石田純一

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【 2008年12月20日放送】【2時間SP】パート2
今日のゲストは、25歳で真打に昇進した落語家の春風亭小朝さん。 泰葉さんと離婚したことで話題になりました。

小朝のジョークは世界を救う 男と女編 (1) (新潮カセットトーク)

パート1からの続きです♪

[柳家小さん師匠の教え]
小朝「何を考えているんだろうなと思いますけれど。
で、人間国宝になった小さん師匠は、大阪の寄席で子供が前を走り回って、
ジュースの缶が転がって大騒ぎですよ。
じいちゃん、おばあちゃん、目の前を通って。
30分、落語をやらなくちゃいけないんですよ。
でね、小さん師匠の声が聞こえないんですね。
それなのにマイペースでずっとやっていらっしゃる。
でも、15分経過した辺りから、だんだんその音が静かになって、
20分くらいから笑いが起き始めて、25分経過した時から爆笑になって、
最後、万雷の拍手で下りたんです。

僕もう、鳥肌がたってね『どういうことなんだ、これは』と思って。
小さん師匠がお亡くなりになる直前に、
『どうしても聞きたいことがあるんですけど。師匠、こういうことがあったんですけど』、
『ああ、あったかもしれないな』
『師匠、ああいう時は、どうなさるんですか?師匠の声は全然聞こえてなかったんですけど』っていったら、
『いや、そんなのは簡単なんだ。話に入っちゃえばいいんだから』」

国分「う~ん、話に入る。」 
小朝「話に入っちゃう。つまり目の前にいる登場人物しか見えていない。
だから何にも音が聞こえないんですって。」
国分「あ~、なるほど。」

小朝「だから誰が騒いでいても何をしていても、何にも見えない。目の前の登場人物だけ。
で、スッと話に入って、30分しゃべって、下りてきた。
結果的にはお客さんがついてきて、万雷の拍手だったんですよ。」
国分「はあ。」
小朝「だからねぇ。すごいですね。」

~1988年に林家三平氏の次女の歌手の泰葉さんと結婚。
昭和の爆笑王 林家三平さんの娘と落語界のプリンスの結婚は大きな話題になりました。
銀座博品館劇場での30日連続公演、落語家として初の日本武道館の独演会などで活躍。
2003年には笑福亭鶴瓶さん、弟の林家正蔵さんと共に「六人の会」を結成。
東西の垣根を超え落語界全体を盛り上げようとしていたのですが、 2007年11月、泰葉さんと離婚。思いがけない騒動に巻き込まれたのです~

[別れの秘訣]
国分「最近、ちゃらんぽらんになったというようなことを言っていましたけれども、 いつ頃からですか?」
小朝「これはですね、やっぱり一連の騒動からでしょうね。
僕はね、自分で言うのも何ですけれど、結構大事にずっと育てられてきまして、
師匠からも一度だけ怒られたことがありますけれど、怒られたこともなくですね、
本当に大事に育てられてきたんです、ええ。
それなのにね、それから歴代のガールフレンドを思い出してみても、
とっても皆さん優しくていい子ばっかりだったんです。
初めてです『金髪豚野郎!』なんて言われたのは。」
(みんな笑い)

国分「まさか小朝さんの口から聞けるとは。」
小朝「いやいや、だってそれは毎日のように言ってるわけでしょ。
僕は番組とかは全然みていないんですよね。
そういうものはみたくもないのでみなかったんですけども。
でも新聞にはそういうのが出るじゃないですか、活字で。
そういう風になってくるともうどうでもいいや、ってなりますね。」
国分「全然、テレビみなかったんですか?」
小朝「みませんよ、そりゃ。」
国分「ものすごかったですよ、各局。」
小朝「でしょ?いやだから噂は聞きます、当然。
『あんなこと言ってました、こんなこと言ってました。』と聞きますけれども、
僕自身はね、そういうことを言ってる姿も見たくなかったし。
あとね、何ですかね、物事を表面だけで見なくなりましたね。
つまり、例えば何か事件が起きましてもね、出ているのは上っ面なんですよ。
で、皆さん、上っ面で判断して、やっぱりワイドショーなんかでも結局
出てる情報だけで何か処理しなきゃいけないでしょう?」
国分「はい、そうですね。」

小朝「ところが、その下に隠れているものって、いっぱいあるわけですよね。
そうすると僕は、誰か他の方が事件を起こしたり、何かスキャンダルがあった時も
『この人、言いたいことがあっても言えないんだろうな。』とかね。
『多分、違うことが他にあるな。』とか、そういうことを考えるようになりましたね。」

国分「小朝さんにとって、結婚というのはどんな分岐点でしたか?」
小朝「そうですね。僕は楽しかったですよ、うん。
あの、いい思い出ばっかりというか、楽しく過ごしていましたから。」
美輪「いや、だからね。ネタにして申し訳ないんだけれど
『別れ上手、恋上手、食べ上手は芸のうち』って言ってね、昔から言われているんだけれども。
つまり別れ上手でね、相手の心に永久に良い姿としてね、一生残してやろうっていう 心意気がない、っていうんですよね。
とにかく惚れて一緒になって、ある時期暮らした期間があるじゃないですか。
別れが下手だったら、それまで泥まみれにしてね、踏みにじってね、ゴミにしちゃうんですよ。
もったいないでしょう?
だからやっぱり、せっかくの時期は、きれいにおさめて、浪漫の香りでまぶしてしまっておいて
70、80になってフッとした時にね、寂しい時、苦しい時、悲しい時に思い出して、
しみじみと感慨にふける…みたいな。そういう別れ方をすべきなのに、
最近は髪振り乱す、刃物は振りみだす、泣きわめく…。
とにかく滅茶苦茶にしちゃうの、自分のせっかくの人生のいいところを。
だからね、最近の人って、そういう古いことわざを噛み締めなさいっていうの。
だから、別れる時にね、いかにブレーキを引いて、恨みたい、ののしりたい、
いろいろ言いやりたい、それをグッとこらえてね、
それで『お幸せに。よござんしたね』っていうのが。」
小朝「それがいいですね。」
美輪「格好いいじゃありませんか。」

[沈黙を守った理由]
小朝「僕は一切、コメントを出していないっていうのは、それなんです。
もうだって、これ以上何かやったって、しょうがないじゃないですか。
だから、一番は僕が何か発言することで、傷つく人が出てくるんですね。
僕は守らなきゃいけない人間が何人かいたんです。そんなこともありまして、
それで今美輪さんがおっしゃった通り、やっぱりきれいがいいじゃないですか。ねえ。」
国分「そうですよね。」

小朝「ねえ。また喜ぶ人がいるからいけないんでしょうけれど。
僕は喜ぶ人は、そんなにいないって判断なんですよ。
そんな人ばっかりじゃないと。」
国分「はい、はい。」
小朝「そんなのいいよっていう人たちがいっぱいいるだろうと思って。
僕はそっちに期待をかけているんですけどね。」

美輪「いま大分増えてきましたよ、ひところより。
昔はもう 『人の不幸は蜜の味』の方でね、『他人の幸せ、しゃくの種』っていう人が多かったんだけど、今はずい分、変わってきましたね、うん。」
国分「その、表というか、番組とかではそうやっていろんなことをクローズアップされながら、公演に立つという僕の中では、すごい複雑なんじゃないかなって思うんですけど。」

[高座への影響]
小朝「それはね、そうなんです。つまりね、お客さんが緊張してるんですよ。
『何か言うんだろうか?』とか、言わなきゃ言わないで、ちょっと物足りないような気もするし、ね。
言わないでほっとした、みたいなのもあるし。あの、ちょっとね、お客さんの緊張感がね。」
国分「やっぱり見えるわけですか?」
小朝「見える。最近はよくなってきましたけどね。」
国分「小朝さん自体はそんなに揺れなかったですか?精神的なものというか。」
小朝「いやそれは、ピークの時はやっぱり大変ですよ。
その時に人を笑わせるって、なかなか。」
国分「ですよね。」
小朝「大変です。」

[騒動への対処法]
国分「そこなんですよ僕、すごい聞きたいのは。
自分でも落ち込んでる時に、テレビ番組があっても
『やっぱり上手くいかなかったな』ってことがあるんですけれども、そこはどうやって。」
小朝「いやいや、だってそれはお客さんには関係ないことですから、それの一点ですよね。」
国分「はあ。すごい疲れません?」
小朝「疲れます、疲れます。」

美輪「でもね、一番いい切り替え方はね、何かって言うとね、
さっきいみじくも ご本人がおっしゃいましたでしょう、
小さんさんの、その人物の中に入ればいいの。
関係ないの。そうすると、世の中の諸々の事象、違う次元にスポーンっと入っているわけだから。
そうでしょう?そんなのなんか何にも関係のない次元に自分がタイムスリップしてるんだから。

だから私はずっと舞台に出ていて、あの『エディット・ピアフ』をやっている時も その中に入っているから。
まあいろんなことがありましたよ。
だけど、いつもそこでサッと切り替えるのはそこ。
だから、小さんさんがおっしゃったのは本当によくわかりますよ。」

国分「そうなんですよね、美輪さんが本当にそういう風に、前も僕、聞いたことありますけれども。
なかなかそれが、やっぱり自分が弱いのか。」
美輪「だから、自分が弱いって、その自分はいらないのよ、お客は。
『お前さんは要らない』っていうの。その作品が欲しいわけであって。」
国分「『なに自分を見せようとしてるんだ』って話ですよね、僕は。」
美輪「『あんたはいらないの』って。」

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