中村中(なかむらあたる)

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【 2008年03月01日放送】【120回】パート2

今日のゲストは、シンガーソングライター中村中(なかむらあたる)さん。


中村中 LIVE~愛されたくて生まれた~at 渋谷C.C.Lemonホール

パート1からの続きです♪

[神話]
4、5歳の頃にはご自分の性癖を自覚し、受け入れていたという美輪さんは
中学生で、神話の中に同じような記述を見つけます。

美輪さんのお話
中学のときに、図書室の係をやっていたんですよ。 そしたらギリシア神話の本があって、
アポロンという太陽のハンサムなイケメンの神様とヒュアキントスというヒアシンスの精 になった神様と人間のハーフの絶世の美少年が 愛し合って、ゼヒュロスという風の神が 焼きもちを焼いて、
アポロンの円盤を投げつけて その少年が死ぬんですよ。
アポロンが泣いて『私の胸の中でいつまでも生きていておくれ』と言うと、
それに答えるように、その少年の血の中から咲いたのがヒヤシンスの花なの。
そういうものがあって『じゃあ、古代からずっと当たり前で、あったんだ。』 ということがわかったの。 日本にはないのかしら?と思って日本の神話も調べたの。
日本の神話の中にもそれが出てくるの。 それで私は、別に卑下したり苦しんだり泣いたり、騒いだり、コンプレックスになったりする必要はない、と胸を張っちゃったの。

[性同一性障害という言葉]
江原「私、いつも違和感を覚えるのが、中村さんも自分でカミングアウトなさったけれども、『性同一性障害』っていう…どうして“障害”という言葉を使わなければいけないのかというのか。
それは全ての障害に対して思うんです。
言葉が、適切ではないかもしれませんけれども、弱者とか、何かそういう立場にすれば
『助けてあげよう』という心が芽生えるというのが、嫌なんですね。
障害者と認定されれば、手を差し伸べるべきだということが。
この世に無駄な人は1人もいなくて、これは個性なんです。
色々な個性の人たちがみんなで生きていて、それを助け合うのが当たり前のことで、
だから障害という言葉で、何か下の立場を作って、そうすれば手を差し伸べる。
これは傲慢さが生むことだと思うんですよ。
手を差し伸べてはいけないと言っているんじゃないんですよ。
そうではなくて、みんなで認め合うことが大事なんです。」

美輪「障害という言葉がつくのはお嫌じゃありませんか?」
中村「嫌ですね。でも嫌だという半面、一応事実ですから。」
美輪「だから私は『病気』という言い方をするのはおかしいよ、
ということを 言いたいですよね。病気じゃないんですもの。
例え病気でも、病気が何か犯罪でもあるかのような認識を持っているじゃないですか。」
中村「そういう言われ方をすることありますね。」

江原「この世の中、じゃあ多数決ですか?ってことなんです。」
美輪「あいつは変態だ、とか、あいつおかしい、とか色々言っている人が実は 中へ内面へ一歩入ってみると、ド変態なんですよ。
そういうのが多いの。」
国分「変態に敏感なわけですからね。
『あの人変態だ』って、自分と比べているわけですものね。」
江原「その通りです。自分の中にあるものが、気になるものです。」
美輪「自分は全くまともだという人は、人のことをそういう言い方はしませんよ。
自信があるから。」
国分「言っている人は、“ド”がつくほどの変態なんですね。」
国分「美輪さんが小学生の頃は、やはりいじめられるようなことはあったりしたんですか?」
美輪「『オカマ』『おとこおんな』とか、いろんなことを言われましたよ。」
国分「どうやって乗り越えていったんですか?」

美輪「そういうことを言う連中というのは、だいたいレベルの低い、動物的な、
頭も悪い ただ腕力だけのバカな連中が多かったの。
多才で頭が良かったり、常識的で人格的に立派な人たちというのは逆に、
『かわいい、かわいい』『きれいだ、きれいだ』ってほめてくれていたの。
だから私は、そういうのを逆にバカにしていたから、相手にしなかったの。」

国分「中村さんの小学生時代は、どういう感じでしたか?」
中村「そうですね。やはり似ているなと思ったのは 『自分に必要なもの』だけを 見て過ごしていたので。
まあ、変態扱いもよくされましたけれど、そういう部分にばかり目を向けていたら、
それこそ私は人生を途中で諦めていたかもしれないんですけど、
とにかく 『好きな歌がある』ということだけを考えていたので。」
江原「ただね、みんな何も考えていないんですよね。
例えば『男のくせに』『女のくせに』
男の定義は何?女の定義は何?
非難する人は、言えないはずなんですよ。
『…男だからだよ』と言っておしまいなの。」

中村「確かに、だんだん年を経てきて、大人になってくると、
昔は通じなかった気持ちとかが少しずつ通じてきたりするんですね。
それは私も 『自分をどう表現するか』『自分はどういう風に人に気持ちを伝えていくか』
ということがだんだん確かになってきたということもあるんですけど。
少しずつ自立していくことによって 『自分は、自分という一人の人間だ。
そして、彼は彼という人間、彼女は彼女という人間』 『あの人はあの人、
そして私は私』という風に、1人1人の人間性が確立されていってからは、
何か『君はそういう個性だよね』という風に受け入れてもらえる。
私は一概に、例えば昔のクラスメイトであったり、私を非難してきた人たちに、
憎しみの目は向けられないんですよ。
どうしていいかわからなかった、ということもあると思うんですよ。
でも、時間を経て、だんだん世界が丸くなっていくのであれば、私はすごくいいことだと思う。」

国分「なんていい子なんでしょうね。なかなか言えないですよ。」
江原「私が思うのは 『生きるということは、無知を知に変えること』なんだと思うんです。
1つ、1つを知っていく。人を傷つける痛みがわからないからできること。」
中村「怖いもの知らず、ということですよね。」
江原「ええ。傷つく痛みを知ったら、人を傷つけなくなる。
だからそれができる人は、知らないんです、まだ。残念ながら。」
国分「僕、何か最近のような気がするんですよね。それに気づいたのが。
でも、遅かったなあと思うんですよ、ちょっと反省する。」
美輪「60になっても70になっても、気がつかない人はいますよ。
その若さで気がついたら、優秀ですよ。一生気づかないで死ぬ人もいるの。」
国分「その人はかわいそうですね。」

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