未唯 mie
【 2008年08月16日放送】【2時間SP 亡き人を偲ぶスペシャル】パート1
今日のゲストは、阿久悠さんの生んだ最大のスターである女性歌手、元ピンクレディーの未唯 mieさん。
パート2からの続きです♪
~阿久悠さんの狙いはズバリ的中
1976年のデビュー曲「ペッパー警部」は105万枚の大ヒット
1978年の「UFO」「透明人間」など、斬新な歌詞と振り付けは
子供たちを中心に日本を席巻し、たちまちトップアイドルに
(いずれも作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)
ピンク・レディーの存在は、阿久悠さんにとっても大きいものだったようです~
*:.。.:*☆*.。.:*
1988年に「徹子の部屋」にご出演になったときの阿久悠さんの言葉
「自分がね、それこそ、映画のプロデューサーになったような気持ちになれた
『今度は、透明人間出そう』とかね、『次はUFO』
『今度は野球の実況中継みたいな歌を作りたいな』とかねそういった、
こういろんな あの歌にこだわらない形でいろんなことがやれたもんですから
おもしろかったですね。」
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~1978年の「サウスポー」は、当時、ホームランの世界記録を塗り変えた王選手と
対決するという設定の曲。
時代を読み取った阿久悠さんの曲は デビューから10曲連続でミリオンセラーに~
[阿久悠先生について]
国分「阿久先生の書かれる詞に対しては、どんな印象がありましたか?」
未唯「本当に時代を先取りしているというか、何か本当に『UFO』が出れば、
世の中がUFOの話題でいっぱいになったりとか 、サウスポー』を歌い出したら
『王さんが記録を樹立した!』とか。
『阿久先生って、宇宙人じゃないかな?』って。
『何てすごい人なんだろう』って。
ピンク・レディーが『ユーフォー(UFO未確認飛行物体)』って言う前は、
『ユーエフオー』って言ってたんですよね。」
国分「あ、そうなんですか?」
未唯「うん。」
美輪「だから、謎の飛行物体とかね、そういうものじゃなくて ミーちゃんたちの
『ユーッ、フォーッ』ただそれだけなの。」
国分「わかります。『UFO』って子供の頃の発音って『ユーフォー』じゃなかったです、僕。
『ユーッ、フォーッ』とか。」
未唯「かわいい。」
国分「そんな発音だったような気がしますね。」
美輪「そうそう、だからこれなのよ、後ろからポッポってこうやるでしょう?(振り付けのマネ)
だから、その現象としてね、それがバーッと流行ったのよ。」
国分「すごいですね。」
美輪「やっぱり、子供でも何でも、真似したくなるような、おもしろい振り付けだったのよ、ね?」
国分「振り付けと言えばうち、姉がいるんですけども、やっぱり踊ってましたものね。」
未唯「本当。」
国分「もういいよ、もう姉ちゃん、もう飽きた。でも 『見てて』って言うんですよ
美輪「かわいいじゃない?」
国分「断るぐらい、やはりやっていましたから。」
日本中に大ブームを巻き起こしたお2人でしたが、人間的な生活からはかけ離れた
忙しい毎日だったようです。
国分「出せば大ヒットしていくのがわかるわけですよね?」
未唯「もう何か、そういうことに意識がいかない感じ?
『もう目の前にある仕事を、とにかくがんばんなきゃ!』って ず~っと切羽詰った状態で
仕事をしていたので。1日の切れ目がどこだかわからなくなっちゃう感じ。
ベッドに寝る時間は、平均したら1時間半とか2時間とか。」
美輪「ええ!?」
未唯「2年間くらいはそんな感じ。」
国分「ええ!?2年間ですか?」
美輪「それで動き回って、あれだけの体力で。」
未唯「だから、いつも、微熱があって。
歌っている以外はボーっとしちゃっているんで、
マネージャーさんのかかとに付いて行くっていう。」
国分「かかとに付いて行く?じゃあどこに行くかも分からない 『マネージャーさんが歩くから、私も歩く。』みたいな感じですか?」
未唯「そう。だから本当に失礼な話なんですけれど。
どこで、何の番組で何の仕事をしているんだか分からないで歌っている時があったと思う。」
国分「楽しかったですか?」
未唯「楽しいっていうよりは、コンサートの時に、
みんながすごく楽しんでくれる顔を見られる時が一番『ああ、良かった』って思える。
楽しいっていうのは ちょっと分かりづらかったかもしれないですね。
あと、ファンレターで、小さな子供たちとか、学生さんたちもそうなんだけど
『僕は病気と闘っているんだけど、ピンク・レディーの2人ががんばっているから僕もがんばるね』とか
『受験で苦しくて、逃げ出したくなるけど、2人ががんばってるからがんばる』とか、
そういうお手紙をいただくと『ああ、がんばっていてよかった。もっとがんばろう』って。」
美輪「励みになるんですよね。」
未唯「そうですね。」
国分「その中でも、印象に残っている詞というのはありますか?」
未唯「えっと、当時は何が出てきても当たっていくのが楽しみだったんですけど、
解散してからもう一度ピンク・レディーをやってみよう、という時に詞を、もっと大人になってから読み返してみて
『モンスター(1978年 作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)』という曲がこんなにも深い曲だったんだ、っていう風に思ったことがあって、改めて覚える時に、
涙が止まらなかった記憶があるんですけど。
『モンスター』っていうのは、よく言う『怪物くん』だという風にその当時は歌っていたんですけど。
でもそれって、もしかしたら、その怪物を、人とはちょっと違う人のことを指しているのではないか、と。
その中に、私たちも含まれているんじゃないかな、って。
で、その人たちはすごく寂しかったり、子供だったり 『すごく持ち上げられたくないのに、みんなと一緒にいたいのに 何かこう、隔離された状態になっちゃったりとか
そういうことの切なさも歌っているんじゃないかな、裏テーマではあるんじゃないか。な』って。」
国分「なるほど確かに。」
未唯「実際、阿久先生がそういう裏を持っていたかどうかは、分からずじまいなんですけれど。」
国分「聞いてはいないんですか?」
未唯「はい。」
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