中村俊輔

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【 2007年07月07日放送】【2時間SP】パート1

今日のゲストは、2000年JリーグMVPなどを受賞しているプロサッカー選手の中村俊輔さん。

~1978年6月24日神奈川県横浜市生まれ
男ばかり4人兄弟の末っ子に生まれる
兄の影響でサッカーを始め。マラドーナに憧れた少年は
現在、イギリスのスコットランドリーグを舞台に活躍
今年、日本人初のMVPに輝き
日本代表の司令塔として、期待も大きい中村俊輔
天才アスリートへのスピリチュアル・メッセージとは~

中村俊輔塾 全スーパーテクニック伝授 (トップアスリートKAMIWAZAプレミアム)

~中村俊輔さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【中村俊輔 スピリチュアルチェック】
小さい頃なりたかった職業⇒ラーメン屋です
自分の性格をひと言で⇒人見知りが激しいですね
人生を変えた言葉⇒「夢ある限り、道は開ける。」という言葉ですね
元気の源⇒家族で過ごしたり、子供と遊ぶこと
人生の転機⇒中学3年の時、挫折した時ですか
将来の夢⇒指導者になって世界で通用するプレーヤーを育てること

国分「まずはスコットランドリーグのMVP、おめでとうございます。」
中村「ありがとうございます。」

[なぜオーラの泉に?]
国分「まさかこの番組に出るとは、、。
ちょっと僕は驚いてる部分があるんですけども。
普通は、そのサッカー番組だったり。」
中村「そうですね。」
国分「この番組の存在というのは知ってたんですか?」
中村「もう知ってます。海外で、DVD録ってもらって。
ほとんど毎回見てます。」
国分「あ、そうですか。」
(中村選手は現在イギリスのグラスゴーに住んでいます)
国分「この番組の印象っていうのは、どうですか?」
中村「霊的なものとかよりも、お2人の話す、人生の、こうやって進むのよ、
みたいな話が僕は好きで、勉強になるので、そういう見方でみています
国分「うれしいですね。
あの美輪さんとは初めましてですか?」

中村「もう、初めまして。」
美輪「初めまして。」
国分「どんな印象ですか?」
中村「いや、もうオーラがすごい、それだけです。」
国分「ああ、そうですか。」
国分「え、今、ちょっとやっぱり緊張をされてますか?」
中村「それはもう全然、はい、してます。」
美輪「はっはっは。」

国分「江原さんとは?」
江原「初めましてです。」
中村「初めまして、お願いします。」

[サッカーとの出会い]
国分「子どもの頃は、どんな子どもだったんですか?」
中村「ほとんどサッカーばっかりですね。」
国分「いつ頃、サッカーと出会ったんですか?」
中村「3歳、4歳ぐらいですね。」
国分「早いっすね。4歳。」
中村「そうですね。」
国分「きっかけは何ですか?」
中村「上の兄貴がいて、一緒にやっていたかったんですよね。」
国分「お兄さんがサッカーやってなかったら。
代表にもなってないわけですよね。不思議な縁ですね、これは。」
美輪「だから、不思議じゃないんですよ。」
江原「計らいでね。」
美輪「ちゃんとプログラムの中に入ってるんですよ。」

国分「4歳でサッカーの魅力みたいなものがわかったんですか?」
中村「う~ん、どうなんですかね、まあ人よりキック力があったとか、
ゴールを決める楽しさとかは感じてたのは覚えていますけれども。
だから、やめなかったとは思いますけれども。」
江原「走って、風を感じて、それが気持ちよかった、というのはないですか?」
中村「そうですね。皆とやれているのもおもしろいし。」

国分「ご両親がサッカーを好きだったとか?」
中村「いや、2人とも運動は全然、ダメみたいでしたね。」
国分「そうなんですか。それも不思議ですね。
俊輔選手は、僕よりちょっと年下になりますけれども
僕らは野球とサッカーの両方が人気のあった時代ですよね。」
中村「僕は野球のクラブにも入っていたんですけれども、大事にしたのはサッカーです。」

国分「野球に入っていたんですか?どこを守っていたんですか?」
中村「サードとか、2番目のピッチャーだったですね。」
国分「リリーフで出てきたり?投げるのは左ですか?」
中村「右です。」
国分「蹴るのだけ、左なんですか?箸も右で?」
中村「蹴るのだけ、左です。打つのも右で。」
国分「これは何かあるんじゃないですか?
ごめんなさい、何かテンション上がっちゃって。」
(みんな笑い。)
国分「でも、僕もそうなんですよね。箸だけ左で。
ほか全部、右なんですよね。不思議じゃないですね。
何で僕、こんなテンション上がっちゃったんですかね。」
(みんな笑い。)
江原「今回ほどね、国分さんのオーラが赤々と燃えてるの、見たことない
さっきから、おかしくて、おかしくて。」
美輪「はじめからウキウキしちゃって。」
江原「もう、個人として今、楽しいでしょう?」
国分「いっぱい、いろんなことが聞きたい、終わって欲しくないです。」
美輪「おめでとうございます。」
国分「どうもありがとうございます。」

[勉強は嫌い]
国分[勉強はどうだったんですか?」
中村「やっぱり嫌いですね。おもしろくないですね。」
国分「得意な科目とかっていうのは、体育以外で。」
中村「算数ですか、数学ですか、は好きでしたね。
その解いて答えが出るという。後はほとんど暗記とかじゃないですか。」
国分「なるほど。」
中村「暗記がおもしろくなかった。」
国分「答えが出るのが好きなんですか。」
中村「好きですね。」

[サッカーは数学?]
美輪「サッカーもそうでしょう?ボールをこう渡したら、こうなる。
ビリヤードと同じ、数式、計算じゃないですか。数学もそうでしょう?」
江原「とにもかくにも、緻密な方ですよ。ゲームをやっても攻略法ですよね。
さきほど、人見知りとおっしゃったけれども、
本当にじっくりと、ご自身の中に入って考えていくというのが好きなんですよ。
人が嫌いというのではなくて、
わりと自分自身の時間をちゃんと持たないと、苦しくなってくる。」

国分「ほお。サッカーの戦術などをノートに書いたりするというのを、
他の番組でみたような覚えがあるんですけれども。」
中村「書きますね(中村選手は高校の時からサッカーノートをつけている)。
日記とかは嫌いなんですけど。サッカーノートをつけるのは楽しいというか、
落ち着くのかな。」
美輪「数学、数理と同じですものね。方程式を解くみたいなものじゃありませんか。」

国分「今もそのノートは書き続けていたりするんですか?」
中村「書いています。その試合の良かったことと、悪かったこと、
『これが良くなかったから、次にこうしなきゃ』ってまず頭の中で考えていないと、 体が動かない。
意識して、それを練習して、ずっと繰り返して。」

国分「答えを出して、そこへ自分自身を近づけるわけですね。」
中村「はい。」
美輪「分析力よ。」
江原「ただ、分析がちょっとネガティブにいきやすいところがあるんです。
今日いらっしゃった理由は、メッセージの中にそのこともあるんですよ。

~その華麗なテクニックから天才と呼ばれる事も多い中村選手ですが。
今でも自分のプレーをノートに付けて分析する
地道な努力を怠らないのです。
今もサッカーノートをつけて自分のプレーを反省している。
そして、その原点は、ある挫折の体験でした~

[スーパースターは職人]
江原「で、初めてお目にかかるので、どんな方かなと霊視して見ていたら、
これだけの大スターなのに、職人なんですね。
ただ勢いとか輝きでいく人ではなくて。」
美輪「直感とかね。」
江原「はい。そういった事ではなくて。緻密なる努力。
だから積み重ねて、やって行く方なんだな、っていうのを。
実は霊視してたんです。」
中村「そうですね。まあ、すぐにバッといかないタイプですね。」
国分「色々、計算しながら。」
中村「そうですね。
人見知りというのも、例えば新しいクラスに入っても、自分をパーッと出すより
遠くから周りを見てから『じゃあ僕は、誰々と友達になろうかな。』

サッカーも似ていて、いきなり自分のプレーを出すよりも、
『こういう味方の選手がいるから、自分はこうやってプレーしようかな。』とか。」
国分「それは職人ですよ、メチャメチャ。」
中村「そうですか?怖がっているだけかもしれないです。」
江原「でも、緻密に技術を積み重ねていく。」

美輪「スポーツ選手でも、情念とか直感、感情的な勢いだけでやる人がいて、
そういう場合は出来、不出来が多いじゃないですか。
でも、コンスタントな方はどちらかというと、そういう情緒的なもので動くというよりも
計算して、努力型でやる人の方が安定しているんですよね。」
江原「そして、息が長い。」
国分「そうですね。」

[中学3年で挫折]
国分「人生の転機が、中学3年生の時で、挫折というような言葉が出ましたけれども。」
中村「僕が所属していたクラブで、中学1年も2年も10番をつけて、
エースみたいな位置にいたんです。
簡単に言うと、天狗になって、自分が一番上手いんだと。

(中学生時代、日産(現横浜F・マリノス)ジュニアユースに所属)

国分「ほおほお。」
中村「で、中3になって。身長が伸びなかった。その頃って皆 ぐーって伸びるんですけど。
僕は伸びないし、足も遅いし、プレーは傲慢で、自分をよく見せるプレーばかりして。
でも、そのチームはそういう選手はいらない、というような感じになったときに、
レギュラーからもベンチからも外されて。
それに気づけばいいんですけれど、天狗になっているので、
ふてくされて、どんどん駄目な選手になっていって。
気づいたときには その上のカテゴリーに行けなくて、っていう時期があって。」
(カテゴリー…マリノスのユース)
国分「上のカテゴリーに行けないということは
クビみたいな感じになっていくんですか?」
中村「ほぼ、そういう状況になりましたね。」

~幼い頃から、ずば抜けてサッカーが上手かったため
天狗になり、中学3年で大きな挫折を味わった中村選手。
しかし、この辛い経験がなければ現在のスーパースターは生まれなかったのです。」~

次ページへ⇒パート2へ続きます♪

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