内藤大助

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【 2007年11月10日放送】【113回】パート1

今日のゲストは、ボクシングのWBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助さん。

~体が小さく、いじめられっ子だった少年が
ボクシングで世界の頂点へ。
WBC世界フライ級チャンピオン、内藤大助
日本中が注目した亀田大毅選手との初防衛戦
乱戦を制したチャンピオンのプライド
そこには女手1つで彼を育てた母の厳しい教えとは
無名の時代から彼を支え続けた奥さんとの不思議な絆が明らかに

そして今、内藤選手が抱く悩みとは?
内藤「現役中に、こんな事聞くのあれかもしれないですけど
ボクシング引退した後、どうしたらいいかとか
アドバイス的な事を言って、聞いてみたいなっていうのはあります
一躍、国民的ヒーローとなった内藤選手に
今夜、伝えられるメッセージとは?~

いじめられっ子のチャンピオンベルト

~内藤大助さん。これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【内藤大助 スピリチュアルチェック】
自分の性格をひと言で言うと⇒心配性
毎日欠かさずすること⇒新聞の折込広告をチェックすることです
怖いもの⇒母親とゴキブリです
よく見る夢⇒たまに自分が殺される夢を見ますね
元気の源⇒奥さんや子ども、家族といるときです
人生の転機⇒高校を卒業して、就職が決まっていたんですが
入社式直前で内定取り消しになった、そこですね

国分さんにちょっと緊張されていませんか?と聞かれて、
試合をやるのと比べ物にならないほど緊張しているとのこと。
見透かされていそうで怖いんですよね、とも。

~1974年8月30日 北海道で生まれた内藤選手。
幼い時に両親が離婚。母は女手一つで
民宿を切り盛りしながら子ども達を育てました
運動神経はよかったものの、体が小さかった内藤選手は
中学に入ると、ひどいいじめに遭いました。
いじめに負けたくない。そんな思いで始めたのがボクシング。
世界チャンピオンへの道は中学時代のいじめ体験から始まったのです~

[中学時代のいじめ体験]
国分「ボクシングをやる人ってガキ大将とか、そういうような人がプロボクサーになるというイメージがあるんですけれども、内藤選手の場合はちょっと違いますね。」
内藤「そうですね、僕もそういうイメージを持っていましたけれども。」
国分「中学校の頃、いじめられたことがきっかけにはなるんですか?」
内藤「まったく、それですね。」
国分「具体的にはどんないじめを受けていたんですか?」
内藤「学校、クラスにはそれぞれ、リーダー的存在、グループってあると思うんですけれども、
その中の1人に嫌われて、その彼が先頭を切ってからかい始め、
僕からしたら、すごく辛かったですね。」
美輪「具体的にはどういういじめなんですか?」
内藤「シカト、無視ですね。あとヒソヒソ。

例えば、給食のおかわりに行くと『貧乏くせえな』とか。
本当にボロい家に住んでいたときがありまして、
『ボンビー』ってあだ名を付けられたりとかね。『お前、ボンビーボンビー』
休み時間になると、階段の踊り場に連れて行かれて、ボンボン蹴られて
本当にいじめられていましたからね。」
国分「何年間?」
内藤「クラス替えがきっかけというのもあったんですけど、
中学校の2年間は辛かったですね。
ストレスで胃潰瘍ができて中学生にして胃カメラ、3回飲んでますから。
毎日、胃薬を飲んでましたし。」

国分「いじめられていることはお母さんも知っていたんですか?」
内藤「知らなかったですね。僕も相談できないですし。
相談したって、聞いてくれないと思うし、言いにくい人だし、何か怖いから。」
国分「『自分は強くならなきゃいけない!』とか
『見返してやるぞ!』みたいな気持ちになったんですか?」
内藤「ありましたね。もともと家が北海道なんですけど、
内地に来たときにボクシングジムが近くにあるのを知って、
『もしかしたらボクシングを始めたら、いじめられなくなるんじゃないか。』と。
卒業しても、田舎に帰って昔の同級生に会ったら『お~い、ちょっと来い!』
絶対にやられてましたから、そういう想像がついたので、
それがすごく嫌だったんです、 怖かったんです。
それで、ボクシングジムがあるって知ったときに 『ぜひやってみたい!強くなりたい!』
という感じでしたね。」

美輪「でもそれは正解でしたね。
私も身の上相談で、よく言うんですよ。いじめられる男女のね。
『女の子でも、合気道くらいやりなさい。そうすると、相手を攻撃じゃなくて身を守ることができるから。
合気道とか、日本の古武道とかをやってごらんなさい。
そうすると自分自身、自信がつくから』。」
内藤「まったくそうですね。やってわかりました、それは。」
美輪「それはですから、大正解でいらっしゃいましたね。
それが世界チャンピオンにつながったんですものね。」
内藤「ありがとうございます。世界チャンピオンとか、全然、考えていませんでしたから。
やり始めた頃はね。」
国分「北海道に戻ったときに、自分を守るためにボクシングを始めたんですものね。」
内藤「そうです、まったくそうです。」

~いじめを克服する為にボクシングを始めた内藤選手。
もう一つ人生の転機となる挫折を味わっていました~

[入社直前!クビに。」
国分「人生の転機のところで、入社式の直前に クビになったっていうのは、
どういう事なんですかね。」
内藤「僕、高校3年生の時、就職活動した時に、もう決まってたんですよ。
その就職先っていうのは、高校の時ホテルでアルバイトしてまして。
そのホテルの厨房だったんですけど。
やりたい事も無いし、じゃあ、このまま ここに入社しちゃおうかな、っていう感じで、
入社試験もちゃんと受けて。」
国分「はい。」
内藤「入社式直前まで、そのままアルバイトを続けていたんですが、
先輩とちょっともめちゃって。」
国分「ええ。」
内藤「わがまま言っちゃったんですよ。
その先輩と『もう一緒にやりたくねえよ。』みたいな、バカですよ。」
国分「言ってしまったわけですか。」

内藤「その権限というのは総支配人にあるらしくて、
上司が 『就職の決まっている子が他に移してくれと言っているんですが、よろしいですか?』
って総支配人に言ったらですね。
総支配人が 『なんだそいつは?いらないわ、いらない、いらない』と、言って
入社式直前にクビになって・・・。」
国分「ちょっと若気の至りが出てしまって。」
内藤「そうですね。それで、うちの母親が、『はあ~』みたいな感じで。
すっごい厳しい人ですから、うちの母親、もう、あきれて何も言いませんでした。
うちの兄は既に上京して働いてたいたんですよ。
それで、母親が兄にこっそり電話して、『ちょっと大介、もうどうしようもない』と。
『北海道にいたら、どうしようもないから、そっちで預かってくれない?』と。
すると兄が『ああ、いいよ』と言って、チケットから何から、手配をしてて、
すでに、クビになって一週間後には、家から追い出されましたね。」
美輪「世間知らずでいらしたのよね。」
内藤「まったくそうです。世間知らずでしたね。
もう、本当にどうしようもなかったです、自分が。」

国分「そこで先輩に反抗したからこそ、上京があり、ボクシングと出会うわけですよね。
やっぱり道って引かれていくものですね。」
美輪「そうそう、そうそう。」
国分「お母さんも『内地へ行け』と言わなければ
厳しいお母さんでなければ・・・。」
内藤「そうです。いろんなことが積み重なって、今の自分があるんですけれども・・・。」

[母が怖い]
国分「『怖いのはお母さんとゴキブリ』と言っておられましたけれども
お母さんがやっぱり怖い?」
内藤「めっちゃ怖いですよ。田舎に帰ったら毎回、
今も何かにつけて必ず説教をしますからね。
しなくていいだろう、と言うのに、やっぱり説教したいんでしょうね。
『お前は、まだまだだ。そういうところが駄目、直しなさい』と。怖い人ですよ。」

国分「プロになったときは、ほめてくれたりとか、
よかったね、とか、そういうのはないんですか?」
内藤「もう一切ないですね。僕、生まれてこのかた、ほめられた記憶がないです。
ほめない人です。」
国分「世界チャンピオンになってもですか?」
内藤「そうです、そういう人ですね。」
美輪「だからね、ずっと女手ひとつでやってこられるんですね。子供も育てられるしね。」
江原「いじめにあったということ自体、お母さんが知らなかったということはないですね。
薄々、気がついていましたね。なぜかと言うと、ヨロヨロと帰って来たりするし、
帰ってきてもシュンとして。背中を見つめていて、何かあったな、ということとかは もちろんわかっていますよ。
言わなかったというのは『言ったらまた叱られる』ということではなくて
言うことによって、内藤さんご自身が自覚するのも嫌だったんですよね。
『本当に自分はいじめにあっているんだ』ということを、また自分で理解してしまうのが嫌。
だから、お家に帰るにもわざと遠回りして帰ってみたり。
一生懸命、気持ちを入れ替えてお家に帰っていたりする様子が見えるんですよ、当時のね。」
内藤「すごいね。」
江原「何もない道草というかね。」
そこはやはり親で、わかっています。
でも、強く育てなくてはいけないし、お母さんご自身も、いっぱいいっぱいだった時だし。
もう本当に、働いて働いてという感じで。
だから親子共々が、生き抜くことに精一杯だった時代だと思うんです。」

~今も一人で切り盛りしている母・道子さんに伺いました~

「『うちのお袋はおっかないんだよ』と言っているみたいなんだけど、
今のお母さんたちが優しすぎるんだ。
何々ちゃん、なんて、自分の子どもに『ちゃん』付けで、よくいるでしょ?
私たちのときはそんなに生活の余裕もなかったし、子どもに手をかけてということが なかったから、厳しいという風に言ったのかもしれないけれども。
(いじめについて)
卒業するまで1回も私に言ったことがないです。
『グラウンドの裏に連れて行かれて、ボコボコにされたんだ』
って言っていたのがついこの前。
どうせうちのお母さんは『そんな負けて帰って来るな。行って泣かせて帰って来い』とか 『やっつけて来い。」とか言うだろう』と。
それがわかっているし、自分は体が小さいから体力的に負ける。だから言わなかった、
ということをちらっと言ったことがあるんで、私もそう言っていたかもしれません。」

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