中村江里子

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【 2009年2月21日放送】【143回】パート3

今日のゲストは、フランス人の実業家シャルル・エドゥアール・バルトさんと結婚をした元フジテレビアナウンサーの中村江里子さん。

パート2からの続きです♪

中村江里子 パリマニア ERIKO的フランス暮らし

[フランスの子育て]
国分「フランスは出生率がヨーロッパで1位(2008年のフランスの出生率は2.02
日本は1.34)ですか?」
中村「いま、1番みたいですね。」
美輪「昔はね、最低だったの。」
中村「そうです、だからバッと上がったというのは聞きました。」
国分「それは何で上がったんですかね?」
美輪「政府ですよ。日本の政府なんて、何もしないでしょ?
『少子化は困る、困る』って言ってるじゃない?
フランスもね、本当に潰れそうだって言われていたの。少子化で、生まれなくて。」

国分「それはどれくらい前ですか?」
美輪「もう、とにかく2、30年前から。それでね、政府が全部、対策立てちゃって、
全部ケアするようにしたの。」
国分「ケアというのは?」
美輪「お金を払わなくてもいいように。」

中村「妊娠、出産に関わる費用、基本的には決められた額まではただなわけです
(公立病院で出産した場合、出産に関わる費用は100%補助される)
だから普通の病院に行っていれば“ただ”なんです。検査費用もエコグラフィも 出産費用も入院費も。
それからさらにすごいのが、出産後の女性の体をケアしてくれるというのもただなんです。
10回までは、そういうトレーニングを受けるんですけれども、それもただなんです。
(運動療法士の治療を10回まで無料で受けることができる)
それからやはり当然、働いている女性が産みやすくしなくてはいけないので、
法的な制度が整ってきているし、保育所とか託児所というのが充実していたりとか。」

美輪「それはもう、びっくりするくらいの細分化した細か~いことまでね。」
中村「だから、例えばやっぱり貧しい方たちもいらっしゃいます。
そういう方たちも 安心して産めるようなものもあるし、
1人目を産んだらいくら、2人目から3人目からいくらっていう補助が国から出るし。
それは、ある程度の収入があればそこは出ないけれど、そうじゃない人は出るとか。
すごく細か~い、かなり恵まれていると思うんですね。」
美輪「そこは本当に見事に徹底してね、もうヨーロッパでも世界中でも最低の方だったのよ。
それが今はトップになったんですもの。」

[フランスの子育て]
~日本を始め先進国が悩む出生率の低下。
EUの平均出生率が1.52なのに、なぜフランスが例外なのか。

子供が4人いるフランス女性のミシウ(48歳)さんのお宅で聞いてみると
「政府の支援があるから安心してたくさん産みました。フランス人で本当に良かった。」
現在ミシウさんは17歳、10歳、8歳、5歳と4人のお子さんがいます。
ミシウさんのお家の場合、子供が20歳になるまで支給される家族手当は
4人分で月に約6万円、所得税は40%も減額されるそうです。

「子供を2人産んだら3人目を産んだ方が得になります。
子供が3人以上いると大家族カードがもらえるんです。」
大家族カードは、鉄道運賃で国鉄が30~70%、地下鉄が50%割引になるほか
パリ市立の美術館、プールなどの公共施設の利用が無料に。
教育費も安く、公立学校は授業料が無料、年間2万円ほどの登録料だけで、
公立大学に通えるのです。
経済援助で子育てを支援するフランス。よいことばかりではありません。
消費税は19.6%(食料品は5.5%)。
さらに住んでみてはじめたわかった不便なこともありました~

[意外に不便?パリ生活]
国分「逆に不便なところというのは?」
中村「不便というのは、サービス大国日本から、
サービス後進国フランスに行ってしまったためにもうイライラすることがとっても多かったですね。」
国分「例えばどんな。」

中村「日本で皆さんが多分当たり前と思っていることは、あちらではあり得ないわけです。
まず、24時間のコンビニエンスストアなんてありませんし、
宅配で、不在通知があって希望の時間を電話して、
『じゃあ10時から12時に来て下さい』『はい、承りました』って
気持ち良く来てくれることなんて向こうではあり得なくって、

私なんか一度、日本から書類が届くので、大切な書類だったんですけど、
不在でいなくて、電話をしたら『じゃあ明日届けます』というので、
『じゃあ午前中に来ていただけますか?』といったら
『何時になるか分からないので、とにかく居てください』といわれて、『ええ?』みたいな。
でも大切なものだから、もう待つしかないので待ってましたけれども。」

国分「そうか、日本だったら。」
美輪「もう日本はね、まあ居心地が良いっていうかバカみたいに。」
中村「ちょっと居心地が良過ぎちゃいますね。良過ぎて。」
美輪「良過ぎてね、ボケちゃう。」
中村「ボケちゃいますね。」
美輪「平和ボケで。」
国分「そうですねー。」

中村「どこに行ってもサービスが。」
美輪「世界一。」
中村「世界一で、こんなに居心地の良いところ無いですよね。」
美輪「時間も正確だしね。」

国分「昔、外国人のペーパードライバーを日本で、
僕が助手席に乗って教習するっていうコーナーがあったんですよ。
片言の英語ですけれども、ガソリンスタンドに寄った時に 『オーライ、オーライ』とか、
最後に帽子を取って『ありがとうございました』って言うことに
『何てこんなに親切なんだ!?』って大爆笑したんですよ。
でも、おもしろさが分からないじゃないですか、それが普通だと思っていたから。
やっぱりそうなんですね、日本っていうのは。」

中村「窓なんかを拭いて下さっても、
私なんか『ありがとうございます』って本当に
今はもう何をされても『やっぱりこれって普通じゃないんだ』ってことが分かったから
もうタクシーの運転手さんが機嫌よく気持ち良く送って下さったら、
もう『ありがとうございました』って。」

美輪「だから本当に日本は住むには極楽。」
中村「もう極楽ですね。」
美輪「まあフランスもスペインも、イタリーも英国人も全部、向こうの人はね、
『自分の国が一番』自分の民族が一番なの。

だから私は、フランス、スペイン、ドイツと演奏旅行で行ったりなんかした時に、
スペインに行ったらね、私のプログラムが休憩中に捨ててあるわけ。
『失礼ね!』って言っていたら『フランス語で書いてあるからいけない』って言うの。
『ここはスペインだからスペイン語で書くべきだ』って言うのよ。ね?
『そんなにスペイン語って素晴らしいものなの?』って私が言ったらね、
『そうだ、世界一だ』って言うの。」
中村「え~。」

美輪「でね『英語は商人の言葉だ』って言うのね、ビジネスの言葉。
『フランス語は?』と言ったら『セックスのための言葉だ』って言うの、愛を語る言葉。
『ドイツ語は?』と言ったら『馬の言葉』って言うの。
『じゃあイタリア語は?』ときいたらね『これは詩を語る言葉だ』って言うの。
『じゃあスペイン語は?』ときいたら『神と語る言葉だ』って言うのよ。」
国分「はあ。」

美輪「ところがドイツに行ったらドイツに行ったで同じことを言うの。
英国もそうだし、みんながそう。よく『人種差別うんぬん東洋人だから』とか
色々言うじゃない?白人同士も、もうすごい人種差別なの。」

国分「それはどうですか?」
美輪「そうですよね?」
中村「それは私自身は幸い、そこまで感じてはいないんですけれども、
やはり同じ陸続きで過去に争いがあったりするわけで、その中で生まれたこう
『私たち日本人には何か分からない微妙な感情というのはあるんだな』と。」

美輪「歴史とかね、いろんなものを全部、引きずって生きています。現在に生きていないのよ。」
中村「そうなんですよ。あの、すごくこう持続しますよね、気持ちが。だから変な話、
日本人の方がさっぱりしているというか、上手に忘れると思うんですけれども
いろんなをこう長く長く。」
美輪「いや、日本人は忘れちゃいけないことまで、忘れちゃうの。」
中村「そうだと思います。」

[日本に帰りたい?]
国分「お子さんはもう、フランス語をしゃべられるんですか?」
中村「2人ともまだ下の子(1歳の長男)は言葉は喋れないんです。
でも日本語もフランス語も100%理解しているのは分かっているんです。
娘(4歳の長女)の方も理解してて、娘の方は今かなり、
日本語の方がものすごいレベルで出来るようになってきていて、毎日ほめています。
『すごいね、そんな単語を言えて!』って言って。」

国分「どうですか、将来的には日本に戻ってこようかなっていうのは。」
中村「ここがすごく迷うというか、これは私個人だけが迷っていて、
ただ いずれは日本で子供たちは2、3年、3、4年なのかな、何か。」
江原「今、でも一番悩んでいますでしょう?でいて、住まいのことも悩んでいますでしょう?
住むところ。」
中村「はい。」
江原「どうしようかっていうこともあるんだけれども、先のプランもあるから
家をちゃんとするべきなのか、それとも日本に来ることも。
そうすると何も手につけられなくなっちゃって動けなくなって。」
中村「もう疲れちゃいました。」

江原「ストレスになっちゃって。」
中村「もうすごくストレス。
ただ子供のことを考えると、やはり最終的に日本に住みたいか、
フランスに住みたいかは彼女たちの選択だと思うんですね。
私たちが決めることじゃないので。

ただ、日本という国を今、ずいぶん分かってきてくれてると思うけれども、
やっぱり、本当に住んで、学校に通って、漢字を書いて読んで、本を読んで、舞台をみて
そういう風にしていかないと本当の日本の文化というのは分かってもらえないから
やっぱりそれはいつか、もうちょっと大きくなったところで、
まず絶対にやりたいと思ってるんです。

2、3年なのか、3、4年なのかは住みたい、私も一緒に住みたい。
でも、私個人はどうなんだろう、というのは、すごくフランスが好きですし、
でも、やっぱり離れちゃってからの方が日本が好きになってしまってるんですね。
もう良い国だなと思うんです。」

美輪「みんなね、それはね、中村さんだけじゃないの。ね?
向こうの良いところもありますよ。
それは素晴らしいところは。さっき言った美意識だとかね、いろんなもの
だけど悪いところも一杯あるわけですよ。ね?
それで日本の現代のいろんな悪いところも沢山あるけれども、
歴史的に見れば、もう日本の素晴らしさったら、
もう言葉から何から洗練されてね、もう世界一だと思うのね、文化っていうのは。

だからモネもマネも、ゴーギャンもロートレックも日本のことを憬れて憬れて、
もうジャン・コクトーにしてもね、めちゃくちゃ憬れて。
ピエール・カルダン(服飾デザイナー)と話した時でも
『日本のそういうもの、どう?着ものや何か、文化、どう思う?』
『手がつけられないくらい洗練されている、完璧だ』って言うのね。
C' est parfait!(完璧だ!)『完全です』って言うの。

だからそういう日本の素晴らしさを引き出して、それを皆さんに再確認していただいて
そういう仕事が私には残されてるんじゃないかって思ったのね。
で、その中で自分が同志のような人たちと生きていれば
その方が居心地がいいなと思ったんですよ。」

~1987年にヨーロッパで公演を行い、マスコミに絶賛された美輪明宏さん。
中でもフランスは、芸術家を大切にする居心地の良い国だったといいます。
それでも『一生住むなら話は別』と思われた美輪さん。
海外に住んで初めて分かった日本の良さが、中村さんを悩ませているのです~

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