未唯 mie

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【 2008年08月16日放送】【2時間SP 亡き人を偲ぶスペシャル】パート3

今日のゲストは、阿久悠さんの生んだ最大のスターである女性歌手、元ピンクレディーの未唯 mieさん。

パート3からの続きです♪

[ピンクレディー解散]
1981年3月、4年7ヶ月の活動を終えて解散、お2人はそれぞれの道へ。
国分「僕はもう、不思議でしょうがないんですけれど、これだけ人気があって
約4年と7ヶ月で解散を迎えますよね、これは何が。」
未唯「私が思うには、もうピンク・レディーが、本当に『モンスター』のようになってしまって。
プロダクションでもレコード会社でも、コントロールが効かないし、
今後、どちらの方に向ってピンク・レディーを歩ませていいのかも 分からなくなってたんじゃないのかな、っていう風にも思いましたね。
まあそんなときに、マスコミからの『ピンク・レディーは解散』って、
そんな 『不仲説』とか『解散説』がいっぱい出てきたので、
『ああ、これはピンク・レディーとしての役割は終わったのかもしれないな。』
っていう風に何となく思っていました。」

美輪「ご自分たちで『辞めよう』と言い出したんですか?」
未唯「実はもう1つの理由というのは、ケイがその頃 熱烈な恋愛をしていたんですね。
事務所は 『結婚をするか、解散をするか、別れるか、はっきりしなさい。どちらかを取りなさい。』っていう風に、ケイに迫ってたんですね。
それで『ミーちゃん、解散することになってもいい?』っていう風にポッて聞かれたんです。
『もちろん、ケイが幸せになることだったらいいよ。』って。
結論としては解散っていうことにもなるんですけど。」
美輪「素敵じゃない、愛を取ったんだから。あなたには相手の方はいらっしゃらなかったの? その時は。」
未唯「いました。」
美輪「じゃあ、良かったんじゃない、両方共、愛を取ったわけだから。ね?」
未唯「だから、ピンク・レディーを続けながら、恋愛は恋愛で、こっそりでも許してくれてたら良かったのになって。」

*:.。.:*☆*.。.:*
ピンク・レディー誕生前から、ヒット曲を生み出していた阿久悠さんは
多くのアーティストから熱烈に支持されています。

1975年の「ロマンス」を歌われた岩崎宏美さんの言葉
「サビから始まる『あなたお願いよ 席を立たないで』っていう
本当にドキドキと恋をしている女の子の気持ちを素直に表現されているので、
歌っている間じゅう、自分が恋する乙女でいられることが素敵なことだと思います。」

1980年の「雨の慕情。」を歌われた八代亜紀さんの言葉
「『雨の慕情』は、『膝の重さを覚えてる』っていう大人でないと感じ得ない言葉なんですね。
その中に、そのあと『雨々ふれふれ もっとふれ』童謡的なフレーズがあって
『え?大人の歌と童謡がミックスされている』みたいな感覚をこう私、感じたんですね。」

1971年の「ピンポンパン体操」、
1974年の「宇宙戦艦ヤマト」、
1981年の「もしもピアノが弾けたなら」、
1993年の「今ありて(高校野球大会歌)」など
ジャンルを問わない仕事ぶりで、作詞された曲は5000曲以上
総売り上げ枚数は6818万枚の歴代1位。
昨年8月1日に亡くなられた時は、まだ70歳だったのです。
*:.。.:*☆*.。.:*

歌鬼(Ga-Ki)~阿久悠トリビュート~

[阿久悠先生の訃報]
国分「阿久先生が亡くなられたのは、どうやって知ったんですか?。」
未唯「事務所から連絡がありまして 『阿久先生が亡くなられたので、
コメントとか、インタビューとかに答えて欲しいっていう依頼がたくさん来てますが、 どうしましょう?』って言われて。
ええ!?って全く信じられなかったんです。
というのも、2003年から2005年まで『これが最後だろう、ピンク・レディーをさせてもらうのは。』
って 本当に命がけで挑んだツアーがあったんですね。
それの『お疲れさん会』を 阿久先生をはじめとした本当に身近なスタッフ、
当時のスタッフだけで 『お疲れさん会』をしてくれて。
その時に、とても元気だったの。
ちょっと病気されたけれども 『もう元気になったんだよ』って
本当に元気そうにされていたので 『そんなはずはない、とにかく事務所に連絡して、確認して。じゃなかったら、信じられない。』って。
ようやく『そうらしい』と。もう頭が真っ白で、どうしたらいいのか分からなかったんですけど、
本当だったらインタビューを受けるとか、コメントを出すって、
阿久先生の曲はもう 大先輩方がたくさんいらっしゃるから
『私なんか出る幕じゃない』って思ってたんですが 『阿久先生、喜ぶよ』って
ひと言おっしゃって『本当ですか?』って。
『阿久先生が喜んでくださるなら』と思って、できる限りのことは全部受けたんですよ。」

【スピリチャル メッセージ】
[阿久悠さんからのメッセージ]
江原「ご本人がもうこの世にね、いらっしゃらないので、どこまでお話するべきか分かりませんし、
もちろん私も当然ながら面識もございませんので。
ただ、ご本人いわく、先ほど『モンスター』の話ありましたでしょう?
その時からすごく反応されてね、あの来られててね。
ピンク・レディーと『モンスター』をどこかつなげていたりとか またはそういう人っていう風に、それはミーさんの感性でもあるんでしょうけれど、どうもね、
ご自身とも結びつけているらしいんですよ。
もういらっしゃらない方なので、どこまで申し上げていいかわからないけれど、
ご本人方が言っていること、伝えてきていることからすると、実は非常に孤独な方で
ご自身の内面とかをあまり表現しない。
だからその場でのお仕事とか人間関係っていうのはすごくするんだけども、
本当のこの方っていうのは、どれだけの人が知っているだろうかっていう、“本心”とかね。
「だから自分の心の中での、ご本人の言葉を使えば、
『妄想的な遊び』というのが『それが自分の仕事に結びついたんだ』っていうことを言って。いつも自分は夢を見ているんですって。
それが『ピンク・レディーという題材で、自分がそこを果たせていくのが楽しかった。』っていうのはそこにもあって。
ピンク・レディーはミーさんやケイさんでもあるけれども、実は阿久悠さんでもあるらしい。わかります?それって」

未唯「何かね、わかります。
あの、解散した時に、ゆっくりお話させていただいたときに
『ピンク・レディーの作品を書いているの、本当におもしろかったんだよ。 って おっしゃって下さっていて。
『ピンク・レディーのことを語らせたら、2時間でも3時間でも いくらでも僕は話ができるんだ』って、おっしゃってて。」
江原「それはね、ご自身の投影でもあったんですよ、ピンク・レディーが。
だから先ほどの『モンスター』を久々に見て感動して、っておっしゃるけれども あの時、 つながっていたと思うんですよ、心の。

~モンスターのように成長してしまったピンクレディー
一方、作詞家としてあまりに大きくなってしまった自分
モンスターとは阿久さん自身の姿ではなかったのかと江原さんはいいます~

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