中村俊輔
【 2007年07月07日放送】【2時間SP】パート2
今日のゲストは、2000年JリーグMVPなどを受賞しているプロサッカー選手の中村俊輔さん。
パート1からの続きです♪
[挫折をバネに]
中村「同じことを繰り返しちゃいけないと思って、その時に
今までの自分は全部間違いだったと、自分で自分に言い聞かせ、反省して、
そのクラブを諦めて、普通の高校に。
(横浜マリノスのユースに進まず、桐光学園高校のサッカー部へ)。」
国分「クラブチーム。」
中村「部活に入ったんですよね。」
国分「なるほど。クラブチームだったら、その後Jリーグが見えてますよね。」
中村「そうですね。」
国分「じゃなくて、そこ1回やめて。高校に行って。
高校で一番を目指そうと、なったわけですか。」
中村「そういう事ですね。で、やっぱりクラブって。
ボールは、いっつも新しいし。
グランドはラインが、いっつも引いてあるんですけど。
部活って1年生が引いて。空気入れて。全部やるじゃないですか、雑用で。」
国分「はい。」
中村「クラブでは、そういう事なかったんで。
もう高1の時は、きつかったですね。」
国分「環境というのは、どうですか?
一年生のときに先輩にしごかれたりとか、
今までやったことのない雑用をやるということが、
またプラスにもなったんですか。」
中村「今となってはそうですね。またそのまま、中3のときの
間違った感じでいってしまったら『何だこの環境、やってられないよ』と
どんどん駄目になったと思うんですけれど、中3のときに、先に挫折をしていたので・・・。」
国分「でも中学の頃というのは、ダメだとわかったら<、br />
辞めるというのは簡単な答えじゃないですか。」
美輪「最近の方は特にね。」
国分「特にそうですよね。そこを選ばず、やはり何かを目指したというか、
負けたくない気持ちもあったんですか?」
中村「多分そうですね、サッカーが一番好きだったからだと思います。」
美輪「難しいのに、よくその若さでね、自己修正をできるというのは、大変なこと。
自分が一番で、この世で一番偉くて・・・と天狗になっている自分の鼻を折って
謙虚になって出直すというのは、大変だったでしょうね。」
中村「高1になるまで、間があったんですね。
その時は、練習がまったくない時期だったので、自分でずーっとトレーニン
グしたりしていたんですけど、
その時の中3のときのコーチが、大体わかっていたと思うんですよ。
僕がふてくされていることとか、悩んだりしていることとか。
でも、全然、声をかけてくれなかった。だから多分『自分で直せ』と。
逆に、言わなかったその時のコーチに、すごく感謝していますよね。」
江原「そのコーチの方も、非常によく理解しているんですよね。
中村さんはね。自分で気が付かないとダメな人だっていう事を
よく知っていて。意外と頑固な一面もあってね。
自分が納得、咀嚼して納得して。自分が気が付いて、
初めて、それはなるほど、って人の意見を受け入れる所があって、
すごく受け入れるまでの時間に落差があるんですよね。」
中村「そのコーチに言われたら多分、『うるさいよ』という風になっちゃってたと思うので、考えて接してくれていたんだと・・・。」
国分「それは感謝ですね。」
中村「そうですね。」
~高校に入って身長も伸び。桐光学園を
高校サッカー準優勝に導いた中村選手。」
1996年 全国高校サッカー選手権大会 出場
1997年 全国高校サッカー選手権大会 準優勝
横浜マリノス入団
1997年、横浜マリノスに入団し、シドニーオリンピックにも出場
2000年 シドニー五輪 ベスト8
Jリーグ1stステージ優勝 MVP獲得
2002年の日韓ワールドカップ出場は確実と思われました。
しかし、日本代表に選ばれず、再び試練を味わう事になるのです~
国分「挫折というと、これは僕ら目線だと思うんですけれども、
2002年のワールドカップ
間違いなく中村選手が選ばれるだろうと思っていたら、声がかからなかったんですが、
あそこはそういうポイント(転機)にはならなかったんですか?」
中村「いや、あんまりならなかったですね。
中3のときの方が、インパクトが強かったですね。」
国分「あ、そうですか。」
中村「ワールドカップのときに、ギリギリまでは代表に入っていたんですよね。
あの発表で初めて落選だったので。
ギリギリまでは代表だった、それで、ワールドカップに出られないという
それぐらいのショックを受けた人って、あまりいないじゃないですか。
だから、そういう悔しさを知っている人は本当に少ししかいないから、
これをバネにしたらワールドカップで良いプレーをした人より上に行けるんじゃないか、
という風な感じで、自分で、もう思って。」
国分「そういう考えをすでに持っていたんですか?」
中村「もう落ちる前に、考えていました。もちろん、
入ったときのパターンはこうしてやろうって、というのは考えて・・・。」
国分「すごい。やっぱり計算があるわけですね。」
中村「計算?ははは、そうですね。」
国分「2つ持ってる訳ですよね。」
中村「うん。」
国分「これは普通の人間にはできないことだと思うんですけれども。
『明日からTOKIO、クビね』と言われたら、俺もう、生きていけないですものね
そういう人、いっぱいいると思うんですよ。これはすごい・・・。」
美輪「だから背水の陣を敷いていらっしゃるのね、常にね。」
~代表を落ちた事をバネに、さらに
ステップアップする自分ををイメージ出来た中村選手。
そこには自分を見つめる特別な視点がありました~
[神の視点]
江原「それを私は『神の視点を持つ』と言っています。
『自分が神様になって、自分のことを見てごらんなさい』と。それができる人。
『自分がどのようにしたらいいのか』そうすると、良いときも悪いときも
自分にとって必要なことは何か、どうつなげるべきなのか。
『全て必然』という風に言うということは『必然という大切な意味合いを理解する』
そこまで行って初めて『必然』と言えるわけなんですね。」
国分「理解する。」
江原「そうです。
やはり
『良いことも悪いことも、明日への自分につながる、いま、必要な何かなんだ』と。
そこまで客観的に物事を見られる人が、人生を輝かすこともできる人だという風に思います。」
[言い訳をしない]
国分「コメントなどもよく聞きますけれども、俊輔選手は絶対に言い訳をしないですよね。」
中村「そうすか?はは。」
国分「そういうイメージが僕は、あるんですけれども。」
中村「なんと言うのかな・・・その、ノートを書いていても、目標とかも書くんですけれども
ちょっと低めに書いておけば達成できるじゃないですか?
でも、届かないようなことを書いて、追っかけていく方がいい。
自分に負けたくないというか<、br />
負けるイコール中3のときにまた戻ってしまうような気がして、
要はそれが怖いというか、妥協したくない。」
美輪「不思議な運命なのは、トントントンと調子がいいな~と思っていると、
何かすごいアクシデントが起きるのね、必ずドーンと。
こっちの道に岩が落ちてきて、ふさがっちゃった。
でも、そのときに『わあ、どうしよう、もうダメだ』って山を降りないのね。
じゃあ、いいや。他の方法があるだろう、ということで
他の道を探し出して、また登り出す。
今までそれの連続だったんじゃありませんか?」
中村「そうですね、おっしゃる通りです。今まで。」
[自分を見つめる時間]
江原「で、全然ちょっと余談なんですけど。そういう節目節目とか何か。
その中3の時も、そうかもしれませんけども。
それ以降も、よく、川辺、もしくは水辺?行かれるんですか?」
中村「水辺…。」
江原「水のある所。で、そこでインスピレーション、
そこで気持ちがパッと切り替わるでしょ?」
中村「行くのは好きなんで、けっこう行ってるんですけどね。」
国分「無意識の内に行ってるかもしれないですね。」
江原「そういう時って、そこで物静かにいるでしょう?ワイワイと行くのではなくて、
自分自身の内観、一種の瞑想ですよね。
水のあるところは、ものすごく安心感があるはずなんですよ。」
中村「海は好きですね。入るわけじゃないんですけれども。
移籍してイタリアにいたときも海の前ですね、家が。」
国分「それは自分で選んだんですか、『海があるな』というのを。」
中村「自分で選びましたね。」
(イタリアのレッジーナに移籍した時は、
海辺の町のレッジョ・ディ・カラブリアに住んでいた)
江原「水辺を見ていると、自分自身で納得したり、落ち着いたり、
ご自身で気づいているかはわかりませんが、インスピレーションが湧いているというか。
『ああ、そうか』というようになっている場面が、ものすごく見えるんですよね。
それ昔からなの。」
中村「詰まってくると、そういうところに行きたくなって、
散歩だったり、旅行だったりして・・・。」
美輪「詰まってくる原因は、何だとお考えになる?
つまり、ベッタリしたものが、お好きじゃないのよね。対人関係でも。」
中村「ああ。」
美輪「友達の関係でも、人と人とのつながりでも。トリモチみたいに
べターッとくっついてもう、何もかもが。」
中村「はは。」
美輪「常にスキンシップしてベタベタ、ベッタリとかね。」
中村「あ、そうです、そう。」
美輪「そういうの大嫌いでしょ?」
中村「いや、大嫌いっていうと、あれですけど、はは。」
国分「ははは!」
美輪「ま、遠慮もあるでしょう。」
中村「優勝して、祝賀会とか、パーティみたいなのがあるじゃないですか。
僕、ダメなんですよね・・・。」
国分「ダメなんですか?」
江原「そう。群れるのがお嫌いで。」
中村「いいようによっては付き合いが悪かったり。
感じが悪いですよね。分ってるんですけど。
1人で、その喜びを、こう…。
誰かと一緒にいるのも好きだけど、
自分と一緒に居るのが好きなんです。
自分自身を見つめる。」
国分「優勝した~!って思いつつも。ああ、パーティあるわ、みたいな。」
中村「そう、今回もいっぱい賞もらえたんですけど。
パーティが何回も何回もある。」
国分「ははは。」
中村「9個、10個ぐらいトロフィーをもらったので、それだけパーティに出なければならなかった。
しかも、外人の方がいっぱいいらして・・・ちょっときつかった はは。」
~2002年、イタリアの名門レッジーナに移籍。
海外に活躍の場を移した中村選手は、
今年、ついにスコットランドリーグのMVPを獲得。
日本人初の快挙でした。
しかし、海外では、また別の苦難が待ち受けていたのです~
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