春風亭小朝
【 2008年12月20日放送】【2時間SP】パート1
今日のゲストは、25歳で真打に昇進した落語家の春風亭小朝さん。
泰葉さんと離婚したことで話題になりました。
【春風亭小朝 スピリチュアルチェック】
自分の性格をひと言でいうと?⇒甘ったれですかね
好きな女性のタイプは?⇒深津絵里さん。具体的ですけど、もうちょっと漠然とすると
目がくりくりっとしてですね、多少ファザコン気味の人が好きですね
生活の中でこだわっていることは?⇒水、炭酸水、入浴剤にはこだわりあります
人生で最大の転機は?⇒25歳の時に大勢の先輩を飛び越えて
真打に昇進させていただいたんですが、これは大きかったです
不思議な体験は?⇒いっぱいありますけど、一番驚いたのは京都でUFOを見たことでしょうね
ええ、もうすぐそこに、はっきりとみまして。周りにも人がいて間違いなくUFOでした
最近、自分の中で変わったことは?⇒そうですね。いい意味で少し ちゃらんぽらんになってきたのと、後は物事が起きたときに必ず表面だけじゃなくて
もうちょっと深くものを考えるようになったかなという気はしますね
[2008年はズタズタ]
国分「さあ、今年最後のゲストが、小朝さんでございます。」
小朝「ああ、そうですか。」
国分「今年はどんな年になりましたか?」
小朝「どんな年だと思います?ズタズタですよ
ただね、物は考えようで、世の中の男性に夢を与えたと思いますね。
いや本当にね、『うちのかみさんもひどいと思ったけど、あいつのかみさんよりいいよね』っていうね、そういう人は結構いるんじゃないかと思うんですよ。
いかに自分は恵まれているかと皆さんがね。
そういうことではね、世の男性のためになったかなと、思います。」
国分「なるほど。まぁ、ちょっと笑うことしかできない僕らがいるんですけど。」
小朝「いえ、いえ。」
国分「美輪さんとはどうですか?」
美輪「はじめまして。」
小朝「はじめましてなんです。あの、お芝居を拝見したんです。
『エディット・ピアフ(愛の讃歌)』を。」
美輪「ああ、そうでしたか。」
[オーラを放つ人]
小朝「オーラの出し方っていうのを、いっぱい見たいなっていうのがやっぱりあるんですよ。
例えばね、僕は山田五十鈴先生、大女優さんですけれども、
先生と一緒に舞台をやらせていただいたんですね。
その時に一番最後にですね、カーテンコールをやるんですよ。
先生がお隣にお座りになって、僕が座って、それでOKを出して幕がスーッと上がるんですね。
で、拍手がバーッと来るんですけど
その時にですね、幕が上がる寸前までスイッチがオフになってるんです。山田先生が。
ですからこうやって拝見してると大丈夫かな?と思うぐらいちょっと(下をむいて)
こんな感じなんですけど、OKが出た途端にスイッチがオンになるとですね。
背中から何でしょうか。
もう花吹雪とか蝶々とかいっぱい出てくるみたいな
ブワーっていうのを、僕はここでみたんですよ。
その時に本当は僕、お客さんを見なきゃいけないのに、
『すごい!』と思って、『何だこれは?』と思って
だからそういうものを持った方にいっぱい触れたいなと思って。
ええ、それで美輪さんのステージを。」
国分「同じような感じでしたか?」
小朝「すごかったですよ。」
国分「江原さんとは?」
小朝「はじめまして。」
江原「はじめまして。よろしくお願いいたします。」
国分「どうですか、どんな印象ですか?」
小朝「何か昔ね、これは噂なんですけど、江原さんがどこかの神社を取り壊すっていう話になったときに
江原さんがそれを見ていて、『いっぱい泣いている動物たちがいるので止めなさい』って
止めたにも関わらず、何かやってしまって、変な方向に行ってしまったという話を聞いたんですよ。」
国分「はい、そんなことがありましたか?」
江原「まあ、そういうのはいくつもありますよね。ははは。」
~1955年3月6日東京生まれ。
落語ファンの両親に連れられ、幼い頃から寄席に通った小朝さん。 小学生の頃、自分でも落語を始めました。 中学生の時、視聴者参加の演芸番組で大人を相手に5週連続で勝ち抜き。
戦後最高の名人といわれた桂文楽さんから「あなた噺家(はなしか)におなんなさい。」
とほめられたことが小朝さんの人生を決めました。
中学を卒業すると春風亭柳朝さんに入門、高校に通いながら落語家としての道を歩み始め
入門10年目の1980年、25歳で36人抜きで真打に昇進、
これは今は亡き、古今亭志ん朝さん以来のスピード出世を果たすのです~
[天才落語少年現る]
国分「元々、落語の出会いって何ですか?」
小朝「出会いですか?それは一家そろって落語ファンだったんですよ。
普通子供っていうのは、親が一緒に遊ぶようなところに連れていくと泣くじゃないですか?
ところが僕、寄席に連れて行っても全然泣かない子だったらしいんです。」
国分「寄席デビューは?」
小朝「だからもう、親の膝ですから。膝に乗っかって。」
国分「四歳とか。」
小朝「いや、もっともっとです。その頃から、もう泣かないでみてる子だったらしんです。」
国分「まじですか?だって子供っていったら、戦隊物に憧れたり、野球選手に憧れたり。」
小朝「もちろん憧れてますよ。そういうものにも憧れていますけれど。
でも何でしょうか、三味線とかね、提灯とか着物とか、それから何でしょう、そのライブ感。
不思議なところだなあ~と思って。」
国分「はい。」
美輪「雰囲気とか匂いとかね。そういうのがお好きだったのね。」
小朝「はい。落語ってことに関しては、かなりませていましたね。」
国分「ですよね。ただ、もう小学校後半くらいになってくると
『あの人、あんまり上手くないな』っていう人も出てきたりするわけですか?」
小朝「あのね、その『しろうと寄席』っていう番組ですけれど、僕が茶の間で観てましてね、
チャンピョンになる人たちは大人ですよね?下手なんですよ。『下手だなあ』と思って。
『この人がチャンピオンになるなら、僕が出たら間違いないな。』と思って
それで局にハガキを自分で書いて。」
国分「自分で書いたわけですか?」
小朝「書いたんです。で、予選があるわけですね、予選200人ぐらい来るんです。
その中の5人か10人選ばれるんですけど、僕、疑いもせずに
『絶対に受かる』と思ってました。
で、受かるわけですよね。『当たり前だ』と思って。
それで本番に出まして、勝つの当たり前だと思ってますから順調に勝つわけですよね。
で、5週勝ち抜いて『名人』というのをもらうんですけど、1回だけね、
ギリギリの得点で合格だったときがあったんですよ。
その時にね、僕、中一ですよ、納得いかないんですよ。
なぜギリギリ?みたいな。」
国分「ダントツじゃないと。」
小朝「そう。だからものすごく落語に関しては生意気な子供ですよね。」
国分「はあ。それで、本当の落語家になろうと思い始めたのは、
もう中学一年生くらいのときなんですか?」
小朝「先ほどありましたように『文楽師匠が『噺家におなんなさい』っておっしゃたんで。
〔文楽師匠(8代目 桂文楽 1892-1971)〕
『これは雲の上の方がそう言うんだから間違いないんだ。』と思ったんです。
で、入門してわかったんですけど、文楽師匠はお世辞の上手い方で、
いろんな人に言ってたんですね。
それでね『お前も言われたの?』みたいな人がいっぱいいるわけですよ。
それは大して上手い人じゃなかったりするんですね。
だからね『ああ、いい加減なもんだな』と思いましたけど、
でもそれは大きかったですよね、やっぱり。」
国分「もし言われなかったら、本気で目指していたかどうかわからない。」
小朝「やっぱり文楽師匠のひと言って、やっぱりほめられて伸びるタイプなので、
その勝ち抜いたというのが大きいですね。
だから5週勝ち抜けないで3週で落ちてたら、『この程度なんだな』と思って
多分ならなかったかもしれないですね。」
[36人抜き真打昇進]
国分「人生の転機が25歳で36人抜きの真打と。これはすごいことなんですよね。」
小朝「すごいことですよねえ。でも本当にすごいのは、決断を下した方々ですね。
その当時、理事の中に談志師匠とか圓楽師匠とかがいらっしゃったんですよ。
それで、そういう方々が『どうだ?』って言ってくださったらしいんですね。
その時の会長が柳家小さん師匠(1915-2002)で、
結局は小さん師匠が“ノー”と言ったら成立しなかったんですけど、
小さん師匠がまたすごい方で『いってみるか』っておっしゃったんですよ。
それで決まったことなんですね。」
国分「先輩からしてみたら『何だよあいつ。俺らを抜きやがって』っていうようなことも
たくさんあったんじゃないですか?」
小朝「それは当然あるでしょうね。直談判した方もいたらしいですから。
『納得いかない』とか言ってね。それはそうだと思いますよ、その通りだと思います。」
美輪「やっぱりねたみ、そねみ、ひがみっていうのがあるでしょう?」
小朝「あって当たり前ですものね。それはそうです。」
国分「もう話しててもわかる感じなんですか?『今までとちょっと違うなあ』と。」
小朝「例えばね、一番困ったことは、僕が7時上がりだとしますね、
7時の高座、 持ち時間が15分だとします。
そうするとね、前の方たちが時間をどんどん押してっちゃう。
僕が7時に上がらなきゃいけないのに僕の上がる時点で、もう7時半になってるんですね。
そうすると、僕らは時間のことが厳しいですから、そういう時は、本当に短くやって
下りなくちゃいけないんですね。
ところが36人飛び越して真打になってるんで、お客さんは僕目当てでお見えになってるんで、上がった途端に『待ってました!待ってました!』って言われるわけですよ。
『待ってました!』って言われたからには何かやらなきゃいけないのに、
1分2分で下りなきゃいけない。これは本当に辛いんですよね。」
美輪「真打なのに。」
小朝「そうです。僕だって30分やりたいんですよ。やりたいけど無理なんですよね。
例えば僕がそこで長めにやって下りてきたとしますよね。
そうすると、
下りてきて『お先にありがとうございました』って先輩たちに言いますと、
普通『お疲れ様』って言うんだけれども、先輩たちがまずチラッと時計を見るんですよ。
それがグサッとくるんですよね。何も言わないけれど『長いね』っていう。」
国分「あ~。」
小朝「もうそれがね、結構きつくてね。
でもね、その時に思ったのは、『恵まれてる状況でリスクがない方がおかしい』、と思ったんですよ。
だって僕、いい目もいっぱい見てるわけですから、そういうことで。
当然、嫌なことがあるのは当たり前なんですね。
で、逆に言うとですね、他の出演者の方たちは、僕を目当てに来てる女の子たちがいるわけですね
当時まだ25ですから。そうすると、その女の子たちが2列ぐらい陣取ってるわけですよ。
僕が終わった途端に、スコーンとそこが空いてしまうわけですね。
それは僕の後に上がる方たちはたまらないですよ。
それと僕の前の方たちも『あんたじゃないのよね』みたいな顔をして見ているわけですよね。
お客さんたちが。『早く小朝出してよ』みたいな。その中でやる辛さってあるわけですよ。
だからそういうのは僕だけじゃなくて、他の方たちも嫌な思いをしているわけですよね。
それを考えたら、これはもうしょうがない。」
国分「なるほど、そうですよね。僕も落語のシーンで、僕の落語が全然うけないというシーンを撮ったんです。
ただ、僕は真剣に覚えたわけですよ、落語を。
でもお芝居で、携帯電話でしゃべってるお客さんがいたり、
空き缶をけって帰ったりする人がいるんですよ。本気で腹立って。
芝居なんだけど 『なんで?俺、一生懸命覚えたのに』っていうのがありますね。」
小朝「空き缶、携帯ぐらい、どうってことないですよ。
本当に新聞紙のここだけ穴を空けて覗いている人とかね。」
国分「どういう人ですかね、それは。」
小朝「いや、わかんないよね。一番驚いたのは、これは本当の話なんですよ。
池袋演芸場っていうところで休憩時間に本当はシンとしてるはずの客席から落語の
テープが流れてきたんですよ。
みんなが『え?何かな、どうしたの?』と言ったら
それはね、お客様がデッキを持ってきていましてね、
休憩時間中に
名人上手のテープを流しているんですよ。
それで
『皆さん、昔の噺家はこんなに上手かったんですよ』って言ったんです、その方が。」
国分「ええ!」
小朝「そういう人がいるんですよ。」
美輪「営業妨害ね。」
次ページへ⇒パート2へ続きます♪