にあってもただ嘆くのではなく、自分にできることを考え、常に前向きに考え、離婚のストレスと借金を乗り切りました。しかし、次なる試練が。新居が欠陥マンションだったのです。今度は建設会社との戦いが始まりました。

国分「いや、すごい人生を駆け抜けてますよね。そんなに続くか、っていう感じしますね。」 松居「今度は天井が落ちてきましたからね。
部屋に、私の着物から洋服から全ての物を置いていたんです。
436点が、目の前で一気に汚水に浸かりましたから。
私もへなへなへなとなりました。
『明日、仕事に行くのに私、服が着られない。靴もない、うわぁ。』 と思ったんです。
けれども、次の日、私、服を着てました。
『なあんだ、人間って、パンツ1枚と靴1足と洋服1着とカバンがあれば 生きていかれるのか。』と思ったんです。
『命だけあれば、生きていかれる』『息子の命と私の命は助かった』
天井は私たちの上にまでは、落ちてこなかったですから。
だから 『なあんだ、服なんて、どうでもいいのか。』と思いました。」

[命があれば]
美輪「現代の人は、特に物欲で、物や数字やお金が神さまじゃありませんか。
実は自分の命とか、精神とか、愛とかの方がすごい価値のあるもので、
『物欲とかそんなものの価値感は屁みたいなものじゃないか。』というものに お気づきになったわけね。」
松居「ええ。屁だと思いました。」

天井が落ちても息子と自分の命が助かっただけでもまし。松居さんは再び前向きな考えでこの苦難を乗り越えます。そして、船越氏一郎さんとの運命の出会い。
しかし、結婚にいたる道のりは決して平坦なものではなかったのです。

[運命の出会い]
松居「衝撃的でしたね。出会った時にもう『あ、夫だ!』と思いました。
その日、帰って息子に『いたよ。とうとう会った!』といったんです。
それで、2時間サスペンスのドラマ(船越さんが出ている)を2人でみたんです。
それから息子は、そのテープが擦り切れるかなというくらいまでみて、
全ての俳優さんのセリフを最初から終りまで2時間、全部覚えたんです。
それまでトーマスとかアンパンマンとか、そういうものをみていたんですよ。
それが、船越が出ているサスペンス、起きてから寝るまでサスペンスなんです。

でもその時は、ご縁があるということはわからないわけじゃないですか。
何でこの子、全部のセリフを覚えているんだろう?』と思って、
今度は母として 『絶対この人を、お父さんにしなければいけない。』という闘いが、また始まったわけです。」

[心をつかむ戦い]
国分「まだ、船越さんの気持ちはつかんでいないわけですものね。」
松居「だって、つかむどころか、情報番組で1回会っただけですからね。
でも『どんなことがあっても、私は絶対この子のために、 あの人をお父さんにしなくてはいけない、
私の考えられる手は、全部いきましょう』
と思いました。」
国分「どんな手で迫っていったんですか?」

松居「向こうも警戒しているわけですよね、私は子供もいますから。
最初は『松居さんって、子供を抱えて大変だな。』と思っていたそうです。
それで上手くお部屋に行くことができたんですよ。
船越はね、独人貴族で、すごくもてたんですよ。
それで、お部屋に入り込んだ時に、とにかく家具を味方につけようと思ったんです。
それで船越の住んでいる部屋の家具とかをお掃除するんですけど、
お掃除するフリをしながら、私の念力を植えつけたんです。
椅子とかを拭くとね『ここに他の女性が、どうか座りませんように。
座っても、絶対にすぐ帰りたくなりますように。』すべてそう思って、拭いていたんです。」
まずそれが1つ。
あとはサスペンスの撮影は、1つの作品にだいたい2週間行くわけですね。
そうすると洗濯ものが山のようにあるわけです。
船越は女性がそういうこと(洗濯)をさせてください、 というのをとても嫌う人だったんですね。
私が『させてください』と言っても 『いや、僕は自分でしますから、結構です。』 という人だったんです。
でも、ずっとお願いし続けて、ようやく洗濯ものを私は持ち帰ることができたんですね。

もうその時はうれしくって『今度はあの全てに念力を込めるんだ』と思って。
私は息子が肌が弱かったから、全ての衣類にアイロンをあてて熱消毒をしていたんですね。
それで今度は船越のトランクスに高温で、もうジュッ、ジュッとしてね。
『どうか、他の女性が触りませんように』と思って、全部アイロンをあてていたんです。」
国分「もう今は、船越さんはそのことを知っているんですか?」
松居「今は知っています。でもその当時、そんなことは絶対、言いませんでした。

それで後は、胃袋をつかまないといけないと思ったものですから
『あの、 近くを通りかかったので』と言いながら、お弁当ですよね。」
国分「『近くを通ったので』と。」
松居「そういうことはして欲しくない、という人だったんですよね。」
美輪「うざったいんでしょうね。」
松居「そうですね。そういうことをやりたい人は、いっぱいいるわけですから。
だから、上手く言って。」
国分「おにぎりを握りながら『どうか他の人と…』。」
松居「もう、すごく込めてました。
船越は『ああ、ありがとうございます。』と、とっても彼は言葉使いがよそよそしいんです。
私のことは、ずっと『松居さん』でしたし。
美輪「寄せないためにですよね。」
松居「そうです。『この人には、子供がいる。』と思ってね。
だから私は、友達なのか、同業者なのか、恋人なのか、
何なのかわからないまま約5年間過ごしたんです。苦しかったですね…。」
美輪「でも結局、魔法使いサリーちゃんの勝ちね。」
松居「いつの間にか、他の方がいなくなってくださって、
それが終戦記念日の日だったんですよ。」

はじめて船越栄一郎さんに会ったとき自分の夫になる人だと思った松居さん。2人の結婚をきめたのは息子さんのひと言でした。

[結婚を決めた一言]
松居「息子がだんだん大きくなってきて、最初 『お嫁さんにもらってもらえるか、 もうそうじゃないのか、僕が聞きにいく』と 言ったんです。
『あなたは子供だし、そんなのだめよ。』 『そうしたら、自分で行って来い。
お嫁さんにしないと言ったら、もう2度と行かせない。』 と言うんです。
それで初めて私の口から、“結婚”という言葉を口にしたんです。
それまで5年間、その言葉を避けていたんです。怖かったんですね。
初めて言ったら『考えさせてください』と言ったんです。
それを息子に言ったら 『考える時間は充分にあった。もう考えてるはずだ。
もう1回行け。』と言われたのが終戦記念日だったんです。

それで、今度は船越の住んでいる家に上がらず、そこで語ったんです。
『今日、決断してもらわなければ、私はもう、2度と会えなくてもいいです。』
そうしたら、2時間半かかりましたけれども、船越から 『今すぐには、いろんな問題があるから難しい。でも、一緒に生きていこう』と 言われたんですよ。
ついに、『その言葉が聞けた!』と思ってね。

結婚するまで、また少し時間があったんですよ。
それで、私が息子に『もうこうやって一緒にいるんだから、お父さんって呼んでみたら?』
と言ったら息子は船越に『呼んで欲しかったらな、証拠を持って来い。』と言ったんです。
証拠というのは、婚姻届ですよね。 『証拠を持って来い、持ってきたら、
僕はそのときから呼ぶ。 それまでは『えーたん』だ。えーたんって呼んでたんですね。」
美輪「しっかりしてるのね。」
松居「本当に、すごかったですね。それで、婚姻届と養子縁組を同日にやったんです。
船越が『1分たりとも、籍の上でこの子を1人にさせておくのは嫌だ』と言ったんです。
息子が小学校から帰って来たとき、六年生でした。そして『パパー!』って初めて呼びました。 もうその時、玄関で船越は息子を抱きしめて、ぼろぼろ泣きましたね。」
国分「しっかりした息子さんですね。」
松居「息子は本当に『お母さん、こいつしかいないんだよ』って言ったんですよ。
私の中では『子供を抱えて、だんだん年も重ねてくるし、
もしかしたら、違うご縁があるのかな』と、それは迷いました。
だって『好きだ』と1度も言われたことがなかったわけですから。
でも、息子は『お母さん、こいつしか、僕は嫌だよ。』そう言うんですよ。」

美輪「だから、今世限りの次元で物事を考えると『嘘みたいで、映画みたいにドラマティック』という話だけれども 次元を全く超越したところの物語としてみると、
何百年かぶりでやっと逢えたわけだから。
そうすると『あ、なるほど、なるほど』ということがいっぱい出てくるわけですよね。」

松居「この番組で先生と美輪さんから『何百年の昔に、船越の前世と息子の前世は
親子だった』ということ聞いたときに、全て解けたみたいで『だからだったんだ!』って。
だから私は、それからもいろんなことがあった時に、ちょっと心が苦しくなった時に
必ず主人が出させていただいた時のテープを自分ひとりでみて
『いや、こんな素晴らしいご縁をいただいたんだから、嫌なんてことないか
こんなことぐらい』と思って、本当に生きてこられました。」

美輪「苦労なさったごごほうび。
だから、今までのものすごく辛いことが、黒の黒さが深ければ深いほど、
幸せになったときの幸せが、ありがたみの感じ方が もう100倍にも、 200倍にも感じられるわけじゃありませんか。
これがそれほど苦しい人生じゃなくて、まあそこそこな人生でそういう結果になっていれば
『まあ、幸せですわ』という程度なんですよ。
ですから、苦労というものは、後から考えると逆にありがたいことでもあるんですよね。」

次ページへ⇒パート3へ続きます♪

Sponsored Links

このページの先頭へ